◆使徒聖戦/呪われた部屋の主Ⅱ◆
あらまあまあ。
なんで絵のお部屋にいるのかしら?
ベッドに横になっていたのに、変ねえ。いつ起きたのかしら?
ポワエルデュー侯爵家のシャルルちゃんのおしゃべりを聞いていたのよね。
病気のおばさんの相手なんて退屈でしょうに、シャルルちゃんは笑顔で、魔王のことや賢者さまのことを、いっぱいいっぱい話してくれて……。
ほんとにいい子。
素直で優しくって紳士で。
どんなお願いごとも、いつもいつも笑顔で聞いてくれて。
ほ〜んと、セリアちゃんの旦那さんになってもらいたいわぁ。年がもうちょっと近かったらねえ、正式なお話をもってゆくのだけれど。セリアちゃんが引け目を感じたら、かわいそうだものねえ。
テオも、シャルルちゃんを見習って欲しいわぁ。
テオも紳士だって、お母さまはよぉ〜く知ってるわ。でも、よそのお嬢さまはそうではないもの。堅物すぎるから、お嫁さんが来ないのよ。もっとにこやかになさいって、口をすっぱくして言ってるのに……ほぉんと困った子!
あら?
あなた、どなた?
どうして、ここに?
今、絵の中から出ていらっしゃらなかった?
見まちがいかしら?
エキゾディックな方ねえ。
お肌が青黒いわ。
その黒いご衣装も、異国風ね。頭と背中に、黒鳥の翼の飾り。綺麗だわぁ。
あらまあまあ! 動いたわ! その黒い翼、本物みたい。すごいわぁ、どういう仕掛け?
わかったわ! あなた、サーカスの方ね! 鍵がかかったこのお部屋にいらしたのだもの、奇術師なのでしょ?
違うの? では盗賊? それとも、勇者物語に出てくる忍者かしら?
悪魔……?
まあ、びっくり。
あらまあまあ。
わたし、悪魔にお会いするのは初めてですのよ。
はじめまして、悪魔さん。
でも……
変ねえ。あなた、とってもハンサムだわ。
醜悪で恐ろしい生き物が魔族なのではなくて?
え?
まあ……人間を誘惑して骨抜きにするため?
上級の魔族ほどその美は完璧となる?
そうでしたの。
でしたら、あなたはとてもとても偉い魔族なのですわね。
こぉぉんな素敵な殿方、初めて。
シャルルちゃんも綺麗だけど、あなたは野生的なご容姿でとても格好良いわ。
『砂海の太陽王』みたい。
あら? ご存じですの? ええ、三十年前に流行した恋愛小説ですわ。
娘時代、挿絵の太陽王に恋してましたのよ。
懐かしいわぁ。
あなた……お声もいいわぁ。甘いハスキーな声で……オペラ歌手みたい。聞きほれてしまうわ。
もしかして、わたしを誘惑にいらしたの?
だめよ。
あなたはとぉっても魅力的ですけれど、わたしの一番はテオですもの。ぜったい誘惑されないわ。
もっと若くて綺麗で……健康な方をお探しになったら?
わたしは、もう……
え?
わたしがいい?
うふふ。変な方ねえ。
でも、悪魔さんと契約を結ぶと、魂をとられてしまうのでしょ?
そぉんなバカことしたら、夫にも子供にも怒られてしまうわ。
欲しいのは、命ではなくて、この部屋のもの?
セリアちゃんとテオの絵でもない?
他のもの?
あらまあまあ。
でしたら、よろしくってよ。お好きなものをさしあげますわ。
お土産にお持ちになって。
せっかくいらしてくださったのですもの、手ぶらでお返しするのも申し訳ないもの。
……願いごとを叶えないで、報酬だけをもらうわけにはいかない?
律儀な方ねえ。
わたしの願いを知っている……?
さすが、悪魔さんね。
あなたの望むものをさしだせば、その願いを叶えてくださる……?
………
ほんとに?
ほんとの、ほんとうに?
あの子に会わせてくれるの?
わたしのあの子に。
ええ、ええ、一時でも構いませんわ。
あの子に会えるのなら、命でもなんでもさしあげてよ。
ずっと、ずっと、あの子に会いたかったの。
あの子が、流行病で亡くなった日から……
ずっとずっと……
* * * * * *
「アンリエット様」
シャルルちゃんの声で、目を覚ました。
「ご気分はいかがです? お喉がお乾きではありませんか?」
喉からは、かすれた息が漏れるばかり。
『ボーヴォワール伯爵夫人。寝て起きたら、別の世界だ。あなたの愛し子が目の前にいますぜ。ただし、魔法はもう一度眠りにつくまでの間だけ。眠っちまったら、もとどおりです。決してお忘れなく』
美声の悪魔さんは、そうおっしゃったのに……
ベッドの近くには、シャルルちゃんと魔法医がいらっしゃるだけ。あとは側仕え。
わたし……
夢を見ていたのかしら……
悪魔さんとの契約は夢の中の出来事だったの……?
ようやくあの子に会えると思ったのに……
夢だったなんて……
ひどいわ……
会いたい……
会いたいのに……
あの子に一目でも……
あの子の名前を呼んだら、ますます悲しい気持ちになった。
「わかりました。アンリエット様 ほんの……ほんの一時お待ちいただけますか?」
……シャルルちゃんが天使のように微笑んでいる。
「ボワエルデュー侯爵家嫡男にしてあなたの従甥シャルルが、必ずや憂いを取り除いてみせましょう」
シャルルちゃん……?
遠ざかってゆく背を目で追ううちに、フッと意識が遠のきかけ……
眠りたくない……そう思ってぼんやりしていたら……
「母上」
その呼びかけが、響いたの。
「お気を確かに」
わたしの手を握ってくれてるのは……
「大丈夫です。脈は落ち着いています。病は気からと申します。気の持ちよう次第で、お楽になるはずですよ」
わたしよりも大きな手……
「テオ……」
赤みがかったライトブラウンの髪も、メガネをかけた澄ましたお顔も、学者の衣装も……なにもかもが……
「……セリアちゃんそっくりね……」
テオが、かすかに眉をひそめる。
「双子ですからね」
「あなたも、学者になったのね……」
セリアちゃんや、絵の中のテオのように。
「……またセリアのことを思っていらしたのですか?」
セリアちゃんのこと?
「違うわ……今はあなたのことを考えていたの。こぉんなに大きく……立派になってくれて……嬉しい。テオ……ずっとずっと、あなたに会いたかったの……」
「母上……私はこれからもお側におります」
わたしの手を、テオの手が力強く握る。
「決して、あなたを置いて逝ったりなどしません。ですから、どうか……私の心配などせずに、ご自愛ください。あなたがおすこやかでいらっしゃれば、セリアも喜ぶでしょう」
セリアちゃん……
「セリアちゃんは何処……? また大学で、むずかしいお勉強?」
「いいえ。セリアは母上のおいでを待っていますよ」
テオが微笑む……とても優しい顔で。
「お元気になられたら、一緒に絵の部屋に行きましょう……セリアに会いに」
絵の部屋でセリアちゃんに会う……?
あ。
あぁ……
あぁぁ……
そう……
そうなの……
ここには……
「……セリアちゃんは居ないのね」
テオ、あなたは居るのに……
わたしのセリアちゃんは居ない……
愛し子が二人そろっている世界など……ないのね。
「母上?」
ごめんなさい。
テオ。
セリアちゃん。
わたしが……間違っていたわ。
涙があふれた。
「テオ……」
真面目で繊細で優しくて……思い描いていた通りのテオドールがすぐそこに居る。
けれども、この子は……わたしの子ではない。
わたしのテオドールは、十九年前に流行病で亡くなったのだ。
ほんとうはわかっていたのよ。
でも、わかりたくなかったの……
ごめんなさい。
わたし……
還らなくっちゃ。
セリアちゃんが、わたしの帰りを待っている……。
「テオ。あなた……今、幸せ?」
「ええ。もちろんです。学者として、勇者様の為に働いておりますので」
「そう……あなたも、勇者さまの仲間になったの……」
セリアちゃんと同じね。
「……好きな方は?」
居るのかしら?
セリアちゃんと一緒で、奥手そうだけど。
「……またそのお話ですか?」
テオは息を吐き、左手でメガネのフレームを持ち上げた。
「繰り返し申し上げます。魔王討伐後、勇者様は賢者を継がれるのです。私ごとき俗人と恋愛関係になるなどありえません」
あらまあまあ。
「こっちの勇者さまは、女性なの?」
テオが首をかしげる。
「お忘れですか? このまえ、勇者ジャンヌ様が屋敷にいらしたでしょう?」
女勇者!
ジャンヌさま?
あら! まあ! まあ!
「なら、頑張らなくちゃ。あなた、勇者さまが好きなんでしょ? 隠してもわかるわ。お母さまはね、あなたたちのことなら、なんでもわかるの。だってね、母の愛はね、海よりも深いのだもの」
テオが困ったように、けれどもどこか嬉しそうに微笑む。
「元気なお声ですね。お顔の色も、ずいぶんよくなられましたよ。ご静養なされば、すぐにもお元気になられるでしょう」
「テオ……」
「今はお休みください」
テオの手を握り返した。
「お願い、このまま……」
「わかりました。ご就寝まで側におります」
「……愛しているわ、テオ」
「はい。よく存じております」
何かお話してとお願いしたら、
「……心の状態が身体に反映されることは科学的にも証明されています。スキンシップには抗ストレス効果があり、他者との接触は人体を温め、ひいては免疫力を活性化させます。しかしながら、ご無理な体勢を続ければ疲れがたまるだけ。体の向きをかえたくなったら、遠慮なく手を抜いてください」
わけがわからないわ……。
んもう。
ほ〜んと、セリアちゃんそっくりねえ。
難しいことを言うのが好きなんだから。
『おかあさま』
『おかあさま、だーいすき』
抱きついてきた可愛い双子。
ちいさな、ちいさな、二人。
もう何処にも居ない二人に思いを馳せながら……テオの手をそっと握り締め、瞼を閉じた。
* * * * * *
終わり、ました、セリアさん〜
ええ。
大丈夫です〜
だいたい、なのですが〜
あ。
困ります〜
お顔をあげて、ください〜
お礼は、結構です〜
私、なにも、してません、ので〜
怪異を、鎮めて、くだすったのは〜
悪魔さんと、『マッハな方』、なのです〜
はい〜
悪魔さん、です〜
たぶん、よその世界の〜
お兄さまの遺影から、ですね〜 お母さまを、エスコートなさって〜 出ていらしたんですよ〜
黒く染まった、翼を、頭と、背に、持つ、雄々しくて、とても、紳士的な方でした〜
ずっと、ずっと、ず〜っと気がかりだったことが、無くなったと、お母さま、おっしゃって、ました〜
絵の、向こうの世界で、セリアさんの、お兄さまに、会って、いらしたのだと、思います〜
はい〜
お母さま、笑顔でした〜
とてもとても、晴れやかな、素敵な、お顔でした〜
セリアさんに、会いたいと、おっしゃって、いたのです、けれども……
ごめんなさい。
私、邪悪な存在と、対峙すると〜
必ず、『マッハな方』に、憑かれて、しまうので〜
なにも、できなかったの、です〜
『マッハな方』と、悪魔さんの、やりとりを、見てた、だけでした〜
『マッハな方』は〜 いつも通り、すぐさま、終焉ノ滅ビヲ迎エシ神覇ノ贖焔を、使おうと、なさったのですが〜
悪魔さんに、止められて、ました〜
命の源を一ダース、喜捨するので、一分ほど、待って、と〜
なんとなくですが〜 『マッハな方』と悪魔さんは、知り合い、のような〜?
悪魔さんのこと、『ドレッド』って、呼んでましたし〜
でもでも〜 悪魔さんの、髪の毛は、左右で対の、黒い翼に、なってたので〜 ドレッドとは、かなり、違う、みたいな〜?
『マッハな方』のお許しをいただいて、ドレッドさんが、お母さまに、セリアさんのお姿を、見せて、いらっしゃいました〜
絵のお部屋の扉の前で、祈りを捧げて、いらっしゃる、セリアさんを、お母さまは、とてもお優しい目で、ご覧になって……
ご遺言を……。
こちらです〜
壁に浮き出てる文字が、そうです〜
お母さま……とてもとても深く、セリアさんのことを、愛していらしたの、ですね……
穏やかに、旅立って、ゆかれました。
はい〜
もう絵のお部屋に、お母さまの、霊は、いらっしゃいません〜
セリアさんのお兄さまの、お名前を呼んで、シクシク泣かれることも、もうありません〜
お母さまは……
死者の、復活を、願って、知らず知らずのうちに、悪魔と、契約を、交わし、呪われて、亡くなられ、たのです〜
悪巧みをした、その悪魔は、『マッハな方』が、退治、したのですが〜
許されざる罪を、犯した事実は消えず〜
神の、御許に、旅立つ資格を、失われた、お母さまは、邪霊となって、この部屋に、留まって、おられ、ました〜
けれども、『マッハな方』の、究極魔法で、清め、られたの、です〜
この世界ではない、どこかで、生まれかわって、新たな人生を、送られると、思います〜
大丈夫です〜 光の教えに、満ちた、世界は、八百万那由多の彼方まで、存在してますから〜
ぜったい、どこかで、幸せな、人生を送られるはず、です〜
セリアさん……
内緒、なんです、けれどもぉ……
『マッハな方』と、ドレッドさんの、会話から、推測したのですが〜
絵の向こうでは、ボーヴォワール伯爵夫人は、亡くなって、おられない、よう、なのです〜
ドレッド悪魔さんが、助けた、みたいです〜
あちらの、お母さまは、セリアさんのお兄さまと、これからも、幸せに、暮らして、ゆける……きっと、そう、なのです〜
この世界では、お救いできなかった方も、決して、不幸なまま、ではありません〜
お母さまが、愛する、お子さんに、先立たれ、悲しみの、涙に、沈むことは、もう二度と、金輪際、決してぜったいに、ありません。
ぜったい、です〜
神さまの愛は、深いのです〜
それで、ですね〜
お願いが、あるのです〜
絵のお部屋を、少しの間、封印、させて、ください〜
今、お兄さまの遺影を、通して、向こうと、こちらが繋がって、いるのです〜
しばらく、このままに、しておくので〜 邪な、ものが、入って来ないよう、聖なる、結界を、張らなくては〜
えっと……
ごめんなさい。
なぜかは、お話、できません〜
神さまの、ご意志と、思って、いただければ……
これから一年ぐらい、ここの異次元通路は〜 ドレッド悪魔さんが、管理します〜
報酬なのです〜
あちらの、お母さまの、お命を救い、こちらで、彷徨って、おられた、お母さまの、旅立ちを、助けた、ドレッドさんへの〜
大丈夫です〜
こちらでは、悪魔の姿でしたが〜
ドレッドさん、あちらでは、人間の器に、入ってしまう、らしい、ので〜
あちらの神さまの、下にある限り、人間を、越える、力は、使えない、そうですから〜
無害です〜
異次元通路を、次に使う時は、『マッハな方』が、立ち会うそうですし〜
無問題、なのです〜
セリアさん。
絵のお部屋を、封じる前に、祈りを、捧げたいの、です〜
共に、祈って、いただけ、ませんか〜?
ありがとうございます〜
いっしょに、祈りましょう〜
お母さまと、お兄さま。
あちらの、お母さまと、お兄さま。
みなさまに、神の、ご加護が、あります、ように〜 って。