鬼に触れし者
レイの目を通して見ると、シュテンはまるで、炎の塊だ。
全身が、激しい炎――炎精霊に包まれ、ごうごうと燃えているのだ。
炎は、シュテンを中心において、四方にも上方にも広がっている。
シュテンが三倍に膨れ上がっているみたい。
炎の旋風というか、天に昇る巨大な火柱というか。
近寄るだけで、燃やし尽くされそうだ。
「侍大将ミツナカが一子、ミナモト ヨリミツ。参る」
先陣を切ったのは、ヨリミツ君だった。
ていうか、一ジャンプでシュテンのもとまで跳んじゃうんだもん。誰もついていけるわけがない。
ヨリミツ君の太刀を、鬼の大将は大金棒で受け止める。
「はっ!」
しまった! って感じに、大きな背が駆け出す。
ヨリミツ君の常識外れなジャンプ力に、度肝を抜かれてたんだろう。
出遅れたアランが、その遅れを取り戻そうと、猛スピードでシュテンめがけひた走る。
「あぶない! 無茶をするな!」
と、ヨリミツ君を子供扱いしながら。
シュテンから、ぶわっと炎が広がる。炎が巨大な大波か雪崩のようになって、ヨリミツ君やアランに襲いかかったのだ。
ヨリミツ君の体が、一瞬で炎に包まれる。
けれども、火達磨になりながら、宙でくるりと回転し、しっかりと着地。岩場に降り立つや、再び跳躍。シュテンに斬りかかる。
「あれ?」
攻撃のスピードは落ちてないわ、熱がってないわ……火傷もしてないような?
《殺気で全身を覆い、障壁代わりとしているのである》
アタシの内の雷精霊が教えてくれる。
……そういえば、そういうのができる子だった。
一方、アランは……
進路を塞ぐ炎を、ばっさりと斬り捨てた。
紙を切るかのように、大剣でたやすく。
《ほう。斬れるのか》
レイが、感心したようにつぶやく。
《あの男の目には、炎精霊は映らぬであろうに。敵意に反応したのだな……。戦士の勘か》
鈍色の両刃剣を槍のように構え、蛮族戦士が突撃する。
刃に触れるのを厭うように、荒ぶる炎が割れてゆく。
炎が後退してできた道を、アランが突き進み、リュカが後を追いかける。
《あの両手剣、なかなかに面白い。魔力を断つ刃を有しておる。炎の姿のままでいては斬られるゆえ、炎精霊は主人の内へと逃げているのである》
シュテンの周りの炎はどんどん縮小し、シュテンへと吸収されていった。
「どういうことだ?」
戦いながら、ヨリミツ君は鬼の大将に話しかけていた。
「先程のは何だ……? 貴様ら鬼は……」
「話は後だ、ヨリミツ」
横手から斬りかかったヨリミツ君を左手で払い、赤鬼がニヤリと笑う。
「今は、ただ楽しもうぜ」
赤鬼が、右手一本で巨大棍棒を振り下ろす。
ガツン! と火花が散る。
アランの大剣が、棍棒を受け止めたのだ。
そのままガツンガツンと、武器と武器とが激しくぶつかり合う。
二人とも腰布だけの半裸だから、何というか……ド迫力。
大柄なアランが子供みたいだ。赤鬼はデカすぎる。身長は、アタシの倍はありそう。
攻撃を受ける度に日焼けしたアランの、極太の腕が、厚みのある背中が、逞しい脚が、ぐっと引き締まる。弾き飛ばされもせず、よく踏みとどまっている。
アランの両手剣もデカいけど、シュテンのは超巨大すぎる。
自分の身長ほどもある金棒。
しかも、表面に鋲つき。
一発でも殴られたら、逞しいアランでも終わりだ。肉も骨も砕ける。中も外もぐちゃぐちゃ。たぶん、死んじゃう。
リュカは、アランの後ろに控えたままだ。
リュカの小剣は、敵に麻痺を与えることがある魔法剣(ごくごく稀に一発死にさせるとか)。かすり傷でもいいからシュテンに傷を負わせられればいいんだけど……今のところ、敵に隙が無さ過ぎて踏み込めないようだ。
迫力の争いにみとれていたら、魔法が飛んできた。
「……我が魔力が、願わくば、美しきあなたの助けとならんことを。薔薇の花束をあなたに……」
胸がきゅぅぅぅんとして、体がカーッと熱くなった。
お美しいシャルル様が、優しく微笑んでいらっしゃる……
「私の編み出した、女性専用魔法です。女性の、力強さ、防御力、素早さ、運等々、あらゆるパラメーターを上昇させます」
爽やかな笑み……頬が、どんどんカッカッと熱くなる。
さっきヨリミツ君たちにかけてた強化魔法とは、呪文が違う。男女で呪文をかえるとは……。さすがです、シャルル様! 『薔薇の花束をあなたに』だなんて、いやん、嬉しい! 言祝ぎ効果抜群です!
「……我が魔力が、願わくば、美しきあなたとその供を炎の刃から守りきらんことを。水明の守り」
更には、炎耐性まであげてくれる。
「さ、アランがあの赤鬼を引きつけている間に進みましょう。私がエスコートします」
アタシと、姫さまを背負ったアカネマル君に声をかけ、シャルル様が呪文を詠唱する。
「……我が魔力が、願わくば逆巻く波となりて、対手を砕かんことを。牙むく波濤」
おぉっと、今度は攻撃魔法!
シャルル様が生み出した水に、前方の炎が押し返されていく!
すごぉい!
さすが、もと天才魔術師! かっこいいッ!
《格好いい? あの程度の水魔法がですか? 判断基準が甘すぎませんか、百一代目勇者様。私なら、あれよりも遥かに上位の水魔法を使えます》
姫さまの護衛役につけた奴が、アタシの後ろでギャーギャーわめいている……。
うるさいなー、もう。
「んじゃ、水魔法、使ってみせて。あ、でも、水結界を解いちゃ駄目よ。仲間を巻き込むのも、駄目だからね」
それにしても……後姿も素敵だわ、シャルル様……見事な巻き毛……。かよわき女性を背にかばう麗しの騎士……腰の魔法剣も抜いたのね……細身で鋭くって、シャルル様にぴったりの武器だわ。
なんか、もの凄い威力の水旋風が、周囲を吹き荒れた。
水の渦が、シュテンの内から噴き出していた炎を完全に後退させる。
道を塞いでいた炎は、完全に消えた。
アランたちが吹き飛ばされてもいないし。
さっすが、水精霊! 古老格! すっごい魔法ね!
《それだけですか?》
なにやら不満そうな。
《『素敵』や『格好いい』は? 私の方が強力な魔法を使ったのですよ?》
む。
「キャー ラルムぅぅ。ステキぃー カッコイイー」
《……心がこもっていません。口先だけではないですか》
ぐ。
……うざ。
勝手に人の心を読むし。面倒くさい奴……。
《面倒くさい? 失敬な! そもそも、あなたが小手先の技に騙されて、魔法の本質をまったく理解していないのが問題であって、》
はいはい! 黙って! もうすぐ着くんだから! あんたが道を開けてくれたおかげね、ありがとう!
シャルル様の後について、どんどん鬼の大将に近づいている。
真正面からではなく、鬼の左手側に回りこむ感じだ。
アタシの後ろからは、姫さまをおぶったアカネマル君とラルムも続いている。
鬼の大将を見上げた。
シュテンは右手一本で超巨大な金棒を持ち、アランと武器の押し合いをしている。
ヨリミツ君やリュカの攻撃は、空けた左手や足技で払うか、避けるか。
一対三。更に、アタシたちが駆けつけてきたのに、痛くもかゆくもないって顔だ。ニヤニヤ笑っている。
「全員で来たわよ! 賭けは、アタシたちの勝ちよね?」
「寝言ほざくな、百一代目」
ぎょろりとした眼が、アタシを見つめる。アランたちと戦いながらよそ見とか……余裕ね。
「触りに来いよ。俺に接触しなきゃ、『行き着いた』たぁ言えねえだろ?」
ぐ。
……攻撃しろってこと?
だけど……
アタシは背後を見た。姫さまは、アカネマル君の左の肩に顔を埋めて震えている。
シュテンに怯えて小さくなっているのだ。
戦わせるなんて、無理。武器が扱えるとも思えないし。この怖がり方じゃ、シュテンへのボディタッチですら嫌がるわよね……。
《百一代目勇者様、私に命令を。彼女の教育を私に任せる、とおっしゃってください》
ラルムは、アカネマル君に背負われる姫さまを――カガミ マサタカ先輩の子孫をジッと見つめている。
《彼女の覚醒を促します。その肉体を危険に晒すことなく、短時間でやってみせます。ご許可を》
ガキン! ガキン! と、鈍い金属音が響いてくる。すぐ近くで、鬼の大将と仲間達の戦いは続いているんだ……迷っている暇なんてない。
「任せるわ」
ラルムが姫さまの頭上に手をかざすと、薄い水の膜が宙に浮かんだ。
水鏡だ。
水鏡は、人間の精神だけを内に取り込む。氷界や雷界では、鏡の中の疑似空間でアタシは戦闘訓練を積んだ。ラルムによって再現された肉体を用い、戦闘シミュレーションをしたのだ。
姫さまの体がぐったりする。アカネマル君の肩に回した手にも、力が無くなった。
水鏡に取り込まれ、肉体から魂が抜けたのだ。
《少年。姫の肉体を中心に、あなたと水鏡を覆う形で、水結界を張り続けます。私の水結界は、ほとんどの物理・魔法攻撃を跳ね返せます。が、安全を期し、なるべく敵の攻撃は避けてください。鬼の大将は、炎精霊を多数抱えています。未知の攻撃を仕掛けてくる可能性もありますので》
「お姫さまに……いったい何を?」
アカネマル君が、ラルムを見上げる。困惑と警戒と怯えが混じったような表情。イバラギによく似た姿のラルムは、やはりまだ怖いようだ。
《精神修行を積んでいただいています。姫は、カガミ マサタカ様のご子孫です。その血にふさわしい、高貴なお方になっていただきたい》
「あの水鏡の中には、アタシも入ったことあるわ。今、姫さまは眠ってるだけよ。じきに目を覚ます。ほんとよ。姫さまは大丈夫だから」
「……わかりました」
姫さまとアカネマル君は、ラルムに任せるからいいとして……
アタシは白太刀を構え、鬼の大将を見上げた。
今のアタシには、ヨリミツ君から借りた白太刀がある。
雷精霊のレイも同化させている。
それに、すぐ前には、
「あなたの華麗な攻撃をサポートしましょう。モン・アムール、最後までエスコートさせてください」とおっしゃるお方がいらっしゃる。風に靡く金の巻き毛がステキ!
アタシは、シャルル様と共にシュテンを目指し、白太刀を振りかざし、
斬りつけた……間違いなく。
武器が片刃だから、向きも気をつけた。
あの野郎、金棒の棍底の方でガードしてきやがったけど。
白太刀とあいつの武器が触れ合って、ガツン! と火花が散った。
腕に重くズシン! と、衝撃が走った。
そこまでは、覚えている。
で、次の瞬間、アタシは見知らぬ場所に放り出されていたのだ。
まず最初に感じたのは、強烈な臭いだった。
ゴミの腐臭とでも言おうか。何かが焼ける煙臭さも漂ってはいるけど、生臭さと甘酸っぱさが混じりあったような臭いが凄すぎて……目が痛い。
「ここ、どこ?」
周囲に、シュテンも仲間もいない。一人っきりだ。
見たこともない街。
左右を壁に挟まれた狭い通りに、アタシは立っていた。
動いているものの姿はない。
薄曇りの空の下、通りには点々と人が倒れている。どう見ても生きているとは思えない、無残な姿になって。
風にのって聞こえてくるのは、断末魔の悲鳴のような叫び。
遠くに立ち昇っている黒煙も、一箇所や二箇所ではなく……大火事を思わせた。
《転移したのである》
内からの声に、びくっと身をすくませた。
「レイ?」
同化していた雷の精霊だけは、一緒のようだ……ちょっとだけ心強い。
《この空間には、強き魔力を感じる。異空間と思われる。開戦前、赤鬼は何か呪文を唱えていた。己に触れて来たものを別所に飛ばす術でも仕込んでいたのではなかろうか》
「みんなは?」
わずかな沈黙の後、答えが返る。
《付近には居ない》
だけど、アタシより前に、ヨリミツ君やアランも斬りかかってるのよ。触れて発動なら、全員、ここに飛ばされるんじゃ?
《さて。他の者は別所に運ばれたのか、勇者ゆえに主人一人だけ誘われたのか……。いずれにせよ、ここで主人は戦わねばならぬのである》
視界の端に、動くものがあった。
丸太のように倒れていたものたちが、よろよろと立ち上がり出したのだ。
変色して膨れ上がった者、体を半ば以上失った者、剥きだしの骨をさらしている者……
動く度に血や体の一部が滴り落としながら、そいつらは、ゆっくりとゆっくりと近づいて来るのだ。生きている者――アタシを目指して。
《不死者である》
言われなくても、わかるわ!
白太刀を握り締め、アタシは周囲を見渡した。
前からもゾンビ、後ろからもゾンビ。じわじわと、アタシに迫って来ている。
ゾンビは体が腐ってるから動きは遅いし、脳までぐちょぐちょだから知脳も低い。
逃げるのは、さほど難しくない。
まあ、逃げ場がないほど囲まれたらアウトだけど。
風にのって、また悲鳴が聞こえる……
決めた。
とりあえず、声のする方へ行く。
「誰かの存在を知覚したら、教えて。ヨリミツ君でもシュテンでも」
他の誰かでも……生きている人間がいたら。
さっき向いていた方へと走る。
ゾンビたちに近づくにつれ、臭いがどんどん強まる。
暗紫色の肌の奴、血まみれの奴、ひからびたように萎れた奴。濁った目でアタシを見つめる奴も居れば、眼球すら無い者も居て……背筋がゾッとした。忌まわしい姿のまま歩き回る彼らは、不気味で哀れだった。
動きの遅いゾンビたちの間を抜け、どうしても進めない時にだけ太刀を振るって、道を塞ぐモノを斬った。べちゃっと嫌な体液が散る。
人ではなくなったモノを、斬り捨てアタシは走った。
白太刀の斬れ味は凄まじく、さほど力をこめなくても、不死者をざくっと両断できる。
だけど、ただ斬るだけなのだ。歩行が不可能になったゾンビたちは、地に転がり、蠢き続ける……不死者だから、死んで楽になることもない。
斬る度に、やり切れない気分になっていく。
歴代勇者のサイン帳……今こそ、あれが欲しい。
あれがあれば、マルタンを呼び出せる。
あいつなら、綺麗さっぱりまったく完璧にゾンビを祓える。魔に堕ちたものを清められる。
けれども、アタシには……その力は無いのだ。
何処までも何処までも続くまっすぐな道。
ずっと遠くに、オレンジ色の塊群が見えた。
そこに居たのは、燃えている死体だった……。
炎に包まれながら、のっそりと彼らは動き、歩み寄って来る。
わめきもせず、取り乱しもせず、ただただ緩慢に行進して……。
生命を失った彼らには、もはや苦しみも痛みもないのかもしれない。
灰になるまで、彼らは徘徊し続けるのだ。生ある者を襲う為に。
赤々と周囲を照らす炎はあまりにも鮮やかで、悪夢のように美しく……吐き気がした。
《緊急回避》
その声が聞こえた瞬間、アタシの体は勝手に動いていた。
《主人の守護を優先する》
内に居た雷の精霊が、体の支配を奪ったのだ。
前方の敵に心奪われている間に、不死者たちに囲まれていたようだ。
すぐ側まで迫っていたゾンビたちの間を縫うように走り、レイは前へ前へと進む。
ともかく速い。
ぶつかる! と思った時には加速していて、相手をその場に置き去りにしている感じ。
でもって、剣を振るスピードも速い。ひゅんと風をうならせ、返り血さえ浴びずに、障害となる敵を斬り捨て、開けた道を通りぬけるのだ。
レイは、振り下ろした白太刀から右手を離して、すかさず腰の不死鳥の剣を握り……抜いた。
左手に白太刀、右手に不死鳥の剣の二刀流。
たちまち、ドワーフ王から贈られた魔法剣の剣身が炎に包まれる。
レイに操られ、アタシの体が炎上中のゾンビたちの群れに突っ込む。
両手に伝わる、何かを断つ感触。
熱すら感じる間もなく、アタシはゾンビたちの間を駆け抜け……
レイが足を止め、振り返る。
ゾンビたちを包んでいた炎は一瞬だけ鮮やかに燃え猛り、じきに小さくなり……跡形も無く静かに消え失せる。
不死者となり果ててものたちを、伴って。
浄化した……?
アタシの頭が頷く。
《さよう。不死鳥の剣は清めの炎を放てる。主人の記憶の中で、ドワーフ王は『この剣はアンデッドには、めっぽう強い』と、言っていた》
……そう言われれば、そうだったかも。
やれやれって感じに、アタシが頭を振る。
《その後、アンデッドと戦う機会がなかったゆえ、忘れられたな。『切れ味も強度も、鋼よりはマシって程度。無茶使いすると、折れる』とな、後半の台詞はよく覚えておられるようだが》
アタシでも、魔に堕ちたものを救えるのか……心がちょっぴり軽くなった。
《硬きものを斬らねばならぬ時は白太刀で、不死者を斬る時のみ不死鳥の剣を使うべし》
レイは再び走り出した。
さっき悲鳴がした方角へと。
走りながら、左右の武器を同時に宙に投げて、両手を交差させてキャッチ。
武器を持つ手を換えたりなんかして。
左手に不死鳥の剣、右手に白太刀だ。
その気障な持ち替えモーションは、ちょっと厨二病くさい。
《心外な評価である。長めの剣は利き手に、短き剣は反対の手に。剣術のセオリー通りに持ち直しただけのこと》
精霊のくせに、なんで剣の扱いがうまいの?
《二番目の主人が、武人であったゆえ。剣、格闘、槍等の練習相手を務めたこともあり、主人と共に戦場を駆けたこともあった》
へー
さすがベテラン精霊。メカに詳しいわ、武器の扱いに長けてるわ、あんたってば便利ねえ。
《しもべが低能であっては、主人を守りきれぬ。過去から学び、己を磨き、研磨し、高める。吾輩は雷の精霊。常に進化を続ける存在なのである》
徐々に、空が黒くなる。
遠目にも、道の先が火の海であることはわかった。見えるのは、激しく荒れ狂う炎と崩れた建物。いたるところで上がっている黒煙。
ゆっくりと歩んで来るのは、不死者ばかりだ。
この先に、ほんとうに生きている人が居るのだろうか? さっきの悲鳴は聞き間違いではないか?……だんだん不安になってくる。
《左手のみ、制御をお返ししよう。不死鳥の剣にて、可能な限り不死者を清められるがいい》
ん? どうしたの、突然?
《……主人の願望に応えただけ。守られる弱者ではなく、仲間を守れる『勇者』となりたい。常々、そう思っておられるではないか》
それは、まあ、そうだけど。
《なにごとも経験》
レイが薄く笑う。
《勇者見習い時代、双剣の修行も積まれた由。ドワーフの魔法剣は、短剣並みの重量。左手にても、振るえるはず》
左手だけじゃなく、左腕、左肩から左側の腰のあたりまでが自由に動くようになる。
それ以外の箇所は、レイが動かしている。
どのようなコースを、どう進むのか、敵とどんな間合いをとるのか判断して動くのはレイだ。
《次、右》
《敵を誘導して後、切り返し》
《白太刀にて、右の敵の鎧を砕く》
次の行動を申告する雷精霊に合わせ、武器を振るい、突進する。
道を塞ぐかのように燃え広がった炎は、まるで炎の壁だ。
その先にあるものを、オレンジの輝きの前に包み隠している。
猛り迫り来る炎と、もくもくとあがる煙、舞い降りる火の粉。見えるのは、そればかりだ。
凄まじい熱風も吹き荒れていることだろう。
雷精霊に守られているアタシはともかく……普通の人間じゃ、耐えられない熱さだ。
生存者なんか居ないのでは?
そう思いかけた時、強力な魔力を感じた。
レイが、凄い勢いで後退する。
アタシがさっきまでたたずんでいた場所にまで、何かが迫ってきたのだ。
たとえるのなら、巨大な風船。
ぶわっと一気にふくらみ、猛る炎をまとめて内に包み込み、そのまま一気にしぼむ。
猛火が一瞬で消える。
《風結界である。結界内を真空とし、内部の炎を鎮火したのだ。理にかなった消火法である》
ザーッと音をたてて雨が降りしきり、もくもくっと白い煙があがる。
レイの目が、宙を覆うものたちを捉える。
風、水、氷の精霊たちが漂っている。凄まじい数だ。
白い蒸気の向こうに、影が揺れる。
白煙の向こうから、黒のローブの男性が現れる。
その姿を見た時、あっと声をあげてしまった。
いつの間にか、口がきけるようになっていた。
「異国の方ですね? お怪我はありませんか?」
聞き覚えのある、良く通る澄んだ声だ……。
肩より下の辺りで結ばれている黒髪は、艶があってしなやかで、腰まで届く長さ。
切れ長の瞳は涼しげで、鼻筋が通っていて、眉は細く、唇も薄い。
顔だけじゃなくって、ただずむ姿勢までもが綺麗……。
髪とローブの色を除けば、ラルムにそっくりで……。
胸がキュンキュンと鳴った……
鐘が鳴らない……
そう思いながら、アタシはつぶやいていた。
「カガミ マサタカ先輩……?」
先輩が微かに首を傾げる。
その身にまとう凄まじい光が、その人が本物であることを語っていた。
数多くの八大精霊――八色の輝きに包まれている。目がくらみそうなほどにまばゆい。
その後ろには幾つもの風結界がある。中は人でいっぱい居た。逃げ遅れた人々を救助し、治癒しているのだ……勇者として。
そして、何よりも、この思い。
わきあがってくる、この思慕にも似た感情。
間違いなくこの人は……。
「……私をご存知なのですか?」
「ええ。はじめまして、カガミ先輩。アタシ、百一代目勇者ジャンヌです。あなたより千百年ぐらい後の勇者なんです」
伝説の勇者が、今、目の前に……。
アタシは……時間転移してしまったのだろうか?
それにしても……
ラルム! あんたってば、ほ〜んと間が悪い! どーして、今、ここに居ないの!
本物よ! 本物のカガミ マサタカ先輩が目の前にいるってのに!




