鬼を慈しむ者
《ジパング界のこと、カガミ マサタカ様とその一族のこと、鬼のこと、イバラギのこと。知る限り話しなさい》
アタシたちは、ちっちゃいミツハを囲っていた。
ティースプーンほどの大きさの彼女は、そっくりかえってて姿勢が悪い。めんどくさーいと言いたそうな、けだるげな雰囲気を漂わせ、ぶすくれた顔をしている。
本人そっくりだ。
ラルム曰く《ミツハ本人ではありません。私がアレから抽出した記憶の一部です。機械でたとえるのなら部品に該当します》だそうだけど。
《百一代目勇者様、コレは創造主である私に逆らえません。嘘は言えないのです。コレの主観が多分に入っていますが、『カガミ マサタカの精霊』が見聞した事実のみを語ります》
「わかったわ」
《なるべく平易な言葉を選んで、誰にでも理解できるレベルの説明をするよう命じてあります。それでもわからないかもしれませんが、必要とあらば補足させます。ご安心ください》
「……ありがと」
《いいけどぉ、マサタカ様はお心が読めないお方だったしぃ、その後のご主人さまたちもぉ秘密主義が多かったしぃ、ずっと召喚されっぱでもなかったからぁ、話せること、あんまないかもぉ》
ちびミツハは、ラルムを見てふふんと笑った。
《マサタカ様が三十九代目勇者だった時代の話はしないわよ。ラルムよりう〜んと格の高いお方から口止めされてっから》
「神さまのこと?」
《そ。魔王戦のこととか、現役勇者が知らない方がいいこと、いっぱいあんのよ。下手なこと話したらわたいの本体がボンされちゃうしぃ、そもそも話せないようにプロテクトがかかってんのよねー》
へー
* * * * * *
マサタカ様が勇者になる前のことは、わたいより勇者ちゃんのが詳しいでしょ?
マサタカ様の『勇者の書』を読んでっから。
って……けっこううろ覚えね。
っとに、あんたってば、それでも勇者? マサタカ様と大違い! やんなるくらいバ……
!
………
あ〜 いやいや、思い出せるよう説明したげる。あんた以外の聞き手もいるしねー 皇族のお姫ちゃんと、侍お抱えの忍者。キョウで育ったあんたらにも、真実をわからせてあげるわ。
カガミ家ってのは、古来から神事を司ってきた一族なのよ。
古えの秘術ってのも、山ほど抱えててさ。
マサタカ様自身も、その秘術でご生誕された方なのよー
霊力の強い男性を異世界から召喚して、カガミ家一の巫女の夫にした、異種婚なわけー
タイプの違う霊能者同士をかけあわせた、ハイグレード霊能者、それがカガミ マサタカ様なわけよ。
お美しく、賢く、お優しい、ちょ〜天才!
水を得た魚? 乾いた大地が水を吸収するように? 幼いうちから、どんどん一族の技を学んでったのよ。
そのまんまいけば、カガミ家当主となり、輝かしいエリート道をまっしぐらだったんだけどぉ……
十才の時に、次元穴に吸い込まれちゃったのよね。
んで、勇者世界へ転移。
賢者に拾われ、勇者見習いとして育てられ、あっちの魔法を学んで……十八年。
本番まで十八年!
魔王がちぃっとも現れなくってさ。
そのせいで、なんもかんもがワヤになっちゃったのよ。
マサタカ様が魔王を倒し、わたいら精霊をひきつれて故郷に還った時には……
カガミ家は滅びてたわけ。
てか、お屋敷があった場所には大穴が開いていただけだったのよー
周囲の草木は爛れて枯れ、大穴には腐った水が溜まり、付近にはだぁれも居なかったのよ。
分家の家もおんなじ。どこもかしこも腐ってて、犬っころ一匹居なかった。
どうもね、ヤバイもの召喚しちゃったらしいのよ。
ちょ〜優秀な跡取りマサタカ様が異世界転移、こっち風に言えば『神隠し』で消えちゃったじゃない?
カガミ家当主は『マサタカは、いずれ戻る』って占ってたんだけど、何年経っても帰って来ない。国中に式を放って探しても、何も手がかりなし。
んで、一部のバカが暴走しちゃったの。無能な当主は隠居させ、自分の身内から次代の当主を出すって息巻いて、古えの秘術で異世界から超強力能力者を召喚しようとしてさ。
異世界の魔王を召喚しちゃったのよ。
アンデッドの王様。
『死霊王』って奴。
バカたちが、アホなことやって、そいつの怒りを買ったみたいで……
一族みな殺し、
都には悪疫がバラまかれ、異形のモンスター『鬼』が何千と送られたってわけ。
まあ、このへんの事情は、マサタカ様が『鬼』の大将と会ってからわかったことでー
勇者世界から戻られたマサタカ様は、事情がわかんないから情報収集に、都に向かわれたわけー
そしたら、都自体がひっどぃありさまでさー
建物は崩れ、道端に死体がゴロゴロ。あっちこっちで火事やら追いはぎやら、『鬼』に襲われる町民たちやらでさー
お優しいマサタカ様が、ほっとけるわけないじゃない?
人命救助にわたいらを使い、病や飢えに苦しむ人々を癒し、『鬼』を倒し、弱りきっていた朝廷の味方をし……
皇子の鬼退治に同行したんよ。
『鬼』どもの中には妖術が得意な奴らが多かったけど、マサタカ様とわたいらの敵じゃあなかった。
結界を破り、奴らの根城――大江山に乗り込んで、スパーンスパーンと雑魚どもを倒していって……
あっという間に、『鬼』の大将まで行き着いた。
ところが、ボス部屋で待ち構えていたのは……
コウモリの翼と蛇の尻尾、山羊の角と下半身を持つ、顎鬚の老人。
鳥の嘴と翼を持った女。
顔だけが人間の、大槌を肩に担いだ大熊。
……三体のボスは、人間と動物の死体をかけあわせたアンデッド・キメラだったのよ。
人間の部分は、カガミ家当主と、マサタカ様のお母さん、呪術の師匠だった叔父……。
呪術の師匠の愛武器がすっごい独特の形状だったからさー 十の時に別れたっきりだったけど、マサタカ様が『もしや』と気づいて……
あとは芋づる式。
実のお母さんと、カガミ家当主――よーするにおじーちゃんだってわかったわけ。
カガミ家の中で霊力の強いベスト・スリーだったから、ボス用の材料にされちゃったみたい。
お三人には『人間であった時の記憶』もあって、名乗ったマサタカ様を見て嬉し涙を流してた。
で、『殺して欲しい』って願ったのよ。
力あるものを軽々しく召喚したのは、一族の不始末。自分たちが魔道に堕ちたのは、仕方がない。
けれども、創造主の命令のままに災いを撒き散らし続けねばならぬ身が口惜しい。
自分達を浄化し、『カガミ家当主』としてこの地で時を待って欲しい。
『死霊王』は『鬼の大将』をつくり終えた後、自分の世界へ還ってしまった。『ここいらが死霊の王国になった頃にでも、遊びに来ようかねえ』と言い残して。
いつかは姿を見せる。
その時こそ……『カガミ家当主』として、災厄をもたらす『死霊王』を滅ぼしてくれって。
望みをかなえると約束して、マサタカ様はお三人を浄化したわ……自らのお手で。
すべてを見届けた皇子は、マサタカ様に大江山の鎮守をご任じになり、いずれ現れる災いに備えよって命令したのよ。
一族の罪を恥じるのであれば、大任を果たせ。
『死霊王』の侵攻を阻止せよ。
その為には、自分も朝廷も協力は惜しまないとも言ってた。
そん時の書きつけも、当代マサタカ様の手元にあるわ。
それから数百年。
来るべき『死霊王』との戦に備え、カガミ一族は己を鍛え続けてきた。
なのに!
都のバカども、すっかり忘れてるのよ!
大江山に異能力者が集まってるのは、都の平和を守る為でもあるってのに!
カガミ一族を『大江山の鬼』呼ばわりしてくれちゃって!
あの皇子がさ、天子様になってりゃ良かったんだけどー 数多い皇子の一人で生涯を終えちゃったもんでー
アンデッドに襲われた恐怖体験が、都じゃ、歪んで残っちゃってさー
死霊王の配下=鬼だったはずが、そのうち異形や異能=鬼にすり変っちゃって。
自分たちと異なる外見の者や、抜きん出た力を持つ者を『鬼』と呼んで忌み嫌い、迫害する……都は、そんな嫌ぁな所になっちゃったのよ。
って、わけ。
そこの姫。わかった?
『大江山の鬼』って呼ばれてるイバラギ様たちは、『死霊王』との戦に備えてる武人。ほとんどが、カガミ マサタカ様のご子孫。そーじゃない奴も、この世界ならではの特殊能力を持った異能力者。
キョウに災いをもたらしてるとか、濡れ衣だから。
キョウを見舞った天災は、ただの天災。
火事も、ただの火事。
疫病や不作も、いろんな理由が重なって発生した不幸なこと。
それを、あのボケ陰陽師、ぜぇんぶ『大江山の鬼』のせいだなんて占いやがってぇ〜〜〜〜〜
は?
悪さはしてる?
人さらいはしてるじゃないかって?
バーカ。悪さじゃないわよ、あの皇子との契約よ。
武人を選りすぐり手元に置くがいいと、あの皇子が許可したの。
だから、『死霊王』と戦えそうな子を、拾ってんのよ。
あんたたちも見所があるから、鬼ヶ城に連れて来たの。
集めて、強くなれるよう、しごいてたのよ。
『あきたら殺す』の脅迫も、『鬼ごっこ』も、血みどろな酒宴の幻を見せたのも、覚醒を促す為だし。
ん?
そーよ、幻よ。
そこのボクちゃんが見た血の酒宴は、ま・ぼ・ろ・し。
普通の料理やお酒が、人間の肉や血に見えただけー
他に食べる物があるのに、わざわざ人間の生肉や血なんか食べないわよ。
おなか壊しちゃう。
いま『鬼』って呼ばれてる子たちは、ふつーの人間よ。あんたたちと見た目がちょっと違ったり、魔力やらの異能があるだけー
人間の生肉や生き血には、興味ナッシングよ。
なんで、幻を見せたかって?
火事場の馬鹿力って言葉、知らない?
生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれると、人間、秘めた能力を発揮しちゃったりするのよ。
だから、危機的状況をつくりだして、追い込んでたわけ。
牢屋に居た奴らが減ってったのはー 『鬼』の力に目覚めて、『鬼』の仲間に加わったからよ。
あんたたちも『鬼』になれば、再会できるわよぉん。
ここんとこ派手にさらってたのは、細かいこと言ってらんなくなったからよ。
ちょっと前にね、当代マサタカ様が、視たのよ。
『死霊王』と戦う未来を。
運命の時まであと百日との、予知もしたわけ。
だから……
人狩りしてんのよ。
運命の時に備えて。
大江山で『死霊王』を食い止めなきゃ、キョウの都は阿鼻叫喚の地獄になっちゃうんだから。
『死霊王』は、死者を統べる王。
人間を殺しちゃ、軍勢にとりこみ、キメラ化して遊ぶ。いや〜な趣味の、下卑た奴らしいわ。
十中八九、大物魔族よ。
お姫ちゃんもボクちゃんも、人事じゃないのよ。
とっとと能力に目覚めて、イバラギ様に協力したら?
* * * * * *
ポカーンとしてしまった。
アカネマル君も目を丸くしている。
お姫さまはあいかわらず袖で顔を隠して、うつむいたまま。ちびミツハの話を聞いているのかいないのか、さっぱりわかんない。
ちびミツハは嘘は言えない。
ラルムがそう断言したんだから、今、聞いた話は『ミツハの目を通して見た真実』に間違いないのだ。
「イバラギが、当代のカガミ マサタカなの?」
《ブッブー! ちょ〜イケてるダーリンは、次代カガミ マサタカの筆頭候補よ! だから、副将なの! 現マサタカ様は、シュテン様に決まってるじゃない!》
鬼の大将か。
たしか……容貌魁偉な大鬼よね。全身が真っ赤でお酒を飲んでは暴れまわる乱暴者だって、ヨリミツ君は言ってた。
『カガミ マサタカ』のイメージじゃあないなあ。
《シュテン様は、ものすごぉくお強いの! 戦闘力は、歴代マサタカ一! なんだけど、炎の申し子なんよ。炎精霊以外、お側に置いてくださらないの。わたいらはイバラギ様に預けられてんのよ》
てことは、水風土氷雷光闇の精霊をあの白髪鬼は持ってるのか。
カガミ先輩の精霊を炎以外全部譲られてるんだとしたら、百体近く抱えてることになる。
あいつが余裕ぶっこいた態度だったのも、納得……。
基本、精霊との契約は一代限り。
だけど、精霊が合意した場合のみ、契約者の子孫に譲ることもできる。
大元の契約者がカガミ マサタカ先輩だから、先輩の子孫になら精霊の譲渡は可能だ。
「イバラギは捨て子だったのよね?」
異形で産まれた為に、山に捨てられたって聞いた。精霊たちが拾って育てたんだとも。
ちびミツハは、キラリンと目を輝かせた。
《そーなのよ! わたいが拾ったの! お山のパトロール中に! ダーリンは、ほぉんとベィビーのころから、ちょ〜ラブリーだった! 病弱で食が細くって夜泣きがひどくって、ほんとほんとほんと、もぉ〜手がかかって〜》
ちびミツハは、幸せいっぱいって顔だ。
《今も、ものすごぉ〜く偏食だしぃ、回復魔法をかけ続けてあげてもすぐに寝込んじゃうかよわいお体でぇ、そのくせ天才だから周りを見下すゴーマン君なのよぉぉ! ほぉんと、困ったちゃん! んもう! 可愛くって可愛くって!》
延々とイバラギの魅力を語り続けるミツハは、カガミ先輩の素晴らしさをエンドレスで語るラルムによく似ている。
なんで都にカガミ先輩の子孫がいるの? って聞きたかっただけなのに……。
《あー それはー 大昔は都と交流があったからよ。あっちで神職に就いた子もいたしー 嫁いでった子もいたから、初代マサタカ様の子孫は都にも居るのよ》
なるほど。
《世代が進めば人の血が濃くなって、精霊の特徴は薄れてゆくもんなんだけどぉー たま〜に、イバラギ様みたいに、超ハイスペックな子が生まれるのよ。精霊返りって言うのよ》
ん?
今、聞き捨てならない言葉が……
「精霊返り?」
《そうよ》
ミツハが、やけになまめかしい顔で笑う。
《初代マサタカ様のお子様は、み〜んな精霊との間にできた子だもん。カガミ家子孫は、全員精霊の子孫よ》
え……?
「精霊には性別がないのに? 子供をつくれんの?」
《つくれるわよー あんた、精霊支配者のくせに知らないのぉ?》
プーックスクスクスと笑ったミツハは、ラルムに睨まれて笑うのを止めた。
《人間の子づくりとは違うわ。人間と精霊の気を交じり合わせて、新たな存在を産み出すって感じぃ? 自分の存在基盤の一部を核に、新たな命をつくるわけ。子供をつくればつくるほどわたいら弱体化しちゃうけど、愛しい方の分身が残せてるんだもん。満足よ》
勝ち誇った顔で、ミツハがラルムを見上げる。
《わたい、マサタカ様のお子を生んだのよ》
《……そのようですね》
《ラルムもやってみれば? そのご主人様を使ってさ。気を注入してご主人様に赤ん坊を産ませてもいいし、ご主人様の気を取り込んであんたが生むんでも、好きな方でさー 愛の結晶が残れば、ご主人様が亡くなった後の孤独にも耐えられるわよぉん♪》
《黙りなさい》
ぴたっと、ちびミツハが口を閉ざす。
《そんなことを語れとは言ってません。余計な知識を、百一代目勇者様に与えないでください》
「待って。その話、聞きたい。興味があるわ」
アタシはミツハの顔を覗き込んだ。
「人間と精霊の間にできる子って、普通の人間とは違うの?」
《一般人より魔力や身体能力が高い子が生まれるわ。だけど、人間の枠は超えないの。どうあっても寿命があるのよねー 初代マサタカ様とわたいの子は、ずーっと前に老衰で死んじゃったわ》
陽気なミツハに、ほんのちょっと影が差す。
《でも、でも、でも! 今はダーリンがいるからいいの! わたい、ぜったい、イバラギ様のお子を生むわッ!》
コロッと態度が変わる。今は、恋する乙女の顔だ。
《ダーリンてば、ほぉんと可愛いんだから! ニヒルで傲慢で……だけど、時々、ポロッとわたいらにねぎらいの言葉をかけてくれんの! そっけない顔をつくってても、頬にほんのちょっと赤味が差してたりして! もう最高!》
あ……それは、わかる。ギャップ萌えね。
《わかるぅ? 意外と話がわかるじゃん、勇者ちゃん。イバラギ様は、ああ見えて、シュテン様には絶対服従なのよ。子供の時から、シュテン様にはメロメロなの。普段はツーンとしてるのに、シュテン様にはデレまくり。八つまで肩車を》
ぱしゃっと……唐突に、ちびミツハが水になって砕け散った。
「無駄口ばかりたたきおって……無能者めが」
ふと見れば、苦虫を噛み潰したような顔の白髪鬼がすぐ側に。
悲鳴をあげて、更に縮こまる姫さま。
アカネマル君も、体を強張らせている。
彼らにとってイバラギは『恐怖の象徴』なのだ。
でも……
「八才まで肩車……か」
白髪鬼が、ジロッとアタシを睨みつけてくる。
『鬼』と呼ばれてるこいつも、人間だったわけで……
アカネマル君たちを指差した。
「この子達をさらった理由は聞いたわ。殺す気はなかったってことも」
「さよう。カガミ家の愚かな先祖が、『死霊王』との縁を築いてしまったのじゃ。カガミの血を引く者たちを鍛え、先祖の尻拭いを手伝わせる」
「……アタシにちょっかいを出してきたのは何で? アカネマル君たちを取られた仕返し?」
「シュテン様のご命令じゃ」
白髪鬼が髪をかきあげる。
「貴様と戦いたいとのおおせだ」
へ?
「なんで?」
イバラギが肩をすくめる。
「あの方には、未来を視る力がある。なんぞ、貴様と関わる未来が視えたのかもしれんな」
鬼の大将との未来……?
アタシがキュンキュンするってこと……?
「我が役目は、シュテン様の側にあがるにふさわしき者を育てること。アカネマルたちでも貴様でも、やることは同じよ」
ゆらっと、イバラギが動く。
《百一代目勇者様!》
ラルムの警告。
身がまえたんだけど、間に合わなかった。
イバラギはアタシの横をサッと通り抜け、距離をとってから振り返った。
左手にあるものを、ヒラヒラと振りながら。
歴代勇者のサイン帳だ!
「何すんのよ、この泥棒!」
「貴様本人の力が見たいと、シュテン様がおっしゃっているのだ。己が力で次の敵に勝ってみせよ」
「返してよ!」
「言われずとも、返してやる」
鬼の副将が、意地の悪い顔で笑う。
「貴様が六度目の賭けまで勝てたらな。これは担保に預かっておく」
ぶん殴ってやりたいんだけど、届かない。
前に進めない。
アタシたちとイバラギの間を隔てるように、目に見えない壁が出来ている。
イバラギが声をあげて笑いやがる。
っくそぉ!
「さて……四度目の賭けといこう」
「待ちなさい!」
このまま勝負とか、冗談じゃないわ!
「あんたまだ、ミツハに勝ったご褒美をくれてないわよ! 先にアタシの仲間を返して!」
「む?……そうか。すまぬ、うっかりしていたわ」
顎の下をさすり、白髪鬼は宙を見上げる。
「誰でも良いが……一番弱そうな奴にしておくか。その方が勇者様の活躍どころも増えよう」
などと失礼なことをつぶやき、イバラギが右手を振る。
「どひゃ!」
奇声をあげて、何かが降ってきた。
それは宙でくるっと回転し、バランスをとってアタシのそばに着地した。
「何しやがんでぇ、ジジイ頭! オレを殺す気か!」
ののしり声をあげたのは、ライトブラウンのショートヘアーの美少年だ。
健康的に日焼けした肌、女の子みたいに可愛い顔。
「リュカ!」
どーして、ここに?
さらわれてたわけ、あんたも?
勝気そうな少年が、アタシをチラッと見て、視線をイバラギへと戻した。
「……やっぱ捕まってたのか、勇者のねーちゃん」
「『やっぱ捕まってた』?」
リュカが肩をすくめる。
「あんたの精霊が、いきなり消えちまったからさー 殺されたか捕まったか、そんなこったろーと踏んでた」
「……契約の石を奪われたのよ、イバラギに」
「ふーん」
「リュカも捕まってたのね?」
盗賊少年が、横目でジロッとアタシを睨む。
「鬼の物見櫓にもぐりこんでたんだよ! 風の兄ちゃんに姿隠しをかけてもらって! あの状況で消えられたら、捕まって当然だろーが!」
う。
「……ごめんなさい」
素直に頭を下げた。
「シャルル様やアランも捕まってるの?」
「知らねえ。オレ、別行動だったんだ」
そうなのか。
「バカ貴族もアランもマヌケだし、とっ捕まってんじゃねーの?」
ピクさんも闇界に戻されてるのよね。レイが、二人を守ってくれてるといいんだけど。
「その盗賊の小僧とも、賭けをした」
イバラギがニヤリと笑う。
「身軽さを自慢していたゆえ、精霊どもと毬遊びをさせておったのよ」
「……ああ、たっぷり遊ばせてもらったよ。びゅんびゅん飛んで来る、氷玉や雷玉を嫌ってほどよけた。うんざりするほど楽しかったぜ!」
のわりには、息切れしてないなあと思ったら、
《疲労回復担当の精霊も置いて、本人に気づかれないよう回復させていたのでしょう》と、ラルムが思念を送ってきた。
《イバラギは心が読めないタイプの人間です。彼の本心はわかりません。しかし、あなたやその盗賊は『鬼』ではない。彼にとっての庇護対象ではないのです。くれぐれも気を抜かないでください》
わかったと、頷きを返した。
「盗賊の小僧。毬遊びを生き抜いたのじゃ、賭けは貴様の勝ちゆえ、勇者と再会させてやった。次は、勇者が勝てるよう助けてやるがいい」
「へ?」
リュカが呆れ顔でアタシを見る。
「あんたも賭けをしてたの? どんな賭け?」
「それは……」
アタシが答える前に、イバラギのすぐ前の宙が揺れる。
「!」
ざわっと鳥肌が立った。
血の気がすぅっと引いてゆく。
何と言えばいいのか……空気までもがピリリと張り詰めた感じで、息苦しい。
現れた者が放つ凄まじい気……
あらゆる者を滅する強い意志……
殺気だ……
気づかぬ間に、アタシの体は小刻みに震えだしていた。




