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きゅんきゅんハニー  作者: 松宮星
鬼を狩るもの
103/236

鬼と闘いし者

 兄貴と自分は、似てない兄弟だった。


 勇者となるまで、兄貴は『エリート・コース』を驀進していた。

 文武両道、多趣味、二枚目。

 公私において兄貴の生活は充実していた。


 自分は、出来の悪い弟だった。

 いかつく、口下手。

 馬鹿というほどではない。が、ものおぼえが悪く、頭の回転も遅く、不器用。

 一度に一つのことしかできない自分は柔道に打ち込み、

『筋肉バカ』とからかわれる人生を、好んで歩んできた。


 だから……

 兄貴の心がわからない。

 なぜ賢者となり、あの世界に留まったのか?

 会社は首になっていたが、戻ればいくらでも人生をやり直せたろうに。

 残りたいと兄貴に思わせる何かが、あちらにあったんだろうが……それが何か、見当すらつけられないのだ。




 賢者の兄貴が『霊能』と『魔法』と『技法』について講釈を垂れたことがあった。


 骨子(こっし)は、理解できた。

 が、どこまでが正しい知識で、どこからが兄貴の憶測なのかはわからなかった。

 あの人は、弁舌が巧みすぎた。言葉を畳み掛けて人をけむにまくのも得意なら、牽強付会のこじつけを堂々と語る鉄面皮さもあった。


 兄貴の言葉を鵜呑みにすると、ひどい目に合う。

 幼い頃から、身をもって学んでいた。


 しかし、右も左もわからぬまま一から何かを学習するなど馬鹿げている。

 時間の無駄だ。

 三割はこじつけだろうと承知した上で、兄貴の話に耳を傾けるほうが効率がいい。


 いや、効率が良かったのだ。


 兄貴と分かれてから、嫌というほど実感した。

 兄貴は、便利な存在だった。

 自分にとって、歩く生き字引だった。




 あの時、兄貴は古代技法こそが最も優秀だと言いたかったのだ。

 魔法は、魔力(或いは霊力)を有する選ばれた人間にしか使えない。だが、技法は誰でも使用が可能。技法こそがスタンダードとなるべきだと言っていた。

 けれども、技法を発動させるには、長い呪文を唱えねばならない。一言一句違えず、だ。

 呪文詠唱にあわせ、複雑なポーズをとる必要もあった。アクロバティックな動きこそ無いが、手足の上げ下げの角度まで厳しく決まっていて、息つぎや瞬きのタイミングまで制限されていた。

 あんなもの、暗記に長けた一部の人間専用の特殊技術だ。


 勇者時代のわずか百日で、主だった古代技法を使いこなせるようになった兄貴の方がおかしい。

 世の中の大多数の人間は、兄貴とは頭のつくりが違う……頭がいいくせにあの人は、その自明の事実を理解できていない節があった。



 二十九代目勇者となった自分は、霊力を攻防に用いる術を身につけた。

 二十八代目勇者にして賢者のあの人は、その点を不満に思っていた。


 生まれながらの才能――魔力を用いる魔法の方がまだマシだ……そんな意味のことを言っていた。


 兄貴の言葉は、いつも半分以上理解できなかった。聞き手のレベルに合わせて言葉を選んでくれなかったからだ。


 あの時の兄貴の主張を要約すると……

『技法は無制限に使用できる。バンバン使っていい。

 魔法は魔力に依存する。魔力が枯渇すれば、使用できなくなるだけだ。

 だが、霊力は使用回数が不確定な上、いつ使用不可になるかわからない。乱発すれば死ぬ危険もある』となる。


 霊力というものは、魂が持つ力。

 ゆえに、人間は誰しも霊力を持ってはいる。

 それをエネルギーに変換でき、外向きに使用できる者が、霊能者らしい。

 霊視・神降ろしができる西園寺さんや、言葉の呪を操れるユウがそうだ。リーダーの能力の一部、精神剣(サイコ・ソード)も霊力で作られたものだ。


 霊力とは魂を削って発現する奇跡なのだと、兄貴は言った。

 霊力に満ちあふれている人間ならば、問題はない。

 神の後ろ盾を得ている人間も、エネルギー切れにはなりづらい(神の愛を失う。つまり、堕落して信仰心を失えば、奇跡を起こす力自体を無くすようだが)。

 しかし、そうでない人間は、いずれガス欠となる。燃料に出来る己の魂――言い換えれば、生命力であり寿命だが――を全て費やせば、待っているのは『死』だけなのだ。



 なるべく使うなと注意してくれたのは、情愛からだろう。

 代わりに古代技法を薦めてきたあたりは、利口馬鹿すぎるが。



 勇者時代は、言いつけを守った。魔王戦以外、あまり霊力を使わなかった。

 もとの世界に還ってからも、兄貴の助言を守っている。

 勇者世界で得た力は、人助けの時のみ用いるようにしてきた。






 道場で乱取り稽古をしていたはずが、眼前の相手が一瞬で変わった。


 何故? などと考える余裕はなかった。


 迫り来る異形の群れ。

 接近してくる毛だらけの巨人は、明らかにこちらを標的にしていた。

 そう気づいた時には、体が動いていた。


 突進してくる敵をかわし、いなし、すれ違いざまに左手に霊力をこめて当身を入れる。魔族であれ魔法生物であれ、一撃で充分だ。自分の技は、衝撃波だ。対象の全身を霊力の波動が駆け抜け、不自然なものを全て清める。

 毛だらけの一本角は、木片となって転がった。

 呪で生み出された魔法生物だったようだ。


 敵の動きを避け、体勢を崩させ、当身(あてみ)を入れる。

『おまえの動きは、柔道というより、合気道だ』と兄貴は言っていた。が、柔道も(かた)には打撃技がある。投げ技や絞め技よりも、乱戦時には当身の方が有効だ。

 右手に剣を持っていたので、警棒代わりに牽制に使わせてもらった。


 視界の端に、ひらひらとスカートが舞う。

 それを着ているのは自分らしい。

 自分の手や体が小さいことも、筋力が弱いことも気づいていた。


 アジトで、藤堂さんが話題にしていたアレか。

 自分は、百一代目勇者に魂だけ召喚され、彼女の体に宿ったのだろう。


 召喚するのなら時と場合を考えて欲しかった。

 稽古中だった。

 竹下さんと組み合っていたのだ。

 間違いなく、投げられてるだろう。

 頭を強く打って昏倒していなければいいが。


 だが、まあ……仕方ない。

 見たところ周囲に、賢者も彼女の仲間もいない。

 百一代目勇者は窮地に立っていたのだろう。


 最小限の霊力で、最大の効果を発揮できるよう意識した。

 自分が今つかっているのは、この体の主の霊力だ。

 戦えば戦うほど、彼女の寿命を削ることとなる……兄貴の説が正しければ、だが。

 兄貴が教えてくれたことだ、例によって例のごとく嘘八百かもしれんが。

 こと生命に関することだ、慎重にいく。


 さっさと片をつけよう。


 毛ダルマ鬼どもは、図体はデカいが、格闘は素人のようだ。

 動きは大振り。殴りかかった後、体勢を戻すのも遅い。間合いの読みすらできていない。

 七体居たが、倒すのは造作もなかった。


 デカブツどもを全て沈める。


 この白い空間に残っているのは、白髪男だけとなった。

 その格好は……雛人形の随身風というか、平安調だ。青い衣装に、白太刀を()びた姿。冠も烏帽子も被ってないが、時代劇の登場人物のようだ。

 男はいぶかしそうに眉をひそめ、こちらを見ている。

「動きが格段に良うなったな。『勇者の馬鹿力』とやらになったようにも見えぬ……まるで別人だ」

 中身は別人だ。

 だが、あえて教えてやる必要もないか。


「おまえが術師か?」

 自分が発した声がやけに可愛い。

 そういえば、勇者ジャンヌは十六だったか。『守ってやれるだけの男になりたい』と彼女の義兄は言っていたな。

 勇者であっても、まだ子供だ。

 魔法生物を七体もぶつけるなど、やり過ぎだ。

……好かんな。


 距離を一気に詰める。

 白髪男は瞳を細めた。が、腰の武器を抜こうともしなかった。


 拳が届く前に、男は消えた。


 移動魔法か。しかも、無詠唱。


 逃げる自信があったから、避けもしなかったのか。


「血迷ったか、勇者」

 声は背後からした。

 振り返ると、少し離れた場所に白髪男が立っていた。

「次の賭けの相手は、我ではないぞ」


 賭け?


……何か事情がありそうだな。

 とりあえず……様子をみるか。


「大人しくしておれ、今、褒美をやる」

 澄ました顔の男が右手を一振りする。


 白い床に子供が現れる。

 転移魔法か?

「約束通り仲間を返してやるわ」


 仲間……

 この子供は、百一代目勇者の仲間なのか。



* * * * * *



 ちょっ!


 ちょっ!


 ちょっ!


 どういうこと? ソルたちを返してくれるんじゃなかったの? この嘘つき!


 イバラギが首を傾げ、顎の下に手をあてる。

「まこと別人のようじゃ。わめかぬのか?」


 わめきたいわよ!


 でも、わめけないの!

 今、この体を使ってるのは、先輩だもん!

 格闘で戦ってたから、たぶん二十九代目キンニク バカ先輩!


 歴代勇者のサイン帳を使って魂だけ召喚したのよ。

『誰でもいいです! 毛鬼どもを倒せる人、来てください!』って。


 アタシがあんだけ苦労した毛鬼を、先輩はあっさりと倒してくれた。

 びっくりするぐらい強かった。

 先輩なら、十三体まとめてでも楽勝だったと思う。


 だけど!

 先輩は、まったく状況を把握してない。

 足元に転がっている子を視界の端に捉え、イバラギの動きに注意を向けているだけ。

 ああああ、こんな時に精霊が居れば! アタシの代わりに事情説明してくれるのに!

 先輩〜 アタシのポケットの中に、覚書用の手帳が入ってます。それにぜんぶ書いてあります。見てくださいよ〜

 ジパング界で鬼が悪さしてること、子供をさらって殺して食べてること、精霊たちとの契約の証五つをこの白髪鬼に奪われたこと、賭けに五回勝って全部返してもらう予定なこと……


 契約の証を返してもらうはずだったのに!


『約束通り仲間を返してやるわ』って言ったくせに!

 なんでアカネマル君を返すわけ?

 アタシの『仲間』を返すんじゃなかったの?


 あんた、やっぱり……お師匠様たちもさらってたわけ?


 つっこんで聞きたいのに、今、アタシは口がきけないのだ……。




「この者をきさまは助けた。望んで庇護下に置いたのだ、仲間も同然であろう?」

「なるほど」

 先輩が重々しく頷く。


「この山にいる限り、誰であれ、我が小世界に導ける。貴様は救うたつもりでいたが、貴様もそやつもずっと我が掌に居たのよ」

「そうか」


「……我は嘘は言わぬ。貴様が勝ち続ける限り、仲間は返す。だが、誰をどのような形で返すかは、気分次第じゃ。貴様に口は挟ませぬ」

「わかった」


 イバラギが面白くなさそうに、アタシを見つめている。

 約束と違う! とアタシが怒り狂うと思いきや……

 先輩憑依中のアタシは、淡々としている。

 白髪鬼は、仕込みに仕込んだ悪戯が不発に終わってがっかりした子供みたいな顔だ。拍子抜けしてるんだろう。

 ちょっとだけ胸がすいた!


「次の遊びまで、しばし休め。小僧とでも語らっておれ」

 イバラギの姿がフッと消える。


 待て、こら!

 ソルたち、返せ! バカ鬼!



 先輩がアカネマル君を見下ろして、しゃがむ。

 両肩を支えて座らせ、後ろから彼の背中にグッと膝を当てたなあと思ったら、

「う……」

 だらんとしていたアカネマル君の頭があがる。

 おおお! これが、気絶した人を起こす、(カツ)を入れるってヤツ? 先輩の勇者の書に書いてあったアレ? 初めて見た!


 掌が熱い……


 アカネマル君がゆっくりと振り返る。顔色真っ白……

「勇者さま……?」

 みるみる、白い顔に血の気が戻ってゆく。


 先輩……何かやってます?


「少年、気を送った。じきに動けるようになる」

 先輩が簡潔に説明する。


 二十九代目勇者は、英雄世界の格闘技――ジュードーの使い手。

 ジュードーといえば……

 滝にうたれて修行をし、岩を砕いて、熊をも投げる格闘!

 先輩はジュードー技に霊力をこめ、超怪力を発揮したり、自分ばかりか他人に活力を与えたりしてた。


 さっきまでバテバテで息もあがってたのに、今は随分と楽になっている。これも先輩の癒しの力なのかな?


「少年、話が聞きたい」


「勇者さま……」

 女の子のような顔に笑みが浮かぶ。

「また助けていただいたのですね……ありがとうございます」

 すっごく可愛い。

 ちょっとだけキュンとした。

「勇者さままでさらわれたんですか? お(ひい)さまやヨリミツ様は」


「待て、少年」

 先輩がアカネマル君を遮る。

「すまんが、百一代目勇者との関係から説明してくれ」

「え?」

「自分には、この世界に来てからの記憶がない。白髪男と毛だらけ鬼どものことも知っていたら、話してくれ」


 先輩〜

 覚書用の手帳に書いてあります!

 ポケットを調べてください!


 あああああ! 見てるだけなのが、もどかしい! ちょっとだけでいいから、先輩と話したい!



* * * * * *



「ここは大江山、鬼の大将が酒呑童子、副将が茨木童子……」


 驚いた。

 頬を掻きながら、尋ねた。

源頼光(みなもとのらいこう)と四天王は居ないのか?」


「え?」

 ジパング界の少年が目を丸める。

「ミナモトノ……ライコウ……? シテンノウ?」


「……居ないのか」

 この子供が知らんだけかもしれんが。



 頼光さんの鬼退治は、平安時代を舞台にした御伽噺だ。


 京の都で悪さの限りをつくした大江山の鬼――酒呑童子は、源頼光に首を刎ねられ退治される。

 それは騙まし討ちだった。

 山伏――山に生きる者、すなわち鬼の仲間に扮して頼光たちは、酒呑童子に近づき、毒酒を飲ませ、動きを奪ってから斬ったのだ。


 主従たった五人(話によってはもう一人加わったりするが、ともかく少人数)で、鬼ヶ城に乗り込み、神仏の加護を受け、知略と武で悪どい鬼を成敗した痛快御伽噺として人口に膾炙している。


 だが、自分は……

 頼光も四天王も好かなかった。

 武士たちよりも、首だけになっても頼光の兜に喰らいついた酒呑童子に惹かれた。


 兄貴のせいだが。

 大江山の鬼退治は、『おやすみ前の話』で大昔に聞いた。

 山伏姿の頼光たちにあっさり騙され、鬼ケ城に招き酒宴を開いた『人のいい』鬼たち。

 同胞を心から歓迎する鬼たちに、頼光たちは毒を盛り、まともに動けぬ体にしてから殺戮した。

 鬼は人ではない。都に害をなす存在。害虫にも等しい。武士たちは己の行為を恥じることなく、穢らわしい鬼を退治した。

 斬られる前、酒呑童子は『鬼神に横道なし』と頼光を激しくののしったのだそうだ。

 鬼は正道を貫く。曲がったことはしない。決して仲間をあざむかない。人間は卑怯だ……そう叫んで鬼の大将は果てたのだという。


 ずっと兄貴の捏造……いや、創作かと思っていたが、酒呑童子の最後の台詞は有名な一言だったらしい。

 大江山の鬼退治は、王朝にまつろわぬ民の悲劇とも解釈されている。


 大江山の鬼には思い入れがある。


 しかし、それは、あくまで自分の世界での話だ。


 ここの酒呑童子や茨木童子は、自分が知るそれとは別物だろう。


 この世界は……

 並行世界(パラレルワールド)だ。


 似て非なる者たちが、似て非なる行動をとり、似て非なる結末を得る……こともある世界。


 この世界では、酒呑童子が勝利するかもしれない。

 京の都を滅ぼし、『横道なき』王国を築くかもしれない。

 むろん、鬼の国が『横道』だらけの腐った国ということもありうる。


 ここは、並行世界なのだ。



 拉致誘拐された被害者がいて、百一代目勇者(こうはい)が救出すると決めた以上、自分も協力はする。


 しかし、正義がいずれにあるかは今のところ不明だ。


 誘拐・監禁・殺人・食人。現代日本では許しがたい重罪だ。

 しかし、地球の歴史において、その全てが犯罪ではなかった時代・地域もある。

 ましてや、ここは異世界だ。自分の価値観を異なる文化圏に持ち込む気はない。


 鬼は『悪』なのであろうか。


 ジパング界の少年の話によれば、

 髪や目の色、肌の色、身体的特徴などで、自分達と同一視できないものを京の人間は『鬼』と呼んでいる。

 棲み分けがされていたというのも、単に『鬼』と断じられた者が山へ追放されていたからではなかろうか?


 最近、酒呑童子を(かしら)に鬼たちが都を襲い始めたと、少年は言う。

 長年大人しくしていた鬼たちが犯罪行為を始めたのだ。

 理由があるはずだ。

 きっかけとなる事件があったのかもしれないが……



 情報が少な過ぎる。

 今は考えても、無駄だ。


 整理しよう。


 酒呑童子たちは、都を襲い、病をバラまき、火事を起こし、金銀財宝や美男美女(子供?)を奪っている。


 さらわれてきた者たちは、逆らえば殺して喰うぞとおどされ、奴隷とされている。


 この少年は、酒宴で人の肉や血が饗されているシーンを目撃し、監禁されていた者たちが日に日に減っていくことに恐怖を感じていた。


 茨木童子は、自分の使い魔――毛鬼に人間を追いかけさせる『鬼ごっこ』を好む。

 毛鬼に捕まった者は喰われ、幻術で死の痛みを感じ、気絶する。

 擬似的な死を何度も体験させられ、最後には本当に殺され酒宴の酒と肴にされるようだ。


 彼らの境遇に同情し、百一代目勇者(こうはい)は彼らを家に送り届けようとした。

 しかし、大江山連山は、呪術結界に覆われていた。山の外には出られなかった。

 勇者一行は二手に別れ、一斑は脱出の手だてを探りに鬼ヶ城を目指し、もう一斑は結界の外縁そばで保護した子供たちを守り潜んでいた。


 勇者ジャンヌは、子供の護衛に残っていた。


 けれども、守られていたはずのこの少年は、再びさらわれた。

 気がつくと(・・・・・)真っ白で何もない空間に一人っきりだったと言う。

 ここそっくりの場所に閉じ込められていたのだ。


 何故? いつの間に? と戸惑う彼の前に、先ほどの白髪鬼が現れ、

 主人ヨリミツのもとへ帰りたいか? と尋ね、

『果てまで行き着ければ、貴様の勝ち。毛鬼どもに捕まったら、負けよ』

 賭け――鬼ごっこをもちかけた。


 十匹以上の毛鬼に追われ、彼は、走って、走って、走り続けた。


 だが、幾ら走ろうとも世界の果ては見えず、やがて毛鬼に捕まり、喰われ、死の痛みの幻術の中で気を失い……


「目覚めたらここで……勇者さまに介抱されておりました」

 とのことだ。



 白髪鬼は……


 高位の魔法使いだ。

 呪文詠唱無しに魔法を使い、白日の下で精霊支配者である勇者ジャンヌをさらった。



「……自分向きではない、な」


 力押しでどうにかなる相手とは思えない。

 そもそも、人間をさらい、異空間に閉じ込め、賭けを持ちかける意図がわからない。


 リーダーか西園寺さん向きの相手だ。


 でなければ、一之瀬さんか。

 共有幻想は幻術の一種だが、あれは空間支配力が高い。他人の異空間であれ、彼女の意思が反映された形で、世界は再構築される。

 幻術に自分がどう関わるかは一之瀬さん次第。姿を隠したまま、幻想に囚われた人間を傍から観察することもできるだろう。


 目の前の少年ではなく、この体の主に話しかけた。

「……自分は還る」

 その方がいい。

「リーダーか西園寺さんか一之瀬さんを呼ぶといい」

 ついでに付け加える。

「荒事となった時、必要なら自分を再召喚してくれ」

 打撲で意識を失った自分は、おそらく医務室か病院行きだ。今日はもう稽古に参加できまい。


 還る、と意識する。


 口にも出してみる。


「………」


 何も変わらない。

 きょとんとした顔の少年が居るだけだ。


 還れない。


 呼ぶ時は、百一代目勇者が願う。

 還る時は、降りて来たものが『還る』と思うだけ。

 そう聞いていた。


 だが……


 もしかして……

「呪文が必要……だったのか?」


 しまった……

 真面目に藤堂さんの話を聞いておくべきだった。


……困ったな。



* * * * * *



 先輩〜


 呪文はいりません。


 サイン帳です。

 アレに触れながら『還る』って思ってください。

 左胸のポケットに入ってますから。


 それと、アタシ、サクライ先輩は召喚できませんよ?

 サインをもらい損ねたんで。


 OB会メンバー中召喚できるのは、六人。

 絶対防御のアリス先輩。

 共有幻想のフリフリ先輩。

 言霊使いのヤザキ ユウ先輩。

 霊能者のサイオンジ先輩。

 描いた絵を実体化させるナクラ サトシ先輩。

 それにキンニク バカ先輩。


 あと呼べるのはマルタン……


 でも、キンニク バカ先輩が還らないと、次の人は呼べません。




「……やはり中身が入れ替わっておったのか」

 振り向けば、すかした顔の白髪鬼が居た。

 胡坐をかいて宙に浮かんでやがる。


「武闘家だな?」

 確信をこめた問いだ。答えを期待してなさそう。


「おまえが茨木童子か」

 先輩が白髪鬼をジッと見る。

「なぜ、勇者やこの少年に賭けをもちかける?」


「……遊びよ」

 白髪鬼がにぃっと笑う。

「勇者は、五度我が遊びに付き合うと約束した。勇者が勝てば、褒美に仲間を返すことになっておる」

「……なるほど」

「先ほどは初回。二回目の遊びといこう」


 イバラギが左の掌をあげる。


 さし示した先の宙に、現れたのは……

 女の子だった。

 長い黒髪、白い着物。

 仰向けに宙に浮かぶその子には、白い大蛇が巻きついていた。気を失っているみたいだ。力なく両手を垂れている。


「お(ひい)さま!」

 突然、アカネマル君が駆け出した。

 けれども、前に進めない。

 アタシたちとイバラギの間を隔てるように、目に見えない壁が出来ている。


「まだ死んではおらぬ」

 白髪鬼が悪魔めいた笑みを浮かべる。

「アカネマル、大事な姫を取り返したくば我が目を楽しませよ。そこな勇者を倒してみせい」


 大きな目を見開き、アカネマル君がとまどいの表情で振り返る。

 アタシを見つめる……。


 アタシたちを戦わせる気か……どこまで下衆なの、あんた!

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