9、プログラムの圧迫
翌日、僕は成火に、磁場集中点の場所を特定したことを伝えた。
「ま、とりあえずはお疲れ様だね。データも問題なく届いてる」
「そうか……」
滞りなくデータが転送されていたことに安堵を覚えながら、僕はすぐに背を向ける。
「博士。僕はプログラムの作成があるから、これで失礼する」
「せいぜいがんばってくれ」
成火はいつも通りの皮肉気な笑みを浮かべて僕を見送った。
更にその翌日。僕はマテリアを呼んだ。いや、正確には、家に呼んでおいたマテリアが来たのだが。僕は家族が偶々外出していたので気兼ねなく彼女を部屋に招き入れた。
僕の部屋はいつもと何の変わりもないものになっている。ただ、僕だけが分かる、たった一つの違いがある。それは、僕の机の上にあるパソコンだ。だが、もちろん外面的な違いはないに等しい。僕が普段、部屋に一人の時に使っているパソコンは、僕が自作したプログラムを始め、あまり人には見せたくない機密的なものが多く保存されているハードディスクを内蔵したパソコンだ。だが、誰かがいる時、僕のものを見せたくない時には、別にこのパソコンを用意している。こちらには、誰かが来たとき、必要時のみ、データを取り込んで動かすことができるパソコンだ。ウイルス等の感染を留めるためもあり、ネットに接続する時も大体はこちらのパソコンを使用している。
「マテリア。今日はあるデータをダウンロードして、それを実行してほしいんだ」
僕はパソコンを立ち上げながら、今回呼び出したその内容についてを話し始める。僕が与えられたのは、背景情報を変数としてステージパターンを変更させる、稼働型情報処理端末用の処理プログラムを組み上げることだ。だから、一度マテリアにそのプログラムをダンロード、及びインストールしてもらい、その実行結果を検証する。今回は何度か試すという意味も含め、何個かのプログラムを作成してある。もちろん、大本のプログラミングシステムは対して変わらない。背景の変更する際にかかる時間を調節したり、プログラムが端末に与える負荷と、処理速度を調節したりする程度だ。
マテリアが右手を差し出し、その右手首の一部が開く。そこからコードが伸びてくる。その先端の接続部分が、そのコードがUSBケーブルとなっていることを意味している。僕はそのコードを優しく掴むと、僕のパソコンと接続する。パソコンの方はしばらくしてから接続確認完了の文字を出力したが、マテリアの方は接続から一秒も経たないうちに「接続、確認しました」と僕に伝えた。僕はマテリアの様子を確認しながらパソコンでダウンロードの準備を始める。マテリアに準備ができたかを改めて確認すると、マテリアは問題ないと一言返しただけで、ゆっくりと目を閉じた。恐らく、ダウンロードそのものに集中するために、視界の情報をシャットアウトしているのだろう。
「いくよ」
僕は、アップロードボタンを押して、マテリアへとプログラムをコピーし始めた。僕のパソコンの画面にはアップロード中の表示とそのすぐ下で変化し続ける緑のバー表示。その速さは、とても速いとは言えなかったが、マテリアの方のシステム的な助けもあり、ストレスを感じないほどには十分な速さでバーを緑色に染め上げていった。
「ダウンロード、完了しました」
マテリアがそう言うのと、僕のパソコンで『アップロード完了』の文字が表示されたのはほとんど同時だった。僕は一度、マテリアとパソコンとを繋いでいたUSBのコードを引き抜き、マテリアに返す。そして、マテリアの状態がいつもと全く変わらないのを確認すると、マテリアにダウンロードさせた三つのプログラムのうちの一つを実行させる。実行対象は僕が予め用意しておいた風景の写真だ。だだっ広い草原と雲一つなく晴れ渡った水色の空、というものだ。ポスター大に拡大したこの背景のパターンを変更してもらうことにした。
「実行してくれ」
「はい……プログラムを実行します。変数とする背景パターンを範囲設定してください」
マテリアは僕が設定したプログラム通りの言葉を発生させる。だが、やはり人型に作られているだけあって、その発音はいつも通り、人らしい抑揚だけは残っている。
マテリアがその発音を終えると同時に、マテリアの目から二つの光が発生し、ある程度の範囲を照らし出す。僕は壁にとりつけてあったポスターの方にマテリアの光を誘導する。マテリアが対象とする背景を発見し、登録を終えると、再びこちらへの要求を行う。
「背景のオブジェクトの認証を完了しました。変更する内容を設定してください」
「空の色を夕方のものに。草原のオブジェクトを森の中の一本道に」
「背景の変更情報を確認しました。変更します……」
了承の返事と共に、マテリアの目から発生していた光の色が少しだけその発光量を増幅させる。光が増幅する以外には、マテリア自身にはさほど変わった様子は見られなかったが、僕は彼女の状態に気を配り続けた。もし何かしらのエラーが発生した場合、すぐにプログラムを中断し、緊急の冷却装置を作動して、危険信号を発するであろう彼女の体をプログラム実行前まで戻さなければならない。僕にとっては、彼女が何よりも大事な存在だ。こんなことで失うわけにはいかないのだ。
僕は、彼女の体を心配する傍らで、設定した背景にも目を凝らしていた。僕が見ておかなければならないのは、ただ単に変化させたという結果だけでは駄目だ。このプログラムには、背景の変化のさせ方まで細かく設定してあるのだ。それが成されなければ、ただ変化が成功しても意味はない。
壁に貼ってある背景の空は、徐々にその色彩を変更していく。まずは一度真っ白な状態に戻してから、徐々に赤みを帯びさせていく。これは、ゲームなどでよく色の調節を行う時に設定できるものを流用したものだ。ゲームでは、三原色である赤、青、緑をそれぞれ調節することであらゆる色を表現させることができる。僕が今マテリアにさせたのも、それと同じ原理だ。最初に、青の成分を少しずつ減らしていき、色を無色(というよりは白)にしてから、オレンジ系の色を表現するために、各色を調節していく。今回の配色パターンでいえば、基本は赤を中心に調節し、必要であれば青や緑も加えていくはずだろう。そして、僕の予測に反することなく、赤の配色量が中心となった調節され、澄んだ水色に染まっていたポスターの空は、夕焼けの鮮やかなオレンジへとその姿を変えた。
僕はその光景に満足しながら、次なる課題へと目をやる。今度はこの草原を森林に、その上、ポスター中央部には一本の小道を作る。このくらいの動作ができなくては、プログラムの有用性などほとんどないに等しい。
ちなみに、何故今回のプログラムが、稼働型、つまりはマテリアのような情報処理端末を媒体として行うのか、というのは、至極簡単なことで説明できる。
それは、彼女のように世界を見ることができる、ということだ。世界を見ることによって、記憶媒体の中に視界に捉えた物を、記憶、及び記録することによって、そのデータから引っ張り出してこのプログラムに流用させることで、プログラムの有用性を格段に引き上げる。
「おお……!」
僕は思わず感嘆の声を挙げた。
草原を彩っていた若草色は徐々に深緑へと変わっていき、オレンジの空を少しずつ遮るオブジェクトが生成されていく。深緑の地面の真ん中の色が変わり、一本のけもの道を作り出して見せる。
「変更作業が終了しました。プログラムを終了します」
そこまでが、僕が設定したプログラム通りの動き。このプログラム終了の宣言こそ、プログラムが正確に終わりまで作られたということだ。
「ふぅ……よかった」
僕は安堵の息を吐きながら胸を撫で下ろした。自分のやってきたプログラミングに最終的なミスが生じなかったことは、十分な成功と言える。だが、まだこれからだ。ここからはマテリアのキャパシティと相談しながらのものとなる。恐らく、この程度の処理はマテリアにとっては朝飯前のもので、ノンストップでも数時間以上働き続けられるものだ。これを、更に圧縮し、時間と濃度を濃いものにしていく。それはつまり、マテリアにかかる負荷は大きくなっていく。マテリアだってその力には有限という文字によって制限が決められている。時間と濃度ばかりを追求してマテリアが動かなくなってしまっては意味がない。今求められるバランスは、能力重視のものではないのだ。
「マテリア。少し負荷の大きいプログラムに変えるけど、大丈夫?」
「問題ありません」
僕はマテリアにダウンロードさせた二つ目のプログラムの実行を行うための準備を頼んだ。このプログラムには、一つ目よりも媒体の性能に頼ったプログラムになる。負荷が大きい、というのはそういう理由によるものである。
「じゃあ、始めるよ」
「はい、実行します」
僕の要求にマテリアは無表情のままに頷いて了承する。心なしか、実行と同時にマテリアの顔が少し強張ったような気がした。
「マテリア、大丈夫か……?」
僕はそんな僅かな変化を見逃したりはしなかった。彼女が苦痛と感じたならば、こちらからの音声機能によってプログラムを強制終了させることができる。彼女にダウンロードさせたプログラムの作成者は言うまでもなく僕だ。そして、プログラムには作成者の特定の音声を認識することによってプログラムを自動的に終了できるシステムプログラムを組み込んであるのだ。
「はい……この程度ならば、キャパシティの十パーセント程度で動かせます……」
彼女にとっては、それでもかなりの負担になるはずだ。彼女は十パーセントと言うが、逆に言えば、十パーセントもの容量が彼女を内部から圧迫しているのだ。少なくとも、楽な作業ではない。人間で言えば頭を内部的に痛めるような苦痛が襲ってくるのだ。少なくとも、僕だったら進んでやりたいとは思わないだろう。
「ストレスを感じるのなら途中でプログラムを中断しても構わない。こっちで調整する」
「はい……」
マテリアはこうはいったが、少なくともプログラムを途中で中断するようなことはしないだろう。彼女は一度頼まれたことを途中で投げ出すような性質ではない。アンドロイドだから、といってしまえばそれまでなのだが、彼女の性格はそんな言葉だけで表せるものではないことを、僕は知っている。
彼女の表情に更なる変化が見られた時、僕はいつでも強制終了を掛けるつもりだった。
マテリアの両頬は僅かに紅く染まっている。それが羞恥や恥辱から生まれたものではなく、彼女自身の体温の上昇から来るものであるのを、僕は思い違えなかった。彼女の体温の上昇は、パソコンが動くときに出す熱と同じものだ。パソコンが排熱するように、彼女は内部にたまった熱を人の呼吸器官を利用して吐き出す。それと同時に吸い込む空気によって、冷却を行っているのだ。だから、今僕の部屋には初夏にも関わらずクーラーをフル稼働させている。人工的なものでも、外の空気よりは幾分冷たいであろう風が、空気が、この部屋を満たしている。
「変数とするステージパターンの範囲設定をしてください」
マテリアの頬は紅く染まったままだ。僕は、彼女のこんな姿を見たくなかった。だが、僕には見なければならないという義務があった。
僕は彼女に先ほどと少し違うパターンでの変更命令を与え、その結果を待った。先ほどの処理とは比べものにならないほどの速さ。先ほどは完全に変更が完了するまでに二、三分程の時間を必要としていたが、今回のプログラムの実行時間は三十秒前後、少なくとも、速さと濃密性の部分では規定のレベルをクリアしているだろう。僕は、その結果だけには満足していた。だが、そんなことよりも僕を心配させたのは、彼女自身の体調だった。
プログラムが終了した直後、僕は彼女の膝が僅かに震えているのに気が付いた。僕はすぐに彼女の背中に腕を回した。
「マテリア! 大丈夫か!」
すぐに冷却を開始する。ベッドに横たわらせ、水分を存分に切ったタオルを体中に乗せていく。さすがに服を脱がすような愚かな真似はしなかったが、なるべく問題がない程度の場所を選んでタオルをかけていった。
「マテリア、少し休んで。僕が監視しておくから」
「はい……ご迷惑をおかけします……ミスター……瑠堕」
マテリアはその一言を言い終えるとゆっくりと目を閉じ、休止モードへと移行した。