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Real Escape  作者: 織間リオ
4/20

4、信用と信頼

 その日の放課後、一人になった僕は研究所へと足を運んだ。今日は元々来る予定等なかったのだが、今日の磁場集中点の暴走があった以上、詳しく話を聞く以外の選択肢を僕は見つけられなかった。

 僕は研究所をいつもよりも足の回転を速めて進んだ。巡回を行っている警備ロボットが僕の姿を認識してから避けようとするのを待つのすら鬱陶しく感じ、その横を自ら進路を逸らすことで通り過ぎていく。成火の待つ部屋のドアのロックが外れる一秒に満たない時間すら、今の僕には無駄のような気がしていい気分がしなかった。

「真木乃博士! 磁場集中点の暴走に関して、全て話してもらいたい!!」

僕の声はいつになく荒げられていたとその瞬間ですら感じていた。

 成火の方は「何をそんなに怒ってるんだ」と言わんばかりのすまし顔で、僕の質問には答えようとはしない。さすがに、それにすら腹を立てて我を見失う、等ということには陥らず、むしろそんな表情を続けられれば、やがて溜息と共に目の前の研究者風の出で立ちのこの男に対する戦意を喪失するのは難しいことではなかった。

「落ち着いたかい?」

僕の溜息を聞いて、やや満足げに成火が声をかけた。この時、僕は初めてこの男の手のひらの上で成火の思い描いた通りに動いてしまったことを知覚して、再び溜息を吐くこととなった。

「とりあえず、さっきから僕が言い続けている質問に答えてもらいたいんだが」

僕はとりあえず、僕に気持ちの整理がついたかという心配(とはとても思えないが)に対する言葉ではなく、話題を遡ることで、会話を続けさせることにした。

「……暴走に関してはこっちの伝達ミスだよ。観測したのは暴走開始の十分前。解析が完了したのが暴走開始の三分前。伝達するには時間が足りなくてね」

この言葉が真のものなのか、嘘偽りのものなのか。僕には断定の形での判断はできない。僕は、その回答に対してしばらく黙りこむことしかできなかった。それは決して、その言葉に対する言葉を探しているのではなく、その言葉の真偽を決断するためだった。

 真木乃成火というこの男のことを、僕は研究者としての能力に関しては大いに信頼しているし、信用している。だが、真木乃成火という(まがいものの可能性が大きいとはいえ)一人の人間には、絶対的な信頼を寄せ(ざるをえない)ることはあっても、絶対的な信用を寄せられるわけではない。何せあの性格だ。当初から絶大的な信用を寄せられる人間がいたら顔が見てみたいほどだ。

「本当にそうなのか」

だから僕は、信用しきれないこの男に向かって、この言葉を吐かずにはいられなかった。

「信用されてないみたいだね」

「信用されてると思ったか?」

「いや、まったく」

成火自身は、自分自身の性格をよく理解しているのだろう。信用されてないことをあっさりと認める辺りにそんな印象を受ける。僕は成火の対応に本日何度目かの溜息を吐きそうになったが、寸でのところでそれを止めた。成火はそれを見て満足げな顔をするに違いないからだ。

「……僕は、あなたを完全に信用できない」

「……だろうね」

僕の言葉に対する成火の相槌はいつもに比べるとワンテンポ遅れたものだった。

「けど、今はあなたしか頼れる人間がいないのも事実だ」

だから、まことに――まことに不本意ではあるのだが、成火の言葉通りに、僕は動くしかないのだ。

「それよりもいいのかい? 僕が提示した条件はクリアできたのかい?」

何故だか無理やり話を逸らされたような気がした。僕は少し俯き気味に眉を細めた。

「いや……まだだ」

僕の言葉はそれこそ、苦虫を噛み潰すように漏れ出す。処理プログラムどころか、磁場集中点の座標特定すらまだなのだ。目の前に相対する研究者の口角が大きくなっていくのに、僕は今抵抗する素材を持ち合わせてはいなかった。

「だが、磁場集中点の特定はできている。あとは座標を固定するだけだ」

搾り出せたのは、それだけだった。磁場集中点を見つけたその瞬間はマーカーを紛失していたものの、その後、マーカーはマテリアから返してもらったが、まだ打ち込みは終わっていない。つまりはまだどちらも完了していないということだ。僕は蔑みの目で、皮肉を言われると覚悟していた。

「期限内に出来るのならいいけど、遅れることはやめた方がいいよ」

しかし、成火から放たれた言葉は、いつもの彼からはとても想像できないほどに真面目なものだった。

 僕は、文字通り耳を疑った。それこそ天変地異の前触れなのではないかと錯覚するほどに。だが、その言葉に隠された皮肉すら見当たらず、その顔さえ冗談めいたものを微塵にも含んでいなかったのを確認すると、僕はその言葉に嘘偽りや皮肉めいたものが一切ないことを確信した。――確信せざるを得ない、とも言えるが。

「ああ。分かっている」

僕が返せる言葉は、これしか見当たらなかった。


 その日、僕は日の落ちないうちに磁場集中点の特定を行うため、住宅街に乗り出した。ある程度の場所は先日の時点で既に割り込んであるが、やはり物事には万全を尽くしたい。

 持ち出した物は先日と全く同じ。唯一違うのは服装と僕自身の精神状態だろう。両耳にはイヤホン、右ポケットにはマーカー、左ポケットにはマテリアから返してもらったコントローラ、そして右手には磁場集中点測定器。閑静な住宅街を一歩一歩踏みしめながら歩く。次の失敗は許されない。もし、これにさえ失敗すれば、最悪の場合帰る方法を失うことになるのだ。ブロック塀で見通しの悪い視界。曲がり角では細心の注意を払う。僅かに顔を出し、十字路になったその左右の安全を確認してから、僕は一歩踏み出す。安全を確認された十字路を僕はやや速足で駆け抜けた。走るほどに急いでいたわけではないが、この場所は僕とはなんとなく相性が悪い、そんな印象を持たざるを得なかった。それこそ、あの日以来は。

「あ、羽駕瀬さん!」

僕は、どこかで聞き覚えのあるその声を聞いて後ろを振り返った。僕のことを名字で呼ぶ人間は多くない。せいぜい学校の教師陣がせいぜいだろう。だから僕は、その声の主が誰であるのかを、振り返る前に確信していた。

「お久しぶり……ってほどでもないかな、想雫さん」

僕はそう言ってから、彼女と顔を合わせていない時間が二十四時間経つか経たないか程度のものであったことを思い出して、笑い出しそうになってしまったが、それを堪えることは奇跡的に難しくなかった。

「さんはいりませんよ。あ、そうだ。羽駕瀬さんに用事があったんでした」

想雫はそう言いながら自分の左手を右腕の肘から提げているかばんへと伸ばした。すでに季節は初夏になりつつある。体質によってはすでに日焼け始める人もいるだろうが、想雫の左腕は、白く、それでいて細い、一般論で言わせれば綺麗といえるものだった。医学的な点から言えば、若干不健康だと顔をしかめる医者がいるかもしれないだろうが。

 日焼け止めでも塗っているのかな、などと思考を巡らせているうちに、想雫は「あっ、あった」と言いながらその顔にわずかな安堵の表情を見せた。そして、僕に渡すというそのものを、かばんから取り出す。その手には、少し無機質な直方体の物体が――。

「それは!?」

僕はその物体の全様を確認した瞬間、思わず自分でも間抜けだと思うような声を出してしまった。幸いなことに声が裏返るということはなかったが、まるでいままで優位に立っていたのが、直後に窮地に立たされた悪役のような声になってしまったのは、弁明の余地がない。

「たぶん、ぶつかったあの時に落ちたと思うんですけど……」

それは、まぎれもなく、ぶつかったその日に僕が紛失したはずの地場集中点の座標特定のマーカーのコントローラであった。しかし、僕には大きな疑問が一つ残っていたのだ。

 あの日、僕は間違いなくマテリアにコントローラを奪われた。そして、何の意図があるのか、僕は今日、彼女からコントローラを取り返した(というよりは、返してもらった)。マテリアが奪ったコントローラ。そして、想雫が今取り出したコントローラ。僕の思考と視界が回る。それは比喩ではあり、比喩ではなかった。大きな眩暈が起こったかのような錯覚に陥った。僕の健康状態は高校生男子の中ではひときわ良い方だと自負しているし、客観的な診断でもそれが実証されている。

 僕の目の前の少女は、狼狽えている僕を見て、キョトンとしながら首を傾げるのみだった。

「それは……どこで?」

ようやく僕は声を絞り出す。その声にやや溜息が混じってたことは否めない。

「羽賀瀬さんと会ったところですけど……」

僕がマテリアと遭遇した場所もそこだった。

 僕はそれから何か言おうとしたが、言葉が出てこなかった。

 数秒の沈黙の後、僕がこの気まずい空気をとりあえず破ろうと口を開いた時、背後から声をかけられた。僕の肩が竦む。それが聞き覚えのある声だったからだ。

 僕は自分の運動速度の限界を超えたのではないのかと思うほどに素早く振り向いた。そこには、両目を眼鏡で覆い、学校帰りなのか制服姿のマテリアが立っていた。その顔にはいつも通り、何かしらの表情を湛えている様子は微塵にも感じられなかったが、僕を呼んだその声が、いつもと少し違うのを僕は感じた

「マテリア……どうしてここに……?」

マテリアの自宅はこことは真逆の方向にある。マテリアの自律神経の能力の高さゆえに、彼女は一軒家に一人で暮らしている。マテリアがわざわざこちらの方向に足を向けるなど、決められたプログラム通りに動く彼女にはふつうはできないことだ。そんな彼女がこちらに足を向けるように行動するとしたら、その理由は一つしか考えられなかった。

「……マスターからの指示か……!」

「はい」

「ああ、あの! あなたは……?」

そこで口を挟んできたのは想雫だった。そこでようやく僕は、マテリアと想雫はこれが初対面であることを思い出した。

「人に名前を聞く前に、自分から名乗るのがマナーのはずですが?」

僕が双方を紹介しようとする前に、想雫に質問されたマテリアが口を開いた。マテリアはやはりアンドロイドだ。初対面の相手にでさえ、この調子。自分の立ち位置を変えたりはしない。謙譲語や尊敬語は使っても、それ同様の立場には立たない。立とうとしない。

「ああ、ええっと……秋安想雫といいます!」

マテリアの指摘に対してアワアワと両手を顔の前で振りながら想雫は自己紹介を行った。慌てているのは、周りにいた僕たちだけどころか、本人だって自覚しているだろう。マテリアは両目の高性能レンズの性能で、僕は割と想雫に近い位置にいたために、冷や汗すら見て取ることができた。

「マテリアと言います。ミズ想雫」

マテリアの方の自己紹介は、その口調も相まって、端的なものであった。僕から言わせれば、名字を名乗らないのもまた、いささかマナー違反のような気がしていたのだが、今までマテリアと付き合ってきた経験と慣れ、そしてこの場の雰囲気を考慮して敢えて口には出さなかった。

「は、はい。よろしくお願いします……」

数度言葉をかわした、しかも自己紹介というだけなのに、会話のペースは、すでにマテリアの方に大きく傾いていた。歩み寄り左手を差し出したマテリア。その手の意味に気づき、左手を出して握り返そうとする想雫。

 その次の動作は、一瞬と言っても過言ではなかった。

 マテリアが想雫の左手を握ると同時に引き寄せ、想雫の体のバランスを崩す。そこに、かばんを持っていた右手を手刀の形で喉元に走らせる。想雫の右手(性格には右腕)は、先ほどまで座標特定マーカーのコントローラを入れていたかばんが提げられたままだ。マテリアが、利き手に設定された右手ではなく、左手を差し出したのにはそういう理由があった。

 それに対して、僕が驚いたのは、その直後のことだ。

 想雫が崩された体勢であったにも関わらず、かばんが提げられたままの右腕を振り上げた。しかしそれは、右手でマテリア同様に手刀を作って対抗するわけでもなく、拳を作ってマテリアにアッパーを繰り出すわけでもなかった。右腕に提げられていたかばん。それを自身の喉元に持っていくためだった。

 マテリアの手刀は想雫の喉に到達する前にかばんに阻まれ、それ以上先へは進まなかった。何やらあのかばんには、反発性の素材が入っていると思われる。

 僕は見ることができなかったが、想雫の顔は、いつになく真剣なものとなっていた。


 二人の交錯は、その一回だけだった。

 マテリアは自身の手刀が無力化されたことを悟ると、握っていた想雫の左手を離し、同時に防がれた手刀で軽く想雫を押し出した。それによって、想雫は数歩後ろに下がりこそしたが、それ以上は追撃も反撃も発生しなかった。


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