18、示すべき態度
僕と樹木は城野勾人の研究所から約百メートルの位置から、作戦開始の時を待っていた。
研究所の入口の辺りには警官の姿はなかった。一人くらいは、侵入者発見を内部に知らせる監視者が一人くらいは控えていると思っていたが、そこは余計な心配だったようだ。それに、その方が侵入そのものは楽だった。
研究所の入口には番号入力式のセキュリティロックが施されている。これを解除するためには、僕や樹木ががむしゃらに文字列を入力していくよりも、もっと効率的に行ける可能性がある。
僕は持ちこんだ携帯端末をセキュリティロック装置と接続する。本来はフリーパス目的で作られた接続口だが、ハッキングで開けてしまう輩もいるとされている。だが、ここは仮にも情報分野の科学を扱う研究所だ。一般家庭に普及している同型のものよりも複雑なセキュリティを設定しているから、一般家庭に比べれば遥かにハッキングに対する防御力を備えている。
だが、こちらには、対ハッキングの強化を行ったのであろう男の天敵がいる。
「博士。頼む」
『全く、ハッキングなんて久しぶりだね』
しかし、その声はどこか嬉しそうだった。こんな形で天敵と戦えることに、恐らく喜びを感じているのだろう。
『なるほど、こういうプログラムか……手順にクセが出過ぎてるね……』
どうやら、この調子で行けば、成火にとって、あまり驚異的な対ハッキングプログラムではないようだ。さすが、両者それぞれが天敵とするだけはある。お互いの手の内、もっといえばプログラムにもクセというものが出るらしい。
『解除したよ。後はこちらの好きなタイミングで開けられるよ』
開けた瞬間に警官達が詰めている可能性を考えて、僕と樹木は扉の両サイドに身を貼りつかせる形で待機し、成火へと、指示を下した。
「頼む」
その音声が成火に届いたのであろう瞬間に、扉が開く。安全を確認した樹木が先に中へと入っていく。僕は扉が開かれると同時に接続していた携帯端末を抜き取って中へと進んでいく。警官隊の姿はない。先行していた樹木に追いつき、そのまま歩を進める。
やがて、警官隊の姿が僕らの視界に映し出され始める。ここからは、当初の作戦通りに進める必要がある。
「樹木、ここは任せる!」
「分かった! 気を付けて!」
樹木の声援を背に受けて、僕は樹木よりも更に速いスピードで加速する。警官隊が自らの腰から銃を抜き取るよりも早く、僕の体は警官隊に急速接近する。警官達は完全に怯んでおり、ほとんどの者は銃を握ることすら敵わない。利口な者は距離が短すぎると踏んだらしく、銃ではなく警棒を構えて僕を待ち構える。僕はそんな体勢を取ってくると予測済みだった。そして、このまま突進すれば、銃も警棒も構えられなかった警官達にぶつかることになる。
だが僕にはそれを回避する方法がある。
「イヴェイション」
僕は脳内に、警官隊の背後をイメージする。沙優奈が教えてくれた場所のイメージをいつもなら使うのだが、今回は状況をイメージすることで移動先を決定させた。どうせ研究所の通路であることに変わりはない。背後に出たところで、進む方向なんて変わらない。
消えた僕に驚愕の表情を浮かべる警官隊の後ろに出現した僕は、左手に銃を握る。
「樹木!!」
僕は樹木の名を叫ぶ。樹木には、僕がイヴェイション・モーターによる移動を行ったら、警戒するように事前に伝えてあったし、こうして合図を送ることも事前に計画済みだ。僕の声は広くない研究所の通路に響き渡り、警官隊の目は一斉に僕へと向けられる。
それを狙っていた。僕は銃口を真上に突き上げ、引き金を引く。それとほぼ同時に右腕で目を覆い、最大限に目を瞑る。頭上で発光弾が炸裂し、膨大な量の光を辺りにまき散らす。それによって、警官隊のほとんどはその目を焼かれ、行動を大きく妨げられる。光が止んだところで、僕は再び樹木の名を叫ぶ。
「樹木!」
樹木はその瞬間に走り出す。警官隊の中をすり抜けて、僕の横につく。
「行くよ、振り向かないで」
「うん!」
僕は正面を向いたまま、銃口を後ろに向ける。樹木は両腕で、僕は片腕で目を覆う。引き金を引き、それとほぼ同時に後方で発光弾の炸裂音と激しい光芒、警官達の叫び声が重なる。発光弾は例え後方からのものでもその光量は侮ることができない。僕らが目を隠すことなく発射していれば、例え逆行でも無害ではいられなかっただろう。
恐らく、全く予測できなかったのであろう二発目の発光弾によって、第一陣の警官隊はほぼ無力化できただろう。
そして、訪れたのは第二陣の警官隊。すでに警戒態勢が敷かれ、全員が銃口を構えている。ここからは樹木の出番だ。予め設定しておいた事象改変を、樹木が行う。
何層にも連なってできた警官隊の列の、一番前に並んでいた警官達が一斉に銃弾を発射する。こちらが突っ込んで先ほどのような戦法を繰り広げるには、距離がありすぎる。
だが、向こうに銃を使わせることが目的である。
銃によって撃ち出された殺傷能力を持つ銃弾は、円形の軌道を描いて発砲者へと向かう。
樹木が行った事象改変はそれだった。
そして、樹木の事象改変は滞りなく行われることとなった。警官が発射した銃弾は、僕たちに向かって直進することなく、急速にその軌道を曲げ、発砲者の頭上から発砲者を貫いていく。よもや自分の撃った銃弾によって自分が撃たれる。その理不尽な現実を突きつけられても、警官達のほとんどはその現実を受け入れ切れてはいない。ほとんどの者は錯乱状態になりながら発砲し、その度に自分の心臓や大脳を銃弾が通り抜ける。だが、その状況を見てとった一部の警官は、銃以外での攻撃を始める。各々が警棒を取り出して、一斉に駆け出す。
そこで、樹木による第二の事象改変。警棒での攻撃は、その全てを壁へと行う。
その事象改変はそのまま行われる。銃弾による攻撃を諦めた警官のほとんどは警棒を所持して迫ってきていたゆえに、そのまま無意識のうちに、警官達は壁を警棒で殴り始めた。傍から見れば、なんとまあ滑稽な光景である。その間を僕と樹木はすり抜け、樹木だけが警官隊に振り返る。
「樹木……頼む」
「了解!」
マテリアや勾人が控える研究室はすぐ近くにまで迫ってきている。僕はここで、樹木にこの場を任せることにした。樹木はここで警官達を抑えるというのが当初の役割だったのだ。
僕は研究室へと飛び込んだ。
研究室の中には、僕の予想通りの人物が控えていた。
眼鏡の奥に無機質な瞳を浮かべるマテリア。
まるで僕を待ちわびたようににやけている城野勾人。
「やはり来たようだね。羽駕瀬瑠堕君!」
「呼ばれて来たってわけじゃないんだけどな」
勾人はかなり満足げな笑みを見せている。どうやら、世界崩壊プログラムのインストールが順調に進んでいるのだろうか。そうなれば危険としかいいようがない。なんとしてでもイヴェイション・クレを奪い取ってこなければならない。
「今、世界崩壊プログラムはこの研究所のコンピュータが六十二パーセント、マテリアは、十八パーセントがインストールを終えている! マテリアの方はやはり悪いようだがな」
僕は、それは当たり前の結果だろうと感じた。彼女にとっては、十パーセントの容量を使うプログラムでさえ苦痛なのだ。世界崩壊のプログラムは彼女のキャパシティぎりぎりの容量のはずだ。インストールに時間が掛かるのは当たり前のことのはずだ。それをこの科学者は分かっていないのだろうか……?
「マテリアはどうするつもりだ……」
もし、世界崩壊プログラムがコンピュータによって完成したとき、彼はマテリアをどうするつもりなのだろうか。
「マテリアは廃棄するさ!」
「なんだと……!」
どうして、そうまでできるのだろうか。マテリアの目の前で、どうして廃棄するなどと口にできるのだろうか。僕には、それはとても理解できないものだった。
マテリアが、体を僅かにビクリと震わせたような気がした。だが、僕にはそれを気にする余裕がないほどに、目の前の男に対して怒りを覚えていた。
「マテリアという名前の由来を教えてやろう」
マテリア。今まで僕を含めたたくさんの者達がその名前を呼んできた。今、僕にその由来を教えるとは……。
「マテリアは『material』、つまりは道具という意味だ!」
道具……僕は、その言葉に苛立ちを覚えた。
「お前は……マテリアを道具としてしか見ていないのか!!」
「そうだ。道具は利用しなければ意味がない」
違う。そんなはずはない。
「マテリアは、たとえアンドロイドであっても、与えられた任務を無感情に行うだけでも……それでも、今生きているんだ!! 彼女はアンドロイドかもしれない。けど、人でもあるんだ!! 人を道具としか見ないお前なんかに、マテリアと共に歩む資格なんてない!」
「勘違いするな。使えない道具は私と共に歩む資格などないのだ」
「マテリアのことじゃない……資格がないのはお前だ!」
僕の怒りはすでに頂点まで達していた。今すぐにでも殴りかかりたいほどだった。少なくとも今、共に過ごしてきた人をここまで蔑まれて、許せるはずなどあるものか。
「もう、これ以上君と話しても無駄なようだ……マテリア、殺せ」
勾人は僕の言葉に呆れ返ったように一つ肩を呼吸に合わせてゆっくりと大きく息を吐いた。それはもう、僕には興味が完全に失われたような立ち居振る舞いだった。僕にとっては、勾人の最後の言葉――マテリアへの命令は、即ち、僕の死を意味するものだった。僕にはマテリアを返り討ちにできるような戦闘能力などないのだから。
だが、その時、その場の誰もが予想していなかった事態が起こった。
マテリアはその体を僕に突進させず、ただ真っ直ぐに勾人の目を見て、そして言った。
「何をおっしゃっているのですか? ミスター勾人」
その言葉に、一番驚いたのは、名前を呼ばれた勾人だった。
「な……何を言っている! マスターの命令だぞ! 実行しろ!」
「あなたは私にマスターを降りる……廃棄コマンドを使用しました」
「……!!」
廃棄コマンド。僕はその存在を知らなかったが、どうやら、その廃棄というコマンドは、マテリアのマスター権限を放棄するコマンドらしい。そして、勾人はプログラムが順調にインストールされているのに浮かれて、うっかりそのコマンドを発動してしまった。先ほど、マテリアの体が震えたのは、廃棄コマンドを認証したということなのだろう。
「な、ならば、もう一度私をマスター認証しろ!」
「私は廃棄された場合、同一のマスターを四十八時間の間、認証することはできません」
「くっ……」
勾人は、すでにその顔がすっかり蒼褪めてしまっていた。まるで、全てを失ってしまったような顔。その蒼褪めた顔のまま、キョロキョロと研究室の中を視線が彷徨っていた。更に、勾人の両目の焦点が合う気配が全くない。
「私は、この場にいる人間の中から、最もマスターたりえるのは羽駕瀬瑠堕であると認識しました」
さらにマテリアが続ける。
「何……!」
「えっ……僕……?」
僕の動揺に関わらず、マテリアは更に言葉を続けた。
「彼は、あなたとは違って、私に、人間と変わらぬ愛情を与えてくれました。その行動に、私の人としての心が、彼を選んだのです」
「何だと……こんなガキに……」
「これがお前の選んだ結末だ。城野勾人!」
歯噛みする勾人に向かって、僕は叫んだ。これが、歪んだ科学者の、愚かな結末だと思うと、なぜか拍子抜けしそうだった。そのくらいに、僕にとってこの男の結末というのは、愚かとしかいいようのないものだったのだ。
「マスター。御命令を」
マテリアが僕の前に立ち、指示を求めてきた。僕は、彼女の姿を見て、どこか安堵した。呼び方さえ違っても、今までと同じ、僕が良く知るマテリアという少女であると。
僕は、決意を込めた声で、マテリアへと指示を下した。
「なら、マテリア。イヴェイション・クレを奪取して、迅速にここから離脱する!!」
「了解、マスター!」
その瞬間、マテリアは素早い動きでクレへと向かう。勾人が最後の抵抗とばかりに立ち塞がる。
「クレまでの障害は……排除しろ!!」
「追加任務、了解」
立ち塞がった勾人の首元に向かって、マテリアの手刀が繰り出される。勾人の遅すぎるその挙動をかいくぐり、背後からの攻撃、その一発で、勾人が崩れ落ちる。間髪入れることなくイヴェイション・クレを手に入れる。僕はそれを見ると、通信端末で呼びかける。
「樹木! 目的は達成した! 離脱開始だ!」
『おっけー!』
どうやら声の調子からして、未だ健在のようだ。僕は友人の無事に安堵する。そして、マテリアの片手を握り、研究室から脱する。襲い掛かってきた警官を全ていなしていた樹木を見つけると、手を伸ばす。
「樹木! 掴まれ!!」
樹木がその言葉に振り返り、伸ばした僕の手を取る。
「イヴェイション!!」
その言葉と共に、僕、マテリア、樹木の体は、研究所の中から消えてなくなった。