14、追走、その先に
この辺りは住宅街の中でも、中~上層の、比較的富裕な家が立ち並ぶ住宅街になっている。この辺りには僕の自宅がある場所に比べて様々な施設が近くにある、立地条件が整った場所という認識が成されていて、当然、それを重きに置いている者達はここの地価の高さはそれゆえだと主張し続けているし、それはあながち間違いではない。
それ故か、この辺りのブロック塀は高さを重視しておらず、家の門となる柵は洋風な作りのものが多い。細い路地はもちろんあるが、僕らほどの年齢にまで成長した者を発見するのは、そう難しいことではない。
僕は、マテリアの追跡を己の足とイヴェイション・モーターとを駆使して行っていたのだが、マテリアはすでに僕の追跡に気づいているのか、或いは追跡される可能性の段階に留まってはいるが、それの対策のためにか、次々と細い路地に入っていく。塀の高さはそれほどではない。僕でも超えようとすれば超えられる位置にある。しかし、マテリアはアンドロイドとはいえ、女性だ。しかも、平均身長から見れば小さい方に作られている。かろうじて頭の先を捉えることはできるが、注視していなければすぐにでも見失いそうなほどには見つけづらい状態になっていた。
あまり距離を詰め過ぎれば、マテリア自身に妨害され、今度こそ行き先を見失う可能性がある。しかし、遠すぎれば彼女が細い路地に入り続ける以上、確実に見失ってしまう。僕にできることは、イヴェイション・モーターで移動時間の短縮を行いながらマテリアを追いかけることぐらいだった。そうすれば、マテリアはいずれ彼女のマスターの下にたどり着く。そうなればこっちのものだ。成火に座標を転送し、尚且つセキュリティロックが解除された瞬間を狙って飛び込める。
路地を曲がり続け、僅かに見えた後ろ姿や、塀の上に僅かにはみ出ている頭を頼りにイヴェイション・モーターを発動させて距離を少しずつ詰めていく。細い路地をまるで蛇のように進んでいく。マテリアの足は止まらない。僕の足と頭もまた、絶え間なく動き続けている。疲労が少しずつ溜まっている感覚が僕の中で感じられる。だが、ここで足を止めれば、全てが無になってしまう。僕は苦しさを全面に押し出した表情ではあったが、諦めだけは心の片隅にも存在しなかった。
やがて、マテリアがついに開けた場所に飛び出した。僕もそれを追いかける形で広い道路へと飛び出す。左方十メートルくらいの場所からクラクションが鳴り響く。僕は二重の意味でしまった、と感じた。だが、それは車に轢かれてしまう、という意味でのしまったではなかった。
「イヴェイションッ!」
僕はイヴェイション・モーターで近くの民家の敷地内に瞬間移動する。僕が二重の意味でしまったと感じたのは、一つは一般人の前でイヴェイション・クレを使ってしまったこと、もう一つは、クラクションによってマテリアに警戒されてしまうということだ。
塀の模様の一部として開けられたそこそこの大きさの穴から、マテリアの様子を伺う。マテリアは尚も走り、僕の目の前である敷地内に進んでいく。僕はその顔に人の悪い笑みを浮かべると、再びモーターを発動させてその敷地の前まで飛ぶ。塀で身を隠し、マテリアの視界に入らないようにする。その状態のままで僕は小声で通信を繋げた。
「博士。研究所を特定した」
『ご苦労様。君の座標を位置して構わないね』
「ああ。もう切るよ」
『了解』
僕は通信を切ると、マテリアがちょうどセキュリロックを解除したところだった。僕はそれを見て飛び込む。マテリアが建物の中に足を踏み入れると同時に僕もその中に飛び込む。間一髪で建物の中に入ることができたが、それはもちろん、マテリアに気づかれることと同義だった。マテリアが警戒から危険という信号を僕に与えたような気がした。少なくとも、ここまで来た以上、敵視されないはずがない、と僕は感じていた。
「ミスター瑠堕……やはりあなたでしたか」
「当然。これが僕のやり方だ」
僕は目を細めて、マテリアの持つイヴェイション・クレへと手を伸ばす。マテリアが身を翻して僕の動きに対応する。やはりマテリアにも、僕の狙いがクレであることは分かっているようだ。恐らく、僕の撃退よりもクレの死守の方を優先させるつもりだろう。だからこそ僕は、ここで引き下がるつもりはなかった。
「ここには警備の人間が数多く配備されています。あなたに勝ち目はありません」
なるほど、マテリアのマスターには人望か、もしくは金でもばらまいて手に入れた自衛力があるらしい。僕はその言葉に怯むつもりはなかった。
「勝つ必要なんてないよ。負けなきゃいいんだから」
そう、僕はクレさえ手に入れられたならば、この場を引き上げても問題はない。マテリアがマスターに服従している以上、僕の脱出に必要な要素は全て揃うわけではないが、クレはそう簡単に手に入る代物ではない。イヴェイション・モーターで移動すれば、トルネリアにもマテリアたちにも研究所の位置を確認することはできない。
逃げることはいつでもできる。問題は目的を達成することができるかどうかだ。
「僕にはそれが必要なんだ。どうしても」
それはできません、という答えが返ってくるのは分かり切っていた。マテリアは僕の追撃を回避すると、研究所の奥の方へと走っていく。僕はその後を追いかける。研究所の内壁は無機質な金属色で埋め尽くされている。研究所などこんなものだろう、と僕は散々見てきた皮肉好きな男が住まう研究所のことを思い浮かべた。
「マテリアッ!!」
僕は腕を伸ばす。マテリアには届かない。僕はモーターを発動してマテリアに急接近する。腕を伸ばせば届く距離にまで近づく。大きく踏み出すと共に腕を伸ばし、しがみつこうとする。僅かに届かない。僕とマテリアとの間に、まるで見えない壁でも存在するかの如く、僕の伸ばした手は空を切る。
マテリアが一つの研究室の中に飛び込む。僕もその部屋に飛び込む。
「えっ……」
そこは、僕がいつも見ている研究室とよく似ていた。なるほど、成火とマテリアのマスターが天敵というのも、どこか納得できるような気がした。少なくとも、この研究室のレイアウトは成火のそれと酷似していたのだ。同じ位置に設置されたコンピュータ。壁一面を覆い尽くすほどの巨大モニター、真ん中にどっかりおかれ、少し邪魔くさく感じられる机。
「マスター、鍵を入手しました」
「ご苦労」
マテリアがマスターと呼んだ人物は、こちらをゆっくりと振り返った。僕は、それによく似た顔を知っていた。だから、驚かずにはいられなかったのだ。
「あんた……磁場集中点を警備していた警官……!?」
磁場集中点が暴走した日に、僕が磁場集中点の座標特定を行おうと出向いた時、そこの警備を行っていた警官の青年に、その男は良く似ていた。
「どうやら私の義理の兄を知っているようだな」
「何……!?」
僕の答えは、当たっているようで外れていたが、的の端には当たったようだった。
「その警官は私の姉の夫だ。もっとも、歳自体は私の方が上だがな」
そこで、僕はマテリアの言う警備の人間の多さ、という部分に合点が言った。恐らくこの男は義兄のコネを利用して、多くの警官を研究所の警備という名目でおいているのだろう。もし彼がコールすれば、たちまちのうちに研究所のあちこちを巡回警備している警官達が駆けつけてくるだろう。そうなれば、最悪一瞬のうちに僕の命はこのまがいものの世界で散ることになる。
「自己紹介がまだだったな。私の名は城野勾人だ。初めましてということになるのかな、羽駕瀬瑠堕君?」
「……イヴェイション・クレを、何に使う気だ」
よもや、この男もこの世界からの脱出を目論んでいるのだろうか。可能性は低いと思うが、それはゼロにすることはできない。以前にマテリアが聞いたことがあったのだ。僕が、君のマスターはこの世界の人間なのかと聞いたときに、彼女はそうでありそうではないという言葉を僕に返したのである。それはつまり、この世界からの脱出を考えている可能性を十分に秘めていることになる。もしそんなことを言い出せば、同じように脱出を目論んでいる僕や沙優奈はなす術を失ってしまう。今、イヴェイション・クレは勾人の元に渡った。そして、もう一つ脱出のための重要な存在であるマテリアも彼の手の内にある。そして、成火の天敵というほどの男だ。十分に科学を扱う力を持っているだろう。だから、せめてこの世界からの脱出というのだけはやめてほしかった。
「少なくとも君みたいに脱出なんてことに使うつもりはない」
僕はその言葉を聞いて、一度安堵した。だが、何の目的もなくクレを手に入れるはずもなければ、今の勾人の言葉を考えれば、何か別の目的があるに違いなかった。
「私は、これでこの世界を構築するプログラムを破壊する」
僕はその言葉に絶句するしかなかった。目の前の科学者が、正気でそんなことを言っているのか、と疑わずにはいられなかった。
「そんなことをすれば、あんたも消えることになる」
「それがどうした!? 私はこの世界が崩壊するのを見てみたいだけだ。たとえそれで私が消え去るとしても、最後に願いが叶うのなら、それが私の生きた証だ」
僕はそれを認めたくはなかった。何もない、まっさらな世界が自分の生きた証だというのが、僕には認められなかった。
「だが、世界崩壊なんて、そんなプログラム、どれだけの時間と容量が……」
「すでにプログラムは完成している」
僕は再び絶句することとなった。僕が絶句しているのを見て、勾人は満足しているのだろう。さらに言葉を続けた。
「後はインストールを待つだけの状態にある。今、この研究所のコンピュータ、そしてマテリアによって並行的にインストールを行っている状態だ。この分なら、三日もあればどちらかがインストールが完了するだろう。どちらかのインストールが完了すれば、後は実行するだけだ」
僕は一歩身を引いた。この男がまだプログラムの作成段階の状態にあるならば、アンチプログラムを作成して対抗することもできた。だが、すでに勾人のプログラムは完成している。そうなってしまえば、僕にできることはインストールを途中で終了させるか、最重要ファクターであるクレを奪う以外の方法が消え失せることになってしまう。いや、現在そうなっている。
「残念だったな、羽駕瀬君! 君の努力は無駄だったのだよ!!」
その言葉を勾人がケタケタとした笑いと共に高らかに叫び終えたと同時に、巡回警備に当たっていたのであろう警備員が僕を取り囲んだ。
今日はよく取り囲まれる日だな、全く。
僕はこんなところで死ぬつもりなんて到底なかった。確かに、僕が今手に入れなければならないものはすぐ目の前にある。クレもマテリアも。そして、止めなければならないものもここには存在している。それを止めるためには、やはりクレを奪い取るしかない。優秀なプログラムがあっても、恐らくこの世界そのものと繋ぐことができるのであろうイヴェイション・クレがなければ、それはただのプログラムで終わってしまうからだ。
「君が降伏し、せいぜいトルネリアあたりからこの研究所を数日間守ってくれるのなら、銃口を外させよう」
僕に向かっていくつもの銃口が光っている。だが、この男はまだ気づいていない。警官達も気づいていない。
僕も、警官達同様に、銃を携えていることを。
「断る!!」
僕は叫ぶと同時に、だらりと下げたままだった左手でちょうど掴める位置に装備していた偽装ホルスターから成火から譲り受けた銃を取り出す。警官達や勾人、マテリアが気づいたころには、すでに何もかも遅すぎた。
僕はその引き金を思いっきり引いてやった。発光弾は僕と勾人の間で炸裂する。僕は目をしっかりと閉じ、右腕で視界を塞いだ。そして真っ白な世界の中で誰にも聞こえないように一言呟いた。
「イヴェイション」
発光弾の光が無くなり、研究室に居た者達が視界を取り戻したころには、僕の姿は研究所から綺麗さっぱり消えていたことは、言うまでもない。