1、まがいものと条件
この作品はフィクションです。人物名などの固有名詞は実在のものと同一でも全くの関係はありませんのでご了承ください。
僕はまがいものだ。
そして、僕の住むこの町もまた、まがいものだ。
いや、それ以上、この世界さえも、まがいものだ。
まがいものの両親、まがいものの幼馴染、まがいものの友人、まがいものの親族、まがいものの教師。
そんな世界から見れば、むしろ僕の方がまがいものになってしまう。
この世界は、一般的な言葉で言わせてもらえば実験室のようなものだ。この世界は外の世界の者達によって作られ、観察されている。
実験室で行われることは一般常識通り、実験だ。
とはいっても、僕はその実験の内容までは分からない。僕に分かっていることは、この世界が実験室であるということだけだ。この世界の成り立ちも、この世界で今一体何が起こっているのか、僕は知らないし、知る術もない。僕がこの世界で行いたいことはたった一つだ。
この世界からの脱出。
もちろん、この不条理な世界から脱出するための能力を、僕が持っているわけではない。つまり、僕が何かしらの特殊能力ゆえにここにいるわけではいのだ。だが、その代わりに、たった一つだが、脱出しうる可能性がある。
「おはようございます。ミスター瑠堕」
まがいものの通学路を通る途中、曲がり角から毎朝待ち伏せているのではないかと錯覚するくらいのタイミングで姿を現した少女が、僕にそう声を掛けてきた。その声に感情が乗った抑揚は感じられない。抑揚があるにしても、それはあいさつの単語を発するための発音に必要な分の抑揚だけだ。
ショートヘアの黒髪。身長は百五十センチ前後で、さほど大きいという印象は受けない。むしろ、僕から見れば少し見下ろすくらいの身長だ。黒いフレームだがふちの無い眼鏡をかけている。ちなみに、彼女が今つけている眼鏡は伊達だ。度は入っていない。
「おはよう、マテリア」
僕はそのあいさつに決まりきった挨拶を返した。このやりとりは、ほぼ毎朝必ず行われている。
最初に言っておこう。彼女は人ではない。アンドロイドだ。彼女がわざわざ度の入ってない眼鏡を掛けているのは、人間よりも精密だがデリケートに作られた両目に内蔵されたカメラを保護するための簡易的なバリケードだ。
アンドロイドである彼女のこの顔が笑えば文字通り柔らかな笑みを見せるのかもしれないが、彼女はそういう感情はない。人並みの感情を彼女は持ち合わせてはいない。アンドロイドである以上、あらゆる感情の欠落というのは仕方のないことかもしれない。だが、それでも、一応は人として生まれたからには、やっぱり当たり前の感情も与えられなかったのだろうか。彼女はそれを欲しようとは思わないのだろうか。
思わないだろうな。
その理由に「アンドロイドだから」というのをつけると、もうどうしようもないだろう。そんな理由をつけるような気持ちでは、この世界を脱出するなど土台無理なのだ。
結論から言わせてもらえば、僕がこの世界を脱出する鍵となるのは、彼女、マテリアだ。
僕がこの世界に潜むまがいものに対して、彼女は「『まがいもの』と『ほんもの』をつなぐコネクタ」だ。
彼女は僕と似ていて、この世界で生きていくには歪んだ存在だ。
だからこそ、僕の脱出には彼女が必要不可欠なのだ。
彼女についての説明はこのくらいだろう。
ここからは僕の周囲のまがいものを紹介する。
「おはよう、瑠堕、マテリア」
マテリアと連れだって教室に入った僕に、話しかけてくる少女。
「おはよう、樹木」
僕のまがいものの幼なじみである彼女の名前は御鹿野河樹木。ちなみに彼女の母から聞いた話によれば彼女の名前の樹木の由来は「樹木のようにすくすくと育ってほしい」ということらしい。そして、彼女の苗字である御鹿野河。これは彼女がこの世界のこの国においてはかなり有名な家系、つまりは名家のものであることを示している。
ただ、彼女自身はそんなことを気にするような人柄ではないから、その点では僕自身が何か気を使う必要がないのはとても気に入っていた。
「今日帰りに雨三野君とゲーセンいくつもりなんだけどさぁ!」
「今日は予定があるんだ、悪いな」
樹木の言葉を遮って誘いを断ると、僕は自分の席に足を進めた。視界の後ろで樹木が頬を膨らませているのに、見ずとも気づいたが、敢えてスルーすることにした。ここで振り返れば、せっかく掴んだアドバンテージを手放すと同時に押し込まれてしまう可能性があった。
「瑠堕ぉ〜、今日ゲーセンに……」
「却下で」
雨三野晴人が先ほどの樹木がされた拒絶を知らぬゆえに話しかけて全く同じ内容を問い掛けてきたが、僕はそれに先ほどよりも端的な口調で拒否の意を示した。
雨三野や樹木には悪いが、一番に達成すべき目的のために、このくらいの誘いは断っても問題はない。もちろん、ゲーセンへの誘いを断ったくらいで崩れてしまうような友情の築きかたもしていなければ、彼らがそういう人間ではないこともよく知っていた。
教科書が大量に入った鞄を机に置き息をつきながら席について数秒後、ホームルーム開始を告げるチャイムが教室に響いた。
放課後になって、誰かを待つことなく学校から出てきた僕はそのまま学校の周りをぐるりと回っていく。学校の敷地には裏口もあるのだが、そちらを真っ直ぐ出ると、裏口に設置された防犯カメラに記録されてしまう。これから向かう場所の都合上、曖昧な人の記憶に残るくらいならともかく、カメラのように明確な「記録」として残ってしまうのは避けろと言われているのだ。
数回にわたって路地に入り、人の記憶にも残りづらい経路を通る。人の目を避けるに避けてたどり着いたのは民家である。屋根は黒、外壁も日本らしさを重視して地味な色使いを多用している。周辺に人影はなかった。今はまだ太陽が高い昼間故に、人が通っていてもおかしい話ではない。別にこの通りがなんらかの魔術的な何かが作用しているわけではない。
元々そういう通りであり、それゆえにこの場所に建てられたのだ。
建物の入口につけられた指紋認証型のオートロックキーをクリアして中に入る。内部に設置された監視カメラの目はかい潜る必要はないため、堂々と通路の真ん中を通る。通路の途中に設置された網膜スキャンをクリアして、さらに奥に進む。その先を徘徊している警備用の自律式のロボットも、網膜スキャンをすでに完了しているため、襲われる心配がない。
たどり着いた一つの部屋のロックを解除して中に入ると、白い研究衣に身を包んだ男がこちらに振り返った。
だが、振り返りはじめたのは自動ドアがスライドで開く瞬間の起動音でもなければ、部屋に入ってくるときの靴の音でもなく、ドアのロックが外れた音によってであることを、僕自身はよく知っていた。
「来ると思ってたよ」
「行くと連絡したからな」
今目の前にいるこの男は、外装はただの一軒家のようにしたこの研究所の所長を務めている。そして、何故僕がこんな研究所にわざわざ足を運ぶのか。それは僕自身に理由があった。
「どうだい? 画期的な方法は見つかったかい?」
男は皮肉な笑みを浮かべて僕に当てもない答を求めた。僕はそれに対して答を返さなかった。具体的な方法はまだ決まっていない。いや、見つかっていないと言うべきか。
この世界から抜け出すためには、僕一人の力では絶対に不可能だ。僕は何かに特化しているわけでもなければ、万能な人間でもないのだ。このまがいものの実験室という名の偽りの世界から脱出することそのものが、僕を題材にした実験なのかもしれない。
「君は、いや、僕達は実験動物だ」
「知ってる」
「そして彼女もまた、実験のための存在だ」
「それも知ってる」
この話を聞く、というよりは、この会話そのものは何十回と行われている。もうこれは嫌味を含んだ挨拶と化しているものであるのだが、そのことは僕もこの男も一切気にするつもりはなかった。
「それで? 方法はいつ教えてもらえる?」
余計な兼ね合いは挨拶だけで十分だった。この男もまた、僕の目的の達成のために必要な存在だ。
「ならば、条件を提示しようじゃないか」
そろそろこの兼ね合いに向こうも飽きてきたのだろうか、今日になって遂に進展。
「条件は三つ。まず一つ目。稼動型情報処理端末の処理プログラムを三日以内に完成させる」
「プログラムの内容は?」
僕は咄嗟のうちに質問をぶつける。さすがにただ「プログラムを作れ」だけでは僕も両手を挙げるしかない。先ほども説明した通り、僕は万能人間でも一点特化型人間でもない。
「背景情報を変数としてステージパターンを変更するものだ」
「……二つ目は?」
「この街にある磁場集中点を発見すること」
磁場集中点とは、このまがいものの世界において全方向からN極の磁力が集まるS極の塊となっている、地上に隣接した一立方メートルの地点である。普通磁石には必ずN極とS極がある。どちらかだけということはない。でありながらそういうことができるのは、やはりまがいものの世界特有だからというやつだろう。
磁場集中点の発見には専用の計測器を使用する。発見そのものにはその計器の性能のおかげもあって、さして時間はかからない。
「それで、そっちの期限は?」
だが、そんな余裕もあって口走ったこの言葉がまずかった。
「随分やる気だな。これに期限をつけるつもりはなかったんだが、そこまで意欲旺盛なら明後日までとしよう」
僕は心中、純粋なまでに「しまった」という言葉と共に舌打ちした。心中で舌打ちというのも随分(僕自身の価値観で言わせてもらえば)滑稽なものであったが、その滑稽なことを、僕はよくやってしまう。実際に音を出すよりはずっとエチケットを弁えているといえるが、僕としてはたとえ心中であっても舌打ちは舌打ち、という考え故に、自分の中で勝手に嫌悪感をループさせるという負の連鎖をすることがよくあった。
「……まぁいい。三つ目の条件は?」
「そうだな……君の目的達成まで服従してもらおうか」
「今考えたな、それ」
僕は質問に対して返された答えに呆れながらもツッコミを返す。たまにこういうことを言われるから、この男には会話でペースを持っていかれるのだ。
「……冗談だよ。三つ目はない」
「笑えない冗談だ」
僕はそれだけ言って肩を竦めて見せると男に背を向けて歩き出した。
「それじゃあね。真木乃成火博士」
スライド式の自動ドアの前で振り返った僕はその男の名前を嫌味を若干含んだ声音で呼ぶと、開いたドアの向こうへと歩き出した。
「成果を期待しているよ、羽賀瀬瑠堕」
成火の言葉は、僕との間にあった自動ドアが閉め切られると同時に聞こえなくなった。