歪んだ愛の花束を
残酷とありますが、そんなに残酷ではありません。人が殺されるだけです。
それが平気という人は読んでいただけると嬉しいです。
「!!あぁ、またか…」
家に帰ると玄関の前には赤い薔薇の花束。
近頃ずっとこんな事が続いている。しかもそれはストーカーの仕業らしい。
置かれるのは全部、赤い薔薇の花束。
「こんな写真いつ撮ったんだ…?」
いつも丁寧に、盗撮した写真を何枚か添えて置かれている。
「ん?」
けれど今日は少し違う。
何かメモのようなものも添えられていた。
「“今日、貴方を迎えに行きます”…なんだこれ…」
読んだ瞬間、寒気がした。
気持ち悪い。まさか後ろをついて来てるんじゃ…?
そして背後で何かが崩れる。
「っ!?…なんだ…」
居たのはただの猫だった。けれどそれは黒い猫。
黒猫は確か、不吉の象徴とされていた気がする。
そいつが、俺をじっと見つめている。
なんだか嫌な予感がした。
「は、早く家に入らないと…」
このままこうしているのは危険かもしれない。
そう思って急いで家の鍵を開ける。
「…ん?」
手をかけてドアノブを回そうとした時、何故か胸騒ぎがした。
けれど特に気にせず、扉を開けて…
「がっ!!?」
後頭部に強い衝撃。
しまった!やっぱりついて来てたのか…!!
そして俺の視界はそのまま暗転した。
「うっ……つぅー…頭いてー…」
俺が意識を取り戻した時、とにかく後頭部が無茶苦茶痛かった。
…いや、こういう時は状況確認が先か…
「…ってか、ここ何処…?」
改めて冷静になって辺りを見ると、俺の居る場所は全然知らない場所だった。
黒いカーテンを閉められた、暗い部屋のベッドの上。
どっかのホテルの一室…というよりは、ベッドだけが置かれた空き家に見える。
俺、確か家の前に居たよな?ここまで運ばれたのか?
起き上がって辺りをよく確認しようと思って…
…ん、なんかヒラヒラしたものが当たった気が…
「うげっ!!なんだよこの格好!!」
ヒラヒラした、ドレスのような白い服。
これって犯人が着せたのか?これ、女装だよな…?
趣味悪い。気持ち悪い。
着替えたくて辺りを見回すが、自分の服も何もない。
「ああー…気持ちわりぃ…」
けれど着替えるものもないから、このままで居るしかない。
流石に下着だけになるのは…犯人が来るかもしれない訳だし…
「…って、逃げるなら今だろ!!」
何のんびりしてたんだ!
早く逃げないと犯人が来るかもしれない。
わざわざ俺を誘拐したんだ。何をされるかわかったもんじゃない。
俺はベッドから飛び降りて、目の前のドアに走る。
「…お?」
鍵がかかってない。普通に開きそうだ。
警戒しつつ、ゆっくりとドアを開く。
「誰も居ない、な…」
ドアの先は長い廊下だったが、誰も居ないみたいだった。
犯人は何がしたいんだ?
とにかく警戒しつつ部屋を出て、音を立てないようにドアを閉める。
そしてできる限り足音を立てないように注意して、廊下を進む。
ここは屋敷なのだろうか?
廊下の壁に他にも沢山のドアがある。
そして幾つか角もあったが、誰かが居る気配はなかった。
本当に大丈夫なのだろうか…?
ほんの少し警戒を解いて、気を緩めた。
「!!」
が、直後、背後でドアが開く音がし、弾かれたように振り返る。
「あら?気がついたの?」
そこに居たのは一人の女だった。
見た目で言うなら、俺と同い年くらいか。
見た感じは何処までも普通。普通に可愛い部類に入る。
こいつが俺を誘拐したのか…?
「逃げちゃダメだよ。ねぇ…」
話を聞き終わる前に、俺は走り出した。
間違いない!あいつが犯人だ!!
先程の彼女の顔は、その笑顔は、明らかに歪んでいた。
本能的にヤバいと思った。こいつは正気じゃない、と。
俺の後ろの方から足音が聞こえる。けれど急いでる様子はなく、普通に歩いてるようだ。
急ぐ必要なんてないって事か。それはそうかもな…!
「また行き止まり…!?くそっ!!」
地の利はあちらの方が確実に上だ。
走って廊下の先が見えると、そこは行き止まり。曲がって別の道に入ってもまた行き止まり。
どんだけ入り組んでるんだよ!!
「やった!!出口!!」
それでもやっと出口を見つけた。そういえば追って来る足音も聞こえない。
逃げ切れたのか?
とにかく扉を開け、外に出る。
すると強い薔薇の香りがした。
「…薔薇、か…?これ全部?」
目の前には見事な薔薇園が出来上がっていた。
見渡す限り薔薇の木ばかり。
丁度時期なのだろうか。殆どの薔薇が綺麗に咲いていた。
外がいつの間にか夜になっていた事もあり、月明かりに照らされた薔薇は更に美しく見えた。
「綺麗でしょ?」
「!?」
横から声がし、見るといつの間にかそこにさっきの彼女が居た。
「私の自慢の薔薇なのよ。ほら、貴方にも贈ったでしょ?」
やっぱり犯人はこいつだったのか!
彼女はゆっくりと俺に向かって歩いて来る。俺はそれに合わせてゆっくり後退りする。
が、後ろに薔薇の木があったらしく、それに当たる。
その木だけは薔薇が咲いておらず、そのせいで夜の闇に紛れていて気づけなかったようだ。
「ぐっ…!?」
いきなり身体の力が抜け、俺は後ろの薔薇の木の中に倒れ込む。
刺が刺さって痛いが、それどころじゃない。
「ねぇ、薔薇って綺麗だと思わない?」
彼女は俺を追い詰めながら、話し掛ける。
なんだよこれ…!!
動きたいのに身体に力が入らない。
薬でも盛られてたのか?俺をストーカーしてた上に、誘拐までしたんだ。やりかねない。
目の前がグラグラ揺れる。
「薔薇の花言葉、貴方も知ってるよね?」
俺がもう逃げられないと分かったのだろう。
俺に迫って来るのを止め、自分の近くにある薔薇の木に近づく。
それは紅い薔薇を咲かせる木。
満開の薔薇はいっそ毒々しいまでの紅で染まり、暗闇の中で浮かび上がるそれは何処か妖しく、侵されてしまいそうな毒気を感じさせる。
彼女はその薔薇を一本だけ、いつの間にか手に持っていた短刀で摘み取る。
その摘み方は雑でありながらも美しい。
月明かりを反射する短刀は鋭い一線を走らせ、その一線上にあった薔薇が花弁を散らす。
なす術もなく散った花弁は、薔薇が流す血のように見えた。
「一般的に知られてるのは“愛”“恋”“美”とか、そういう感じかな。」
彼女は薔薇の香りを確かめるように、手に持つ薔薇を顔に近づける。
「でもね、色ごとにもちゃんと言葉があるの。赤なんて、凄く細かいんだよ?」
クスクスと耳障りな笑い方をしながら、彼女は薔薇を弄ぶ。
「これは濃紅。私が貴方に渡した花束の中にあったもの。花言葉は“恥ずかしさ”“内気”。」
正確に言うなれば、あれは渡したとは言わないだろう。
いつも家の前に置かれていただけなのだから。
「普通の赤い薔薇は色々あるんだけど、私が伝えたかったのは“貴方を愛します”“恋い焦がれています”。」
熱烈な愛の告白。
一本一本に意味があり、花束にされて贈られた薔薇の数を考えると…正直、寒気がする。
「花束の中に蕾もあったでしょ?蕾の花言葉は“愛の告白”。」
本当に薔薇が好きなのだろう。それは周りから見れば異常に映る程に。
ここまで細かい花言葉を知っていて、尚且つこれほどたくさんの薔薇を育てている。
一種の中毒のように、薔薇に酔い溺れている。
「私何度も薔薇をあげたのに、貴方は答えてくれないんだもん。」
答えられる訳がないだろう。
彼女の事を全く知らないのに、一体どう答えろと言うんだ。
迷惑だと言いたくとも手掛かりがなければ心当たりもなく、どうする事もできずにいたというのに。
「紅色は“死ぬ程恋い焦がれています”。そう、贈ったのに。」
彼女が包帯で隠していた手首を見せる。
そこには明らかなリストカットの痕が深々と残っていた。
それは痛々しさよりも気味の悪さを感じさせた。
「だからこうして直接会う事にしたの。でも私親切だから、ちゃんと事前に緋色の薔薇を贈ったでしょ?花言葉は“陰謀”。」
何処が親切だ。
家に不法侵入して人を誘拐しておきながらよく言う。
教えるも何も薔薇で伝わる訳がないだろう。それにあれは事前じゃなくて直前だ。
「貴方、今日が誕生日だよね?」
「!!?」
何で、こいつが俺の誕生日を知ってるんだ?
声は出せなかったが、俺の身体は明らかに強張っていた。
そんな俺を見て、彼女は笑う。
「私も今日が誕生日なんだよ。…貴方は、覚えてないよね。」
…は?覚えて…?
俺は彼女の事なんて知らない。
もしかすると、彼女の中では俺達は知り合いという事になっているのだろうか?
いや、そうだろう。そうに決まってる。
俺にはこんな知り合いは居ない。
…気持ち悪い。
彼女の勝手な妄想も、俺と彼女との共通点も。
俺と同じでいいのは、俺を想っていいのは…あの子だけなのに。
「私ね、欲しいものがあるの。それは今日咲く予定の薔薇。」
ああ、そうか。
でも俺には何の関係もない。
用がないんだから早く帰してくれよ。
「きっと、この庭に咲くどの薔薇よりも綺麗に咲くの。…ううん。そうじゃなきゃ駄目。」
独り言がここまで聞こえてくる。
きっと大事に育てている薔薇なんだろうな。
薔薇に向ける愛情は真っ直ぐなのに、どうして俺に向けるものは歪んでいるんだろうか。
根は真っ直ぐだろうに、何が彼女をここまで歪めてしまったのだろう。
まぁ、俺には関係ない事だ。
…そういえば、あの子も薔薇が好きだったな。
俺があげた赤い薔薇を持って嬉しそうに笑って。
なんで彼女はあの子に似ているんだ。止めてくれ。あの子は彼女とは違うんだ。
「ねぇ、だから…私の為に咲いて。」
…は?何を言っているんだ?
「私ね、薔薇が一番好きなの。赤い薔薇が大好き。でね、貴方が大好き。愛してる。」
彼女が再び俺に迫りながら言う。
ぞわぞわと何かが背筋をはい上がるような、嫌な感じがした。こういうのを虫酸が走るって言うんだろう。
けれど目の前まで迫った彼女の顔が何処となく、あの子に似ているような気がして…
いや、違う。あの子はこんな風にはならない。あの子はいつだって真っ直ぐに俺を想ってくれていた。
ああ、けれど最後に手紙が来たのは一体いつだったのだろう?
心配になってつい最近、変わらない想いを綴って手紙を出したけど、その返事さえも返って来ない。
あの子はもう、俺の事を想っていないのだろうか?
俺は未だ、こんなにも想い続けているというのに。
「私欲深いから。どっちも欲しかったの。だからね、考えたんだ。そしたらね、いい考えが浮かんだの。」
彼女がゆっくり俺の耳元に顔を寄せ、そして囁く。
「貴方を薔薇に仕立てればいいって。」
耳元で聞こえた悪魔の言葉。
そこで現実に引き戻される。
そういえば、俺の着ている服は自分の服じゃなかった。
真っ白でよく染まりそうな、白い服。
ヒラヒラとしたそれは、例えるのなら美しい花びらのようで…
彼女の手の中で何かが光る。
先程薔薇を採るのに使った、きっと心臓に届くだろう長さはある短刀。
「貴方は永遠に、私のモノ。」
彼女は笑って手を振り上げる。
逃げたくても動けない。
彼女の手が振り下ろされる。
短刀が心臓に突き刺さる。
襲ってきた鋭く激しい痛みは恐らく、激痛と呼ばれるもの。
そしてその刃が回転させられる。
痛い!痛い!!痛、い…
短刀が抜かれると、そこに空洞ができたように感じられた。
そこから何かが流れ出す感じがして、それで…
なんで俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ!
叫びたくとも、もう何も言えなくて。
目の前が真っ暗になった。
最期に聞こえたのは彼女の耳障りな、狂った笑い声。
憎い。憎い。憎い。
俺は彼女を絶対に許さない。
恨んでやる。呪ってやる。
化けて出てでも彼女を悲惨な目に遭わせてやる。
けれど最期の最期。何故か脳裏に浮かんだのは、幼いままのあの子が赤い薔薇の花束を抱えて泣いている姿だった。
目の前で薔薇が咲く。
薔薇を咲かせない木の中でただ一つ、存在を誇張する大きな真っ赤な薔薇。
私が一番好きな薔薇の色。
昔、彼に貰った薔薇の色。
「…私は、忘れた事はなかったよ。ずっと覚えてた。」
私はその隣の木から黒い薔薇を幾つか摘む。
「それなのに、貴方は忘れてしまった。」
摘んだ薔薇の花弁を乱暴に掴んで取り、彼の上に降らせる。
「黒薔薇の花言葉は“恨み”“憎しみ”。これが今、貴方が私に言いたい事でしょ?」
匂い立つ生々しい鮮やかな赤を、深い闇を具現化したような黒が覆っていく。
本音を代弁するかのように赤が塗り潰される。
「でも本当は私も、貴方に黒薔薇を贈りたかったの。黒薔薇の花言葉はまだあるんだよ。“永遠の愛”“貴方は私のモノ”。」
私は笑う。その顔はきっと、どうしようもない程に歪んでいる。
嬉しいのか、悲しいのか、恨めしいのか。そんなの、もう分からない。
だけどもう、どうだっていい。彼への想いさえ分かっていれば、後は何だっていい。
「貴方がいけないの。私を無視するから。忘れるから。…君をまだ想ってるなんて手紙を書いて、嘘をつくから。」
まだ温かい彼を抱きしめる。
その身体からは薔薇の匂いでも隠しきれない、鉄臭い独特の強い異臭がした。
乾き切らない赤が自分の服にもつく。
けれどそれが彼のものなら、なによりも愛おしい。
「何度も手紙を送ったのに。昔と変わらず想い続けていたのに。貴方の事を、信じていたのに。」
きつく彼を抱きしめる。
嘘をついた彼を許せない。
だけどそれでも、愛おしくてたまらない。
「…“貴方は私のモノ”。死んだって、変わらないんだから。絶対に、誰にも渡さない。」
恨まれても、憎まれても、呪われても。
それでも彼が私の事だけを想ってくれるのなら、それでいい。
どんな形であれ、彼が私を忘れないなら、それだけでいい。
「愛してる。」
永遠に私のモノになった彼にキスをする。
それと同時、私の頬を何かが伝い流れていった。
眉目秀麗、成績優秀。どちらかといえば頭脳よりではあるが、それでも運動神経はかなりいい部類に入る。
性格もよく社交的。リーダーシップを兼ね備え、誰に対しても平等に接する。
親からも親戚からも期待され、誰からも好かれる奴。
そんな完璧な人間が、俺の兄だった。
その完璧な兄に対して、俺はあまりに普通過ぎた。
勉強よりも運動が得意なだけの、得に取り柄もない普通の人間。
当然、親は俺とあいつを比べたがる。だけど俺があいつに勝てるものなんてありはしない。
いつだって俺の悪いところが目立つ。それで親はあいつだけを可愛がる。
俺が幼い頃からずっとそうだった。
なんでこんな奴が俺の兄なんだって、何度も思った。
俺はずっとあいつが羨ましくて、憎らしかった。
だからちょっとした嫌がらせをする事にしたんだ。
あいつには小学生の頃に、向こうの転校で離れ離れになった彼女が居た。
二人は頻繁に手紙で連絡を取り合っていた。
あいつはいつもその手紙を待っていて、返事が来るのを楽しみにしていた。
だから俺はある日から、それを隠す事にした。
あいつが見るより早く郵便を見て、あいつへの手紙だけを隠す。
あいつはずっと待ってたよ。とっくに来ている手紙が来るのを。
なかなか来ない返事にそわそわしているあいつはそれはもう、面白くて仕方なかった。
相手の方はかなり頻繁に手紙を出していて、本当にあいつの事が好きなのがよくわかった。
けど、最近になって全く手紙が来なくなった。
とうとう二人は別れたのだろうか?それはそれでいい気味だ。
最近はストーカー被害にも遭ってるみたいだからな。
今までちやほやされた分のツケが回って来たんだろう。
…まぁ、それならそろそろ隠してた手紙を返してやってもいいか。
あいつが家に帰って来たら返してやろう。未開封のまま放置されてた数年分の手紙の山を。
相手はずっと返事を待ってただろうに。って言ってな。
歪んだ愛の花束を
(歪んだのは誰のせい?)