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美奈子ちゃんの憂鬱

美奈子ちゃんの憂鬱 迷子と「どうぞ」とイタズラと

作者: 綿屋 伊織

●桜井美奈子の日記より

 予備校の帰り道、いつも使っている道が通行止めになっていた。

 白い和紙で出来た行燈を何十倍にも膨らませたような、大きな照明の下で機械がうなりを上げる下に置かれた、「緊急工事 通行止め」と書かれた標識の前には警備員が立っていた。

 参ったな。

 そう思ってもしかたない。道を変えた。

 住み慣れた地元だから道を間違えることなんてない。

 そう思っていたのに、気がつくと私は全然知らない道にいた。

 道を照らしていた街灯がいつの間にか途切れ、自転車のライトだけを頼りに左右を見回しても、似たような板塀がずっと続き、人気もない。

 一体、地元にこんな所があったのだろうかと首を傾げたくなる中、こぎ疲れた私は自転車を止めた。

 携帯電話で時間を確かめると、既に午後の10時を回っていた。

 予備校を出たのが9時だから1時間もうろうろしていたことになる。

 家から10分とかからないはずの場所からどうやったらこんな所に入り込んだのか不思議でしかない。

 携帯で家に電話しようとしたら何と圏外。

 途方に暮れたけど、仕方ない。

 本当は怖くて泣きたいけど、仕方ないから灯りのある家で電話を借してもらおうと思って、自転車を進めた。

 まっすぐな道の左右には平屋建ての古ぼけた、しかも同じような団地みたいな造りの家々が並び、その一軒たりとも灯りがついていない。町ごと留守にしているんだろうか。

 やっと見つけたのは、小さなお店。

 店先には野菜や雑多なものが並んでいて、一見すると何屋さんかわからない。

 焦っていた私は、もう夜の10時を回っているというのに、まだ開いているそんなお店の前に自転車を止めると、何の疑問も抱かずに店の中へと入っていった。

 店の中には誰もいなかった。

 なんだろう。

 お茶みたいな匂いがする店内は、ほんの数歩歩けば奥に行き着くほど狭い。

 奥は格子模様の付いたガラス戸になっていて、レースののれんが下がっている。

 その手前にはレジがあった。

 店の中は雑然として、魚や肉や野菜が壁に並んでいる。

 真ん中には棚が一つあって、懐かしい名前のお菓子がいくつか並んでいる。

 最近、見なくなった、昔ながらの店。そんな感じがした。

「すみませぇん」

 店先で声を上げる。

 何度か続けると、奥のガラス戸が開いて、中から痩せたおばあさんが出てきた。

 寝間着だろうか、水色のパジャマからのびる細く骨が浮いた痛々しいまでの手足を見た途端、自分が何だか申し訳ないことをしている気がしてならなかった。

 ガラス戸の向こうは、どうやら畳敷きの部屋になっているらしい。

 そこから店先に降りる途中、おばあさんは、もごもごと何か口の中で呟いた。

 いらっしゃい。

 そう言ったのかもしれない。

 入れ歯を忘れているのだろうか、しわくちゃな口をしたおばあさんは、ずっと下を向いたまま、手をだらんと下げている。

 気味が悪いけど仕方ない。

「あ、あの……電話をお借りしたいんです。あ、その前に、ここは葉月市のどの辺でしょうか」

「……」

 おばあさんは一言も答えない。

 ただ、下を向いたまま。

「あ、あの?」

 耳が遠いんだろうか。

 そう思って、私は店の中へと一歩踏み込んだ。

 するとおばあさんは小さく頷くと、下げた右手を動かして、レジの横に置かれていた、缶ジュースを掴むなり、私の方へと突き出した。


「……どうぞ」

 しわがれた、別な所から聞こえてきたような声がそう言った。

「ど、どうも」

 私は小さくお礼を言うと、目的をもう一度告げた。

「電話、お借りしたいんです。電話料金はお支払いしますから」


「……どうぞ」

 おばあさんは缶ジュースを突き出した姿勢のまま、再びそう言った。


「あ……あの」

 私はジュースを売ってくれと言った覚えはない。

「で、電話を」


 ふいに、鼻を甘い匂いが刺激した。


「えっ?」


 横を見ると、すぐ真横にイチゴが山積みにされたお皿があった。

 振り向くと、パジャマ姿のお爺さんが、私にお皿を突き出してた。

 そして、唸るような声で言った。

「……どうぞ」


「い、いや……あの」


「……どうぞ」

「……どうぞ」

「……どうぞ」


 地の底から這い上がってくるような声に耳を塞ぎたくなる。

 助けを求めるように出口を見ると、いつの間にいたんだろう、同じようにパジャマを着た人達がずらっと、手にお皿を持って立っていた。お皿の上にはお握りとか大福とかがたくさん……。


 その人達全員が一斉に言う言葉は一つ。


 ……どうぞ。

 ……どうぞ。


 食べろ。

 皆、そう言っている。

 途方にくれるしかなかった。

 食べればいいのかもしれない。

 だけど、何だろう。

 食べちゃダメだ!

 そんな考えが沸き上がってくる。


「……どうぞ」

 皿に載せられたイチゴが頬に触れた。

 ひんやりとするその冷たさが、体を芯まで冷やす。

 私は知らずに膝がガクガクと鳴っていた。


 何だろう。

 鼻が痛い。

 煙をまともに吸い込んだように痛い。

 そして―――何?

 この暑さ。


 眼が痛い。

 まぶたを開けていられない。

 目に涙が浮かぶ中、私は意を決してイチゴに手を伸ばそうとした。

 たった一個。

 たった一個を食べればいいんでしょう?


 覚悟して、イチゴのヘタをつまみ、眼をつむって口をあけた。


 その途端―――


 グイッ!


 スゴイ勢いで首を引っ張られた私は、地面にひっくりかえった。

 背中を打ち付けたせいだろう。すごく痛い。


「大丈夫?」


 顔をしかめながら背中をさすっていると、誰かのそんな声がした。

 目を開けると、私をのぞき込んでいる顔があった。


 水瀬君だ。


「……えっ?」


「おばさんから、まだ戻らないけど、そっちで遊んでいないかって電話があったんだよ」


「……あ、あれ?私」


「危なかったね」


「っていうか、あれ、何なの?私、何か妙な所に迷い込んで、変なお店に入って」


「周り、見て」


 言われるままに周りを見回す。

 驚くしか無かった。

 さっきまでいたはずのお店はどこにもない。

 私は、無機質な石と石の間に倒れていた。


 石。

 それが墓石だとすぐにわかった。


 何故か私は、お墓のど真ん中で尻餅をついていた。

 見回すと、私の自転車がすぐ近くに転がっている。

 この人達。そう言いかけたけど、自分の周りには水瀬君以外の誰もいない。

 そして、手の中には、腐ってカビの生えたイチゴが握られていた。

 何かの勘違いなんだろうか。そうは思ったけど、とにかく水瀬君に今起きたことを説明しようと努力したけど、舌が回らない。

 水瀬君の前でうーうー唸るのが精一杯。

 そんな私を前に、水瀬君は黙って腐ったイチゴで汚れた私の手をハンカチで拭うと、ポツリと言った。


「迷い込んじゃったんだよ」


「迷い込んだ?」


「そう。偶然が重なった結果、桜井さんは死者の国への扉を潜ったんだ」


「死者の国?」


「うーん。死者に呼ばれたとも言うかな?ほら、知らずに迷い込んだ所が、実は心霊スポットだったって、ああいう感じ」


「……ここ、そういう所なの?」


「この辺りに、昔、大きな病院があったんだって」


「えっ?」

 やだ。

 私はそういう話は大嫌いなのに!


「赤色戦争の頃の話だけどね?その病院は葉月港に入った負傷兵を受け入れていた。

 ところが、南方帰りの伝染病患者に気づけなくて……やって気がついた時にはもう手遅れ。病院全体と、その周辺一帯は深刻な汚染に陥っていた。

 これ、当時はまだワクチンも何もない伝染病でね?

 唯一の対策は患者との接触を禁止することで、感染拡大を防止するのが精一杯。感染したら死ぬのを待つだけ」


「……」


「医師も患者も、そして住民の人達もバタバタ死んで……ほら。そこに一連の犠牲者を慰める供養塔があるけど」


 水瀬君の指さした時には、大きな石碑が建っていた。


「最後は大風が吹いた火に病院を含むこの辺り一帯が大火事で焼けることで一段落がついたんだって。閉鎖された一帯の住民は一人残らず死んだっていうから、スゴイ火事だったんだろうね」


「大火事?」


「伝染病の拡大を恐れた誰かが放火したんじゃないかって。風上の数カ所から火の手が上がった。盛んに燃えても消防には誰からも通報もなくて、消防が動いた時には閉鎖されていた地帯は火の海。手がつけられなかったというよ」


「……殺された」


「まぁ、放火は殺人だからねぇ」


「で、でも、それと私のあれは何が。私、何もしてないよ?」


「当時、その伝染病はね?」

 水瀬君は、軽く石碑に手を合わせると言った。

「他人に感染させると、助かるって思われていたんだって」


「感染?」


「そう。食べ物に菌を混ぜて、何も知らない人に感染させれば、伝染病はそっちに移って、助かるって」


「何それ。か、風邪じゃあるまいし」


「当時の人からすれば、そんな迷信でも縋りたい程、必死だったんだよ。みんな、桜井さんを感染させることで、病気から逃れたかったんだろうね。死んだ後でも」


「死んだ後でも?」


「死者の世界の食べ物を食べると、その世界から帰る事が出来なくなるっていうじゃない。日本神話では“黄泉戸喫よもつへぐい”、似たような神話はギリシアにもあるよね。収穫の女神のデメテルの娘ペルセボネの話」


 さすがにぞっとした。

 ジュース。

 イチゴ。

 あそこにいた人達が持ってきた食べ物。

 それはすべて、私を生かしておかないための毒に等しい存在だとは……。

 た、食べなくてよかった。

 食べたら、生きて帰る事が出来なかったなんて……。

 我慢してよかった。

 よかったけど……。


 ……あれ?


「……ちょっと、待って」


 そう。

 何かおかしい。

 何が?


「何?」


「―――あのね?」

 私は、水瀬君の肩に両手を置き、水瀬君の動きを封じた。

 水瀬君の肩骨がメキメキ悲鳴を上げてるけど気にしない。

「質問に答えて」


 顔面蒼白の水瀬君が何度も頷いた。


「私があの世界で、どうしてそんな状態になっていたか知っているの?私、何も説明していないけど」


「そ、それは―――」


「私がそんな所に迷い込んだってのが、そもそも嘘なんじゃないの?」


「ち、違うもん」


「そうよね」

 私はにこっと笑ってみた。


「そ、そう……」

 すると水瀬君は引きつった笑顔を返してくれた。

 だからすかさず、


「手頃な犠牲者探していたら、偶然私がいたから、“面倒臭いから桜井さんでいいや”みたいなノリでやってのけただけだもんね?」


「そう!面白いスポットがあったから、誰か驚かせてやろうと思ったら、偶然、自転車に乗った桜井さん……が……」

 自信満々に言い出した水瀬君の顔がみるみる蒼くなっていく。


「成る程」

 逃げだそうとした水瀬君を肩でつるし上げ、逃走手段を封じた。

「ジタバタするな」

 ごめんなさい!

 つい出来心で!

 そんな命乞いを始めた水瀬君の言葉は無視して、私は言った。

「―――お楽しみはこれからよ?」




●翌日 葉山の日記より


「おい、桜井」

 珍しく自宅から登校した俺は、夜勤明けの涼子さんからのメールを読み終え、その関係で数人のクラスメートと話をした後、最後に桜井に訊ねた。


「何?」


「公園が血まみれだったっていうけど、お前、何かやったのか?」


「……血まみれって……それでどうして私に聞くの?」


「いやな?涼子さん、夜勤だったんだけど、挽肉状態になった水瀬が病院の焼却炉に放り込まれていたっていうから、綾乃ちゃんかと思ったら、本人は無関係っていうし、ルシフェルさんも知らないっていうか、水瀬って誰?って聞かれたし」


「……生きてるの?」


「ああ。集中治療室から出られないけどな……おい」


「えっ?」


「今、舌打ちが聞こえたぞ」


「そう?石碑で殴り倒すだけじゃ足りなかったかなぁって……」


 俺はもう、何も聞くことが出来なかった。

 水瀬……お前、何をやったんだ。

 


久々に水瀬をぶっとばしてすっきりしました♪

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