方向音痴な彼
息を切らし、懸命に走る。
足は制服のスカートが捲り上がらないように内股気味。肩には分厚い教科書と運動靴の入ったスクールバックを掛け、走るたびに縦に揺れている。少々重いが、陸上部ならではのカモシカのような足で、校内を颯爽と駆ける。
左手の腕時計を覗き見ると、約束の時間まではあと五分の余裕はある。それでも私は急ぐ。あいつは私を待たせるような人間ではない。
予想通り。あいつは仏頂面で、腕組みをしながら校門の柱に寄り掛かっていた。あいつは私の姿に気付くと、口が緩むが、それも一瞬の事。喜びの表情を噛み殺す為に更に表情が硬くなる。
遅いぞ、とこいつは私を詰らない。ついさっき着いたばかりだという態度を、あいつは決して崩さない。頑固で意地っ張り。だけど誰よりも優しい。
こいつより先に、待ち合わせ場所で佇むのが私の今の目標で、その目標を達成できるのは、いつになることやら……。
今日こそは送っていくと聞かないこいつ。帰宅時間が遅くなるからという理由で、私はずっと遠慮していたけど、今日は押し切られる。結構強引だったけど、ほんとは悪くない気分だった。
学校からの帰路を二人で歩いて、会話している時間が、私にとって至福の時間。自然と笑顔になる。その所為で誤解が生まれることもある。
私が、クラスメイトで仲の良い男子の話をすると、あいつは途端に口を閉ざす。何気ない日常の中の、ちょっとした面白さをこんなに笑って、楽しく話せるのはこいつだけなのに。どうしてそれを理解してくれないんだろう。それが、少し煩わしくて、でも嫉妬してくれるのは、やっぱり悪い気はしない。
慌てて話題を逸らすと、元気を取り戻す。そんな単純さが可愛くて、同級生なのにちょっと年下の男の子を虐めている気分。
視線はチラチラ右手にゆく。
ブラブラさせている手を握りたいけど、いつになってもその勇気が出ない。そんな私を思案顔で、どうしたかと尋ねてくる。
なんでもない。と私は笑って誤魔化した。こいつには自分の弱い部分を見せたくない。
手を握るきっかけを失くし、嘆息する。だが、やっぱりまだ早いかな、と傾きかけていた心を持ち直す。
そして、あっという間に私の家に着く。物足りない気分。じゃあな、と言われるが、制服の裾を思わず掴む。
突飛な私の行動に、あいつは戸惑いの表情を浮かべる。ああ、だから嫌だったんだ。私は恐る恐る制服の裾から手を離す。
困らせるつもりなんてなかった。ただ、今日はなぜだか欲張ってしまった。
もう少しだけ傍にいたい、って。
それは、私を家まで送ってくれたからだろうか。よく分からないけど、多分そうなのだろう。
私が離した手を、男らしいゴツゴツした手で力強く握る。ソッポを向きながら微かに頬を染める。
悪い。俺、方向音痴なんだ。道に迷ったから、俺が道分かるところまで送ってくれないか。
下手糞な嘘に私は吹き出す。こいつは普通に方向音痴じゃなかった筈だ。口に手を当て、何度も私は頷く。
なんだよ、そんな笑うことか、と私を咎めるが、喜びを隠すために、私は口に手を当て続けたままだ。
そのまま手を繋ぎながら、スローペースで私は先導する。
……少しでも、一緒にいる為に。