第2話「失われた時代の呼吸」
レオンの指先から注がれた魔力は、星図の中心の窪みから周囲の微細な線へと血液のように行き渡っていった。
黒曜石のような石壁の表面に、淡い金色の光の筋が走り始める。
光は複雑な幾何学模様をなぞりながら瞬く間に壁全体へと広がり、数千年の間眠りについていた巨大な魔力回路を目覚めさせた。
足元の砂が微かに震え、重低音が地中深くから這い上がってくる。
その振動は革のブーツを越えてレオンの足の骨を揺らし、頭蓋の奥まで直接響いてくるような圧倒的な質量感を伴っていた。
アイラは無意識のうちにレオンの外套の裾を強く握りしめ、目を丸くして目の前の現象を見つめている。
壁面の滑らかな部分が、幾つもの不規則な形状のブロックに分かれ始めた。
巨大な石の塊同士がこすれ合う重厚な音が響き渡り、ブロックが前後にスライドしながらゆっくりと左右へ引き込まれていく。
光の文字が投影窓を埋め尽くすほどの速度で流れ続ける。
『扉が開くぞ』
『仕掛けが作動したんだ、信じられない魔法技術だ』
『映像が乱れる、魔力干渉が強すぎるぞ』
アイラは慌てて通信機の出力を調整し、魔力波の干渉から映像を保護するための結界を張り直した。
完全に左右へ開ききった扉の奥には、光を一切反射しない漆黒の闇が口を開けていた。
同時に、内部から淀んだ空気が冷たい風となって一気に吐き出される。
それは長い時間をかけて石室の中で熟成された、乾いた土とカビ、そして金属が酸化したような鋭い匂いを孕んでいた。
レオンはその匂いを顔いっぱいに受けながら、これが歴史の真実に触れる最初の瞬間であることを強く実感していた。
彼は腰のベルトから携帯用の魔力灯を取り出し、スイッチを入れて白い光を灯した。
「行くぞ、アイラ」
レオンが静かに声をかけると、彼女は小さく頷き、自身の肩に掛けた通信機の補助装置をしっかりと握り直した。
「ええ、私の通信機なら地下でも途切れないように調整してあるわ」
二人は慎重な足取りで、巨大な暗闇の入り口へと足を踏み入れた。
足裏には外の柔らかい砂とは違う、平らで硬い石板の感触があった。
魔力灯の光が前方を照らし出すと、そこには驚くべき光景が広がっていた。
そこは単なる洞窟や墓室ではなく、完璧な計算に基づいて設計された広大な回廊だった。
天井は遥か高くにあり、左右の壁には一定の間隔で巨大な柱が整然と並んでいる。
壁や柱の表面は滑らかに磨き上げられ、現代の建築技術でもこれほど狂いのない平面を作り出すことは困難に思えた。
だが、レオンの目を最も惹きつけたのは、建築の美しさではなかった。
回廊の空間のあちこちで、外から吹き込んだ砂粒や、小さな石の欠片が空中に静止して浮遊していたのだ。
レオンは歩みを止め、目の前に浮かぶ親指ほどの大きさの石をつまみ取った。
指を離すと、石は地面に落ちることなく、再び元の位置でふわりと静止した。
「重力が、歪んでいる」
レオンのつぶやきに、アイラが息を呑む音が聞こえた。
「嘘でしょう」
彼女は自身の計測器を取り出し、空間の魔力波長を測定し始めた。
「微弱だけど、空間全体に重力制御の魔法が展開され続けているわ」
彼女の声には、技術者としての純粋な驚愕が混じっていた。
「数千年も前に作られた施設が、何の外部からの魔力供給もなしに、魔法を維持し続けているなんて」
空中の投影窓には、王都の学者たちからの狂乱とも言える反応が滝のように流れていた。
『重力制御だと』
『失われた魔法の最たるものだぞ、それが生きた状態で残っているとは』
『その浮遊している石を持ち帰ってくれ、頼む』
レオンは浮遊する石をいくつか採取袋に収めながら、回廊の奥へと続く暗闇を見据えた。
これほど高度な魔法技術を維持できるということは、遺跡の奥深くに莫大なエネルギーを生み出す動力源が存在するはずだ。
彼は考古学的な見地から、この遺跡が単なる権力者の権勢を示すための墓ではないことを完全に確信した。
「ここは生きている」
レオンは壁に触れ、冷たい石の奥にある微かな脈動を感じ取りながら言った。
「かつての古代人は、この施設を使って何か途方もない規模の実験か、あるいは管理を行っていたに違いない」
アイラはレオンの隣に立ち、魔力灯の光が届かない回廊の奥をじっと見つめた。
彼女の目にも、恐怖よりも知的な探求心が強く輝いていた。
「進みましょう、レオン」
彼女の力強い言葉に、レオンは微かに口角を上げた。
「ああ、歴史の深淵まで付き合ってもらうぞ」
二人の足音が、静まり返った古代の回廊に規則正しいリズムを刻み始めた。
外の砂漠では太陽が昇り始めているはずだが、この地下の空間には光も時間も届かない。
ただ、古代の息吹だけが二人の周囲を静かに包み込んでいた。




