第11話「孤絶の底で繋ぐ命」
捻じ曲がった金属の通路を踏みしめるたびに、足の裏から靴底の革が焦げるような嫌な匂いが鼻を突いた。
創世の炉から吹き付ける熱風は単なる高温の空気ではなく、高密度の魔力が物理的な質量を持ってぶつかってくるような重さを伴っていた。
レオンは姿勢を低く保ち、猛烈な向かい風を肩で切り裂くようにして一歩ずつ前進した。
背後からは、アイラが通信機の残存魔力を振り絞って展開した微弱な青い結界が、二人の身体を熱波から辛うじて守ってくれている。
しかし、結界の表面は絶え間なく打ち付ける熱の波によって激しく波打ち、今にもガラスのように砕け散ってしまいそうな脆さを露呈していた。
「急いで、レオン」
アイラのくぐもった叫び声が、轟音の隙間を縫ってレオンの耳に届く。
「この熱量と魔力干渉の中じゃ、私の結界は長くは持たないわ」
彼女の足取りは重く、自身の魔力を体外へ放出し続けることによる激しい疲労が、その小さな身体を容赦なく蝕んでいるのが背中の気配だけで理解できた。
レオンは振り返ることなく深く頷き、歩みをさらに速めた。
空洞の天井を覆っていた岩盤が、炉の放つ異常な重力波に耐えきれずに次々と剥がれ落ちていく。
家屋ほどの大きさがある岩の塊が、灼熱の空気を引き裂きながらマグマの海へと落下し、巨大な火柱を何度も立ち上がらせた。
そのうちの一つの巨大な破片が、二人の進む細い金属の通路の真上へと真っすぐに落ちてきた。
「伏せろ」
レオンは咄嗟に振り返り、アイラの身体を金属の床に押し倒すようにして自身も低く屈んだ。
直後、通路の数メートル先を巨大な岩の塊が凄まじい速度で通過し、金属の橋を根元からへし折るような凄惨な衝撃音を響かせた。
通路全体が跳ね上がり、レオンの身体が宙に浮きかける。
彼は必死に床の縁にしがみつき、もう片方の腕でアイラの防砂外套を強く掴んで落下を防いだ。
岩が通過した後の通路は無惨にひしゃげ、歩くことすら困難な角度に傾いてしまっていた。
「やっとのことで命拾いしたな」
レオンは荒い息を吐きながら立ち上がり、傾いた床の傾斜を利用して滑り降りるように台座への距離を詰めた。
アイラも痛む膝を庇いながら彼に続き、ようやく二人は巨大な円形の台座の縁に辿り着いた。
台座の表面は、異常な熱によって赤熱し始めており、ブーツの裏から伝わる温度が限界に達しつつあることを告げていた。
レオンはすぐさま、台座の周囲に突き出している黒曜石の石碑の一つへと飛びついた。
石碑の表面には、微かに青白い光を帯びた数万にも及ぶ古代文字が、滝のように絶え間なく流れ続けていた。
それは固定された文章ではなく、炉の現在の状態をリアルタイムで示す複雑な魔力回路の論理式だった。
「これほどの情報量を、どうやって」
レオンは流れる文字の群れに顔を近づけ、自身の脳髄を沸騰させるほどの極限の集中状態に入った。
彼の瞳は文字の動きを完全に捉え、頭の中に蓄積された膨大な古代語の文法規則と、先ほど隠し部屋で得た魔法工学の基礎理論を猛烈な速度で照合していく。
額から流れ落ちる汗が目に入り、視界を滲ませるが、瞬きをする時間すら惜しかった。
彼は無意識のうちに息を止め、流れる論理式の中から「起動」「維持」「加速」といった炉の活動を促す概念の集合体を切り離し、その対極に位置する「停止」あるいは「切断」を意味する構文を必死に探し求めた。
アイラはレオンの背後を護るように立ち、台座に直接両手をついて魔力結界の範囲を広げた。
炉の暴走はさらに激しさを増し、空洞内の魔力密度が致死量に達しようとしていた。
赤いプラズマのうねりが時折台座の表面を舐めるように走り、アイラの張った青い結界と衝突して激しい火花と不快な放電音を撒き散らす。
彼女の顔からは完全に血の気が引き、呼吸は苦しげな喘鳴へと変わっていた。
魔力枯渇の初期症状である激しい頭痛と吐き気が彼女を襲い、視界の端が暗く歪み始めている。
「まだなの、レオン」
アイラの声は弱々しく、今にも風にかき消されてしまいそうだった。
「限界が、もう」
レオンの耳に彼女の悲痛な声が届いた瞬間、彼の視線が一つの複雑な文字の塊を捉えて完全に停止した。
それは他の文字の流れとは異なる、幾重にも暗号化された極めて強固な独立回路だった。
「見つけた」
レオンの枯れた喉から、確信に満ちた声が絞り出された。
「十二の独立した封印回路だ。この回路すべてに、同時に特定の魔力波長と停止の暗号を流し込めば、炉への魔力供給を強制的に遮断できる」
彼は石碑の表面を指でなぞりながら、振り返ってアイラを見据えた。
「だが、問題がある。この十二の回路は、それぞれ完全に異なる論理構造を持っている。人間の脳と一つの魔力器官では、同時に処理することは不可能な構造だ」
レオンの言葉の意味を理解し、アイラは痛みに顔を歪めながらも、その瞳に鋭い光を取り戻した。
「人間の脳では不可能でも、私の通信機なら出来るわ」
彼女は震える手で自身の背に負った通信機の補助装置を引き寄せた。
「この装置の並列演算機能を極限まで引き上げて、私の魔力回路と完全に同調させる。レオン、あなたが暗号の構造を読み上げて。私がそれを魔力の波長に変換して、十二の回路に同時に叩き込む」
それは、自身の精神を機械の処理速度に無理やり追従させるという、狂気にも等しい極めて危険な行為だった。
少しでも同調のタイミングがずれれば、アイラの脳の神経回路が焼き切れ、二度と意識を取り戻すことはなくなるだろう。
だが、他に選択肢は残されていなかった。
「分かった」
レオンは石碑に刻まれた十二の暗号を記憶の底に焼き付けながら、アイラの隣へと膝をついた。
巨大な創世の炉が、まるで二人の試みに気づいたかのように、これまでで最も巨大な魔力のうねりを上げ、真紅の波となって台座へと迫り来る。
世界を終わらせる巨大な力と、それに抗う二つの小さな命の、最後の絶望的な綱引きが始まろうとしていた。




