File.04【後編】:隠し要件定義と、島流しへの強制マイグレーション
§ 順調な稼働
「長崎からわざわざお疲れ様です」
「いえ、出張のついでなので全然。来られて良かったです」
会話が弾んだ。声のトーンも、話すテンポも、ちゃんと顔と合っている。今までのトラウマが走馬灯のように脳裏をよぎったが、今回は大丈夫だった。
消防士の仕事の話を聞いた。体力的にきつい日もあるけれど、やりがいがある、と話す顔が良かった。写真通りのイケメンが、真剣な顔で仕事の話をしている。向かいの席で。私と二人で。
久しぶりに、まともなデートをしている気がした。
料理も美味しかった。会話も途切れなかった。ここまでは、完璧だった。
§ 隠しパラメータの開示①——島
「長崎のどの辺りですか?」
ふとした流れで聞いた。長崎市内なら福岡からもアクセスしやすい。新幹線も通ったし、距離的には全然問題ない。東京―福岡間の遠距離を経験した私にとって、長崎なんて隣町みたいなものだ。
「あ、実は島なんですよ」
「島?」
「フェリーでしか行けなくて」
フェリーでしか、行けない。
私は笑顔を保ったまま、脳内でそっと試算した。福岡から長崎まで移動して、さらにフェリーに乗る。物理的に隔離された環境。アクセス経路がフェリー一本。
まあ、でも。遠距離でも、会いに行く手段があれば問題ない。そう自分に言い聞かせた。
「そうなんですね。島、いいですね」
愛想よく返した。内心は少し動揺していたけれど。
§ 隠しパラメータの開示②——キャリアの全取っ替え
会話が続く。
彼が、笑顔で言った。
「実は今の仕事、辞めようと思ってて」
「え、そうなんですか」
「介護の仕事に就こうと思ってて」
私は、ワインのグラスを持ったまま止まった。
消防士を辞める。島で介護職に就く。
とんでもない情報が、一気に流れ込んできた。
介護職は、立派な仕事だ。素晴らしい仕事だ。それは本当にそう思う。でも待って。大分の彼の顔が一瞬よぎった。あの、看護助手の。介護系と書いた。あのトラウマが。
いや、それは関係ない。落ち着け、真琴。
でも、待って。
彼と付き合う、ということは。結婚する、ということは。
私の脳内で、恐るべきシミュレーションが静かに起動し始めた。
§ 真琴が導き出した要件定義
まず、福岡のキャリアを捨てる。
CSマネージャーの職を辞して、フェリーでしか行けない島へ移住する。
転職したての介護職の夫と、島の暮らし。知り合いゼロ。コンビニがあるかどうかも不明。フェリーが欠航したら、本土へ出られない。
無理だ。
無理、無理、無理、無理。
どんなにハードウェアが良くても、稼働環境が過酷すぎる。180cmの消防士という、これ以上ないスペックのハードウェアを前にしながら、私は静かに、しかし確実に結論を出した。
私のシステム要件には、合わない。
「応援してます! 介護の仕事、大変だと思いますけど、向いてそうですよね」
笑顔で言った。我ながら完璧な大人対応だった。
§ 謎の終了プロトコル
食事を終えて、店の外に出た。
夜の博多の風が少し冷たかった。さて、と思った瞬間、彼が右手を差し出してきた。
握手だった。
デートの別れ際に、握手。
ハグでも、「また会いたい」でも、「連絡するね」でもなく、まっすぐに差し出された右手。業務終了の握手。完全なる通信切断のプロトコル。
私もまっすぐに右手を出した。
「お疲れ様でした」という気持ちで、しっかり握り返した。
「じゃあ、フェリーの時間があるんで!」
そう言って彼が向かったのは、タクシー乗り場でも、駐車場でもなかった。
真っ赤なメルチャリだった。
180cmの長い脚を、小さな自転車に窮屈そうに折りたたんで、夜の博多の街へキコキコと走り出した。博多港に向かって。フェリーに向かって。島に向かって。
私はその後ろ姿を、しばらく見送った。
さようなら、島へ帰る高スペックサーバー。
私とは、稼働環境が合わなかった。
§ 再びランチタイムへ
「……メルチャリで博多港に向かったんですか」
美桜ちゃんが、お弁当の蓋を持ったまま固まっている。
「そう。キコキコって」
「180cmが」
「180cmが」
「メルチャリで」
「メルチャリで」
しばらく二人で沈黙した。
「握手はなんだったんですかね」
「私も考えたけど、わからなかった。ただの業務終了の挨拶だったと思う」
「デートで業務終了……」
「まあ、お互い様だったからね。私も心の中ではとっくに終了してたし」
美桜ちゃんがようやくお弁当の蓋を閉じた。食欲がなくなったらしい。
「先輩、島の話を聞いた時、どう思ったんですか」
「0.5秒で無理だと思った」
「早っ」
「だって、フェリーでしか行けない島よ。しかも消防士辞めるって言ってるし。大分のトラウマもあるし」
「大分……あ、介護職」
「そう。介護の話が出た瞬間、大分の青い軽自動車がフラッシュバックした」
美桜ちゃんがうつむいて笑った。
「真琴さんのPTSD、根深すぎる」
「仕方ないでしょ。刻み込まれてるんだから」
私はアプリを開いて、静かに右にスワイプした。
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