File.09【後編】:オアシスの無停電電源(UPS)と、絶対に消えない根っこ
§ 造園業の親方による異常検知
インターホンを押した人間が誰なのか、考える余裕もなかった。
ドアを開けた。
蓮くんが立っていた。スポーツドリンクが2本、ゼリーが何個か、コンビニの袋を両手に提げて。
「なんで」
声が出た。自分でも思っていたより、かすれた声だった。
「仕事のトラブルって言ってたけど」と蓮くんが言った。「真琴さん、LINEの文章、いつもより句読点少なかったし、レスポンスのタイミングも変だったから」
「……それだけで?」
「嘘ついてるな、絶対熱出してるなって思った」
私は返す言葉がなかった。
LINEの句読点。レスポンスのタイミング。私が必死に取り繕った「仕事のトラブル」という嘘を、彼はその小さな違和感だけで見抜いていた。画面の向こうの人間の感情を読むのは私の仕事のはずなのに、私自身の嘘は、造園業の親方にあっさり看破されていた。
「入っていい?」
「……どうぞ」
§ 温かいお粥
蓮くんはキッチンに立って、お粥を作り始めた。
私はソファに座って、その背中を見ていた。熱のせいで頭がぼんやりしていた。なんでここにいるんだろう、という気持ちと、来てくれてよかった、という気持ちが、ぐるぐると混ざっていた。
「ありがとうございます」と言った。
「いいよ、そんな」と彼は振り返らずに答えた。
鍋の中でお米がゆっくり煮えていく音がした。静かだった。一人でいる時の静けさとは、違う静けさだった。
しばらくして、お粥が出来上がった。蓮くんが器に盛って、テーブルに置いてくれた。
「食べられそう?」
「食べます」
一口食べた。体に沁みた。
涙が出た。
こらえようとしたけれど、熱のせいなのか、疲れているせいなのか、止まらなかった。蓮くんは何も言わずに、隣に座っていた。
§ トラウマの告白
「ごめんなさい」と私は言った。
「なんで謝るの」
「嘘ついたから」
「うん」
「仕事のトラブルじゃなくて、熱が出てて。でも、言えなくて」
「なんで言えなかったの」
聞き方が、責めていなかった。ただ純粋に、知りたいという聞き方だった。
だから、話せた。
「昔、急に連絡が取れなくなった人がいて」
ぽつぽつと話した。ある日突然消えた人のこと。何のエラーメッセージも残さずに、いなくなったこと。どこで間違えたのかわからないまま、ずっと自分を責め続けたこと。それから、弱みを見せることが怖くなったこと。
蓮くんは黙って聞いていた。
「嫌われるのが怖かった。重いと思われたら、また消えてしまうかもしれないって。だから熱があっても、一人でなんとかしようと思って」
言葉にしながら、自分でも初めて整理できた気がした。ずっと体の奥に沈めていたものが、熱のせいで表面に出てきていた。
蓮くんが、静かに立ち上がった。
冷蔵庫から冷えピタを持ってきて、私のおでこにそっと貼った。
ひんやりとした感触がした。
§ 絶対に消えない根っこ
「俺さ」と蓮くんが言った。
隣に座って、少し考えてから、続けた。
「切られても切られても、その場に生え続ける木を相手にしてるんだよ、毎日」
「……うん」
「嵐が来ても、剪定されても、ちゃんとまたそこに生えてくる。根っこがあるから」
私は冷えピタを貼ったまま、彼の顔を見た。
「俺は急に消えたりしない。真琴さんのところに、ちゃんと根っこ張るから。だから安心して倒れてて」
声が、穏やかだった。造園業の親方が、毎日木と向き合いながら培ってきた言葉だと思った。急に消えた人が残したどんな言葉よりも、この人の言葉が、今の私には届いた。
「……根っこ、張ってくれるの」
「張る。もう張り始めてるから」
また涙が出た。さっきとは少し違う涙だった。
ずっと着ていた鎧が、するっと脱げていく感じがした。弱みを見せたら消えてしまうという恐怖が、少しずつ、溶けていく感じがした。
「ありがとう」と言った。
「お粥、もう少し食べて」と彼は言った。
§ 安心して眠りにつく
お粥を食べて、解熱剤をもう一錠飲んだ。
蓮くんはソファに座って、静かにスマホを見ていた。帰る気配がなかった。私はそれを咎めなかった。咎めなくていいと、体がわかっていた。
「眠っていいよ」と彼が言った。
「うん」と私は答えた。
布団に潜った。目を閉じた。
一人でいる時の静けさじゃない静けさの中で、意識がゆっくり遠のいていった。
最後に、ぼんやりと思った。
根っこ、か。
根っこがある木は、嵐が来ても消えない。切られても、また生えてくる。私のところに根っこを張ると、この人は言った。
それだけで、こんなに安心して眠れるのか。
〔File.09:ファイアウォール、完全解除。ルート権限、譲渡済み〕




