File.07【後編】:オアシス男子のバグ修正(パッチ適用)
§ 予期せぬ着信
画面に「蓮くん」と表示されていた。
電話だ。メッセージじゃなくて、電話だ。
一瞬、変な汗が出た。CSマネージャーの職業病が、反射的に起動した。電話というのは、緊急の用件か、テキストでは伝えにくいことがある時にかかってくるものだ。つまり——
何かクレームがあるのか。私、何かした? 地雷を踏んだ? 既読がつかないことを責めようとしてる? いや、既読がついてないのは向こうだけど、でも何か——
「もしもし」
慌てて出た。
「あ、ごめん夜分に!」
蓮くんの声がした。穏やかで、少し申し訳なさそうで、でもどこかほっとしたような声だった。
「今日、高い松の木の上でずっと作業してて。スマホを下に置いてたから、全然見れなくて」
松の木の上。
私はソファの上で、力が抜けていくのを感じた。
「連絡できなくてごめんね。声聞きたくて、電話しちゃった」
声聞きたくて。
その一言が、じわっと染み込んできた。半日既読がつかなかった理由は、松の木の上にいたからだった。それだけだった。クレームでも、地雷でも、気持ちが冷めたわけでもなかった。ただ、松の木の上にいたからだった。
「よかった……」
口から出た。思っていたより素直に出た。
「え?」
「あ、ごめんなさい。なんか、ほっとして」
§ 本音の吐露
しばらく他愛ない話をしながら、私の口は勝手に動いていた。
「私ね、連絡来ないとすぐ不安になっちゃうタイプで」
言ってから、少し後悔した。重いかな、と思った。でも止まらなかった。
「頭ではわかってるんです。現場仕事だから返せない時もあるって。でも既読がつかないと、なんか悪いことしたかなとか、嫌われたかなとか、考え始めちゃって。で、追いLINEしそうになるのを必死に我慢して……」
「……我慢してたの? 今日」
「してました。引き出しにスマホしまったり、伏せたりしながら」
蓮くんが笑った。声に出して、くすっと笑った。責めているわけじゃなくて、なんか愛おしいものを見るような笑い方だった。
「面倒なタイプって言いたかったんですけど」と私は続けた。「自立した大人でいなきゃって、ずっと自分に言い聞かせてて」
「誰が言ったの、自立しなきゃって」
「……え?」
「真琴さんが不安になるのって、普通じゃない? 俺だって、返信できない時間が長くなると、ちゃんと伝えなきゃって気になるし」
§ パッチ適用
少しの間があって、蓮くんが続けた。
「我慢しなくていいよ」
「でも重くなるのが嫌で」
「俺、木の上にいる時は返せないけど。真琴さんからの連絡なら、何件溜まってても嬉しいから。好きな時に送って。地上に降りたら全部ちゃんと読むから」
私は、しばらく何も言えなかった。
何件溜まってても嬉しい。地上に降りたら全部読む。
それだけの言葉なのに、長い間私を縛っていた何かが、するっと解けた気がした。重い女だと思われたくない。依存していると思われたくない。自立した人間でいなきゃ。そういう鎧を、ずっと着ていたことに気づいた。
「……ありがとうございます」
「なんで敬語なの」
「なんか、感動してしまって」
また蓮くんが笑った。今度はもう少し長く笑った。
「感動することでもないけど。ただ、思ったことを言っただけだから」
思ったことを言っただけ。
それが一番難しいのに、この人はさらっとやってのける。造園業の親方は、木を相手にしているから余計なことを考えないのかもしれない。飾らなくていい相手と毎日向き合っているから、人間に対しても余計な駆け引きをしないのかもしれない。
「また近いうちに会いたいな」と彼が言った。
「私も」と私は答えた。
今度は、敬語じゃなかった。
電話を切って、ソファに深く沈み込んだ。
引き出しの中のスマホを取り出した。アプリは、開かなかった。
代わりに、さっきまで既読がつかなかったLINEのトークを開いた。蓮くんからの返信が来ていた。電話の後に送ってきたらしかった。
「今日も一日お疲れ様でした」
それだけだった。
それだけで、十分だった。
〔File.07:パッチ適用完了。システム、安定稼働中〕




