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File.06【後編】:究極のファイアウォール(光合成)と、平和すぎる稼働環境

§ 光合成は俺がしておくよ


席に座ろうとした瞬間、彼の手がスッと伸びてきた。


「そっちまぶしいでしょ? こっちに座って。光合成は俺がしておくよ」


私は、一瞬動きを止めた。


直射日光の当たる側の席を、さりげなく自分が引き受ける。それだけなら普通の気遣いだ。でも「光合成は俺がしておくよ」という一言が、恩着せがましさをゼロにして、笑いに変えた。造園業の親方が言うから成立する、完璧なジョークだった。


「ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて」


席に座りながら、私は心の中で静かに思った。


大分の彼は、遠方から来たゲストに上座(ソファ席)を譲らなかった。蓮くんは、直射日光の当たる席を自分から引き受けた。同じテーブルを挟んで向かい合っているだけなのに、全く違う世界がそこにあった。


メニューを開いた。パスタとピザを一つずつ注文して、自然にシェアした。「シェアしましょうか」という確認もなく、「これ食べていいですか」という許可取りもなく、ごく当たり前のように二人分の料理が並んで、当たり前のように取り分けた。


大分の2,000円が、遠い昔のことのように思えた。


§ 快適なルーティング


食事を終えて、また車に乗った。


糸島の海岸線を走りながら、特に目的もなくドライブした。どこに行くか決めていなかったけれど、それでよかった。海沿いの道に、小さな雑貨店が見えた。


「ちょっと寄ってみますか」


「いいですね」


店の中をぶらぶらした。彼が何かをじっと見ている。私も別のものを見ている。「これ可愛いですね」「ほんとだ」という他愛ない会話が、ぽつぽつと続く。急かされることも、リードされすぎることも、放置されることもない。ただ同じ温度感で、同じ空間にいた。


日野市役所職員のことを、ふと思い出した。モスバーガーと、18時の「これ飛んだな」という確信と、コンビニの酒と。


今日は、同じ人間とのデートとは思えないくらい、穏やかだった。


§ 隠しスペックの解放


「ちょっと休憩しませんか」と蓮くんが言って、海辺のカフェに入った。


メニューを眺めていると、彼が少し照れくさそうに言った。


「俺、実は甘いもの大好きで」


「え、そうなんですか」


「なんか言いにくくて。40歳のおっさんがって感じでしょ」


「全然そんなことないですよ。何頼むんですか」


彼はメニューをもう一度見て、少し迷ってから言った。


「あまおうパフェにします」


運ばれてきたのは、思っていたより大きくて、思っていたより可愛らしいパフェだった。真っ赤なあまおうが、てっぺんにたくさん乗っていた。


日焼けした、40歳の造園業の親方が、そのパフェをスプーンで掬って、本当に嬉しそうに食べた。


私はコーヒーを持ったまま、しばらくその光景を眺めていた。


……何なんだ、この平和な世界は。


大分まで高速バスで3時間行って、ソファ席を奪われた日があった。猫になって消えた帰国子女がいた。14時のモスバーガーで一人ランチをした羽田があった。メルチャリで博多港へキコキコ走り去った消防士がいた。結婚モジュールが実装予定なかった彼がいた。


それが全部、今日の景色と同じ世界の話とは思えなかった。


海が見えて、甘いパフェがあって、日焼けした人が嬉しそうに笑っている。


ただそれだけのことが、こんなに穏やかなのか。


「美味しい?」


「めちゃくちゃ美味しい。食べます?」


スプーンをこちらに向けてくれた。


「いただきます」


あまおうは、甘くて、少し酸っぱかった。


§ 再びランチタイムへ


「……光合成は俺がしておくよ、って言ったんですか」


月曜日の昼休み。美桜ちゃんが目を輝かせている。


「言ったの。しかもめちゃくちゃさらっと」


「天才じゃないですか」


「でしょ」


「島に連れて行かれなかったですね」


「糸島だから」


「写真と別人でもなかったですね」


「別人じゃなかった」


「名前も間違えられなかったですね」


「一度も間違えられなかった」


美桜ちゃんがにっこりした。


「真琴さん、楽しそうですね。顔が違います」


私は少し黙った。


「エラーが一つもなかった。それだけで、こんなに違うんだなって思った」


「また会うんですか?」


「うん」


美桜ちゃんがフラペチーノを一口飲んで、嬉しそうに笑った。


「よかったです。真琴さんに全件エラー以外の話をしてほしかったので」


「まだ全件エラーじゃなくなったとは言えないけどね」


「でも、今日の真琴さんの顔、全件エラーの顔じゃないですよ」


窓の外に、冬の光が差し込んでいた。


私はスマホを取り出した。でも今日は、アプリを開かなかった。


代わりに、蓮くんへのLINEを開いた。


「先週はありがとうございました。楽しかったです」


既読がついた。すぐに返信が来た。


「こちらこそ。また行きましょう」


また。


その一言を読んで、私は静かに笑った。


〔File.06:正常稼働中〕

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