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File.01【前編】:片道3時間の遠隔サポートと、青い軽自動車のバグ

「真琴さん、週末どうでした?」


月曜日の昼休み。オフィス街のカフェで、後輩の美桜ちゃんがフラペチーノのストローをくわえたまま私を見ている。


「……高速バスの振動と、自分の見る目のなさに酔ったわ」


「え、どういうことですか?」


どういうこと、か。うまく説明できる気がしなかった。強いて言うなら、私は先週末、片道3時間かけて大分まで行き、2,000円を支払い、ソファ席を奪われ、バレンタインのチョコを渡せずに帰ってきた。それだけだ。


そう、それだけ、なのだが。


§ マッチング発生——そして静かな上方修正が始まる


遡ること2週間前。


私の本業は、ゲーム会社のカスタマーサポート部門のマネージャー。毎日、画面の向こうのユーザーが踏んだエラーを処理し、「マイナスをゼロに戻す」ことを生業としている。冷静で、論理的で、感情に流されない。……仕事では。


問題はプライベートだ。


マッチングアプリを開いた私の目に飛び込んできたのは、一人の男のプロフィールだった。


大分在住、47歳。職業:介護系。年収は……まあ察して。でも、写真の笑顔がいい。年齢の割に若々しい。そしてプロフィール文にこう書いてあった。


「患者様や利用者様にお礼を言われたとき、やりがいを感じています。ゆくゆくはケアマネ等の資格を取り、いろんな人の役に立てればと思い頑張ってます」


私の脳内で、なにかが静かに起動し始めた。


「介護職。=ホスピタリティが高く、本質的に優しい人間である可能性が高い」 「資格取得を目指している。=向上心がある」 「やりがいを語れる。=仕事に誇りを持っている」


右にスワイプした。


§ 1日1往復、丁寧なバグの蓄積


メッセージのやり取りが始まった。1日1往復、ゆっくりとしたペースで。


「今日はお仕事ですか?」 「今日は夜勤です」


そっか、介護は夜勤があるんだよね。忙しい中、ちゃんと返してくれている。


「介護のお仕事、もう長いんですか?」 「15年経ちましたねー」


15年。同じ仕事を15年。それだけで私の中の評価が、音もなく上がっていった。


好きな食べ物の話になった。


「鶏肉が好きで、焼き鳥大好きなんです」 「鶏なら大分はとり天や唐揚げなどいろいろありますよ」 「今度おすすめのお店に連れて行ってください」


社交辞令のつもりだった。本当に。


「いいですよー!大分は海鮮類も豊富ですよ。もし大分に来られた際は案内しますよ。今月なら13、14日の土日は休みです」


私はその日の夜中、スマホの画面を見つめた。


13日……14日……。


14日って、バレンタインじゃないですか。


そして時刻は、深夜0時を過ぎていた。


人間の判断力が最も低下する時間帯。睡眠不足が論理的思考を侵食し、なぜか万能感だけが増幅される、あの時間帯に。


「よし。行ってみるか」


こうして私の大分遠征は、社交辞令への「いいですよー!」と、深夜0時の謎テンションによって決定された。しかもバレンタインデーに。手ぶらで行くのもどうかと思い、翌日、近所のケーキ屋さんで3,000円のチョコレートを購入した。


この時点ですでに致命的なエラーが進行していたことに、私はまだ気づいていなかった。


§ 朝5時半、出撃


当日。アラームが鳴った。5時半。


睡眠不足でHPをすでに削られながら、私は8時の高速バスに乗り込んだ。窓の外の景色が九州の山間を抜けていくのをぼんやり眺めながら、3,000円のチョコレートをトートバッグに忍ばせ、約3時間。大分駅に到着した。


「着きました」とメッセージを送ると、すぐに返信が来た。


「出口出て左側の道で青色の軽です。ナンバーは〇〇〇〇」


軽……。


まあ、いいか。車の排気量は人間性とは関係ない。私はCSマネージャーだ。先入観でユーザーを判断してはいけない。そう自分に言い聞かせた。


青い軽自動車が駅前に滑り込んできた。私は助手席のドアを開け、乗り込んだ。そして。


「はじめまして」


「はじめまして」


……ん?


あれ?


写真と、だいぶ、違う、な。


顔をじっくり見るのも失礼かと思い、私は前方を向いたまま「よろしくお願いします」と言った。でも脳内はフル回転していた。あの写真は、いつのデータなんだろう。10年前? 15年前? キャッシュのクリアを一切していない、古いスナップショット?


「ランチはお肉と海鮮どっちがいいですか?」


「海鮮が食べたいです!」


「海鮮丼が美味しいお店があるのでいきましょう」


まだ、ある。まだ脈は、ある。海鮮丼という希望が、私の中で小さく点滅していた。でも走り出した車の中で、私は会話を試みた。


「お仕事、介護関係とプロフィールに書いてありましたよね。どんなお仕事されてるんですか?」


少しの間があった。


「……看護助手です」


「あ、なるほど。看護師さんではなくて?」


「看護師、とは書けないじゃないですか。だから介護系って書いたんです」


沈黙。


私の中のCSセンサーが、ピコン、と静かに反応した。


〔エラーコード:プロフィール仕様と実装の不一致を検知〕


なぜ看護師を目指さないのか。矢継ぎ早に問いたい気持ちを抑えながら、私は窓の外に広がる大分の景色を眺めた。


でも、ここまで来たんだ。


海鮮丼は、絶対に食べてやる。


(後編へ続く)

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