第1話:『花街の薬師見習い』
花街の朝は、薄明かりの中で始まる。香ばしい薬草の匂いが路地を満たし、蒸気に混ざった湯気が石畳を湿らせる。結菜――いや、ユイナと名乗る少女は、今日も小さな薬壺を抱え、店先に並ぶ草や根の状態を一つ一つ確かめていた。
「ん……この甘草は昨日より乾燥が足りないな。」
指先で葉の感触を確かめながら、彼女は小さな声で呟く。薬屋の修行を始めて五年、観察眼だけは誰にも負けない自信があった。
だが、その日、彼女の生活は一変した。店の奥から、黒衣の男が現れたのだ。顔は仮面のように無表情で、手には小さな巻物を握っている。
「結菜……後宮へ。」
言葉は短く、冷たかった。理由は問えない。慌てる暇もなく、ユイナは見覚えのない馬車に押し込まれ、都の中心へと運ばれた。
後宮に着くと、そこは噂に聞くよりも広大で、静かに重々しい。少女たちの囁き、侍女の足音、奥深くから漂う薬草と薬品の匂い……。ユイナは思わず笑った。ここなら、自分の知識を無駄にせず、すべてが“観察”の対象になる。
「面白くなりそうね……」
その夜、初めての勤務で、側近の青年が突然痙攣を起こした。柔らかい寝台に横たわる彼の手足が震え、額には冷や汗が光る。ユイナは息を呑み、手元の薬壺を握った。
彼女の目はすでに、ただの“病気”ではない何かを探していた。