29歳の「行き遅れ」と婚約破棄した騎士団長は、国宝級聖女の誕生に気づかない
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アストリア王国の社交界は、色鮮やかな花々が咲き乱れる庭園に例えられる。けれど、その庭には掟があった。最も美しいのは、蕾がほころび始めたばかりの若く瑞々しい花。十年、二十年と咲き続ける花に価値はない。
人々は常に新しい輝きを求め、盛りを過ぎた花には冷たい視線を送るのだ。
今年で29歳になる伯爵令嬢、セレスティア・ファルンハイムは、自分がその「盛りを過ぎた花」であることを、痛いほど理解していた。
「まあ、セレスティア様。まだ独り身で夜会にいらっしゃるなんて、ご熱心ですこと」
「本当に。アルフォンス騎士団長という素晴らしい婚約者がいらっしゃるのだから、もう表に出てくる必要もないでしょうに」
私も今日なぜ夜会に呼ばれたのかわからない。
でも、扇の影で交わされる囁き声は、毒針のようにセレスティアの心を刺す。彼女の耳朶に届くように、わざとらしく調整された声量。
振り向けば、そこには10歳以上も年下の、きらびやかなドレスに身を包んだ令嬢たちがいた。肌には宝石のような艶があり、その瞳は残酷なまでに無垢な輝きを放っている。
アストリア王国では、魔法の才能が10代後半で発現し、20歳にはその人間の価値がほぼ確定する。ゆえに、有力な貴族たちは皆、まだ若く将来性のあるうちに婚姻を結ぶ。それがこの国の常識であり、絶対の価値観だった。20代も半ばを過ぎれば「売れ残り」。25歳を越えれば「行き遅れ」。
そして、30歳を目前にしたセレスティアに与えられた称号は――「出来損ない」だった。
彼女の魔力は、いつ測定しても「平均以下」。際立った才能もなく、ただ伯爵家という家名だけが、かろうじて彼女の存在を社交界に繋ぎとめていた。
そんな彼女に、唯一手を差し伸べてくれたのが、婚約者であるアルフォンス・グレイラットだった。騎士爵の家から一代で騎士団長の地位までのし上がった、若き英雄。
彼が25歳の時、4つも年上の、しかも何一つ取り柄のない自分に婚約を申し込んでくれたことは、セレスティアにとってまさに奇跡だった。
(仮に伯爵の血筋が欲しかったとして、アルフォンス様には、感謝してもしきれないわ…)
だから、彼に尽くした。彼の地位に箔をつけるため、伯爵家として資金援助を惜しまなかった。彼の好む食事を学び、彼の鎧が常に輝いているよう手入れを欠かさなかった。
いつか、彼の隣で「出来損ない」ではない、本当の妻として認めてもらえる日を夢見て。
だが、その夢が砂上の楼閣であったことを、彼女は今夜、知ることになる。
◇
国王主催の夜会は、その年の社交界で最も華やかな舞台だった。シャンデリアの光が磨き上げられた大理石の床に反射し、無数の宝石となってきらめいている。そんな喧騒の中心で、アルフォンスがセレスティアの手を強く掴んだ。
「セレスティア、こちらへ」「アルフォンス様?」
彼の力強い腕に引かれ、戸惑いながらも楽団が演奏する壇上へと導かれる。周囲の視線が一斉に集まるのを感じ、セレスティアの心臓が不安に脈打った。
何か、素晴らしい発表でもあるのだろうか。結婚の日取りが決まったとか?そんな淡い期待は、次の瞬間、無慈悲に打ち砕かれた。
アルフォンスは演奏を止めさせると、朗々とした声で言い放った。
「皆に聞いてもらいたい! 私、アルフォンス・グレイラットは本日をもって、セレスティア・ファルンハイム嬢との婚約を破棄する!」
シン、とホールが静まり返る。全ての音が消え、ただアルフォンスの声だけが反響した。セレスティアの頭は真っ白になり、彼の言葉の意味を理解するのに数秒を要した。
「……え? アルフォンス様、どうして…? 何かの冗談でしょう?」
「冗談などではない!」
アルフォンスは忌々しげに彼女の手を振り払う。その瞳には、かつての優しさなど微塵もなく、侮蔑の色だけが浮かんでいた。
「理由など明白だ! 29にもなって、君は何一つ才能を開花させなかった! 治癒魔法も、精霊魔法も、錬金術のかけらさえない! そんな平凡以下の女が、次期侯爵と目される私の隣にいては、我が家の発展の足枷にしかならん!」
彼の言葉は、鞭となってセレスティアの心を打つ。事実だった。何も言い返せない。
すると、アルフォンスの隣に、一人の可憐な少女が寄り添った。男爵令嬢のリナリア。齢18にして希少な【治癒魔法】の才能を開花させ、「神童」と持て囃されている少女だ。彼女は勝ち誇った顔で、セレスティアを見下した。
「これからのアルフォンス様に相応しいのは、私ですわ。若さと、未来ある才能を持つ私が。ねえ、アルフォンス様?」
「ああ、その通りだ、リナリア。君こそ未来の騎士団長夫人に相応しい!」
リナリアは、憐れむような声で追い打ちをかける。
「セレスティア様。もう良いお歳なのですから、若い私たちのために身を引くのが優しさというものではなくて? これからは静かにご隠居なさるのがよろしいかと思いますわ」
『おば様』という言葉だけが、唇の動きで読み取れた。
ホールは再びざわめきを取り戻す。だが、それはセレスティアへの同情ではなかった。
「まあ、29歳では仕方ないわね…」「若い才能を選ぶのは、貴族として当然の判断だろう」「そもそも、アルフォンス様がなぜあのような行き遅れの令嬢と婚約していたのかが謎だったのだ」
冷たい声、好奇の視線、憐れみの眼差し。その全てが、無数の針となってセレスティアの全身に突き刺さる。世界から拒絶されたような孤独感。足元が崩れていく。
彼女は、唇を強く噛みしめ、溢れ出しそうな涙を必死に堪えた。ここで泣き崩れることだけは、彼女に残された最後のプライドが許さなかった。誰にも見られないよう、俯きながら背を向け、震える足で一歩、また一歩と、逃げるようにその場を後にした。
背後で聞こえるアルフォンスとリナリアの勝ち誇った笑い声が、彼女の心を完全に砕いていった。
人気のなくなったテラスに逃げ込み、冷たい夜風に当たってようやく息をつく。涙を見せたくなくて、必死に空を見上げた。星のない、暗い夜空だった。
「…やはり、ここにいらっしゃいましたか」
不意に背後からかけられた声に、セレスティアはびくりと肩を震わせた。振り返ると、柱の影に漆黒のローブを纏った人影があった。王宮魔術師団の長、ユリウス・アークライト。銀縁の眼鏡の奥で、彼の紫色の瞳が静かにこちらを見据えている。
「ユリウス様…。私の無様な姿を、お見せしてしまいましたね」
自嘲気味に微笑むセレスティアに、ユリウスはゆっくりと首を横に振った。
「無様なのは、あなたではない。見る目のない愚か者の方だ」
彼の言葉は、予想外に穏やかで、それでいて確信に満ちていた。
「私は、常々あなたのことを観察していましたよ、セレスティア嬢。あなたは、魔力測定では常に『平均以下』とされている。だが、私の目にはそうは映らない」
ユリウスは一歩近づき、セレスティアの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「あなたの魔力は、低いのではない。深すぎるのだ。あまりに巨大な湖が、その水面の静けさゆえに浅い沼と勘違いされているように。あなたの内には、国ひとつを揺るがすほどの力が眠っている。ただ、その力を解き放つ『鍵』が見つかっていないだけだ」
「私の…中に…力が…?」
信じられない、という顔をするセレスティアに、ユリウスは静かに頷く。
「才能の開花時期には個人差がある。世間の常識など、絶対ではない。アルフォンスは、足元に転がる世界最大のダイヤモンドを、ただのガラス玉だと思い込んで捨てた。それだけの話です」
ユリウスの言葉は、荒唐無稽なはずなのに、不思議な説得力があった。それは彼が、社交界の噂や常識ではなく、セレスティアという人間そのものを見て語っているからだろう。凍てついていた心が、ほんの少しだけ、温かくなるのを感じた。
「…だとしても、もう遅いのです。私は婚約を破棄され、社交界の笑い者になりました。私の居場所は、もうどこにも…」
「居場所なら、私が作りましょう」
ユリウスはきっぱりと言い放った。
「私の研究室に来なさい。あなたの才能を開花させる手伝いをします。そして、世界に証明してやるのです。真の価値は、若さや見せかけの才能などでは決まらないということを」
彼はセレスティアに手を差し伸べた。その手は、アルフォンスのような力強さはないが、迷いのない、確かな温もりを持っていた。
「さあ、行きましょう。あなたの本当の物語が始まる場所へ」
セレスティアは、戸惑いながらも、その手を取った。それは、絶望の淵から彼女を引き上げる、一本の蜘蛛の糸のように思えた。
ユリウスの研究室は、王宮の片隅にある塔の最上階にあった。天井まで届く本棚、雑然と置かれた実験器具、そして壁にかけられた難解な魔法陣。そこで、セレスティアの新たな日々が始まった。
ユリウスは、彼女に古代魔法の理論や、常識とは異なる魔力制御の方法を教えた。
「あなたの魔力は巨大なダムのようなもの。今は、その放水口が小石で塞がっているに過ぎない。無理にこじ開けようとせず、まずは水の流れを、その存在を感じるのです」
セレスティアは彼の指導のもと、瞑想を続け、自身の内なる魔力と向き合った。それは、今まで誰も教えてくれなかったアプローチだった。
数週間が過ぎた頃、彼女の中で何かが変わり始めた。体の奥底で、巨大な何かが脈動しているのを感じるようになったのだ。
そして、運命の日が訪れる。「今日は、最終段階です」
ユリウスは、一つの古びた聖杯を彼女の前に置いた。
「これは、持ち主の魔力に共鳴し、その本質を映し出す『真実の杯』。あなたの婚約破棄のショックは、ダムに亀裂を入れた。今、この杯が最後の『鍵』となるでしょう。恐れずに、魔力を注ぎなさい」
セレスティアは頷き、震える手で杯に触れた。そして、教わった通りに、心の奥底の魔力を意識する。
その瞬間だった。
――ゴッ!
体の中から、何かが突き上げてくるような衝撃。長年固く閉ざされていた巨大な水門が、轟音と共に破壊されたかのような感覚。
杯から凄まじい光の奔流が溢れ出し、部屋中を青白い魔力の嵐が吹き荒れる。本棚から本が乱れ飛び、カーテンがちぎれんばかりにはためき、ガラスの小瓶が音を立てて砕け散った。
彼女の脳裏に、魂の記憶として、その力の名前が浮かび上がる。
【星霜の錬成術】万物の根源にアクセスし、無から有を生み出す、神の御業。
嵐が収まった時、セレスティアは呆然と自分の両手を見つめていた。その手を中心に、穏やかだが強大な魔力が渦を巻いている。ユリウスは、少しも動じず、満足げに微笑んでいた。
「おめでとう、セレスティア嬢。君は、君自身を取り戻した」
翌日、ユリウスに導かれ、セレスティアは国王陛下の御前に立っていた。謁見の間には、彼女の噂を聞きつけた重臣たちが猜疑心に満ちた目で集まっている。
「魔術師団長ユリウスよ。其方がこれほどまでに言うからには、確かなのだろうな。このセレスティア嬢が、伝説級の魔法の使い手であると」
「御意に。百聞は一見に如かず。セレスティア嬢、恐れず、汝の力を見せるのだ」
ユリウスに促され、セレスティアは一歩前に出た。緊張に手が震える。だが、隣に立つユリウスの落ち着いた存在感が、彼女に勇気を与えてくれた。
彼女は目を閉じ、意識を集中させる。脳裏に描くのは、最高純度の魔力を秘めた幻の金属、オリハルコン。
彼女がそっと目を開き、何もない空間に手をかざすと、その手のひらから眩い光が放たれた。光が収まった時、そこには虹色の輝きを放つ、見事なオリハルコンのインゴットが浮かんでいた。
「なっ…!」「おお…! まさか、本物のオリハルコンを無から…!?」「神話は、真であったか…!」
重臣たちが息を呑み、玉座から王が身を乗り出す。その驚愕の表情こそ、彼女の世界が変わった瞬間を告げていた。
セレスティアの伝説は、そこから始まった。
彼女は「星霜の聖女」と呼ばれ、その力で次々と奇跡を起こしていく。長年魔物によって汚染されていた「嘆きの森」を一晩で浄化し「聖なる森」へと変貌させ、凶作に苦しむ領地では万能薬を錬成して疫病を根絶した。
その噂はもちろん、アルフォンスとリナリアの耳にも届いていた。
「馬鹿な! あの出来損ないが、聖女だと!? 何かの間違いだ!」
アルフォンスは騎士団の執務室で報告書を叩きつけた。だが、王宮からの正式な布告、民衆の熱狂的な噂は、彼の否定を許さない。
彼は「世紀の愚か者」という不名誉な称号で呼ばれるようになり、騎士団の同僚たちからは陰口を叩かれ、その地位は日に日に危うくなっていった。リナリアとの関係も、万能薬によって、彼女の【治癒魔法】の価値が相対的に暴落したことで、冷え切っていた。
◇
王宮の一角に、セレスティア専用の研究室が与えられた。そこは、かつて誰も使っていなかった資料室を改装した場所で、窓から見える王宮の庭園が彼女のお気に入りだった。
彼女は今、ユリウスと共に、古代魔法の解読と、その力を国の発展に役立てるための研究に没頭していた。知的な探求は、セレスティアに新しい喜びを与えてくれた。
誰かに媚びる必要も、年齢を気にする必要もない。その事実が、彼女の心をかつてないほど満たしていた。
「まさか私が、こんな場所で、国の未来を左右するような仕事をする日が来るなんて。夢のようです」
セレスティアがぽつりと呟くと、隣で分厚い魔導書を読んでいたユリウスが、顔を上げて言った。
「言っただろう。君の価値は、年齢や世間のくだらない物差しでは測れないと。君という名の宝石は、ただ静かに、磨かれる時を待っていただけだ」
その真っ直ぐな言葉に、セレスティアは頬を染めた。
その時、研究室の扉が控えめにノックされた。衛兵が困惑した顔で告げる。
「セレスティア様、ユリウス様。騎士団のアルフォンス様が、どうしても面会したいと…」
ユリウスは眉をひそめたが、セレスティアは静かに頷いた。「…お通しして」
やがて現れたアルフォンスの姿は、見る影もなかった。かつての自信に満ちた輝きは失せ、高価だったはずの騎士服は着古されてみすぼらしい。その瞳には、焦燥と後悔が色濃く浮かんでいた。
彼はセレスティアの姿を認めると、駆け寄ってその場で膝をついた。
「セレスティア! 私が…私が愚かだった! 君の本当の価値に気づけなかったんだ! どうか、どうかもう一度、私にチャンスをくれないか! 君こそが、私の運命の相手だったんだ!」
見苦しく懇願するその姿は、かつて壇上で彼女を罵った男と同一人物とは思えなかった。セレスティアは、ただ静かに彼を見つめていた。心は、もう何も感じなかった。嵐が過ぎ去った後の湖面のように、穏やかだった。
彼女が口を開くより先に、冷徹な声が響いた。
「滑稽だな、アルフォンス」
ユリウスが、腕を組んで二人を見下ろしていた。その紫色の瞳は、氷のように冷たい。
「君が捨てたのは、道端に転がるただの石ころではなかった。磨けばダイヤモンド以上に輝く、唯一無二の原石だったのだ。だが、君にはそれを見抜く目がなかった。それだけのことだ」
ユリウスは衛兵に顎をしゃくった。
「――衛兵、この男をつまみ出せ。聖女様の貴重な時間を、これ以上愚か者のために無駄にするな」
「お待ちください!」と叫ぶアルフォンスの声も空しく、彼は衛兵によって無残に引きずられていく。その扉が閉まると、研究室には再び静寂が戻った。
セレスティアは、自分を救ってくれた魔術師団長に向き直り、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、ユリウス様。私を見つけ出してくださって」
ユリウスはふっと表情を和らげ、悪戯っぽく笑った。
「礼には及ばん。私はただ、誰よりも美しい輝きを、誰よりも先に見つけたかっただけだからな。欲張りなものでね」
その言葉に、セレスティアもつられて微笑んだ。
若さが全てと信じる世界で、最も遅く咲いた花は、誰よりも眩しく、気高く輝いていた。そしてその隣には、ずっとその輝きを信じていた男が、誇らしげに立っていた。
彼女の本当の物語は、29年の時を経て、今ようやく始まったばかりだった。
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本当にありがとうございましたm(_ _)m
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