4.友達と呼べるものでも重さに種類があるらしい
「……栗城くん、本当にごめんなさい!!」
目を覚ました時、仰向け状態の俺に対し笹倉は両手を揃えた正座の姿勢で頭を下げていた。
「い、いいよ……俺も誤魔化してたわけだし。笹倉は何も悪くない」
「でも、私のせいで――」
腹にグーパンチを喰らった俺は軽い眠りについていたらしい。しかし、目を開けても返事が無かったことで相当に焦ったのだという。
そして、頭を下げる笹倉姉を横目に、俺の口には笹倉妹の介護により柔らかい料理が運ばれている。
「幸多くん、美味しい?」
「……おいひいれす」
――といった感じで、笹倉妹による甘やかしが始まったことで笹倉姉は頭を何度も上下させているという、一触即発な光景が繰り広げられている。
しかし笹倉妹の睨みにも迫力があるうえ、妹に逆らえない意思が働いているおかげで、笹倉姉は振り子のようにひたすら俺に頭を下げっぱなしという状況だ。
「幸多くん、あ~ん!」
「あー……んむっ」
笹倉妹に食べさせられている中、笹倉姉は目の前で起きていることが信じられないといった表情で何度も首を左右に動かしている。
……大丈夫だ、俺も現実かどうか信じてない。
ほぼ離乳食のようなものを食べ終えたところで、ようやく体を起こすことが出来た。要するに空腹で腹パンチを喰らったことによるショックだった。
「幸多くん、お茶持ってきてあげるね」
そう言うと、笹倉妹は立ち上がって俺から離れた。
「栗城くん……青夏ちゃん――妹に何をしたんですか?」
その隙に、笹倉は身を乗り出して俺に問いただしてきた。
……いや、近い近い。だがここは冷静に対処する。
「買い物に付き合ってあげた」
「いえ、そうじゃなく! どうして出会って間もない妹に下の名前で呼ばせてるのかって聞いてるんです!」
「それは俺もよく分からないな」
笹倉は時間をかけて俺に妹を紹介したかったのだろう。
だが、まさか家に上がり込んでいるだけじゃなく妹の手料理を口に運ばせ、おまけに下の名前で呼ばせていることに対し理解が及ばないことに腹を立てているといったところか。
俺が目撃した笹倉の入浴後の姿は濡れ髪くらいしか思い出せないが、学校での笹倉とはまるで違う姿だったのだけは覚えている。
それについては――
「――ほとんど覚えてないと思いますけど、ここで起きたことと私のことは忘れてください」
……などと、きっちり釘を刺された。
俺にだらしないことはやめてくださいと言ったのが、丸々自分に当てはまっていることを消去したいんだろう。
「笹倉を俺の記憶から消せと?」
「違います!! そうじゃなくて……」
流石に意地悪だったか?
「むしろ俺はいつまでも覚えておきたいんだが、駄目なのか?」
「駄目です。認めません! いくら友達だからって、こんなのはまだ……とにかく! 忘れてはいけないことだけ覚えて、それ以外は忘れてください!」
無茶な注文だな。
「お姉ちゃん。幸多くんも反省してるんだから許してあげたら?」
お湯を沸かしていたようで、笹倉妹が熱そうなお茶を手にして持ってきた。
「お帰り、青ちゃん」
「えへへ。ただいまです!」
「あ、青……ちゃん? 栗城くん、いま何て?」
笹倉の妹に対する愛情が半端ないのか、俺の言葉にすぐさま反応を見せる。そして、殴るつもりは無いにしてもまたしても握り拳を作って力を込め始めている。
「あー……いや、特に深い意味はないんだけど、青夏ちゃんを呼びやすく呼んでるだけっていうか」
色々なことが重なったせいか笹倉の心の中は多分パニック状態。無理もないことだが、笹倉妹のことだけでも許して欲しいところだ。
「そうそう、わたしが幸多くんにお願いしたんだよ」
「そ、そうなんだ……せいちゃんはズルいなぁ、もう」
「だから怒らないであげてね、お姉ちゃん」
「う、うん」
笹倉妹の説得で、笹倉はようやく落ち着きを取り戻してくれた。
「じゃあ、ごちそうさまでした。何というか笹倉、また明日」
体力とメンタルが回復したので、笹倉家から撤退して自分の家に戻ることにした。
「お隣さんでお友達ですから、私は大丈夫です。おやすみなさい、栗城くん。また明日」
「おやすみ」
学校では俺に厳しさを見せている笹倉だが、アクシデントがなければ笑顔と優しさがデフォルトだ。友達という強いこだわりを持っているのを考えれば、これから先も恋愛的要素が高まっていくのは難しいかもしれない。
中学の頃のこととはいえ、直接好きを伝えてきた相手を友達以上にしない強い意志がある女子だ。そう簡単にはいかないだろう。
「ふんっ…ふっ……!!」
寝る前に軽く腹筋を繰り返していると、スマートフォンの通知音が鳴った。
「栗城くん。明日は一人で平気です。遅刻しないでくださいね」
……などというメッセージだった。
一人で登校することが当たり前だったのに、わざわざメッセージを送ってくるなんて優しすぎるな。
恐らく、これからは一緒に登校すること自体無いとみた。笹倉の性格的にあくまでお隣さん記念によるものだったと推測する。
意識しているのは俺だけだったわけだ。
誰もが知る幼馴染な関係なら少しは違うだろうけど、笹倉と俺は単なるお隣さんだから余計な気疲れをするのをやめたってことに違いない。
笹倉のメッセージで気を引き締めたところで朝を迎えた。
「ぐーぐぐぐぐぎゅるるる……」
何でこんな腹が鳴るんだ?
今まで朝はあまり食べなくてもどうってことはなかった。しかし、昨日の柔らかい料理の消化が早かったのかかなりの空腹状態に陥っている。
ってことで、いつもの通学路にあるコンビニで何か買うことにする。スマートフォンをかざし、速攻で店を出ようとしたところで誰かにぶつかってしまった。
「あっ、すみません!」
「あ? 栗城?」
俺を呼び捨てで呼ぶのは男を除けば、笹倉の前の席に座っている女子くらい。
確か、塩対応の女子で名前は――。
「牧田さんだよな? ぶつかってごめん」
「……あー」
そして全く興味がなさそう。
笹倉の前の席に座っている牧田千冬は、笹倉が作ったグループに名前がある女子だ。
四月のこの時期は白の長袖ブラウスを着ている。上のボタンまできっちり留められた状態というのも珍しいが。
髪は脱色されたショートの茶髪で、スカートは結構短めだ。ブラウスは鉄壁なのに派手なギャルなのか真面目なのかよく分からないな。
コンビニで遭遇したからといってこのまま一緒に歩くつもりはないが、逃げるのも変なのでこのまま距離を取りながら歩くことにした。
牧田をちらりと見ると、俺のことなど気にも留めずスマホ片手にさっさと前を歩き出している。
……そうだよな。
自分を紹介した時も笹倉による紹介だったし、牧田自身は俺に何の興味もないのだろう。
「おい、ちょっと止まれ」
笹倉関係で俺が気にしすぎてるだけに過ぎず、前を歩く牧田を追い抜くつもりで早歩きをしていると、追い抜きざまにドスの効いた低い声で呼び止められた。
しかも止まれとか脅しに近いな。
「俺に何か用でも?」
「お前もメンバーだったんなら早く言えよ! 全然関係ない奴が秋稲にちょっかい出してると思って手を出しかけただろ!」
おお、怖。
スマートフォンで見てたのはアレか、笹倉グループの画面か。
……といっても、今のところ笹倉と個人的なやり取りをしてるだけでグループ内のチャットはしたことがない。
それにしてもどういう目的グループなのか。
単純に笹倉とお友達関係を維持するだけのグループなら、それはただの推し活動のようなものになる。しかも現時点で見ても、俺以外のメンバー同士でチャットをしている様子もない。
笹倉的に仲のいい友達だけで楽しむ狙いがあるみたいだが、そうかといって俺以外の男子、村尾が教室で笹倉に声をかけるといった光景を見たことがないのも妙な話だ。
村尾は単なる戦友扱いだからはっきり言えないが、別の思惑があるかもしれない。
俺の場合はいかにして友達レベルを上げていけるかが問題であって、この手のグループに入ったところでほとんどいる意味がないのが今までの経験。
「悪いな。てっきり知ってると思って気にしてなかった。やり取りする必要性もないと思ってるしな」
これは本音だ。
乗り気でも無かったグループに入ったはいいが、結局笹倉としか話してないから他の名前の奴も誰かを気にしてないと思っていた。
「ちっ。そういうとこだぞ、栗城」
「ん? 何がだ?」
「今のところ栗城よりもうちがカースト上位ってことだ。栗城以外の男子は論外。女子が上位を占めてる。うちらよりも下位のままだと、栗城が目指してるものには届かないってことだけ教えとく」
だから何が?
俺の理解出来ない話が、さも当たり前のように進んでいる。カーストだとか下位だとか、一体牧田は何を言っているのか。
「分かりやすく言ってくれ。マジで分からない」
何で朝の登校時間に面倒そうな話を上から目線で聞かされているんだ?
コンビニルートで来たのは失敗だったな。こんなことなら近道で来るべきだった。
「秋稲が言う友達は種類と重さが分かれてるって言ってんだよ! 栗城はまだ下位、重くないって意味な。別に重くならなくても友達には変わりないし、栗城が満足なら何も言わないけど。じゃ、うちは先に行くから」
言うだけ言って、牧田は学校方面へ歩いていく。
どうも意味が分からないが、牧田の言うグループメンバーの位置付けが友達レベルに紐づいているとしたら、メンバーリストに関係無く俺は笹倉の中では上位にいるのではないだろうか。
そうじゃなければいくらお隣さんでも家の中に入れないはずだ。
笹倉妹のおかげというのもあるにしても、素の笹倉をちょっとだけ見られたのはかなり好スタートを切ったと言っても過言じゃない。
肝心の俺が笹倉の友達以上に進むことが出来るかは何とも言えないが。
……とはいえ、あくまで塩対応の牧田に変なことを聞かされたに過ぎないし、俺も学校に急ぐか。
「おっす、栗城」
昇降口に着くと、村尾が俺の背中を叩きながら声をかけてきた。
「うす。手加減してくれて感謝するぞ、村尾」
「何だ? 筋トレでもしてんのか?」
「……そんなところだ」
腹をやられた後の腹筋で若干背中が痛いのは内緒にしとこう。
村尾と出会ってしまったのでそのまま教室に向かおうとすると、村尾の視線が少し離れた下駄箱に向いていることに気づく。
「おい、村尾……何を見て――」
視線の先には登校してきた笹倉の姿があった。笹倉を見る村尾の目は、友達に向ける目じゃないように思えた。
「今でもライバル現る……か。どうすっかな、マジで……」
「ん? ライバル? 何の?」
「気にすることじゃねえよ。悪い、おれは先に行く! お前もちゃんと来いよ、栗城」
笹倉の方に視線を飛ばしていたら気にするだろ。
それなのに笹倉を見ているだけで満足したのか、村尾は俺を残して行ってしまった。
いや、置いて行くなよ。
「おはよう、笹倉!」
「はい、おはようございます。きちんと登校してきたみたいで何よりです」
「……ん、その束は何だ?」
笹倉の手には持ちきれない量の手紙のようなものがあった。
確か月田も中学時代に置きまくったらしいが、まさか今でもそうなのか?
「栗城くん。私、信じられないくらいモテるんですけど、羨ましいですか?」
モテという言葉にはついつい反応してしまう。
「そ、そりゃあな。笹倉も嬉しいんだろ?」
「……誰かさんと違って、重みのない気持ちをたくさん貰ってもちっとも嬉しくないです」
「え、誰のことだ?」
「友達です」
「あぁ、だよな。笹倉の友達は俺以外にもたくさんいるもんな! 愚問だった」
俺のうっかりな言葉で楽になったのか、笹倉はいつもの笑顔を見せる。しかし、気のせいか笹倉の笑顔が無理をしているようにも見える。
「栗城くん」
「……ん? どうした、笹倉」
何やら俺の首元を見つめているが、またしてもお怒りモードか?
何となく身構えていると俺の元に――
「――ネクタイ、曲がってますよ。そのままじっとしてください。わたしが直してあげますね!」