3.油断を見せた彼女から拳に怒りを乗せられた
何を言ってきたかと思えば、俺が浮気性?
恋人でも何でもないのに何で早くも疑いをかけられるのだろうか?
「浮気性って……どういう部分を見て?」
「いえ、何となく。ただ、こんな短時間で三人の女子に自分を売り込んでいたので、そうなのかなと」
俺にとって単なる自己紹介かつ自己満足に過ぎなかったのに、案外厳しい目で見られていた。それとも、俺以外の男子で女子に積極的に声をかける奴はいなかったんだろうか。
「名前を訊いたり教えたりしただけで浮気性は言い過ぎじゃないか?」
「それもそうですね。ごめんなさい、さっきのは気にしないでください。何となくそう見えただけなので」
「まぁ、笹倉とは友達だしな。友達だから心配してくれたんだろ?」
「……そんなところです。栗城くんとは友達ですからね!」
友達の部分に重きを置いている笹倉のことだ。恋に発展しない友達だからこそ、女子への扱いには気を付けろってことだろう。
俺の言葉に安心したのか、笹倉は破壊力抜群の笑顔を振りまきながら午前を終えた。
「栗城。昼飯行こうぜ!」
「村尾の奢りで?」
「アホか! 月田も一緒に食うって言ってたし奢らねーよ?」
月田は休み時間の間に見つけた、戦友第3の男である。
もっとも、月田が笹倉に告白した手段は下駄箱に手紙を置くという定番手法だったらしく、直接声をかけた俺と村尾は月田にとって英雄に相応しいのだとか。
そんな仲間を連れて学食にやってきた。
文世の学食は、ケーキやアイスといったデザート類が自販機で購入出来るのが特徴的だ。通常のラーメンやカレー、定食といったものは腕利きのコックらしき人が数人単位で作っている。
男女問わずに支持されているが、デザートは女子向けが多く販売されているだけあって、女子の集団を見かけることが多い。
「いやーいいっすね! 女子の集団」
「とても入っていく勇気は無いけどな。お前は行けそうじゃね? 栗城」
「何でだよ!」
「何となく。女子と話すのに抵抗無さそうだし」
そういえば、笹倉に言われたことを訊いてみるか。
「朝の自習時間、何人に声かけた?」
「声っすか? 近くの男子とちょっと話だけっすね」
「おれは栗城だけだな。お前は?」
「安原と、あとは女子四人くらい……」
ううむ、自分で訊いたことなのに急に恥ずかしくなってきた。
「……はっ、マジかよ! 抜け目ねーな、お前。ってことは、笹倉に怒られただろ?」
だからどうして笹倉に怒られる前提なんだ?
「マジっすかー! さすがっすね」
「近くの席の人間に声くらいかけるだろ」
「いいや、男はともかく女子にすぐ声なんてかけねーよ。笹倉はカウントしないにしても、その行動力はパねえわ!」
……なるほど。
こいつらの反応で判断すると俺は軽い奴だと見られたことになる。もしかして、笹倉のあの言葉もそういう意味だったってことなのか。
村尾と月田にまで妙な感心をされたので、今後は自重することを決めて昼を終えた。
午後の授業も午前同様にフルではなく短縮割だったことで、あっという間に下校の時間を迎える。一学期初日でまだ緩く始まったこともあり、今日は素直に帰ることが出来るわけだ。
「栗城、お前部活は何かやってんのか?」
速攻で帰ろうとすると、安原が部活のことを訊いてきた。休み時間はともかく、昼は戦友だけでつるんでいただけにこうして声をかけられるのは珍しい。
「帰宅部だ」
そもそも部活をやるつもりなら一年の時に何かに入っているからな。
「そうか。ま、オレもだけど。だったら、来月の休みくらいからバイトやらねー?」
来月というと五月の休みか。
「バイト? 何の?」
「まだ決めてない。でも、やるつもりがあるなら後で何か決めよーぜ?」
それだけ言うと、安原はすぐに教室からいなくなった。
去年同じクラスなだけで村尾と比べると安原とはそこまで親しくはない。しかし、俺も安原も適当な話で盛り上がれるタイプなので話しやすい奴として認め合っている。
そういう意味もあってバイトに誘ってくれたに違いない。
すでに教室からいなくなった安原も含め、教室にはほとんど人は残っていなかった。残っているのは帰宅部くらいで、自分のペースで帰り支度をしているくらい。
隣の席の笹倉もすでにいないどころか女子の姿がほとんどいなくなっていて、ただ帰るだけという現実が自分に突き刺さった。
……ってことで、素直に家に帰ることにする。そして、下校時間を有効活用して笹倉に教わった近道を思い出しながら俺は自宅のあるマンションに向かって歩き出した。
笹倉が使う近道はおおよそ朝の時間に通学路として選択しない文世ロードだ。ここは小さな店舗が建ち並ぶアーケード街になっていて、俺もたまに食料を買いに来る場所でもあった。
朝の時間に文世ロードを歩く高校生はあまり見かけることが無いので、笹倉から教わった近道は今後重宝しそうな気配さえ感じた。
だが、帰りの時間帯はそんなに甘くなかった。
「あのっ、お兄さん!」
……そんな甘くない現実を知ったところで、少しだけ幼さの残る声をした少女から声をかけられた。
「お兄さんと言われても、俺には妹なんていたことないんだけどなぁ……」
俺の一言に年下っぽい少女は若干引いた表情を見せるも、負けるものかと言わんばかりに言葉を続けてくる。
「妹は嫌いじゃないですよねっ?」
「何と言っていいのか分からないけど、嫌いじゃないね」
「それじゃあ、これから一緒にお買い物に付き合って欲しいですっ」
だからといって何でそうなる?
見知らぬ妹に好意を持って買い物に付き合うとか、どこの妹萌えなんだ。
「家に帰らないと駄目だからそれはちょっと……」
「あーっ、もうっ!! お姉ちゃんが言ってたみたいに本当に意地悪い人なんだー!」
しびれを切らしたのか、俺の曖昧な返事に対し本性を出してきた。せめて誰の妹なのか言ってくれないと優しくなれるはずがないんだよな。
「お姉ちゃん? どこのお姉ちゃん?」
「わたしのお姉ちゃん、秋稲です」
「……秋稲? 秋稲というと……笹倉秋稲しか思い浮かばないな」
笹倉秋稲と口にした途端、目の前の少女はつぶらな瞳で無邪気に喜んでいる。つまり、この子は笹倉が宣伝していた妹ということになるわけだ。
「そういうお兄さんは幸多くんで正解?」
年下に年下扱いされるうえ下の名前で呼ばれるとは、何て新鮮な響きなんだ。笹倉と同様に長い黒髪をしているせいか、余計に新鮮みを感じる。
「そうとも言うね。それで、俺と買い物に行って欲しいの?」
「そうなんですっ。今夜はわたしが夕食当番なんだけど、結構ごろごろしたお野菜が必要だなって思っちゃったので、幸多くんに頼みたくてここにいたんです」
俺の下校ルートは誰にも教えてないんだが、これも笹倉の策略か?
……というか、妹の手伝いをして欲しかったなら帰りに声をかけてくれれば良かったのに。
「まぁ、家に帰るだけだから手伝ってもいいけど。えーと、妹ちゃんの名前は……」
「わたし、青い夏と書いて青夏です!」
「青い夏?」
「うんっ」
笹倉のいない間に妹の名前をそのまま呼ぶのは気が引ける。
「じゃあ、青ちゃんを採用で」
すでに懐いてきてるとはいえさすがに調子に乗るわけにはいかないし、ザ・妹ちゃん的な呼び名にしておく。
「青ちゃん……それ、いいかも! それならお姉ちゃんに焼かれる心配が無くなりそうです」
「何を焼かれるって?」
「そんなことより、こっちですこっち!」
ううむ、かわされてしまったか。
とりあえず笹倉妹の指示を素直に聞きながら食材を袋いっぱいに詰め込んで、無事に買い物を済ませることが出来た。
家の前に着いた時、辺りは薄暗くなっていた。
「じゃ、俺は自分の家に入るから」
「あのっ、幸多くん! ついでにわたしの料理食べに来ませんか?」
「――つまり、笹倉の家にお邪魔を?」
「全然邪魔にならないのでぜひぜひ!」
どうせこのまま家に帰っても適当飯で終わるしな。相手がいいって言ってるのを無下にするのもどうかと思うし、ここは素直に返事をしておこう。
「俺は構わないよ。でも、確か家族暮らしって聞いたけど家の人は驚いたりしない?」
「大丈夫です。家族っていうか、いつもいるのはわたしとお姉ちゃんだけなので! 親は遅くに帰ってくるので遭遇とかしないです」
俺の親と違って家には帰ってきてるわけか。
それなら気まずい思いをすることはないな。笹倉妹のご飯を有難く頂いてしまおう。
「それじゃ、お邪魔しようかな」
「はーい。どうぞどうぞー!」
「あ、その前に着替えだけしてきてもいいかな?」
「そうでした! 着替え終わったらノックしてください。ドアの前で待ってるので」
ん?
インターホンじゃ駄目なのか?
そうして速攻で着替えを済ませ、笹倉家のドアを叩くとすぐに笹倉妹が出迎えてくれた。
「青ちゃん。インターホンは鳴らしてないの?」
「鳴ります。でも、宅配の時くらいにしてるので普段は簡単にしちゃってるんです」
なるほど。
笹倉妹に案内され家に入ると、おそらく笹倉姉である部屋と笹倉妹の部屋はさすがにカーテンで見えなくなっていた。それなら俺の意識は食事だけに専念出来そう。
「じゃあ幸多くん、その辺に座って待っててね」
「おっけー!」
俺が買い物に付き合ってくれたことが嬉しかったのか、笹倉妹は腕まくりをしながらキッチンへと移動していった。
あれだけの気合いだ。料理の腕には自信があるんだろうな。
「――ガンッ!!」
これから出てくるであろう料理に期待しながらベッドタイプのダブルソファでくつろいでいると、どこかの扉が勢いよく開けられる音が響いた。
音がしたすぐ後、ペタペタといった足音がフローリングの床から伝ってきたかと思えば、長い髪をしたそれは俺がくつろぐ場所に向かってダイブしてきた。
「うおっ!? な、なんだ……?」
――直後、俺の鼻先をくすぐってきたのはフローラル系の香りがする濡れ髪だった。
「ほぇ~……疲れたぁ」
そしてこの気の抜けた声の主は、俺が間近にいることに全く気づいていないようでだらんとした姿勢をキープしている。
全身バスタオル姿なのは俺的に今後を考えれば幸いだったが、濡れ髪はもちろん、素肌が露わになっている時点ですぐそこに危機が迫っていることには変わりない。
それにしたって、肌白な素足に肌白な肩回りには感嘆せざるを得ないぞ。
「は~……せいちゃん、お水ちょうだい~」
「…………(返事をしたらヤバい)」
「ねえってば~お水~!」
快活系女子で誰もが見惚れる笹倉秋稲の欠点のようなものを目の前で見ている俺は、どうするのが正解なのか。
とりあえず俺が出せる一番高い声で誤魔化すしかないな。
「わ、分かったよ。今持ってきます」
声を裏返らせ、笹倉妹っぽい声を出して立ち上がろうとするが――。
「あれぇ? せいちゃん、喉痛めたの……?」
心配されると同時に喉元に手を近づけられたので、咄嗟に腕でガードした。
「うわ~ごっつい……腕? えっ?」
くっ、バレた!
掴んできた手の力が強まりつつあるということは、そういうことだろう。
「…………いつからそこにいたんですか、栗城くん……?」
「だ、だいぶ前です」
「どうやって私の家に侵入を……は、ひとまず置いときますけど、どこがいいですか?」
「どこ……とは?」
笹倉の手は俺の腕を掴んで離さずにいるが、もう片方の手は相当な力を込めながら握り拳を作り出している。
……ってことは、つまり制裁を受ける場所を訊いているに違いない。
「は、腹の辺りでお願いします……」
これから笹倉妹の料理を食べる前に腹をやられる可能性があるが、力を入れることが出来るのは腹だけだし動きを封じられてる以上やむを得ない選択だ。
選択をした直後、腹に力を入れるよりも先に笹倉の拳が怒りを乗せた状態で見事にクリーンヒットしていた。
……その後、目を覚ますまでのことは記憶になかった。