生ハムの原木は正義です!
お久しぶりの投稿です。
完全ギャグです。
どうしてこうなった!
生ハム食べたい……。
前世の記憶を思い出して、最初に思ったのが、『生ハムを食べたい』だった私は、何と食い意地が張っているのだろうか。
食糧事情が決して悪くない今の生活でも、干し肉はあっても生ハムはない。
干し肉はスライスした肉を加工するが、生ハムは骨のついた塊肉を加工する。
手間も時間もかかる生ハムは、相応の知識がないとなかなか作りにくいものだろう。
でも食べたい。
パンにチーズと生ハムをぎゅうぎゅうに挟んで食べたい。
これまた最高なことに、前世では実家が畜産農家だった私には生ハム加工の知識があったのだ。
材料と道具と環境さえあれば、作れてしまうのだ!
そういえば、前世でパンデミックが起きたときに、引きこもり生活で生ハムの原木を買うのがブームになっていたな……。
生ハムの原木は正義……みたいな、ちょっと不思議な流行があったなと、ぽやんと思いだしてみる。
というわけで、社交シーズンが終わり、冬にさしかかった今こそが生ハムを作り始めるのに適している時期なのです。
私はさっそく生ハム作りを始めた。
生ハムは加工をしてから熟成させて、完成まで早くて一年、しっかり熟成させたい場合は大体二年ほど時間がかかるのだ。
早く始めて損はない。
カントリーハウスのシェフたちと相談をして、早速生ハム作りに取り掛かった私だった。
さて、そんなこんなで、生ハムを作り始めて、早一年半。
始めた当初に十本の原木を作り出したのだが、一年経った頃に一本だけ熟成をやめて、味見をしてみたが、涼しい気候の領地では生ハム作りに適した環境だったらしく、一年熟成のものでも大変おいしかったのだ。
カビたり、腐ることもなくきちんと出来上がった生ハムに、私は大層満足をして、次の年は最初の倍である二十本の生ハム原木を作った。
いきなり奇怪な行動を始めた娘に若干困惑しつつも見守ってくれた両親と兄たちには感謝しかない。
特に目ぼしい特産品のなかった我が領地の目玉になるかもしれないと、今では後押しをしてくれている。
家に生ハムの原木があるから頑張れる!
前世のパンデミックの最中に生ハムの虜になっていた人たちはこういう気持ちだったのか! なんて、今更気付いたりしている。
そんな私は、マルティーナ・ラックスハム伯爵令嬢。
生ハムの意味を持つ家名の令嬢だ。
家名が生ハムだったから生ハムを食べたくなった……なんてことは、多分ない……はず。
さて、そんな生ハムの虜である私だが、今目の前にいるボンクラ男に、困惑の表情を隠せないでいた。
「だからね、ティナ。僕との婚約を白紙にしてほしいんだよね」
社交シーズンで、一家で王都に滞在していたある日の事。
突然呼び出されて、合流したカフェのテラス席でのいきなりの告白。
婚約者の口から飛び出た言葉に、さすがの私も驚きを隠せないでいた。
マージーかー。
前世でも流行りに流行っていた婚約破棄モノ!
私も例に漏れず、前世では色々読んでましたけどね!
でも特にこの世界、そういう乙女ゲームだとか小説だとかマンガの世界ではなかったはずなんですけどね!!
少々気弱だけれども、同格の伯爵子息であるグスタフ・アーベレ伯爵子息。
父親同士がかつての学友で、そんな縁からお互いに十歳のときに結ばれた婚約。
伯爵家の跡取りにも関わらず、正直こんなボンクラで大丈夫なのか? と常々思っていた男で、こんな男と結婚なんて苦労が目に見えていると思っていたけれど、お父様が親友と親戚になれると喜んでいたのもあって、私から結婚をやめたいなんて言える状況でもなかったのだ。
しかし、まさかの相手からの婚約破棄!
おまけに【真実の愛】を見つけたとかいう定番もの!!
ええ、全力で乗っからせていただきましょう!
私だって将来の苦労はしたくない。しかも生ハムの事業が軌道に乗り始めて、手が離せない状況なのだ!
ボンクラにかまっている暇などない!!
私はボンクラに向かってにっこりと笑った。
「承知しました。そちらの有責での婚約破棄ですね」
「え? ちゃんと聞いてた? 白紙って言ったよね?」
「もちろん聞いておりましたよ。真実の愛を見つけられたと。わたくしと婚約中でありながら、他の人間に懸想していたのですから、単なる白紙というわけにはまいりませんでしょう?」
ですから、お前の有責で婚約破棄に決まってるだろう、ボケェ。
誰が白紙じゃ、コラァ!
さすがに貴族令嬢として、こんな心の内の言葉は言えないので、表情に込めてやると、ボンクラグスタフの顔が引きつった。
「いや、でも……破棄となったら、君が傷つくだろう?」
あー、こいつ。自分の有責で婚約破棄して、慰謝料払いたくないんだろうな。
ボンクラのくせに、こういうことだけは妙に頭が回るのよね。
言い合いするのすらめんどくさい。
私は生ハムのことだけ考えていたい。
大きなため息をついて、グスタフを見据えた。
「……わかりました。では白紙と致しましょう。ところで、お義父様のアーベレ伯爵にはお話は通っていますの?」
「いや……その……、まずは君と円満に白紙にしてからと思ってね」
……こんにゃろー。自分が悪いことわかってて、父親に怒られたくなくて言ってねぇな。
大方、【マルティーナも快く婚約の白紙撤回に合意してくれました】とか何とか調子の良いことを言って誤魔化す気だったんだろうな……。
もう何度目かわからないため息をまた吐き出してしまった。
「申し訳ないですけれども、わたくしは正直に自分の父には、今の会話を報告しますわ。その上で白紙になったとお伝えします」
「! 本当かい!?」
「ええ。ですから、ご自身の父親には貴方からお伝えくださいね」
「ありがとう! そうさせてもらうよ!」
ぱぁ! と明るい顔をしたボンクラだが、何を勘違いしているのだろうか。
私は、【今の会話を正直に自分の父親へ報告する】と言ったのだ。お前の卑怯な考え諸共全部そのまま伝える気ですよ。
白紙だろうが破棄だろうが、伝える内容は一緒だ。
そして、父の性格は熟知している。
正直に伝えることにより、この先どうなるのかなんて、わかりきっている。
せめてもの誠意は見せろとカフェでの代金はボンクラに支払わせた。
ボンクラと別れて、タウンハウスへ帰宅後、私は早速父に報告した。
もちろん父は激怒である。
信頼していた友の息子の裏切り。
何が白紙だ! と怒って、私が目の前にいるにも関わらず、アーベレ伯爵に手紙を書き始めた。
これから乗り込むのだろう。
まぁ、私にはもうどうでも良いことだ。
生ハムのことだけ考えていたい。
なので、邪魔されても困るので、私はひとつだけ父に注文をした。
「お父様、わたくしひとつだけお願いがありますの」
「何だい、マルティーナ。あのボンクラに一泡吹かせるんであれば、何でも叶えよう!」
あら、私の語録はお父様ゆずりかしら。お父様もアレをボンクラと呼んだわ!
……ごほん。そうではなく。
「今後一切、アーベレ伯爵令息と……アーベレ伯爵家とはかかわりを持ちたくありません」
「ああ、そうだな! あのボンクラとかかわるとろくなことになりかねん! 親友だと思っていたが、あれを育てたあの男も同様だろう。わたしの目が曇っていたのだ……。長年の友だからと甘くしすぎていた……」
いよっしゃー! 言質取ったどー!
これで、あのボンクラにかかわることなく、好きな事(生ハム製造)に取り掛かれるどー!
かかわりになりさえしなければ、別に慰謝料もいらぬわ!
万が一、分割での支払いになったときに終わるまで縁を持っていないといけないのだから。
それよりもスパンと綺麗さっぱり縁を切る方が先決です。
というわけで、激おこなお父様がアーベレ伯爵家に絶縁状を叩きつけに行って、結果向こうは平謝りだったらしい。
まぁ、あのボンクラが自分の都合の良いことをペラペラと言い、半信半疑だったアーベレ伯爵のところに、おこなお父様からの手紙が到着、追ってお父様と面会して、あーでもないこーでもないと話し合いをした結果、アーベレ伯爵は平謝りになったと。
ついでに何とか縁だけは……とすがりついたアーベレ伯爵に、お父様はさらに激怒して、慰謝料などはいらぬから、今後一切ラックスハム伯爵家にかかわるな! と啖呵を切って出てきたらしい。
きゃー! お父様、かっこいいー!
学生時代の縁は、いつまでもそのままではいられない。
家庭を持ち、爵位を継ぎ、仕事をして、人はどうしても環境の変化に伴い、自分も変わっていく必要性がある。
そのままの縁でいられるということは、双方の努力が必要である。
それを怠った場合、そこが縁の寿命なのだと、帰宅したお父様がしんみりと呟いた。
私のために怒って相手との縁を切ったお父様。
何も感じていないわけではない。
でもないがしろにされて、それをヘラヘラと受け入れることも貴族としてありえない。
少しだけ感傷に浸っているお父様には、私の秘蔵の生ハムをおつまみとして差し入れた。
どうぞ、お酒でも飲んで先方のことは忘れてください。
そんなこんなで、アーベレ伯爵家と絶縁してから時間がある程度自由になった私は、生ハム製造に精を出していた。
おかげさまで、生産は順調。噂を聞きつけた上位貴族たちの間で段々と流行としてひろまっていて、現在はかなりの予約待ち状態。
とても嬉しいです。我がラックスハム伯爵家の特産となり、商売繁盛ありがとうございます!
ニコニコとしていたところ、ある噂話を耳にした。
アーベレ伯爵家が若干、社交界から爪はじきにあっているという話だ。
意図したわけではないのだけれど、我が家と絶縁したことで、うちの生み出した流行である生ハムを手に入れることが出来ず、社交界で私にした仕打ちと共に、我が家に絶縁されていると笑い者になっている様子。
婚約白紙と共に絶縁したと、私の友人や兄の友人、両親の友人たちに正直に話したが故に、わりと正確な情報が社交界に回っていることもあり、絶縁した元婚約者の家のものなんて食べられないでしょう? だって、契約よりも真実の愛の方が大事のご様子ですからとからかわれているそうな。
他人の不幸大好き揚げ足取り大好きな、貴族連中だもの。
いくらご自身の都合の良いようにお話をしたところで、事実は広がっている。
予約待ちの流行品を手に入れたくて躍起になっている貴族たちは、少しでも他者を蹴落としたくて仕方がない。
いち早く流行をつかんだ者たちとして、他人よりも優位に立ちたいのだから蹴落とせる要因があれば、ここぞとばかりに叩きまくるのが貴族というもの。
うちに嫌われて、予約リストの後方に入れられてはたまらないと、他の貴族たちはこぞって我が家を擁護する。
まさか、自分の欲望のためだけに作り始めた生ハムが私自身を救うとは思っていなかった。
しかも生ハムをえらく気に入った侯爵家の次男が、猛プッシュをかけてきて、気が付いたらあれよあれよという間に婚約が整っていた。
結婚後は侯爵家が持っている子爵の位をもらって分家を立てて、私自身は引続き生ハム製造に精を出しても良いって!
とても大らかな方で、いつもニコニコとしていて、私と生ハムのことを大事にしてくださっている。
大の食いしん坊なせいか、若干生ハムに比重を奪われている気がしないでもないけど、まぁそこは許容範囲内ということで。
元婚約者のアーベレ伯爵家は、相変わらず爪はじき気味みたい。
最近はお父様に何とか縁を復活させてほしいと懇願しているご様子だけれども、一度切れた縁を戻すことは出来ないと突っぱねているとのこと。
さらに、真実の愛のお相手のお家とも距離を置いているとのことで、そちらもアーベレ伯爵同様に最近の社交界では浮き気味だとか。
意図せず復讐となって、私の溜飲も下がった。
本当に生ハムさまさまである。
こうして私は、生涯生ハムの製造研究を続け、婚家も実家も潤った生活を続けることが出来たのでした。
はい、幸せです!
だからこそ、やっぱりあえて言いたい。
生ハムの原木は正義! である!
 




