十月定例会議初日~佐久間視点~
十月七日。
日本支部上層部において定例会議が行われる日だ。だが、出席者達は思い返す。
先々月は会議中に、一時中断せねばならない程の事件が起きた。
先月は会議中に、思わぬ捕物が起きただけでなく、様々なトラブルが発生するも、二日を費やす事で会議は終わった。
七月から揉めていた会議だが、今回で決着を付けなくてはならない。
例えどんな事件とトラブルが発生しても、支部長が率先して会議を荒そうとしても、だ。
日本支部上層部は、妙なところで団結力が強かった。主に支部長に対して。
佐久間は先月の反省を活かして会議に臨むつもりでいた。会議を荒そうとすると、予想外の方向から荒らされるものだと、佐久間は痛感した。第三者が呼ばれる可能性を、事前に徹底的に潰す事の重要さも学んだ。
先月と同じく、第一会議室の空きテーブルの上には、頭痛薬、胃薬、整腸剤、栄養ドリンクの四種が林立していた。何故かミネラルウォーター(二リットル)と缶コーヒー(微糖・無糖・加糖・カフェオレの四種)までもが箱単位で存在する。エナジードリンク類が無いところを見るに、徹夜をさせる予定だけは無い模様。
これらを準備した秘書官は思った。一人当たり一体何本消費させる気なのか、と。
これらが林立したテーブルを見た出席者は思った。誰対策だよ、と。
佐久間以外の出席者は、嫌な予感を感じ取った。
けれども。
全員の思惑も予感も何もかもを無視して、何事も無く、何時も通りに、恙無く会議は進んだ。一条大将から齎された他支部に関わる報告で、一時、会議は紛糾し掛けたものの予想範囲内で終わった。
正常だが、何も無いと逆に『異常』と受け取ってしまうのは、人間の悲しい性か。
「刺激が足りない」
「支部長。不吉な事を言わんで下さい」
「遥か昔、『言葉には言霊が宿っており、言霊が言い放った言葉を現実とする』と言った考えが存在したそうです」
休憩時間。佐久間がぽつりと呟けば、工藤中将が窘め、大林少佐がうんちくらしきものを披露する。
「星崎がたまに言っていた『フラグ』の考えそのものだな」
大林少佐の言葉を聞いて、缶コーヒー(無糖・三本目)を開けていた松永大佐が反応した。混沌を招く名が松永大佐の口から出て来た為、佐久間以外の全員が一瞬だけ動きを止めた。星崎が警戒対象扱いされている事が良く判る瞬間だった。
「だが、先々月と先月の会議がどれ程異常だったか、理解出来たのではないか?」
佐久間が尤もらしく言うと、全員無言になった。そして、全員無言のまま、佐久間に視線を向ける。
「佐久間支部長。言いたくはありませんが、先々月はどうしようもありません。寧ろ、会議中で良かったと言える状況でした。ですが、先月は違います。荒らす気満々だった御仁の思惑と、色々な不運が重なった結果です。個人的には、頭痛薬と胃薬だけを用意し、整腸剤を忘れた佐久間支部長が原因でしょう」
最後に理不尽な事を言ってから、松永大佐は無糖のコーヒーを水のように飲む。そんな彼が座るテーブルの上には、空となった頭痛薬と胃薬の小瓶に、栄養ドリンク(四本)と缶コーヒーの空き缶(二本)が既に転がっている。一見すると徹夜明けのような惨状だ。実際にはまだ三時間しか経過していないが。
『……そうだね』
そして沈黙を挟み、佐久間と松永大佐以外の全員から、異口同音に同意の声が上がった。
「だから何でそうなるの!? 最後にとっても理不尽な事を言われたんだけど!?」
佐久間はテーブルを叩いて抗議の声を上げた。しかし、出席者達は佐久間の事を『聞き分けの無い子』を見るような目で一瞥してから、口々に声を上げる。
「松永が何か理不尽な事言っていたか?」「いいや、言ってない」「当然の事を言われてのによぉ。何で支部長には解らないんだ?」「きっとアレよ。優しさが欲しいんだわ」「五十のおっさんが求める優しさって何だ?」「甘いものをくれか?」「佐藤。それはお前の欲望だ」「酒じゃねぇの?」「それはお前の欲求だ」「踵を使った腰のマッサージでは?」「先々月末日に星崎にやらせていたアレか」「支部長。女の子に何をやらせているんですか」「セクハラか?」「十五の子供に何させてんです?」「支部長。マッサージして欲しいのなら私が代わりにやりますよ。警棒でグリっと」「私も混ぜて貰いましょうかねぇ」「それは名案ね」「警棒じゃ威力が足りないわよ」「スタンスティックの使用許可を出しましょうか?」「その場合は防音が確りとした部屋でやって下さい」
途中で大林少佐がポロリと言葉を零し、それを拾った一条大将がアレかと思い出す。そして幹部一同の会話は、徐々に過激な方向に進み始め、松永大佐が釘を刺す。
……名前が出ただけで、混沌を齎す星崎は一体何者なのか。答えは無い。
佐久間は己の失敗を悟り、劣勢になる前に会議を再開させた。
会議は問題が起きる事無く進んだ。逆に不気味だと皆で警戒する。
そうこうしている内に、時計は十二時を示した。佐久間は二時間の昼休憩を言い渡す。大林少佐と一緒に会議室から出て、共に昼食を食べる。食べ終えたら大林少佐と別れて執務室に引き籠る。仕事は山のように存在するが、会議の合間に書類仕事は行わない。会議当日締め切りの仕事は既に終わらせている。
執務室に戻るのは単なる気分の問題だ。
時間を潰した佐久間は大林少佐を連れて会議室に戻る。
そして、会議が始まる直前に松永大佐から提出されたものを受け取った佐久間は、我が目を疑い思わず二度見した。
「星崎からの提出物です。これで七分半は使えるそうです」
「これで、七分半? え? え!?」
星崎からの提出物だと言う、モバイルバッテリーに強引に繋がれた重力石を、混乱しつつも佐久間は見つめる。
事前に通電させれば使えると聞いていた。だが、予想を超えている。
「こんな状態でも使えるのか」
開発部に重力石を使った、新しい重力制御機を作るように命じた。その結果は『悪い』の一言に尽きる。開発部ツクヨミ部署の所属人員を全員解雇にするか。佐久間は一度、本気で悩んだ。技術士官だから解雇は難しく、出来るとしても異動ぐらいだ。
佐久間は松永大佐から提出の経緯を聞き、盛大な溜息を零した。
星崎を本日分の会議が終わった頃に呼び出そう。佐久間はそう決めて午後の会議を始めた。
午後の会議も、何事も無く進んだ。
今日の会議で本格的に揉めた議題はただ一つ。『ガーベラを仮想敵として参加させた演習』の結果から、月面基地でも同じ事を行うか否かの話し合いぐらいだ。これで午前中の残り時間を使い切ったが、纏まったので佐久間は良しとした。
代わりに午後の一発目は訓練学校に関する事から始まった。特に揉めはせず、直接見た飯島大佐からの『改善の兆し有り』で締め括られたかと思った。
「松永大佐。食堂で『事情を知らない女性兵と星崎の交流は、避けた方が賢明』みたいな事を言っていたけど、あれはどう言う意味なの?」
女性将官の一人が、松永大佐に質問を投げ掛けた。
質問を受けた松永大佐は無言で、追加の頭痛薬と胃薬と整腸剤の錠剤を小瓶から取り出して纏めて口に放り込み、口の中で嚙み砕いてから水で一気に流し込み始めた。それも、残りが五分の一にまで減っているとは言え、二リットル入りのボトルを掴んで注ぎ口から直接飲んでいる。
普段の松永大佐はラッパ飲みをしない。必ずコップを使って飲む。不吉を感じさせる光景を目にした室内にいた全員は、松永大佐が口を開くまで待った。好奇心で虎の尾を踏んで逝く愚か者は居ない。ただ、心当たりが在るのか、佐藤大佐と飯島大佐が何とも言えない顔をしている。
水を飲み終えた松永大佐は軽く息を吐き、空のペットボトルを握り潰しながら、中等部の授業中に起きた事を淡々と語った。佐藤大佐と飯島大佐が補足を入れる。
内容を聞いて、女性陣は額に手を当て、男性陣は先月の事を思い出していた。
「それは、交流はしない方が良いわね」
万感の思いを込めて頷き、質問者の女性将官は理解を示した。佐久間も交流無しの方向にしていて良かったと心から思った。
「星崎の奴、顔は覚えても名前は憶えていなかったな」
「何で名前を憶えていないのよ!?」「しつこく話し掛けられたら、普通は覚えるわよね?」
佐藤大佐の補足を聞き、女性陣の顔が引き攣り気味になる。そこへ飯島大佐と松永大佐の補足が入った。
「それがな、俺も同じ事を思って聞いたんだが『何度名前を尋ねても教えてくれなかった』って、返された」
「『どちら様』と聞かれて、『そんな事はどうでもいい』と名乗り忘れた相手の落ち度ですね」
「「「「「そうとしか言いようが無いわね!?」」」」」
頭痛と胃痛と涙を誘う、無慈悲な現実だけが存在した。女性陣の一部の絶叫が物悲しく会議室内に響く。
しかし、淡々と返しているだけなのに星崎を甘やかしているように取れるのは何故だろうかと、佐久間は疑問に思った。
「つーかよぉ。メシで男が釣れるって。……何か安いな!」
黙って事の成り行きを見守っていた工藤中将の発言を聞くなり、女性陣全員分の視線が彼に集まった。ギンッ、と音が聞こえて来そうな勢いだった。女性陣の視線を集めた工藤中将は小さく悲鳴を上げて縮こまった。
「お昼に星崎差し入れのクッキーをバクバク食べていた男が何か言っているわよ」「そう言えば先月も星崎が作ったお菓子を、本人から許可なく食べようとしていたわね」「していたわね。これだから食い意地の張った男は……」「女日照りで給料が余っているんだから、自分で買って食べればいいのに」「それか部下の中にいる女性に頼めばいいのにね」「それが出来ないから何時まで経っても独り身なんでしょうね」「独り身なのは理想が高過ぎるからだって何時になったら気づくのかしら」「気づかないんじゃなくて、理解したくないだけでしょ」「何時になっても結婚出来ないのは理想に合う女性に会えないからって、モテない男の典型的な言い訳よね」「死んでも会えないのに何でハードルだけ高いのかしらね?」「きっとアレよ。なけなしのプライドを維持する為よ」「ネズミの爪程度の役にしか立たないプライドの為に、良く頑張れる事で」「結婚にはある程度の妥協が必要と言われているのに、妥協の出来ない完璧主義者を気取っているのね」「発情期の猿みたいに、フラフラしているのに、何でそんな理想を持ってるのかしら」「人形を崇めている男の方がまだマシね」「確かに、丁寧に扱うものね」
女性陣から陰口風に非難を一身に受けた工藤中将は声を詰まらせた。途中から男性批判にすり替わり、未婚の男性陣の中には肩身が狭そうな顔をする者が続出した。既婚者及び結婚願望の無いものは、我関せずと言った顔で新しい缶コーヒーを開けて飲み、松永大佐に至っては星崎差し入れのサンドイッチを黙々と食べている。遠目に見ても美味しそうなサンドイッチだったので、佐久間も食べたくなった。そのバスケットは松永大佐の膝の上に在るので取りに行く事は出来ない。他にも食べたそうな顔をしている男性陣が何人かいるが、松永大佐は無視している。
「ちょ、そ、そこまで言わなくても……」
「ハッ、正面から言われても理解しようとしない男が何か言っているわ」「無様極まりないわねぇ」
工藤中将の抵抗は、鼻で笑われて一刀両断された。女性陣は皆頷いている。何も言い返せなくなった工藤中将は胸を押さえて呻いた。
ちなみに佐久間は、結婚願望が無いのでダメージを受ける事無く傍観出来ている。
一方、結婚願望を持ち、何時かはと、良縁の出会いを探している男性陣は工藤中将と同じく胸を押さえた。
結婚願望を持たない男性陣と、唯一の男性既婚者一条大将は、胸を押さえた男性陣を心底憐れそうに眺めている。
その中の一人、飯島大佐がため息を吐くついでに言い放った。
「おう。そろそろそこまでにしてくれ。こいつらが会議中に使いものにならなくなると困る」
「そうですね。追い込みと止めは、会議が終わってからにして下さい」
サンドイッチを食べ終えた松永大佐までもが黒い笑みを浮かべて口添えをすれば、女性陣は舌打ちを零して引き下がった。松永大佐との個別面談は女性陣も忌避する。ここにいない部下の女性兵に、松永大佐と二人っきりで話し合った(実態は床正座でお説教を受けるのだが)とバレると、非常に面倒だと佐久間は聞いた。主に嫉妬から来る嫌味系が酷いらしい。
女性陣が引き下がると、男性陣は息を吹き返した。だが、ここで不要な事を言うのが工藤中将だった。
「クッソ。女受けの良い男は余裕だな」
「私にはその手の願望が有りません。付き纏わられても鬱陶しいだけです」
「嫌味かっ!?」
清々しい笑顔の松永大佐と、キレる工藤中将。年齢的には、松永大佐の方が二歳年下になるのだが、どう見ても精神年齢で負けている。
なお、松永大佐は十六年前に亡くした恋人に操を立てている事で有名だ。他の女性を『異性』として見ていないし、仕事でもない限り接近も許さない。近づいても追い払われない星崎は完全なレアケースだ。
「あー、そこまでだ。会議を続けるぞ」
佐久間は手を叩いて己に注目を集めてから、会議の続行を宣言する。佐久間の宣言を聞いて皆表情を引き締めた。佐久間は居住まいを正した幹部の顔を眺めてから、会議を続けた。
その後の会議は何度か紛糾するも、佐久間が強引にどうにか終わらせた。
先月と違い、一日で終わった。
代わりに、疲れ果てた半数以上の幹部が屍のようにテーブルに伸びている。テーブルに伸びていない幹部は椅子の背凭れに寄り掛かっていた。
明日と明後日は休みで良いかと、佐久間は思った。けれど、昼休憩後に松永大佐経由で提出された品の存在を思い出した。休みにするか否かは、今日中に連絡を入れる事にして解散させる。
その際に佐久間は、松永大佐に星崎を執務室へ連れて来るように言う事も忘れなかった。時間的に夕食後に来るようにと指示を飛ばして、提出物を手に佐久間は大林少佐と共に会議室を出た。
「ちょっといいか?」
だが、会議室を出た直後に、一条大将に呼び止められた。彼は佐久間と大林少佐を追って来たらしい。
どうしたのかと佐久間が尋ねれば、星崎からの提出物について質問された。
誰が聞いているか分からない通路では教えられない。連絡を入れたら執務室に来るように、一条大将にも言ってから佐久間は今度こそ移動を始めた。
そして二時間後。佐久間は予想外の出来事に直面する。