諜報部で起きた、奇妙な出来事
九月下旬某日。
その日の諜報部は一種の緊張感に包まれていた。
室内にいる全員が目頭を揉む時に一度横目で、大林の頭上の物体が静止している事を確認してから仕事に戻る。
今日の大林の恰好は、何の捻りも無いライトグレーのスーツだった。パンツスタイルで伊達眼鏡も掛けている。なまじ普通の恰好なので、大林の頭上でたまに動く物体の存在に皆は困惑する。
視線による押し付け合いも進まず、微妙な空気の中で時間が流れた。
我慢出来なくなった誰かが言うだろう。そう思って皆仕事に集中するが、こう言う時に限って誰も言わないものである。
仮に大林に何かを言っても、『支部長から周囲に迷惑を掛けない事を条件に許可を取っている』、『仕事のモチベーション維持』、『戦闘機に転用する予定の技術を用いた作品で、想定通りの結果を出すか確認の為に、本国の開発部で作られた謎の玩具』の三つの内のどれかの回答が返って来る。
特に三つ目だった場合、文句が言い難い。何の技術が戦闘機に転用されるのか全く分からない。しかし、大林が言うには『パイロットの助けになる技術』らしいので、大変文句が言い難い。大林に説明を要求すれば、回答は返って来る。ただし、マシンガントークによる説明で大変理解が難しいと言う、残念な欠点が存在する。
大林に何を言っても無駄と判断した一部の面々は、『あれは過労による幻だ』と己に言い聞かせて仕事に集中する。
人工的に作られた『黒い猫の耳』を頭に生やした大林は、報告書を見る振りをして部下の様子を確認して呆れた。
大林が呆れると同時に、頭上の耳がピクピクと動く。動く謎の物体を見た部下一同は、一瞬、肩をビクつかせるも、無言のまま仕事に専念する事で逃げる。
……脳波を感じ取って動くとは聞いていたが、タイムロス無く動いている。これは成功ね。
大林が内心で満足していると、頭上の耳がピンと立った。部下一同が動揺する。
だが、大林的には不満が残る。どうせなら『同色の動く尻尾』を付けて欲しかった。今回は製作者の趣味で『猫の耳型の一対のクリップ』となっている。次回は犬耳で作って貰おうと、大林は心で決めた。
写真を添えてリクエストを出す事を決めた大林は、猫の耳が似合いそうな人物を思い出した。
年齢的にも、容姿的にも、違和感が無いのは、試験運用隊所属の星崎だろう。ファッション関係に興味が無さそうだから案外着けてくれるかもしれない。
最大の問題、と言うか壁は松永だ。あの心の狭い男は絶対に許可を出さない。それどころか、話を持ち掛けた時点で『接触禁止』を言い出すだろう。呼び出してもバレたら同じ結果になる。
同僚の娘にコスプレをお願いしているも同然なのだが、松永からの説教をものともしない大林だからこその思考だった。
日本支部の技術は日々の努力と積み上げで出来ていた。その過程で誰かの胃にダメージを与えているが、それを知るものはいない。
また、技術の成果が玩具に変わっているのは、将来的に別の分野への『小型転用』を考えているからであって、断じて開発者の趣味では無い。玩具に近い外見の方が、『新技術を使った作品だと思わないだろう』と言う考えで、この形で落ち着いている。
脳波の読み取りに関する技術は、一時、憲兵部で尋問用に使われたりもした。憲兵部で使用するには外見がファンシー過ぎた為、現在、大林が個人で使う事で落ち着いている。
大林は知らないが、憲兵部から使用希望が出ている。佐久間が全て却下しているので、憲兵部の魔窟度がこれ以上深まる事は無かった。