定例会議二日目~松永視点・その一~
時を少し遡る。
第一会議室では佐久間支部長が去った事で、気が抜けたのか、もしくは緊張の糸が切れたのか。室内にいたほぼ全員が『あ゛ぁ~』とゾンビを彷彿させる声を上げて、テーブルの上に突っ伏すように伸びるか、椅子の背凭れに寄り掛かり天井を見上げた。
その様子を見た松永は『屍のようだな』と暢気な感想を抱いた。松永本人も精神的に疲れているが、ここで彼らのようにだらしなく伸びる事はしない。
「こんなにもなげぇ会議は、初めてだ」
「俺もだ。腹が減ったけど動きたくねぇ」
二つの重いため息とどんよりとした声が室内に響いた。重い空気の中、動いたのは松永だった。良く動けるなと、松永に視線が集中する。
「昼食を食べて早々に仮眠を取れば良いだけでしょう。食べ損ねても知りませんよ」
重ねて言うが、疲れているのは松永も同じだ。けれども、松永は早々に昼食を済ませて自室で仮眠を取るつもりでいた。
「……そうだな」
松永の言葉を聞いて幹部達も、『腹が減っては戦は出来ぬ』のことわざを思い出して、のろのろと気怠そうに立ち上がり行動を始めた。その中の一人、工藤中将が松永に声を掛ける。
「松永ー。昼飯、お前のところで食ってもいぃーかぁー?」
工藤中将の言葉の意味は、試験運用隊の食堂の利用許可を求めるものだった。工藤中将が普段利用する、准将以上の軍人向けの食堂はここから離れており、往復で徒歩四十分は最低でも掛かる。対して、試験運用隊の食堂は往復で徒歩二十分程度と近い。最寄りの食堂と言っても良い距離だ。
疲労で言葉遣いがおかしくなっている工藤中将に、その事を指摘する気力は松永には残っていなかった。故に聞き流して忘れている点を指摘する。
「構いませんが、この時間帯だと、もれなく星崎もいますよ」
「……ソウダッタネ」
良く分からない笑顔を浮かべて、工藤中将は固まった。この反応を見るに、工藤中将は指摘されるまで星崎の事をすっかり忘れていたようだ。
「そういや、星崎で思い出した事が一つある」
飯島大佐の発言を聞き、松永以外の全員の肩が跳ねた。その様子から星崎が幹部達からどう思われているのか良く解る。戦々恐々とした視線が飯島大佐に集まるも、注目されている本人は疲労で気づかない。
「高橋の馬鹿の沙汰を星崎に決めさせるって、支部長が言っていた」
「……言っていたな」「確かにそう仰っていましたね」
同情に満ちた視線が高橋大佐に集まる。
ここで『何をやらかしたんだ』と言う猜疑に満ちた視線が送られないのは、高橋大佐の人徳か、星崎が齎す被害を思ってかのどちらかだろう。
「今日星崎を呼び出して決めるのか?」
「私は知りません。何も聞かされておりませんので」
松永は話を振られるも、知らないと答えて逃亡を図る。知らないのは事実なので嘘は言っていない。
「そうか。今日呼ぶのか、明日になるのか。会議の終わりになる事を祈ろうぜ」
「………………そうだな」
そう言って、飯島大佐は明るく笑い高橋大佐の肩を叩いた。肩を叩かれ、追い打ちを掛けられた高橋大佐の目が死んだ。そんな高橋大佐の様子に、憐憫に満ちた視線が他の幹部から送られる。
松永は内心で飯島大佐に『何をやっているんだ』と嘆息した。高橋大佐が午後の会議で使いものにならなくなっては困るので、『早急に昼食を取って、仮眠を取れ』と彼を会議室から追い出した。
今度こそ松永は会議室から出て、試験運用隊の食堂へ向かおうとしたが、言い忘れていた事を思い出して足を止める。
「佐藤大佐は試験運用隊の食堂への出入りを、暫くの間、禁止します。来ないで下さい」
「何故だ!?」
目を見開いて憤慨する佐藤大佐に、松永は冷ややかな声で尋ねる。
「昨日の話し合いを忘れましたか?」
「……覚えている」
「そう言う事です」
項垂れる佐藤大佐を放置して、今度こそ松永は会議室を出た。
到着した食堂には微かに甘い匂いが残っていた。食事の邪魔になる程では無いので、恐らくだが換気を終えたばかりなのだろう。現に、星崎が出入り口に背を向けて食事を取っている。
八月頭の頃は、ドアの開閉音を耳にすると星崎は必ず頭を上げていた。今は頭を上げる事無く食事に集中している。
「炉石はギリギリ、柄頭か鍔の中央に填め込める。……長剣砲はこれで良いかな?」
代わりに、こんな感じで独り言を呟く事が多くなった。独り言の意味は解らないが、長剣砲と呟いているので、アゲラタム関係である程度は予想出来る。
松永は昼食をトレーに載せて近づき、星崎に声を掛ける。食事を取りながら、ルーズリーフノートを見ていた星崎は顔を上げた。ノートの内容を尋ねようとした時、再び食堂のドアが開いた。松永は星崎と共にドアに視線を向ける。
現れた複数人――と言うか、幹部の殆どが食堂に入って来た。中将の幹部までもがいる。流石に一条大将や佐藤大佐と高橋大佐、神崎少佐の姿は無い。
「……えーと」
「揃いも揃って……。星崎、ここが最寄りの食堂だから来ただけだ。気にしなくて良い」
「そう、ですか?」
納得出来ていないのが丸判りな顔だが、星崎は一応頷いた。
星崎の隣に座ろうかと思ったが、飯島大佐に、佐々木中佐と井上中佐が昼食を手にやって来た。松永は星崎の正面に座り、ノートの内容について尋ねる。予想通り、アゲラタムの強化内容に纏めたものだった。
星崎から話を聞きながら松永が食事を進めていると、やって来た三人の内、星崎の左右に佐々木中佐と井上中佐が腰を下ろし、飯島大佐が松永の隣に座った。そのまま五人での、食事を進めながら話し合いに突入する。
アゲラタムの一機を専用機に改造するよう、星崎が佐久間支部長より指示を受けてから、そろそろ二週間程度が経過する。機体と装備の修理が終わり、使える装備の取捨選択を始めているが、選択が難しく決まらない。
「実際の戦場で装備をどう使い分けるかが、最後の問題になるのか」
飯島大佐の要約に星崎は頷いた。
「乱戦状態の戦闘はまだ二回しか出ていないので、正直なところ別の意見が欲しいです」
「あの長剣砲以外は、普通の剣だけで良いんじゃないか?」
「剣としても使えて、大型ライフルとしても使えるから、長剣と拳銃だけでも通常戦闘なら十分だろう」
「井上の言う通りだな」
飯島大佐が井上中佐の意見に同意した。松永は、アゲラタムの装備がどの程度の威力を誇るか知らないので何とも言えない。
「作戦に応じて装備を変えるのは当然だが、通常だと過剰になる可能性が有るのか」
「長剣と銃剣にすれば、そこまで過剰にはならないと思います」
「元々の威力を考えると、その組み合わせでも過剰だ」
過去の戦闘で、敵機のどれがアゲラタムだったかまでは、流石に松永も覚えていないし、判別出来ていない。
「松永大佐が考える、『過剰では無い』装備の組み合わせは、何だと思いますか?」
「両手に長剣のみだろうな。あの機動力に追い付くだけでも難しい」
佐々木中佐の質問に松永は少し考えてから答えた。
防衛線が始まった初期の頃。この時は戦略破壊兵器を惜しみなく投入したと聞いている。投入してもなお、戦況が変わらず今の『人型戦闘機』が開発されるようになった。それでも戦況は殆ど変わっていない。
星崎が口を開こうとしたところで、一足先に食事を終えた工藤中将がコーヒーを淹れたマグカップ片手に、飯島大佐の隣にドカッと音を立てて座った。
「確かに機動力で追い付かないのは解るが、お前ら! 飯の時ぐらいは別の話題にしろ!」
突然割って入って来た声に、松永が食堂内を見回すと、食事を取っていた幹部達が皆で頷いた。
「つーか、星崎も良くこの面子に囲まれて飯が食えるな! 俺が松永の正面に座って飯を食ったら、まったく味がしねぇぞ」
「ここ一ヶ月、ほぼ毎日似たような状態です」
「……そりゃ慣れるな」
工藤中将が口を横に開いて、心底嫌そうに小さく呻いた。
星崎の発言を聞いて松永はこの一ヶ月間を思い返した。星崎の言う通り、確かに食事を取りながら業務連絡や議論する事が多かった。ついでに、訓練学校について色々と発覚したのも、食事時だった事を思い出す。
「月面基地にいた時も似たような状態でしたし」
「え? 何でなの?」
「分かりません」
星崎は工藤中将からの質問をスパッと切り、己の左右に座る佐々木中佐と井上中佐を交互に見た。星崎から視線を受けた二人は、フォークを咥えたまま何かを思い出していた。少し経過してから、再びフォークを動かしながら喋る。
「んぐ。そう言えばそうだったな。星崎が食堂で飯を食っているところを見ていないから、上級士官向けの個室で高城と一緒に飯を食うようになったんだっけか?」
「そうそう。高城が支部長に相談して、支部長が言い出したんだよな。ただ、教官と訓練生だけで利用すると他の支部から何を言われるから判らないから、たまに様子を見に行くようにとは言われた。……確か、星崎は兵舎で持ち帰り用のパンを食べていたんだよな?」
「はい。五十種類ぐらい在りましたので、飽きませんでした」
「下士官向けの食堂は種類が多いな」
「いや、感心するのはそこじゃないだろ」
工藤中将の突っ込み通り、佐々木中佐が感心する場所がズレているのは認める。けれども松永は無視して、別に気になった点について星崎に尋ねる。
「星崎。下士官向けの食堂で何が遭った?」
「一人で食堂に向かったからか、他支部の人から非常にジロジロと見られました。一人で食事が出来そうな空気では無かったので、持ち帰り用のパンを持って部屋に戻りました」
「訓練生が一人で共用の食堂を利用すれば、目立つのは当然か。高城教官は何をしていた?」
「そうだな。高城も気を利かせて誘えばいいのによぉ」
星崎からの回答を聞き、松永は飯島大佐と二人して『高城教官は気が利かない』と批判した。月面基地の食堂は各国共用なので、他支部の人間も利用する。高等部の生徒ならまだしも、実年齢以上に幼く見える中等部在籍の訓練生、星崎が一人で利用するのは『ちょっかい出しても良い』と、日本支部が許可を出していると思われるかもしれない。
それを考えると、兵舎にパンを持ち帰るのは正しい選択かも知れない。
「まったく、気が利くのか判らない教官ね。でも、貴方達も食事時ぐらいは別の話題を提供しなさいよ」
「そうだな。メシの時ぐらいはゆっくり食べろよ」
草薙中佐を始めとした別の面々から非難を受け、飯島大佐は少し考え込んだ。
「そんじゃ、高橋の沙汰について――」
「それは止めろ。止めてやれ! メシのついでに決めたんじゃ、高橋が哀れ過ぎる!」
飯島大佐の言葉に食い気味で別幹部から制止の声が上がった。松永は沙汰の決定権を持つ星崎の軌道修正の最後の機会に感じた。けれど、口には出さずに黙々と食事を進める。松永の正面に座る星崎は頭に疑問符を浮かべたが、話題にならないと判断するなり残りの昼食を食べ終えた。テーブルの上に置いて在った、ティーコゼに似た被せものを持ち上げて、九つにカットされて皿に乗った、断面がマーブル模様のパウンドケーキを一切れ取った。
「ん? 星崎、今日も作ったのか?」
「はい。体重がまだ戻らないので」
井上中佐がパウンドケーキを見て星崎に確認した。星崎は一口食べてから答える。
「そこまで戻りが悪いのか?」
松永は星崎の体形を、テーブルから見える範囲で観察した。星崎は元々細いので、そこまで変わりが有るように見えない。松永も星崎からの自己申告が無ければ、気にもしなかっただろう。
「可能な範囲で食べているのですが、三十七キロを超えないです」
星崎の自己申告を知っている四人はため息を吐いている彼女に同情した。一方、事情を知らない他の面々は顔を引き攣らせた。
「補食として、結構な回数の菓子食ってるのに増えないって異常だな」
「一年前に比べれば、三キロも増やしたんですけど、そこから増えず、上下する始末です」
「筋トレしても、筋肉が付かないんだったか?」
「……はい」
飯島大佐の確認に、星崎は沈痛そうにパウンドケーキを頬張った。
「筋トレしても意味が無いって……」
「アレだ。プロテインを飲め。少しは肉が付くぞ」
「佐々木。栄養補助食品を勧めてどうする気だ?」
「だが星崎の場合、『体重が軽い』からガーベラの加速に『耐え切れた』と言う点を考えると、今のままでも良いかもしれないな」
「「「あー」」」「そうでしたね」
松永の意見に本人を含めた四人が頷いた。
体重の話は女性にとってデリケートに分類される話題だが、星崎の場合は問題が発生しているので、こうして度々話題に上る。
補食は、事情を知った松永が『自分で作るのなら』と許可を出している。そこそこの量が在り、佐々木中佐と井上中佐がたまに食べたがるし、松永も差し入れとしてたまに食べる。そこへ、恐る恐ると言った感じで、工藤中将が星崎に尋ねる。
「おい星崎。お前、体重四十キロ無いの?」
「はい。去年の九月に三十四キロにまで落ちてしまいまして、現在そこから戻している最中です」
『うわぁ……』
二切れ目を食べ終えた星崎の事情を聴いて、殆どの幹部が引いた。松永も事情を聞いた当時は内心で引いたので、幹部達の気持ちは良く解る。
「松永大佐」
「自己申告を受けて、我々も幾つかのアドバイスはした。効果が無いだけだ」
「そうなの?」
「……そうですね」
星崎が肯定すれば、質問者の草薙中佐もそれ以上何も言えずに引き下がった。その間に星崎はパウンドケーキを食べ進めて三切れ目に手を伸ばす。昼食を食べ切った佐々木中佐と井上中佐が星崎からパウンドケーキを一切れ貰って食べる。
「甘そうだけど、ブルーベリーか?」
「ミックスベリーです。ラズベリージャムが手に入ったので、ブルーベリーと混ぜて見ました」
星崎は飯島大佐からの質問に答えると一切れ勧めた。松永も勧められたので一切れ貰う。
「松永大佐。支部長分は必要ですか?」
星崎は四切れ目を頬張り嚥下してから、松永にそんな事を聞いて来た。回答は一つしかないので、松永は短く即答する。
「不要だ」
「松永の言う通りだ。支部長は、会議を思った通りに荒らす事が出来て、元気一杯だから要らねぇな」
「……そうなんですか?」
飯島大佐の言葉に星崎が首を傾げると、彼女の両脇に座る佐々木中佐と井上中佐が同時に頷いた。
「確かに支部長は元気一杯だから要らないのは解る。でもよ、何でお前らも一緒に食ってんの?」
「工藤中将、金取っても良いぐらいに美味いですよ」
「マジで?」
工藤中将の疑問は井上中佐の感想で消えた。工藤中将は席から立ち、最後の一切れに手を伸ばした。松永は工藤中将の手を叩き落し、皿を星崎に押しやった。
「ちょ、俺にも糖分補給させろよ!」
「それだけ騒ぐ余裕が有って、どこに糖分が必要なんだよ?」
「佐藤大佐のように、コーヒーに砂糖を入れれば済むでしょう」
松永は飯島大佐と一緒に工藤中将の言葉を却下した。星崎の視線が皿と工藤中将を往復しているが、松永は手をひらひらと振って食べさせた。
「俺にも、優しさをくれ!」
「子供のものを狙った時点で要らんだろう」
「うっ」
事の成り行きを見ていた他の幹部からの突っ込みを受けて、工藤中将は呻き声を上げて胸を押さえた。
「パウンドケーキはもう一本在るので、一切れならいいですよ」
星崎からパウンドケーキがもう一本在ると聞き、工藤中将は判り易く復活した。甘味を前にした佐藤大佐のような顔をしている。
「こいつを甘やかして良い事は無い」『うん』
しかし、室内にいた他の幹部から、速攻で否定されて工藤中将は再び沈んだ。
星崎は心配そうに工藤中将を見つめる。
「それは気にせず食べなさい」
「うん。星崎が食っとけ。元々星崎が、体重管理用に作ったんだしな」
松永は飯島大佐と一緒に、星崎に食べるように促した。星崎は何度か工藤中将に視線を送ったが最後の一切れを食べた。
ちょっとした騒ぎは起きたものの、昼食を取った面々は仮眠室に向かった。松永も自室に戻り、アラームをセットして仮眠を取った。
疲れが溜まっていたのか、横になるなりすぐに寝入ってしまった。
「――大佐」
松永は聞き覚えのある声を耳にして、意識を浮上させる。気づけば、ゆさゆさと揺さぶられている。
「起きて――もう時間――待って――」
松永は回転の鈍い頭で聞こえた言葉を反芻する。
起きて。時間。待って。
……時間?
引っ掛かる単語を聞き、松永は目を開いた。松永の自室なのに、何故か慌てた星崎がいる。
「飯島大佐が呼んでいます。会議があと十分で始まります!」
星崎の言葉を聞いて、松永はとんでもない大寝坊をした事を理解した。
松永は星崎に礼を言ってから、慌てて身嗜みを整えて自室を出た。廊下に飯島大佐はいない。先に向かったのだろう。松永は息が上がらない程度の速度で走り、会議室へ向かった。ギリギリで到着するなり、松永は工藤中将に絡まれた。松永が鬱陶しく感じているのを無視して、工藤中将は機嫌良く口を開いた。
「ははっ! 松永が遅刻しかけるとは珍しいな! 俺に――」
「それ以上の発言は、『私にいびって欲しい』と、願い出ていると捉えますが、宜しいですか?」
「……済まん。俺が悪かった」
工藤中将の額から、ぶわっと脂汗が噴き出した。工藤中将は松永から離れてそそくさと席に戻る。松永も己の席に座った。
時間ピッタリに、大林少佐を連れた佐久間支部長が現れて、会議が始まった。