定例会議、初日~佐久間視点~
九月七日十三時前。第一会議室。
佐久間はこの日、意味も無くウキウキしていた。
どんな風に会議を荒らして意見を通すか。支部長の立場にいる人間としてあるまじき事を、佐久間は真剣に考えていた。
各々が座る席に置かれた、佐久間からの差し入れの胃薬と頭痛薬(共に錠剤入りの二つの小瓶)を見て、やって来た幹部達は『嘆息する』か、『げんなりとした顔になる』のどちらかの反応を見せた。
幹部達は先月の定例会議中に起きた事件を思い出し、今日もまた『何かが起こる』と察した。事前に佐久間から『三日分の予定を開けるように』と通達が来ていた事も有り、幹部の何人かは、会議が始まる前に席に置かれていた胃薬と頭痛薬を手に取った。そして、共に置かれていたミネラルウォーター(一リットルサイズのペットボトル)を開封し、一緒に置かれていたコップを使って服用する始末。
参加者が揃い、定例会議は何時ものように始まったが、開始早々、佐久間の言葉が困惑を呼ぶ。
「松永大佐の報告は過去一番長いから最後にしてくれ」
その言葉を聞いた幹部一同は、ほぼ同時に松永大佐を見つめた。松永大佐は魔王のように怖れられる事が多いが、同時に『日本支部のご意見番』、『支部長のストッパー』と幹部達から呼ばれ、支部長が暴走する時には『常識人最後の砦』として非常に頼りにされている。特に、会議が荒れる前兆が見える時には。
「佐久間支部長。長くなるのは同意しますが、時間を長く取るのも事実です。時間配分を考えると、最初に報告した方が良い気がします」
「いや、最後が良いな。松永大佐からの報告を聞いて理解しないまま、他の報告を聞く状況を思い浮かべて見ろ。絶対、頭に入って来ないぞ」
「……ふむ。確かにその通りですね」
そのやり取りを聞いた幹部の内五名はすっと視線を松永大佐から外し、虚ろな目でテーブルを見つめた。
「飯島? 高橋と神崎に、佐々木と井上まで。お前ら、どうしたんだ?」
一早く異変に気づいた佐藤大佐が首を傾げる。佐藤大佐の困惑した声を聞き、他の幹部も困惑を深める。
「いや、諦めを付けたんだが、ちゃんと付いていなかったらしい」
「……そうですわね」
「……支部長。今日の休憩時間は長めでお願いしやす」
三者三様の諦めに満ちた言葉は他の幹部達に嵐を予感させた。佐々木中佐と井上中佐は何も言わずに、胃薬を追加で服用している。五人の姿に、一人を除いた幹部達が『何が遭ったんだ!?』と戦慄する。
「時間は有限だ。さぁ、会議を始めるとしよう!」
何時も以上に妙に元気一杯な佐久間は会議を進めた。幹部達は、暗雲どころか嵐が待ち構えている事を察知し、元気な佐久間を見て即座に諦めて視線を逸らした。
各隊の状況、防衛戦の戦後処理と今後の対応、月面基地に関連した報告を始めとした、軍事組織の上層部ならではの報告が続いた。
三人を除く全員からの報告が一通り終わり、佐久間は次の報告内容を考えて、休憩を挟む事にした。嵐の前の静けさを感じ取った一部幹部は胃薬を服用している。
「やっぱりよぉ、戦況を引っ繰り返すだけの『少数精鋭戦力』が無いと厳しいのか」「そうとは限らんだろう」「けどよ。二連勝して九連敗しているんだぜ」「個人戦力に頼る危険性を考えると、同意は出来ん」「せめて、ガーベラと同程度の性能を誇る機体が有れば良いんだけどよ」「無いもの強請りだな」「分かっていても愚痴が止まらん。装備を強化するとか、出来ないもんかねぇ」
休憩時間にしても、こんな内容の議論が、何度『やるな』と言っても発生する。
皆それだけ真剣に、『今後の事』を考えている証拠でもあるので、何時しか佐久間も『止めろ』と言わなくなった。
休憩が終わり、最初の荒れる報告が行われる。報告を行うのは、諜報部トップの大林少佐だ。
「では、私からの報告を始めます。長いですが、ご静聴お願いします」
大林少佐の報告前の第一声に、皆顔を強張らせた。彼女がこの前置きをするのは、日本支部を揺るがす事案調査が完了した時に限られる。そして、約半月前にも同じ言葉を聞いたばかりだった。
「おい……。開発部に続いて、今度は一体、何が起きたってんだ!?」
「工藤中将。まずは落ち着いて報告内容を聞いて下さい。そして報告が終わるまで口を開かないで下さい」
工藤中将と呼ばれた男性幹部の一人に、絶叫に近い問いをぶつけられても、大林少佐は冷静に対処した。そんな彼女の様子を見て、他の幹部も慄き始めた。
「待て! 一分待て! いや、十分待って!? 心の準備をさせてぇ!」「おいおい。どんだけヤバい案件なんだよ……」「ヤベェ、体の震えが止まらねぇ」「ハハハハハ。笑いが止まらない。ハハハハハ、どうしてかしらね……」「支部長。この薬、全部飲み切っても良いですか?」「帰りたい」「逃げてぇ」「俺は何でここにいるんだろうな」
一部の幹部達はパニックを起こした。パニックを起こさなかった他の何人かはテーブルの胃薬に手を伸ばした。
「薬は私からの差し入れだから構わんぞ。それと、落ち着け。パニックを起こすのは、報告を聞いてからでも遅くは無いぞ」
佐久間は質問に回答しつつ、パニックを起こした幹部を宥めに掛かった。最初に口火を切った工藤中将が落ち着いている佐久間を見て声を上げる。
「支部長! 大林から同じ台詞を聞いて、まだ半月も経っていないんですよ! 何で落ち着いていられるんですか!?」
「私が調査しろと指示を出したからだ」
「? ……支部長が絡んでいるんですか」
佐久間が指示を出したと教えれば、動きを止めた工藤中将を始めとした幹部達のパニックは収まった。だが、大林少佐からの報告内容が『訓練学校に関するもの』だと知ると、事前に知らされていない幹部達にパニックの代わりに困惑が広がる。
「何で今になって……。しかも、諜報部が訓練学校を調査したんですか?」
「調査対象が『教官』だからだ」
「支部長。どう言う意味ですか?」
「意味を知りたいのなら、先ずは大林少佐の報告を聞け。全ての質問はそれからだ」
調査対象が『教官』だと知り、五人を除いて皆の表情が険しくなった。何かを言い募ろうとした別幹部に向かって、佐久間は手を振って『待て』と制止を掛ける。
「大林少佐。報告を続けてくれ」
「分かりました」
佐久間に続きを促されて、大林少佐は報告を行った。
そして、訓練学校のまさかの現状を知り、事前に聞いていた五人でさえも表情を険しくする。
「なんてこった……」「自分から『訓練学校の教官をやる』って言った連中は、何やってんだよ!」「あんの馬鹿共。訓練学校を潰す気か!?」「ここ数年、訓練学校の卒業生の質が落ちたって言われているのは、これが原因なのか?」「でもよ、使える奴は使えるよな? 二十人程度だけど」「そうだったけ?」
大林少佐からの報告内容を聞いた幹部達の心情を代弁する、困惑と怒りが会議室に響いた。
皆嘆息を零してから、天井を仰ぎ、額に手を当て、蟀谷を擦り、腕を組んで顔を顰め、両手で顔を覆う、などのいずれかの行動を取った。
「聞いていた以上に酷いな」
そう言って、佐藤大佐は眉間に皺を寄せた。
「想像以上に酷過ぎる」
佐々木中佐は顔を顰め、胃が痛むのか右手で腹部を擦っている。
「教官の入れ替えは簡単に出来ないってのに」
頭を抱えた井上中佐は重く長い息を吐いた。
「星崎が手を抜きたくなる気持ちも、何となく解る酷さだな」
他の幹部同様に、星崎から直接話を聞いていない飯島大佐は口を横に開いて呆れて、彼女に同情した。
「士官学校の教導部も、良く許可を出したものだ」
松永大佐はただ呆れた。口にした言葉には怒りが滲んでいるので、内心では激怒しているのだろう。
星崎と面識のある五人はそれぞれ感想を零し、他の幹部の耳目を集めた。思った事を口にし、『幹部の心の代弁者』と化している工藤中将は素直に疑問を口にした。
「おいお前ら。その口振りだと、事前に知っていたのか?」
「星崎から聞かされただけだ」
「って、またあのガキが絡んでいるのかよ!」
佐藤大佐の無情な回答に、工藤中将が頭を抱えて絶叫した。
何を隠そう、開発部の不正が発覚した原因は、星崎の迷子から始まった『敵機、謎の復活暴走事件』なのだ。佐久間的には、日本支部の大掃除が出来たので良く思っているが、巻き込まれて書類仕事に忙殺された他の幹部からすると、不吉を招く名前となる。特に会議中は、最も聞きたく無い名だろう。
「佐々木、井上。何で星崎から訓練学校の話題を振られたか覚えているか?」
「覚えています。星崎の手抜き癖について色々と言ったら、校内での処世術の一つとして語られただけです」
「確かにそうだったな。『やっかみが酷いから、平均程度に収まるように程々にする癖が付いた』と、星崎は言っていました」
「『訓練学校のギスギスした空気を、何で卒業生が知らないのですか?』と、逆に質問されました」
「俺らの時と随分と様変わりしていたみたいで、一瞬どこか分からなくなった」
佐藤大佐に話を振られた二人は、思い出しながら回答する。
「お前ら何時聞いたんだよ。月面基地にいた時か?」
「いえ。八月の頭に試験運用隊の隊舎で聞きました」
続く別幹部からの質問に佐々木中佐が回答すると、質問者の幹部は『ん? 何だって?』と言わんばかりに耳に手を添えて、疑問を口にした。
「待て。何で前回の会議で議題になっていないんだ?」
他の幹部も同じ事を思ったのか頷いている。
「八月の頭だったら、どんなに調査日数が短くても、会議で報告すべきだろう? 何で報告しないんだよ!」
工藤中将がテーブルを叩いて、佐々木中佐を糾弾する。幹部達が『知らされない怒り』で殺気立ち、会議が紛糾する前に、鎮火を兼ねて佐久間は口を挟んだ。
「それは調査が始まったばかりだった事が大きい。少し調べただけで、埃が大量に出てしまってな。定例会議の報告に挙げるんだったら、もう少し詳細な調査結果が必要になると『私が』判断した。対応として、士官学校の教導部には連絡済みだ。人員の派遣も行われているし、研修を受けていない連中の穴埋めも行われている。今日の報告までに教官の方だけだが、大体の片は付いた」
「支部長が止めていたのですか?」
「そうだ。調査結果が有る程度出てからではないと『会議が荒れ、調査対象が定まらない』と判断した。毎月会議が荒れるのは、それはそれで問題が有るだろう? 荒れるのは数回に一回で良いからな」
佐久間は尤もらしい事を言って締め括り、『支部長の判断で報告しなかった』事にする。実際は調査対象が定まらない云々よりも、会議の荒れ具合が酷くなる事を懸念して報告対象にしなかっただけだ。
支部長判断。何て素晴らしい言葉か。
事情を知って殺気を静める幹部達を眺めながら、佐久間が一人悦に入っていると、大林少佐から補足が入った。
「まぁ、今回の調査を行った結果、過労で何人か倒れましたが」
「今回に限って、特別手当を出す。調査は完全に終わっていないしな」
「手当も欲しいですが、何よりも人員を増やして欲しいです」
「それは今後の、調査の内容結果次第だな」
「左様ですか」
大林少佐は小さくため息を吐いた。佐久間的にもっと大事にならないと人員の追加は……ぶっちゃけると人手が足りないから難しい。それが現状だった。
「訓練学校は、我々が思っている以上の惨状となっている。士官学校卒のパイロットの質を高める為に、訓練学校を犠牲にする訳には行かん。教導部と話し合いつつ、改善を行う。卒業予定の高等部の三年生に対しては、救済処置として、士官学校教導部からの派遣人員を増やす事で対応する。異議と質問は有るか?」
訓練学校の今後の扱いについて、佐久間は決まっている事を述べ、幹部一同を見回した。
「……その前に休憩にするか。異議と質問は、それからでも出来るな」
しかし、幹部一同の精神的疲労の蓄積具合と顔色の悪さが深刻に見えた為、佐久間は休憩を挟む事にした。
休憩時間中に各々で勝手に議論し、意見を纏めるだろう。佐久間の読み通りに、幹部達は勝手に議論し合っている。長めの休憩が終わる頃には、大まかに幹部の意見が纏まった。
調査がまだ続いている事と応急措置が取られている事を鑑みて、『緊急性の高いものは臨時会議を開いてでも必ず知らせる』、『次の会議でも必ず議題に出す』の二点を『支部長厳守』で、訓練学校については終わった。
次は松永大佐からの報告だ。長いと事前に知らされていた為か、事前情報を知らない幹部は一斉に身構えた。
「――ガーベラで判明した事は以上になります」
松永大佐がガーベラについて判明した事を報告し終えた時点で、事前情報を知らなかった幹部一同は開発部への落胆から肩を落とした。
「開発部の存在意義って、何だと思う?」「知らねぇ。予算を食い潰す部署か?」「星崎も、良く圧死しなかったな」「十年越しとは言え、他にも乗せて良い奴が増えたのは喜ばしいんだろうな」「でもよ。ナスタチウムの重力制御機を積んでも星崎以外の奴では、最大で六割程度のスピードしか出せないんだろう? 十年前の技術じゃ五割、いや四割も出せねぇよ」「それを考えると、どの道、十年前の作戦には投入出来なかったって事だな」
幹部達のやり取りを聞き、やっぱりかと、佐久間は内心で独り言ちた。
やはり、ガーベラを十全に乗りこなせるものが見つかると、十年前の作戦の生き残りは『どうして今になって、乗りこなせるパイロットが見つかったんだ』と思ってしまうらしい。本人に八つ当たりしていないところを見るに、自制心が働いているようで何よりだ。
何かを考えた幹部の一人が、佐久間に質問を投げ掛けた。
「支部長。聞かされていませんが、星崎をガーベラに乗せる決め手は何だったんですか?」
「耐G訓練の結果だ。星崎は生身で十五G以上も耐え切る結果を出していた。一瞬だけだが、最大で二十Gにも耐え切った。日本支部過去最高の成績だ」
約二ヶ月半前。佐久間は月面基地で、星崎が目を覚ますまでの空き時間に、彼女に関する報告書や成績などを見ていた。耐G訓練の結果を見た佐久間は、星崎を訓練学校に戻さずに、ガーベラのテストパイロットをやらせてみたいと願望を抱いた。
あの時、襲撃が『発生してくれて』本当に助かったと、不謹慎だが、佐久間は内心で敵に感謝した。あのタイミングで襲撃が起きなければ、星崎は独りで月面基地から去り、ガーベラに関してここまで色々と判明しなかった。
佐久間の回答を聞いた、数人のパイロット側代表の幹部の口の端が痙攣した。
「あのガキ、そこまで耐え切ったのか」「そりゃ、乗せない理由が無いな」「そこまで耐え切れる奴も、滅多にいないな」「ここまで来ると、『ガーベラに乗る為に来た』って感じだな」
星崎の想像を超える耐久度に、幹部が引いている。数秒の沈黙が下りたのを見計らって、松永大佐は次の報告を行った。
ガーベラとの模擬戦映像付きで、ナスタチウムの強化に関する報告終了後。キンレンカにどのような強化を施せるか、次代の新型機に求める性能を軽く話し合い、次の報告へ移る。
松永大佐からの三つ目の報告は、技術調査名目で回収した敵機に関する情報だ。
敵機に――アゲラタムに関する情報が一つ開陳される度に、幹部一同の表情が険しくなって行く。佐久間も他者視点の情報を聞き、己の認識との相違点を探す。
「――敵機種別呼称『アゲラタム』に関する情報は以上となります」
先程ガーベラに関する報告をした時とは違い、幹部全員が情報を咀嚼するように黙り込んだ。
情報を理解するのには時間が掛かるだろう。星崎に三日間調査させただけで、日本支部調査百年分を超える情報量となった。その情報を僅かな時間で大量に齎されたのだ。混乱は必須だろう。
松永大佐は星崎と一緒に情報の整理を行ったのか、非常に落ち着いている。落ち着き払って、胃薬を噛み砕いて飲んでいる。
幹部達が情報を咀嚼して混乱を乗り越えると、次の焦点は『操縦可能な機体』になる。これに関しては、松永大佐が事前に数人の幹部を巻き込んで操縦実験を行い、操縦マニュアルまで作り上げていた為、比較的スムーズに話し合いは終わった。だが、齎された情報量の多さに、複数の幹部が松永大佐に『提供元』を尋ね始めた。
口の堅い松永大佐が素直に喋る筈も無かった。
「今回の会議の終わりに、佐久間支部長が教えてくれる筈なので、私からは回答しません」
それどころか、微笑を浮かべて、質問をのらりくらりと躱し、予定に無い爆弾発言をした。思わぬ飛び火に、ちびちびと水を飲みながら傍観していた佐久間は、口にしていた水を逆流させた。幹部一同が不審な目で佐久間を見る。
「ま、松永大佐。存在すらしない予定を、決定事項のように言うのは、止めてくれないか?」
「存在しない予定扱いの方が、寧ろあり得ないです。今回中に決めないと、会議の日数が倍に伸びます」
「…………………………そっかぁ」
松永大佐の意見を聞き、佐久間は時間を掛けてどうするか考えた。会話の内容と佐久間の反応の意味が分からない、一部の幹部達は怪訝そうな顔をしている。会話内容を何となく理解した幹部は心底嫌そうな顔をした。
「それでも、全ての報告が終わってからだな。うん」
佐久間はその言葉を言う事で逃げた。
松永大佐が残りの報告を終えたところで、佐久間は参加者の顔を眺めた。
会議は大きく『報告・議論・決定』の三つに分かれる。佐久間の報告を残しているが、漸く報告の九割が終わったばかりだ。全体の三分の一も終わっていない。
にも拘らず、幹部一同は疲労困憊となっている。佐久間が差し入れとして用意した胃薬と頭痛薬を飲み切った幹部までも出た。
星崎が絡んだ報告を行っただけで、この状態。本人がいなくとも齎す混乱は大変酷かった。
「まさに阿鼻叫喚の惨状だな」
「支部長。二週間前から会議を荒らす気満々だった癖に、今更になって何を仰るんですの?」
腹部を擦りながら、神崎少佐がぼやくように突っ込みの言葉を言った。それを聞いた幹部一同は頷く。
「よし、休憩だ。少し休めば落ち着くだろう」
「色々と言いたい事しかないが、そうするしかないな」
目頭を揉みながら一条大将が同意の言葉を口にし、他の幹部からの反論は無かった。
なし崩しの休憩時間となった。幹部の殆どがテーブルに伸びており、何時もの休憩時間のように議論する気力すらも残っていないらしい。
そんな中、松永大佐は通信機を使ってどこかに連絡を入れていた。
一部幹部から休憩の延長を求める声が上がる最中、会議室に来訪を告げる電子音が響いた。誰が来たんだと、皆で顔を見合わせると、松永大佐が『自分が呼んだ』と言い出した。
「鈴村か?」
松永大佐の副官と言えば彼になる。幹部の一人が何となくその名を上げた。けれども、諜報部から派遣されている彼は訓練学校の調査の人手不足を理由に、一時的に諜報部に戻っている。その事実を知る――と言うか、松永大佐と交渉して連れ戻した本人の大林少佐が違うと否定した。
では誰か?
松永大佐以外の全員が思案顔になる中、やって来たのはまったく別の、佐久間にとっても予想外の、会議参加者にとっては来て欲しくない人物だった。
「失礼します……え?」
やって来たのは大きな布袋を抱え、肩に鞄を提げた星崎だった。本日の会議の混乱の元凶がふらりと現れた。室内にいた、呼び出した松永大佐を除く全員に緊張が走る。星崎はこちらの緊張を気にせずに松永大佐に歩み寄った。それでも、入室前に室内の惨状を見て、流石の星崎も引いたようだが。
「松永大佐。整腸剤をお持ちしました」
そう言って、星崎は布袋と鞄を床に置き、錠剤の小箱を取り出し松永大佐に渡した。
「悪いな。幾らだった?」
「会議が終わってからで良いです。栄養ドリンクは要りますか?」
「……貰う」
星崎は松永大佐からの回答を聞くと、大きな布袋から横に二本の瓶がテープで付けられた、直方体の箱を取り出した。それを見た飯島大佐が星崎に声を掛ける。
「星崎。整腸剤と栄養ドリンクは何個有るんだ?」
「整腸剤は残り二十個です。念の為、購買部で残りの二十一個を買い占めて来ました。栄養ドリンクは四箱購入して来ました。一人二本は行き渡ると思います」
松永大佐に栄養ドリンクを二本渡してから、参加者の人数を数える事も無く星崎は飯島大佐に回答した。佐久間は購買部に置かれていた整腸剤と栄養ドリンクの単価を思い出し、『豪快だけど助かった』と内心で星崎に感謝した。参加者の人数をどうやって計算したかは不明だけど。
……と言うか星崎よ。栄養ドリンクを四箱も買ったのか。
「そうか。どっちもくれ」
「はい、どうぞ」
星崎は飯島大佐にも整腸剤と栄養ドリンクを渡した。残りの個数を聞いた佐々木中佐が、テーブルに伸びていた井上中佐を揺さぶり起こして星崎に所望する。星崎は井上中佐の顔色の悪さに若干引きつつも対応する。
「星崎。俺にも整腸剤と栄養ドリンクをくれ。井上、整腸剤も使うか?」
「悪い、使う」
「……どうぞ」
そのやり取りが行われていた間に、受け取った栄養ドリンクを二本とも飲み干した松永大佐が、容器の蓋を閉めながらぽつりと呟く。
「代金は佐久間支部長に経費として請求するか」
「是非ともそうしようぜ」
「え゛!?」
飯島大佐から同意の声が上がった。予想外の大出費に佐久間は思わず上ずった声を上げた。驚き固まる佐久間を無視して、更に二名が椅子から立ち上がった。
「では、栄養ドリンクは全員に配ってしまいましょう」
「そうしましょうか。星崎ちゃん、二箱頂戴」
「はい」
立ち上がった大林少佐と神崎少佐が星崎から栄養ドリンクの箱を受け取り、佐久間を無視して皆に配って行く。星崎は空きのテーブルに残りの整腸剤と栄養ドリンクを並べる。すると、あちこちから整腸剤を求める声が上がった。星崎が声を上げた幹部に整腸剤を届けに動く。
「……出費」
「会議を荒そうとしたツケだ。諦めろ」
「そんなぁ……」
一条大将に突き放されて、佐久間は肩を落とした。経費計上するとなると、経理担当の秘書官から何を言われるんだろうか。佐久間のポケットマネー扱いになりそうな未来しか見えなかった。
「って、いやいやいや、ちょっと待てぇ!!」
栄養ドリンクが配られて行く最中、工藤中将が椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がり、突っ込みの言葉を叫んだ。
それを聞いた大林少佐は栄養ドリンクを配る手を止めて、冷ややかな視線を工藤中将に送る。
「おや、随分と元気そうですね。栄養ドリンクは不要ですか?」
「それは要るけど、ちょっと待て! 夏休みが終わって九月になっているのに、何で訓練生がまだここにいるんだよ!」
星崎を指差した工藤中将の渾身の突っ込みが炸裂した。その言葉を聞いた他の幹部達は、皆一様に『あ』と抜けた声を上げた。
「言われて見れば確かに」「普通に馴染んでいるから、違和感が無かった」「あれ? 夏休み中だけツクヨミにいるんじゃなかったのか?」
幹部達の、星崎と普段接触しない面々が、一斉に彼女を見た。視線を浴びた星崎は驚きもせずに、佐久間、松永大佐、飯島大佐を順に見て、コテンと、首を傾げた。
……ここで佐藤大佐を見ない辺り、聞いても無駄と星崎は判断しているのだろう。扱いがちょっと雑だけど、妥当としか言えないのが悲しい。
星崎が何かを口にするよりも先に、佐久間が慌てて割って入る。
「済まん。最後に教える予定だったが、星崎は今月から飛び級卒業扱いで試験運用隊の所属になった」
『……えぇっ!?』
佐久間の言葉を聞いて内容を理解した幾人かの幹部が、絶望に満ちた顔をする。その中の一人、幹部の心の代弁者こと、工藤中将がテーブルを叩いて叫ぶ。
「ちょおおおおおっ! 一番会議で決めなきゃいけない案件じゃないですか!? 何で、支部長の一存で決めちゃっているんですかぁっ!!」
「工藤中将、煩いですよ。少しは落ち着いたらどうですか?」
松永大佐に煩いと言われた工藤中将は一度彼を力強く睨むも、目の笑っていない笑顔を返されて震えつつ声を上げる。
「これが落ち着けるわきゃねぇだろう!? 日本支部を揺るがすトラブルを、二度も引き起こした奴だぞ! おんめぇは自分の部下に配属されたってのに、よくもまぁ、落ち着いていられんな!」
「工藤中将訂正して下さいな。引き起こしているのではなく、『引き寄せている』が正しいですわ」
まったく違う方向から、星崎を擁護する声が上がった。声の主を確認すると神崎少佐だった。意外な事に大林少佐も頷いて同意している。
「確かに引き寄せているだけですね」
「それでも、事を起こす引き金である事には変わりねぇだろ!?」
「ですが、日本支部の隠れた膿出しが出来ているのですよ。全体で見ると、完全にプラスですね」
「これに関して、支部長はどう思っていますの?」
喚く工藤中将を落ち着かせる為か、神崎少佐は佐久間に意見を問うた。佐久間の回答は決まっている。サムズアップしてから答えた。
「年末の大掃除が楽になりそうだな」
「そもそも、支部長は年末に大掃除なんてしないでしょう!? いい加減、俺達の胃に、優しさと気遣いを下さいよ!!」
工藤中将の心からの叫びを聞き、『それには同意する』と言わんばかりに他の幹部が頷いた。そんな中、マイペースに動くのは星崎だった。
「お疲れでしたら、飴かチョコを食べますか?」
「……何で俺は子供から児童扱いされるんだ」
思わぬ方向から一撃を食らった工藤中将は、落ちるように椅子に座り脱力した。
星崎が鞄から取り出したのはチョコレート菓子の箱と個装された飴玉だった。
「不要ですか?」
「チョコヲクレ」
脱力して、言い返す気力も残っていないのか。怪しい片言で工藤中将は、天井を仰ぎ見たままそれだけ言った。
星崎が工藤中将に近づいてチョコレート菓子を渡すと、菓子のパッケージを見た一人の女性幹部が眉根を寄せた。
「それ、購買部で売っているお菓子よね? 何時買ったのよ?」
「先程、整腸剤と栄養ドリンクを購入する時に、一緒に買いました」
「鈴村大尉と一緒に行ったの?」
「え? 一人で行きましたが……」
「って、駄目じゃない! 何で一人で行ったのよ!?」
「? ? ?」
星崎は意味が解らず頭から疑問符を飛ばした。
「松永大佐。どうして注意しないのよ?」
「草薙中佐。私も先程知ったばかりだ」
松永大佐は噛み付かれるも『知らなかった』と回避した。草薙中佐と呼ばれたショートヘアーの女性幹部は、話の矛先を憲兵部トップの神崎に変える。
「神崎」
「ごめんなさぁい。教えるのを、すっかり忘れていたわ」
てへっと、神崎は己の頭を小突いて謝った。何の事だか分からない星崎は頭から疑問符を飛ばしたままだ。
「半月前からツクヨミで、二十歳前後の女性パイロットを狙った、悪質な事件が起きているのよ。犯人の特定は複数の証言から出来ているんだけど、そいつらの上司が、証拠となる監視カメラの映像を消しているから、まだ捕まっていないの」
「監視カメラの映像を消す際に使ったIDも、実在する別人のものを使っているから、逮捕したくても出来ないのよね」
二人の説明を聞いて、星崎は別の疑問を口にする。
「それは、一昨日の夜の人達の事ですか?」
星崎が『一昨日』と口にした瞬間、佐久間の視界の端で一条大将が一瞬身を固くしたが、幸いな事に気づいた幹部はいなかった。
「一昨日?」
「まったく何の関係も無いわ。一緒にしたら別の意味で失礼だけど、夜更けに女の子の部屋に突撃したって点は同じかしら」
草薙中佐を始めとした、知らされていない幹部達は怪訝そうな顔をした。神崎少佐が素早く星崎の疑問に答える。
「ちょっと、それはどう言う事よ」
「支部長がちゃんと教えてくれるから、今気にしなくても大丈夫よ」
「本当ですか?」
ギンッ、と音がしそうな勢いで、草薙中佐は佐久間を睨んだ。思わぬ飛び火第二弾を浴び、睨まれた佐久間は内心で神崎少佐に『何故要らん事を言った!?』と思いながらも回答する。
「本当だ。と言うか、私からの報告がまだだろう。ちゃんと教えるから落ち着け」
「……分かりました」
今にも舌打ちしそうな顔で、草薙中佐は渋々引き下がった。佐久間からの報告がこれから行われるのは事実だ。休憩が終わったら報告しようかと思っていた矢先に、松永大佐が先手を取るように『混乱の元凶』を呼び寄せてしまったので、混乱が広がっている。
たった今、広がっている混乱も星崎が直接齎すものに比べれば軽かった――佐久間は今夜、そう述懐する事になるのだが、まだ先の話だ。
ツクヨミで起きている事件を知り、一昨日の一件とはまた別件と理解した星崎は、ドアに視線を向けてから爆弾を投下した。
「その話ですと、今廊下で『誰かの出待ちをしている人達』がその犯人ですか?」
「「「「「「はぁあああっ!?」」」」」」「「「おいぃぃっ!?」」」「ちょ、おま、何ちゅーもんを連れて来たんだあああああ!?」
星崎の報告を聞き、草薙中佐を始めとした数人の幹部が、仰天の余り、椅子を蹴り倒して立ち上がった。予想外の報告を聞いた佐久間は一瞬呆然とするも、すぐに自身の秘書官も務める大林少佐の名を呼んだ。
「大林少佐」
「……確かにいますね」
名を呼ばれるよりも早くに、大林少佐は素早く動いていた。大林少佐が手元の機器を操作すると、壁面モニターに会議室前の監視カメラの映像が映し出される。
十人近い数の男性兵士がいた。揃いも揃って、下品な顔で何かを口にして笑い合っている。
「音声も拾えていますが流しますか?」
「不要だ。録音と録画だけは頼む。それと、一時間前からの映像と音声も入手してくれ。あの顔を見るに、真っ昼間から子供に聞かせて良い内容じゃないだろうな」
「どう見てもそうでしょうな」
風雲急を告げると言わんばかりの展開に、佐久間は幹部の相槌を聞きながら、無意識に鳩尾辺りを擦った。
……おかしい。会議を『楽しく荒らす側』だったのに、気づけば一方的に荒らされている。これが星崎との年季の差か?
見当外れな方向に佐久間が意識を逸らしていたら、不気味な笑い声が上がった。二名を除いた室内にいる全員が音源を見る。除いた二名は、星崎をこっそりと回収している松永大佐と、小脇に抱えられて回収されている星崎だ。松永大佐は席に戻るなり星崎を自身の後ろに立たせた。
「うふふ。うふふふふふ。良いわ良いわ。丁度良いわ。ナイスタイミング! 良くやった星崎! うふふ。いざ、部下の落とし前を――ここで付ける!!」
笑い声の主は草薙中佐だった。ゆらりと立ち上がるなり、腰のポーチから二本の護身用の伸縮式特殊警棒を引き抜いた。引き抜かれると同時に、手首のスナップ一回で、警棒が一瞬で一メートル程度の長さに音を立てて伸びた。草薙中佐の尋常ならざる様子を見た幹部の一人が『止めろ』と血相を変えて叫ぶ。
同時に阿吽の呼吸で飯島大佐は星崎の耳を塞ぎ、松永大佐が手を翳して目隠しをする。無駄に見事な連携だが、子供に見せるのは確かに不味いと佐久間は思った。
「草薙!?」「待て! 誰か止めろ!」「草薙、落ち着け!」「今行くのは駄目だ!」
男性幹部三名が見事な連携で、草薙中佐を背後から羽交い絞めにし、左右から両腕を掴み、慌てて引き止めに掛かった。だが、それで止まるような女性が幹部の地位にいる筈も無かった。
「放してっ、あいつらの首を獲りに行かせて!!」
「いやいや、首を獲っちゃ駄目だろ!?」「つうか、鈍器でどうやって首を獲るんだよ!?」
「突き立てれば、首は獲れる!」
「惨劇じゃねぇか!?」
暴れる草薙中佐。取り押さえる男性幹部。音も無く近づいた神崎少佐が隙を見て、草薙中佐から警棒を取り上げる。しかし、草薙中佐は暴れるのを止めない。
「返して! 返しなさい! 一発殴り殺さないと、腹の虫が収まらないぃぃっ!」
「殺しちゃ駄目だろ!」「会議中に殺人事件を起こすんじゃねぇ!?」
「星崎! ……って、何やってんの?」
収拾が付かないと判断したのか。工藤中将は星崎の名を呼び、耳と目を塞がれている彼女の状態を見て脱力した。
「いや、情操教育に悪いだろ」「そうですね」「否定出来ないわねぇ」
当然と言い切る大人一名に、同意者二名。水を差す行動に、草薙中佐を含めた全員が動きを止めた事で、パニックは、『一旦』が付くけど収まった。
工藤中将が改めて、星崎に用が有ると言って解放させ、更なる混沌を招く言葉を吐いた。
「星崎。お前、このパニックを引き起こした責任を、どう取るつもりだ!?」
室内にいた全員が一斉に工藤中将を見た。皆の顔には『こいつ、何を言ってんだ?』と書かれている。
星崎は松永大佐に呼ばれてやって来ただけなので、責任も何も無い。けれども、星崎はそれなりに真面目な子なので、確りと考えてから回答を口にした。
「現行犯逮捕の協力でどうでしょうか?」
「……はぃ?」
工藤中将を始めとした全員が、星崎の言葉が理解出来ずに呆然とした。
「証言だけを理由に言い逃れをしているのでしょう? いかに証言でも、『支部長の証言を証拠扱いしない』と言うのは出来ないですよね?」
「……そうだな」
思わぬ飛び火第三弾に、佐久間は背中に冷や汗を掻いた。思わぬ提案を聞き、草薙中佐と一部幹部は真剣に考え込む。
「確かに……。支部長の証言は、問答無用で『証拠として扱われる』な」「そっかぁ。始めから支部長を巻き込めば良かったのね? うふふ。ナイスだわ。救助と言う名目で思う存分に殴って良いのね」「いや、それはそれでどうなんだ?」「でも、今がチャンスじゃね?」「後始末は『星崎の責任だ』って言いだした、工藤にやらせれば問題無いな」
幹部全員が工藤中将を見た。墓穴を掘った事を悟った工藤中将は、追加発生の仕事から逃れる為か、血相を変えて抗議する。
「問題有るに決まってんだろ!? 星崎も星崎で、何言いだすんだよ!?」
「他の案が良いですか?」
「そう言う意味じゃねぇ!?」
本格的に収拾が付かなくなって来た。でも、星崎の申し出はある意味ありがたい。佐久間は工藤中将を宥めて、星崎の案を採用する事にした。
作戦を立案しても、星崎を単身で退出させ、佐久間が目撃するだけだが。
逃走経路となる通路の隔壁を何時でも下ろせるようにして置く。会議室近辺の隔壁もついでに下ろしたいが、今回は囮逮捕では無いので行わない。監視カメラを録画状態にしているので、どこに逃げられようとも捕まえられるだろう。ついでに神崎少佐に指示を出して、憲兵部にも連絡を入れさせる。
これで取り逃がしたら、魔王化した松永大佐と狩人化した草薙中佐が同時に動くので、失敗は出来ない。魔王化した松永大佐の証言ならば、問答無用で採用されそうな気もするけど、やっぱり立場が大事なんだろうな。
いざ実行に移すと……犯人一同は馬鹿だった、そうとしか言いようのない行動を取った。
室内に誰かいる事を想定せずに、星崎をドア横から引き寄せる。星崎が持っていたカバンを落とすが拾わずに逃走する。完全に誘拐犯としか言いようのない行動だ。
「待て」
佐久間が通路に出て一声発した。犯人達はそれだけで動きを止めた。
「私を始めとした日本支部幹部の目の前で、何をやっている?」
佐久間が続けて問うも、犯人達は背を向けたまま何の反応も返さない。佐久間は嘆息を一つ零してから、背後に向かって手を振る。大林少佐の操作で、隔壁が下り、通路の移動に制限を掛ける。遠目にもカタカタと震えているのが解る犯人達に、佐久間は厳かに告げる。
「ゴホン。さて、どこからどう見ても、誘拐の現行犯だな」
咳払いを一つ零してから、佐久間は室内にいる幹部達を手招きした。神崎少佐と草薙中佐が嬉々としてやって来る。遅れて男性幹部もやって来る。
「色々と聞きたいが、先ずは、救助と捕縛をするしかないな。……一発だけだぞ」
犯人達はその言葉を聞くなり、漸くぎこちない動きで振り返ると言う反応を見せた。けれどもそれは、余りにも遅い反応だった。
何故ならば、佐久間の『救助と捕縛をするしかない』の言葉を聞くなり、草薙中佐が両手に警棒を持って突撃し、嬉々として脳天に一撃を叩き込んだからだ。悲鳴を上げる間も無く、一人が白目を剥いて倒れた。
その様子に犯人達が悲鳴を上げるが、色んな意味で遅かった。狩人と化した草薙中佐は大喜びで警棒を振るう。佐久間の言を守って、一人一発にしているので自制は出来ている模様。でも、一撃で気絶したものがいるので、安心は出来ない。
隙を見て星崎を回収し、松永大佐に渡した神崎少佐もそこに混ざった。神崎少佐は草薙中佐のように警棒を振る事はせず、一撃を受けても気絶していない犯人に、抱き着いたり、頬擦りしたり、鯖折りにしたりして、最後に口で窒息させている。
「出来る事なら見たくも無い地獄絵図だな」
「許可したのはお前だろ」
腰が引けている佐久間に、同じく腰が引けている一条大将が突っ込みを入れる。星崎は松永大佐に運ばれて会議室に戻った。
犯人全員が『気絶した』事で、突発発生の逮捕劇は幕を下ろした。
後日。
『事件の重みを理解し、支部長自ら逮捕に動いた』と、女性兵士から感謝と尊敬の眼差しを送られ、佐久間の評価が上がった。
その陰で、後始末を押し付けられた工藤中将は悲鳴を上げていたが、誰一人として気にせず、気づかず、助けなかった。
……合掌。
隔壁を上げ、気絶した犯人一同が憲兵に連行されて行ったが、誰も見送らない。
神崎少佐は『目を覚ましたら尋問して洗い浚い吐かせるように』と、憲兵の一人に指示を飛ばして、何時もの顔で会議室に戻った。誰も神崎少佐に『鬼畜の所業だ』とは言わない。この手の犯罪者に温情を与えると『調子に乗る』事を、皆知っている。加えて、草薙中佐が再度狩人と化す事を防ぐ為にも、皆沈黙を選択した。
「さて、会議の再開と休憩十分延長、どちらが良いか挙手してくれ」
佐久間が多数決で皆の意思を確認すると、満場一致で休憩となった。
星崎は取り残されたままとなったが、井上中佐から菓子を分けてくれと懇願されて、素直に分け与えている。
「今日程、会議の進みの悪い日は無いな」
「二週間前から荒らす気でいた人が、今になって何を言ってんですか……」
飯島大佐の呟きが空しく響いた。同じ事を二度も言われたが、佐久間には届かない。
確かに荒らす気でいたけれど、佐久間的には『もう少し愉快な方向』に荒らす予定だった。
ままならないと、佐久間は内心で独り言ちた。
殆どの幹部が疲れ切っている中、一人だけ元気なものがいる。草薙中佐だ。先程の犯人達に襲われた女性パイロットの何割かは、彼女の部下だ。その分怒りも強かった。怒りが静まっている今、草薙中佐は気になった事を星崎に尋ねた。
「ねぇ、星崎。貴女、私が事件の事を何も言わずに帰る事になっていたら、どうする気だったの?」
テーブルに伸び、あるいは椅子の背凭れに寄り掛かって脱力していた他の幹部達も、気になる話題だったのか身を起こした。
「知らなかったらですか? その場合は、二つのどちらかの行動を取ります。一つ目は、目潰しを使いこの先のエントランスまで走って逃げようかと思っていました」
「目潰し?」
草薙中佐だけで無く、他の幹部までもが怪訝な顔をする。心当たりが有るのか、松永大佐と神崎少佐だけ小さく声を上げた。
星崎は鞄から四角いポーチを取り出し、そのポーチから赤黒い液体が注がれた試験管のように細長い、ゴム栓の小瓶を一本取り出した。
「ハバネロソースとキャロライナ・リーパーを混ぜて、塩を限界まで煮溶かしたお湯で伸ばし、タバスコを入れたものです」
『ぶほっ!?』
星崎の説明を聞き、男性幹部の殆どが驚きで吹いた。女性幹部達も予想外なものが登場した事により、言葉を無くしている。心当たりが有りそうな顔をしていた二人も、流石に知らなかったのか絶句している。そして佐久間の記憶が正しければ、キャロライナ・リーパーはハバネロソースの何倍も辛い激辛ソースだった筈。
絶句する幹部一同を代表して、神崎少佐が星崎に製作理由を尋ねた。
「星崎ちゃん。何でそんなものを作ったの?」
「一昨日の一件で、一つだけしか入手出来なかった『痴漢撃退用唐辛子スプレー』を使ってしまったので、急遽作った代用品です。購買部に問い合わせましたが、入荷待ちと言われてしまいました」
製作理由を聞いた幹部一同は、一昨日の一件が星崎の中で『痴漢扱い』されている事を知った。原因の一端が己の部下に有ると知り、一条大将の目が死んだ。
「そうだったの。でも、激辛ソースが目に入ったら、最悪失明するかもしれないから使っちゃ駄目よ。これはお姉さんが預かるわ」
「え?」
「使っちゃ駄目よ! お姉さんと約束して!」
目を丸くした星崎に、別種の危機感を抱いた神崎少佐が彼女の正面に移動して肩を掴んで前後に揺さぶる。そのまま同意するまで放さない。何時もならばここで『お前は男だろう!』と誰かが突っ込みを入るのだが、疲れ果てているのか誰一人として口にせず、気怠く視線を向けるだけだ。
普段神崎少佐に近づかない松永大佐が、揺さぶれられて中々頷けない星崎を回収し、手持ちの小瓶を全て提出させた。
その総数は、十本を超えていた。
ポーチごと松永大佐が没収し、不満そうな星崎に二つ目の予定行動を聞く。
「二つ目は、憲兵部の神崎少佐に先に出て貰おうかと思っていました」
「……どの道、地獄絵図が展開される予定だったのか」
星崎の回答を聞き、佐久間は予想される地獄絵図を思い浮かべて慄いた。
「神崎が擬態能力を得たと、騒動になりそうだな」「うわぁ……」「やべぇ、想像したら……体が震えて来た」「確かに絶望だな」「ちょっと、どう言う意味ですの?」「……まんまの意味だ」
佐久間同様に、数名の男性幹部が慄いた。
部屋に入った小柄で華奢な少女が、筋骨隆々とした男性に変貌して出て来る。
しかも、その男性は『同性を愛する人物』なので、うっかり強引に手を掴んだりでもしたら……そこから先は阿鼻叫喚の地獄だ。
佐久間はうっかり地獄絵図を想像し掛けて、慌てて振り払っていると、佐藤大佐が星崎を呼んだ。
「星崎。俺にも甘いものをくれ」
「佐藤大佐。試験運用隊の食堂で毎晩ジャムサンドを食べているのに、ここでも食べて大丈夫なのですか?」
星崎は賢い(?)事に、佐藤大佐に尋ねた。その内容は聞き捨てならない爆弾だったが。佐藤大佐は大仰に頷いてから答える。
「動いているから問題は無い」
「「問題有るわ!!」」
工藤中将と飯島大佐が同時に叫んだ。隣席の飯島大佐は佐藤大佐の後頭部を思いっきり殴った。佐藤大佐はそれなりに頑丈なので痛がりもしない。
「飯島、殴る程の事では無いだろう!?」
「殴る程の事だ、このド阿呆!」「他所の隊舎にまで出向いて何やってんの!?」
憤慨する佐藤大佐と、何が悪いのか怒って説教を始めた飯島大佐を放置して、松永大佐は星崎を呼び寄せて詳細を尋ねた。
「先月半ば、ガーベラとナスタチウムのオーバーホールが決まった、翌日の夜からです。二十一時半過ぎ頃に食堂で鉢合わせしました。その時、佐藤大佐から甘いものを希望されましたが、材料が無く、代わりにジャムサンドを勧めたら、大量に作り始めました」
佐藤大佐が甘いジャムサンドを大量に食べている光景を、うっかり思い浮かべてしまった佐久間は胸焼けを起こし、水を飲んで紛らわした。
「……報告が上がっていないぞ」「気にするのはそこじゃないだろう」
「佐藤大佐は『松永大佐に一声掛けて来た』と仰っていました、が?」
男性幹部の突っ込みを無視して、星崎は追加情報を口にして、不思議そうに首を傾げた。
……星崎よ。その『一声掛けて来た』は、多分、佐藤大佐の嘘だ。佐藤大佐も何故、身を滅ぼす嘘を吐くのか。
佐久間の心の声は届かない。
松永大佐はふらりと立ち上がり、無表情で佐藤大佐のところまで歩いて行く。何かを察した佐々木中佐が素早く動いて、星崎を小脇に抱えて退室する。井上中佐も一緒に退室した。二人の行動の意味を察した他の幹部達もそれに倣い音も無く退室して行く。
佐久間がふと室内を見回せば、残っているのは自身と佐藤大佐に、飯島大佐と狂相を浮かべた松永大佐の四人のみとなっていた。
「佐藤大佐」
「っ!? 松永、これには事情が」
「どんな事情ですか?」
「松永落ち着け。子供に見せられない顔して――って、いない!?」
「少し、話し合いましょうか」
「おう、俺も混ざる」
松永大佐と飯島大佐は、佐藤大佐を会議室の隅に追い詰める。その光景を見た、逃げ遅れた佐久間はこっそりと逃亡を始めた。抜き足差し足で会議室から脱出する。ドアが閉まる直前、佐久間に助けを求める佐藤大佐の悲鳴が聞こえた気がした。火の粉を浴びたくない佐久間はドアを閉めて悲鳴を遮断した。
「今日の会議はイベント満載だな。三日も余裕を持つように指示を出しておいて、正解だったな」
佐久間は汗を掻いてもいないのに袖口で額を拭い、尤もらしい事を言った。
「イベント満載では無く、前代未聞の間違いでしょう」
『確かに』
大林少佐の指摘に会議室から脱出した幹部一同が頷く。
「と言うか、今日の会議はどうするつもりですか? まだ十七時ですよ」
前代未聞の会議はまだ終わっていない。
ドア越しに微かな悲鳴が聞こえるが皆で無視していると、一条大将からその事を指摘される。佐久間は少し考えてから答える。
「私からの報告が済んだら今日は終わりだな。一晩各々で情報を整理して、明日議論するのが良いだろう」
「つまり、一晩掛けて質問事項を纏めろって事ですか?」
「そうとも言うな」
別幹部からの確認を兼ねた問に、佐久間は頷いて答えた。幹部一同は佐久間の回答を聞き、会議が伸びると確信して、一斉に肩を落とした。
少ししてからドアが再び開いた。中から出て来たのは飯島大佐だ。話し合いが終わった模様。
皆で会議室に足を踏み入れると室内には、上機嫌な松永大佐と、テーブルに突っ伏したまま動かない佐藤大佐がいた。どんな話し合いが行われたか。誰もが一度は気にするけど、松永大佐に尋ねる度胸を持つものが存在しない為、話し相手になったもの以外に誰一人として知らない。
佐久間が今日の会議についての予定を話す前に、星崎を帰らせた。購買部などに寄らずに真っ直ぐに返るように言い付けた。星崎は心底不思議そうな顔をしていたが、渋々と言った感じも無く頷いた。
星崎が去ったら佐久間からの報告の時間となる。
半月前に言い忘れた第五保管区内での戦闘、半月前の一戦で暴走した敵機の完全撃破、南雲少佐の殉職、星崎佳永依の飛び級卒業について報告を上げて行く。星崎絡みになったところで、幹部の一人が『星崎スパイ疑惑』を口にするも神崎少佐と大林少佐から即否定された。
半月前に現場にいなかった幹部達も、星崎のスパイ疑惑は荒唐無稽と判断した。訓練生で手抜き癖が有る点に加えて、諜報部からの完全否定が大きい。また、『貴重な情報を持っている人間がどこかに雲隠れされても困る』と意見も出て来た。
そもそもスパイ疑惑がどこから出て来たのかと言うと、現場にいた数人が星崎の行動を『スパイではないか』と疑っただけ。
佐久間が黒を主張する数人に考えに至った経緯を聞くと、どうやら、酒を飲みながらの『仕事を増やしやがって』と愚痴会話で出て来ただけだった。当人らもここまで大事になるとは思っていなかったらしく、諜報部のトップを務める大林少佐に文句を言われて狼狽えながら謝罪していた。彼らが原因で諜報部の仕事が増えたのだから、大林少佐の怒りは当然だ。
星崎の扱いについては議論にまで発展したが、『星崎が嫌がらない限り、都合の良い情報提供者でいて貰った方が、日本支部にとって都合が良い』と、意見があっさりと一致した。また、星崎を正規兵にした際の階級についても『少尉ではなく、中尉が無難』とこれまたあっさりと決まった。同時に佐久間の追加業務も決まった。
そして、佐久間からの残りの報告を聞き終え、幹部の半数がテーブルに突っ伏した。
「少し早いが今日はここまでだ。議論は明日の九時からにする。それまでに情報を整理しつつ休め」
そう言って佐久間は解散を命じて、忘れていた事を一つだけ思い出した。けれど、時間的に全てが終わってからが良いだろうと口にしなかった。
なお、星崎差し入れ扱いの整腸剤と栄養ドリンクの代金は、解散宣言直後に幹部一同から会議の経費として佐久間に請求された。佐久間は経理担当の秘書官に事情を説明して泣き付いて、どうにか経費にして貰い、己のポケットマネーを守り切った。