トラブルの中心にいる訓練生~高橋視点~
高橋が星崎を見たのは、月面基地が最初だった。
無能な奴が演習中の五人の訓練生を実戦に駆り出し――その結果、四名がパイロット以外の道を歩む事になった。
後に知るが、その四人は全員戦死した。
支部長はそのままパイロット以外の道を歩ませるつもりだったんだろう。だが、二連勝後に二連敗でパイロットの数が足りなくなり、四人は実戦に投入された。星崎に尻拭いをさせていた割に、撃墜数は四人で五十を超し、四度も生還した。
士官学校卒のパイロットよりも高い成績を残して、五度目の出撃で一人、六度目の出撃で残り三人が戦死した。
無能軍人の村上もまた、人手不足を理由に臨時艦長として引っ張り出された。七月中の襲撃の最中、四人よりも先に戦死した。
訓練生の最後の一人は戦闘終了後に極度の疲労から倒れ、五日も寝込んだ。
その倒れた一人が、星崎だった。
彼女は単身で最後まで戦い、見事に生き残った。星崎の最後の相手は、ここ数年間、たまに現れては防衛軍に被害を与えて去る、謎の敵集団の指揮官機だった。少数精鋭で、無視出来ない被害(人的被害が出ていないのが不幸中の幸いだ)を出した事を確認すると去ってしまう。防衛軍が手を焼く集団だ。
星崎はまだ訓練生だった――今でも訓練生扱いだが、初の実戦で敵集団のほぼ半数を墜とし、味方の態勢が整うまで指揮官機の相手をして、武器を奪い取って帰還した。
星崎があの敵機の相手をしてくれたお陰で、多くの兵が助かり、下がり続けていた士気も落ち着いた。
日本支部は村上のやらかしのお陰で、支部長が自ら月面基地に赴く程の大騒動になった。
倒れた訓練生が五日も経って目を覚ましたと聞き、月面基地にいた幹部は皆安心した。安静期間を終えて、支部長との面会が決まった。面会日程は村上が駄々をこねたせいで大きく狂ったが。
やっと決まった面会日。
どんな訓練生が現れるのかと思えば、教官の高城に連れられて現れたのは、ガタイの良い男子では無く、年齢よりも幼く見える小柄な少女。
初見の印象は、無愛想の一言に尽きた。年齢の割に小柄で、猫を思わせる顔立ちをしている。愛想は無く、猫のように気まぐれでは無いが、村上への言い返しの言葉を聞くにそれなりに気は強そうだった。名字を聞いてもしかしてと思ったが、訓練生だから違うと判断した。
村上へ言い返したあとの行動力は見事だった。星崎は高城を置いて一人で訓練学校に帰ろうとしたのだから。
星崎は有言実行タイプだと確信した。
そのまま訓練学校に帰れなかったのは、襲撃を受けたからだ。あの時襲撃が無ければ、星崎は一人で月面基地から去っただろう。高城を置き去りにして。
星崎には不運だが、日本支部にとっては幸運だった。
そして星崎が操縦した、試作機ガーベラは……非常に目立った。目立ちまくって、想像以上に注目を集めた。
敵機を容易く両断する剣。どの機体よりも機敏に動き回り、時には敵機を追い越す圧倒的な機動力。それらを完全に活かす操縦技術。
乱戦であるにも拘らず、ガーベラが視界の隅で敵機を切り裂いて去って行く様子は思わず手を止めて見てしまう程に鮮やかで、手慣れていた。
防衛戦終了後に、日本支部へ『赤い機体』についての問い合わせが殺到するのも納得の働きだった。
その後、佐々木との模擬戦やイタリア支部にちょっかい掛けられたが、星崎はガーベラと共にツクヨミに向かった。
高橋は別幹部と交代で月面基地に常駐せねばならなかったので、見送る側だった。
……個人的には色々と問い質したかった。
士官学校の卒業生である高橋からすると、星崎の手抜き癖が理解出来なかった。アレだけの事をやってのけた少女が、まさか常習的に手抜きをしている不真面目な訓練生だったとは思えなかった。
演習時と実戦時の映像を見比べた結果、確かに手を抜いている。手を抜いているのは、チームメンバーのフォローに回る為だと思うが、答えは無い。
佐々木のように模擬戦を挑めば良かった。そうすれば何か判ったかもしれない。
月日は流れて、八月七日。日本支部幹部の定例会議の日に、それは起こった。
高橋は月面基地の常駐担当だったが、定例会議に出席する為にツクヨミに来ていた。
支部長は会議で報告を一巡させてから、重要なものから順に議題に挙げて終わらせる。今になって思えば、支部長がその順番を毎回順守していたお陰で、そのあとが助かったとも言える。
重要度の低い議題へ移行した直後、支部長の秘書官の一人が会議室へ転がり込んで来た。『禁踏区画のセキュリティの乗っ取り』と言う、前代未聞の秘書官の報告を聞き、全員に緊張が走った。
高橋も『何が起きたんだ!?』と腰を浮かせた。
秘書官が操作して、監視カメラの映像を壁面モニターに移し、映像に映し出されたのは――迷子になった星崎の姿だった。
緊張から一転して、会議室の空気は弛緩した。だが、星崎の訳の分からない行動に皆で困惑した。星崎はそのまま何かを追い掛けて奥へ向かった。
繋がらない通信機。乗っ取られた第五保管区へ続く道。進行する状況。
会議の半分以上が終わっていた事から、支部長は会議の中断を決め、星崎と合流する事を決めた。南雲が少し騒いだが封殺された。支部長の主張である『情報の統制』と言う意味では、幹部は確かにやり易い。
支部長は指名した松永と、幹部十名と共に会議室を出た。後方支援を苦手とする高橋は十人に入っている。
会議室を出て、支部長の生体認証を使い、強引なショートカットを行って、星崎とギリギリのところで合流出来た。星崎と合流するよりも前から、第五保管区の入り口が開いていた。合流が少しでも遅れていたら、星崎は一人で保管区に足を踏み入れていただろう。
捕まえた星崎に何が起きたのか説明させたが、科学が進んだ現代では起きないような事を説明された。
高橋はオカルト関係を信じない人間だ。
けれども、オカルトでなければ説明のつかない事が実際に起きた。
突然響く女の声。足を踏み入れると自動で灯った第五保管区の手動電灯。急に使えなくなった通信機。狼の遠吠えのような怪奇音。姿を現した幽霊。
支部長からの指示で、高橋は周囲の調査に向かった。
埃がうず高く積もっている保管区内を歩き、管理はどうなっているんだと、内心でぼやいた瞬間、不可解な縦揺れが襲い掛かって来た。揺れは続き、周囲の残骸が崩れ始めたので、高橋は慌てて出入り口に戻る。その道中、誰かが支部長を呼ぶ声が聞こえた。緊迫しているのが声音からでも分かった。
出入り口に戻った事で、何が起きているのかを知り、思わず唖然とした。
十年前の作戦で破壊し、技術調査目的で保管区に運び込まれた黄緑色の敵機が、完全に修理された状態で動いていた。本当に何が起きているんだ?
「高橋! ぼさっとしてんじゃねぇっ!!」
「っ、お、おう!」
突拍子の無い現実に高橋は呆けたが、佐藤に叩くような声で怒鳴られて我に返った。
支部長と共に来た幹部が全員慌ただしく動いている。
「会議室と通信が繋がらない!」「繋がるまで試せ!」「装備、持って来たぞ!」
運び込まれた緊急装備の銃火器に手隙の幹部が群がる。高橋もマシンガンと予備のマガジンに手を伸ばした。高橋と同じように調査で動き、揺れを感知して出入り口にまで戻って来れた幹部達は、動いている敵機を見て皆驚いて呆ける。その度に佐藤が怒鳴って正気に戻す。
「支部長はどこだ!」「星崎とまだ中にいるぞ!」
そのやり取りを聞いて、高橋は思わず舌打ちをした。取り残された二人の救助の為に、再び保管区内部を進んだ。しかし、行く手を阻むように、保管区内に置いて在った残骸が礫のように降り、床に当たって砕けて散乱した。破片の大きさは大小様々なので、下手に大きなものに当たると大怪我しかねない。高橋は頭上と足元を同時に気にしながら奥へ少し進んで適当な残骸の上によじ登り、再度、動いている敵機の姿を捉えて、口の端を引き攣らせた。
「おいおい。何だありゃ?」
半開きになった胸部から、複数の紐のような何かが伸びて蠢いていた。触手を思わせる動きに怖気が走る。
先程から降って来る残骸はこの触手紛いなものが掴んで投げている。そして、残骸は取り残された二人の移動を阻むように降っている。そのせいで二人の移動速度は非常に遅い。止めのように一際大きな残骸が二人の前に落ちた。
二人の移動速度を速める為には、あの触手紛いなものを排除するしかない。高橋は発砲した。その合間に呼びかける事も忘れない。弾丸は触手に当たらないので、威嚇射撃以上の効果は見込めない。
降って来た大きな残骸を前に、たたらを踏んだ星崎が背後に振り返り、一歩一歩ゆっくりと前進する敵機を見上げた。星崎は支部長に片腕を掴まれたまま、降って来る残骸を避けつつ、少しずつ後退する。
星崎は何度か支部長の手を振り解こうとしていた。確かに、星崎一人ならば走って逃げ切れるだろう。支部長は少し微妙だが。支部長は何を考えているのか、星崎の腕を掴んで離さない。星崎が焦って振り解こうとしているのがやけに印象的だった。何度も転びかけているから走り辛いのかもしれない。
その焦りの原因は次の瞬間判明した。
残骸の山の一つが崩れた。崩れる先には、支部長と星崎がいる。
その時、何かに気づいた星崎が強引に支部長の手を振り解いた。星崎は大きく距離を取ろうとしたが、支部長に再び腕を掴まれ引っ張られて後ろへ転倒する。
転倒した直後、星崎の左足に触手が絡み付いた。星崎は慌てて周囲のものを使って触手の引き剥がしを試す。その間に、星崎の左足に絡みついた触手が、巻き取られるように弛みを無くして行く。
支部長が星崎を連れて行かれないように背後から掴む。しかし、星崎は支部長に何かを言ってから再度強引に手を振り払い、手に持っていた何かで触手を断ち切り、足首に巻き付いた残りを手早く引き剝がしてその辺に捨てた。
今度こそ逃げるのかと思えば、星崎は立ち上がらない。傍にいる支部長が呆然としているところから推測するに、触手が巻き付いた左足が原因で立てないのだろう。
……何やってんだよ、支部長は!?
「くそっ」
支部長が星崎の逃走の邪魔をしている事に、高橋は思わず悪態を吐いた。
立ち上がれない星崎は、再び捕獲しようと伸びて来る触手の先端に近くの適当な残骸を掴んで投げて当てて、軌道を変えて転がるように避けて行く。
マシンガンを撃っても威嚇にもならない。支部長が隠し持っていた、護身用の拳銃を取り出して発砲するも効果は無い。
これは詰んだかと、高橋がそう思った直後、足元から声が響いた。
「とっておきを持って来たぞ!」
何がとっておきなのか、高橋が確認の為に視線を向けると、ロケットランチャーを両肩に担いだ佐藤が走って来る姿が見えた。
「急げ! 星崎が負傷したっ!」
「何だとっ!?」
高橋は驚く佐藤からロケットランチャーを片方受け取り、肩に担いだ。佐藤も残骸に登り、外れた時を想定して肩に担いだまま、何時でも発射出来る体勢を取る。
「支部長! 星崎! 伏せろ!」
高橋は素早く照準を合わせて引き金を引いた。バシュゥと気の抜ける音と共に、ロケットランチャーは発射され、敵機の頭部に命中した。敵機と触手の動きが鈍った。
逃げろと、高橋が視線を向けて声を上げるよりも先に、星崎は奥へ走り出した。
「星崎!?」「ば、戻れ!!」
高橋は佐藤と共に声を張り上げるが、星崎は敵機の横を駆け抜けて、奥へと向かう。支部長も星崎を追って奥へ行ってしまった。
「くそっ」
「おい、どうした!」
高橋が悪態を吐いていると、追加の足音と声が響いた。視線を向ければ、共に来た他の幹部が掻き集めた銃器で武装している。残骸の山から下り、高橋が説明を始めようとしたところで敵機が再び行動を始めた。何だと警戒するよりも先に、敵機はゆっくりとこちらに背を向けた。
「星崎と支部長を追うのか?」
敵機はこちらに背を向けて、奥へ去った星崎と支部長を追うように移動を始めた。
こちらが完全に放置された事を確認してから、松永が混乱する他の幹部達を代表して口を開いた。
「高橋大佐。分かっている範囲で良い。状況報告をしてくれ」
「……そうだな」
混乱を極める状況把握の為に、高橋は見た事をそのままに話した。
「状況は分からないが、このまま放置する事は出来ない。二手に分かれる。三名は引き続き会議室への連絡を試せ。残りは奥へ進むぞ」
困った時に纏め役を務める松永が音頭を取り、二手に分かれた。
高橋は奥へ進む班に入った。
ロケットランチャーを担いだままの佐藤を先頭に、八人で保管区の奥へ警戒しながら進む。進行方向からは、硬い何かを叩く音が連続して響く。星崎と支部長は相当奥へ進んだらしく、敵機の姿が遠くに見える。
「おい、ありゃ何やってんだ?」
「何かを叩いている、な」
遠目に分かる事は一つ。敵機が覆い被さって何かを叩いている。敵機の行動の意味が解らない。
「あの二人、何かに入ったのか?」
「それは、近づかなければ分からないな」
敵機の気を引かないように慎重に近づくが、敵機が浮き上がると言う異変が起きた。前触れ無く起きた異変に全員の足が止まる。
轟音が響き、浮き上がった敵機はそのまま、猛スピードで何かに運ばれた。
「今度は何なんだよっ!?」「知るかっ!」「退避、急げ!」
移動進路にいないとは言え、何が起きるか分からない。八人は慌てて避難した。そして、敵機が背中から壁に叩き付けられて、八人は異変の正体を知る。
「おい、アレって……」
「何で、敵機がもう一機動いてんだよっ!?」
自棄になった誰かの叫び通り、片足の無い青紫色の敵機が動いている。
理解の追い付かない状況が続くと、人間は呆然とするものなんだなと、高橋は内心で思った。
青紫色の敵機は絡み付く触手から逃れる為か、バーニアを吹かして一度距離を取った。片足でバランスが取り難そうなのに、バーニアを使って器用に体勢を維持している。青紫色の敵機は腰の先割れの剣を抜くと、再び伸びて来た触手を切り捨て剣を担ぎ、再度バーニアを吹かし、胸部に向かって担いだ剣を振り下ろした。
コックピットが在りそうな部分への一撃を受けたのに、黄緑色の敵機の動きは止まらない。金属が砕け拉げる轟音が響き、銃声以上の音量に顔を顰めた八人は耳を塞いだ。その間も状況は進む。
胸部を破壊する一撃を受けてなお、黄緑色の敵機は動きを止めない。
青紫色の敵機はバランスを取る為か、未だに絡み付こうと伸びる触手から逃れる為か、あるいは剣を引き離す為か、片足を使って再度離れた。バーニアを使って再度近づき、青紫色の敵機は黄緑色の敵機の頭部を剣で切り飛ばした。頭部が床に落ちると同時に、青紫色の敵機は素早く向きを変えて剣を振り下ろし、切り飛ばした頭部を真っ二つにした。
胸部を破壊されても動きを止めなかった黄緑色の敵機は、頭部を破壊されて漸く動きを止めた。そして、力尽きたように尻餅を着き、背後の壁に凭れるような形で、轟音を立てて倒れた。
青紫色の敵機は剣を構えたまま片膝を着いた姿勢で、黄緑色の敵機の様子を見ていたが動く気配は無い。
「終わった、のか?」「どうだろうな?」「支部長と星崎が見つかっていないんだ。近づいて様子を見するしかないだろう」
簡単な打ち合わせを終えたところで、会議室へ連絡を試していた三人が異変を察知して駆けて来た。三人は終わった状況を見て目を丸くし、片膝着いて剣を構えている青紫色の敵機を見てあんぐりを口を開けた。
三人を交えて情報を交換し合い、十一人で慎重に敵機へ近づいて行く。
敵機との彼我の距離が十メートル程度にまで近づいたところで、割れた頭部の、カメラと思しき部分が怪しく光った。全員の足が止まったが、敵機の反応はそれ以上無く沈黙した。
五メートルにまで近づいたところで、人間で言うところの鎖骨の間部分が動き、パカリと開いた。一斉に銃を構えたが、中から顔を出したのは支部長だった。
「支部長!?」「ご無事ですか!?」
支部長はゆっくりと敵機の右膝の上を経由して床に降りた。星崎のあとを追い、今まで見つからなかったので安否を心配していたが、無事な様子に皆喜んだ。
「私は無事だ。状況を報告しろ」
驚きと安堵が綯交ぜになるも、全員で支部長の許へ駆け寄り、報告をする。
報告を聞き終えた支部長は指示を出し、最後に星崎を呼んだ。やや遅れて、星崎から返事が返って来た。
高橋は眉間に皺を寄せた。
最初に支部長が下りて来たから、この敵機の操縦を行っていたのは支部長だと、高橋は思っていた。
だが、どうして星崎まで乗っているのか?
その疑問は下りて来た星崎の姿を見て吹き飛んだ。
手足の所々に火傷らしき怪我を負い、皮膚は爛れて融けて、服の隙間から赤い部分が覗いている。最も重傷なのは触手に絡み付かれた左足で、骨と思しき白い部分が融けたショートブーツの隙間から覗いている。左足を気にしているのか、右足を軸に立っている。
星崎の痛々しい姿に、支部長を含めた全員が言葉を失った。
松永が星崎と問答をし、右腕を取って観察を始めた。徐々に険しくなって行く松永の目付きを見て、高橋は支部長に『星崎負傷の詳細を松永に教えた事』を内心で謝罪した。
医療関係に疎い高橋でも、星崎の負傷具合は『重傷』と判る程だ。高橋以上に多種多様な知識を持つ松永はどう判断するのか。
松永は背後にいた佐々木にハンドサインを送った。ハンドサインを受け取った佐々木は素早く星崎の背後に回り込み、横抱きに抱き抱えた。
「……腕よりも左足の方が重傷だな。骨が見えているぞ」
「痺れて来たのでちょっと感覚が無いです」
「そう言った類は早急に言うべき事だろう。全く、誰があれを動かしていたんだか……。佐々木中佐、ウチの隊の医務室に運んでくれ」
「分かりました」
「え?」
呆れの混じった嘆息を星崎以外の皆で零した。
高橋もバタバタしていて負傷していた事を忘れ、全てが終わった頃になって、痛みを感じ始めたと言った経験は有る。恐らく星崎も同じように痛みを感じている暇が無かったんだろうと、星崎を抱えて走って行く佐々木の背を見送りながら、適当な当たりを付けて納得した。
「さて、佐久間支部長。言い残す事は有りますか?」
「辞世の句ではあるまいし、そんな事を訊くな」
高橋が一人納得していたら、背後に吹き荒れるブリザードを背負った松永が出現した。正面から対峙する支部長が冷や汗を掻いている。
……支部長。本当に済みません。状況把握の為とは言え、松永に喋って本当にごめんなさい。
高橋は心の中で何度も土下座して支部長に謝った。
「ゴホン。会議室に残っている幹部達の事を忘れていないか? 今ここでお前達だけに報告しては二度手間になる」
ワザとらしい咳払いをしてから、支部長はその場にいた全員の顔を見回しそんな事を言った。意味が解らず皆で胡乱な視線を支部長に送った。
「それに、至急の調査対象が見つかった。全体への報告はそれが終わってからでも遅くは無い」
どう言う事かと、誰かが尋ねるよりも先に支部長が指示を出した。聞いた指示の内容を聞き、『確かに遅くは無い』と、皆で納得した。
事態が収束し、漸く復活した通信機を使って会議室と連絡を取り、向こうに残っている幹部達にも支部長から指示が飛び、緊急装備を戻してから会議室に戻った。
移動途中、高橋は支部長に『誰が青紫色の敵機を操縦していたのか』尋ねたが、『全て終わってからだ』と却下された。ちなみに佐々木は途中で合流し、松永に星崎の診察結果を報告した。
支部長は会議室に戻るなり、至急の緊急調査が終わるまで定例会議の中断を宣言し、全幹部に膨大な量の仕事を割り振った。
高橋は佐藤程では無いが、書類仕事が苦手とする。割り振られた仕事の量を見たこの時ばかりは、月面基地へ逃げ出したかった。実際にやったら他の幹部から突き上げを食らい、魔王と化した松永との恐怖の個人面談が待っている。
松永は高橋よりも三歳年下だが、書類仕事で困った時に色々と助けて貰っている上に、キレると魔王の如き威圧を周囲にばら撒き、支部長のストッパーも兼任している。そして、緊急時には何かと松永を頼る事が多い為、面と向かって文句が言い難い。
高橋は逃げ出したい気持ちを押し込めて書類仕事に勤しんだ。
そして五日が経過し、中断されていた定例会議が再開された。
書類仕事を苦手とする数名の幹部は若干殺気立っていたが、支部長は平然と会議を進めた。
支部長が至急で調査させた結果、明らかになったのは、開発部の職務怠慢を始めとした不正の数々。
内容を聞いて高橋は唖然とした。特に、開発部の職務怠慢の報告に、関わっていた一人を除いて、誰もが驚いた。
挙句の果てに、五日前の一件は幹部の一人、南雲の『職務怠慢のお陰で被害が最小限に済んだ』と言う事実が齎される。
支部長が齎す情報は、どれもこれも衝撃が強かった。だが、日本支部の現状を考えると、どこか納得も出来た。
不正に関わっていた南雲に沙汰が言い渡され、会議は終わった。
しかし高橋が、支部長に何度も尋ねた事に関しての情報は一切齎されなかった。五日前に共に保管区に向かった幹部を何人か捕まえて、掴んでいる情報の有無を尋ねたが皆無だった。
情報の代わりに、『星崎はスパイでは無いか』と言う、脈絡の無い疑惑が浮上した。
当時の状況を考えると、確かに『黒』の可能性が有る。敵機の動きが鈍った瞬間に、奥へ駆け出したのは『星崎』だ。支部長はあとを追っただけ。
既に諜報部への調査依頼が出ているそうだが、今のところ『白』以外の報告しか上がっていない。
手抜き癖を始めとした点を考えると、あり得そうだ。何人か支部長の許へ突撃したらしいが『証拠が無いから白』と追い返されたらしい。
高橋も支部長へ何度か尋ねに出向いたが、同じように追い返され、月面基地に戻るように言われてしまった。高橋の最優先任務は月面基地常駐担当だ。
正論を言われて、高橋は渋々月面基地に戻った。
更に六日が経過して、とんでもない事件がツクヨミで起きた事を知らされた。
南雲が馬鹿をやらかし、頭部を切り落とされた黄緑色の敵機を再起動させた。これにより、死者と負傷者が多数出た。連絡が高橋の許に来た時点で既に撃破されたが、敵機に乗っていた南雲も戦死した。支部長に救助不可能と判断された結果だ。
戦死と言う扱いなのは、支部長からの最後の優しさだろう。どう考えても、敵機パイロット撃破と言うべきだ。
ナスタチウム四機とガーベラの計五機で撃破したとの事だが、十年前の一件を考えると撃破の報告は称賛を送るしかない。
ツクヨミで戦闘の詳細を知る為に、高橋は仕事を頑張ってこなし、副官と相談して時間を捻出した。
更に五日が経過する頃に、どうにか二日だけツクヨミに滞在する時間の捻出が出来た。
高橋は日付が変わる直前の便でツクヨミに再度向かった。副官からお目付け役を二名付けられた。そこまで信頼が無いのだろうかと、高橋は疑問に思った。
事前に支部長から移動の許可を取り、松永にも『会って話がしたい』とメールを送った。
松永からのメールの返信はツクヨミに着いてからも来ない。もう一度メールを送った。
先に支部長の許へ赴き、六日前の戦闘に関する情報を手に入れた。ついでにガーベラの実験と、錦戸准将とその部下が何かをやらかしたと言う話も聞いた。
正午を過ぎても松永から返信が来ない。
試験運用隊に直接出向いたが、隊長室は無人。時間を考えて食堂に出向いたがこちらも無人だった。少し考えて食堂で待つ事にした。
数分後。ドアの開閉音が響き、高橋は顔を上げた。
「おや。これまた珍しい」
「高橋と、お目付け役二名か。確かに珍しいな」
現れたのは松永と飯島だ。その後ろには佐々木と井上の姿も見える。星崎の姿は見えないが、松永が隠している可能性が有る。
「何が珍しいんだ? 午前中、お前らに何度も連絡入れたのに無視しやがって」
珍しいの意味は高橋にも判る。お目付け役が副官ではない事を言っているのだ。
「それは失礼。午前中は飯島大佐共々保管区に行っていました。ですが、手持ちの通信機に転送されていませんね」
「俺の方も転送にしているが、確かに通信機は一度も鳴らなかったな」
その手が有ったなと、高橋は今になって思い出した。通信機を使った連絡の類は大体副官に任せているので、思い付かなかっただけかもしれない。
「……メールを送った」
「おい。メールの返事がすぐに返って来る訳ないだろ。最低でも、夕方まで待てよ」
「そうですね。遂に一般常識までも抜け落ちたのですか?」
「抜けてねぇよ! 大体、メールを送ったのは昨日だ!」
「……昨日? メールは毎日チェックしています。今朝もチェックしましたが、高橋大佐からのメールは無かったですね」
「はぁっ!? ちゃんと送ったぞ!」
「メールアドレスが合っているか、確認は行いましたか?」
「…………していない」
「おい、機械音痴。何でお前は、戦闘機の操縦が出来て、メールが使いこなせないんだ?」
「本当に謎ですね」
「うるせぇ……」
「不貞腐れるな。んで、何しに来たんだ?」
高橋、飯島、松永の三人で長々と会話を続けているのに、何故か飯島と松永は食堂内へ入ろうとせずドアから移動しない。星崎の身長を考えると、長身の松永の後ろに立たれたら、確かに見えない。佐々木と井上もいるので、この二人の後ろにいるのかもしれない。
「錦戸准将とその部下が何かやらかしたって聞いた。何をやらかしたんだ?」
「部下の方はここにまで乗り込んで来た。錦戸准将は支部長に『松永に非が有る』ように報告をした」
「錦戸准将って、先代上層部派だったよな? あの野郎、そこまで馬鹿だったか」
面識の無い艦長職の人間に下す評価では無いが、松永に喧嘩を売る人間ははっきり言って日本支部でも極少数だ。喧嘩を売った人間は漏れなく失脚している。
「どうだろうな」
「私も知りません。用件はそれだけですか?」
「いや。ガーベラで何か新しい事やっているって聞いた。何やってんだ?」
「それこそ支部長に聞けよ」
「支部長には聞いた。そしたら、松永に聞けって言われたんだ」
「どうすんだ?」
「佐久間支部長が、本当にそう仰ったのならば、情報を開示しても良いでしょう」
「俺の信用は無いのか?」
「報告ついでに許可を取り、おまけで確認も取ります」
「おう、松永。『ついで』と『おまけ』の内容を入れ替えろ」
「おや? 私からの信用が欲しいのなら、『忘れなかったら尋ねる』程度の扱いでも我慢出来ますよね?」
「相っ変わらずのひん曲がった性格だな!」
「確認を取るのは基本中の基本です」
「良い笑顔で言うんじゃねぇっ! 俺への当て付けか!」
文句を言っていた途中で、良い笑顔を浮かべた松永と呆れ顔の飯島がドアの向こうに消えた。二人は一歩下がる事でドアを閉めたのだ。慌てて食堂から出ると、こちらに背を向けて去る四人の姿を捉えた。足音を立てずにあとを追っていると、小柄な少女が別行動を取った。
やっぱり、隠れていたのか、隠されたのか、星崎もいたのだ。四人と別れた星崎を追う。他の四人は隊長室に入った模様。
星崎と面と向かって話した事は無い。何度か居合わせた程度だ。直接聞きたい事が山のように有る。
ただし、星崎を追っていた間、高橋は失念していた事が有った。
それは月面基地にて発生したイタリア支部の痴漢騒動の一件だ。あの一件を引き起こした愉快犯の正体を高橋はすっかり忘れていた。
忘れていたツケは大きかった。
子供の悪戯じみたトラップに引っ掛かり、支部長から次の定例会議で生贄扱いされる事が決まった。
翌日。
支部長の許に再び出向き、恥と外聞を捨てて土下座するも、少ししてから無知の恥を晒した事を知り、松永と飯島の判断で実験に付き合わされる羽目になった。実験自体は貴重な経験となったから、帳尻は合うだろう。
月面基地に戻っても窮地の連続だったと、高橋は後に述懐する。到着した月面基地の離着陸場には、額に青筋を浮かべた高橋の副官が仁王立ちして待ち構えていた。
「お帰りなさい。言い訳は考えていますよね?」
支部長から連絡を受けた副官から、しこたま怒られた。日本支部兵舎のエントランスで、床に正座をした状態で怒られた。女性隊員がいないだけマシだった。高橋の部下は男性ばかりで、皆呆れた目で高橋と副官のやり取りを眺める。お目付け役の二人にはお小言だけで解放された。
九月の定例会議。
荒れに荒れて、混乱が更なる混沌を呼ぶ、前代未聞の会議となった。
この会議で高橋が得た教訓は一つ。
支部長と星崎を同じ会議に出席させてはならない。
高橋は身をもって痛感した。




