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モブキャラとして無難にやり過ごしたい  作者: 天原 重音
軌道衛星基地にて 西暦3147年8月
52/191

面白い訓練生~神崎視点~

 神崎昴(かんざきすばる)は上機嫌で廊下を歩いていた。運悪く鉢合わせた男性兵がギョッとした顔で逃げ出すも、神崎にとっては何時もの事なので気にしない。

「うふふ。面白い子がやって来たわね」

 神崎の言う『面白い子』とは、星崎佳永依の事だ。神崎と対面した大抵のものは、顔を引き攣らせて距離を取る。先程別れた彼女も驚きはした。しかし、神崎を嫌悪忌避するような行動は一切取らなかった。上官松永大佐の態度にも、どこか呆れていた空気が有った。

 星崎佳永依の、その他の態度や反応を思い出していると、支部長室に到着した。

 入室した神崎の視界に飛び込んで来た光景は、支部長の目の前で飯島大佐の胸倉を掴む高橋大佐と、彼を止めようとしていた佐々木中佐と井上中佐に、額に手を当てて嘆息する支部長の姿だった。

 五人は神崎の姿を見るなり動きを止めた。丁度良いと、思った神崎は仲裁に入る。

「あらまぁ、こんなところで喧嘩は止めて欲しいわぁ」

 神崎はそう言いながら二人の大佐の間に入った。

「何言ってんだキワモノ。支部長に報告してさっさと失せろ」

「松永大佐といい、高橋大佐も酷い言い草ねぇ。あの子がいたら呆れそうだけど」

「あ゛ぁ? 誰が呆れそうだって?」

「んもう。チンピラじゃないんだから、そんな顔しないで下さる?」

 神崎は頬に手を当てて息を吐く。今の高橋大佐の顔は『片目を眇め、片目を見開く』と言う、神崎の目には『メンチを切るチンピラ』にしか見えなかった。神崎の方が高橋大佐よりも三十センチ以上も背が高いからか、全くと言っていい程に威圧を感じない。神崎に近い身長保持者は佐藤大佐しかいない。故に、見上げられるからか睨まれても何とも思わなくなった。

 チンピラと指摘された高橋大佐は舌打ちをしてから、掴んでいた飯島大佐の胸倉から手を離した。

 高橋大佐が話を聞く耳を持った事を確認してから、神崎は回答を口にした。

「星崎佳永依ちゃん。あの子ね、松永大佐の物言いに『そこまで言うの?』って顔していたわよ」

「それは松永の物言いが、普段以上に辛辣で驚いただけじゃないか」

「そうなの?」

「多分な」

 飯島大佐の指摘に神崎は目を丸くした。中佐組を見れば二人は納得顔をしている。二人の様子から神崎は、『星崎佳永依がどのように見られているのか』考えた。

「あの子は落ち着いた、礼儀正しい子だと思っていたのにね」

 神崎が持つ、星崎の印象は『己の見た目を気にしない礼儀正しい子』だ。

 変ねぇと、神崎が呟くと、高橋大佐が何かを思い出したかのように口を開いた。

「おい。その礼儀正しい子ってのは、女子更衣室にやって来た他支部の野郎を、痴漢に仕立て上げたりしねぇだろ」

「強行突破で女子更衣室に侵入した時点で、痴漢の誹りは免れないでしょうね」

「緊急放送で『痴漢が出た』って、普通叫ぶか?」

「忘れていらっしゃるようだけど、あの子は、訓練生で十五歳の女の子なのよ。頼れる大人が周りにいなかったから、別のところに助けを求めたって思わないの?」

「更衣室内の映像が基地中に流れたんだぞ。映像を流す必要性って有るのか?」

「悪戯と思われない為にカメラを起動させただけでしょう。まったく、何を仰っているのかしら? それに、支部長だってその映像を録画していましたのに。しかも、その映像と星崎ちゃんが『許す』と言っていないからって、未だにイタリア支部を強請っているのを知りませんの?」

「かぁーっ、支部長も支部長で何やってんだっ!?」

 神崎が暴露した意外な情報に、苛立ちで頭を掻き毟った高橋大佐の怒りの矛先が支部長へ向かった。高橋大佐は首をぐりんと回して支部長を睨む。

「何もどうも、日本支部にデメリットは無いだろう? 寧ろメリットしかない」

「同じ男として、どうなんですかっ!?」

「私は日本支部長だからな。個人の感情よりも、日本支部を選ばねばならない」

「何で笑顔で尤もらしい事を言ってんですか……」

 支部長はニカッと笑みを浮かべてサムズアップした。支部長は右目の義眼を隠す為に、四六時中サングラスを掛けている。そのサングラス越しでも『満面の笑み』を浮かべていると分かる程の、良い笑顔だった。その内心ではきっと、高笑いをしているのだろう。

 高橋大佐は支部長の様子を見て、逆に疲れ切った表情を浮かべた。

「星崎ちゃんは面白い子ですね。トラブルを引き寄せているのに、最終的には日本支部にとって良い事になるように、終わらせているんですもの」

「結果だけ見ると確かにそうだな。私への気遣いは松永大佐が潰しているが」

「ええ。その上、所々の判断を上層部に丸投げしていますが」

「ちょっと、飯島大佐。それは言わないお約束でしょう」

 もう、と神崎は飯島大佐にケチを付けた。ケチを付けられた飯島大佐は憮然とした顔になった。ついでに気遣いが潰されている点を肯定されて、支部長も飯島大佐と同じ顔になった。

「そんな約束はねぇよ」

「神崎。てめぇは、星崎が保管区に迷い込んだ日に、どんだけ仕事が大量に湧いたか知ってて言ってんのか?」

「知ってますわよぉ。あたくしの仕事量は支部長の次に多かったんですもの」

 高橋大佐からの文句に、神崎は『お前よりも仕事量が多かったんだぜ』と言い切った。その事実を知るからか、高橋大佐は何も言い返せずに歯軋りした。

「あたくしの次が松永大佐でしたわね」

 おまけとして神崎は把握出来た範囲で、幹部達の仕事量の順位を口にした。ちなみに高橋大佐の仕事量は、神崎の四分の一程度で佐藤大佐と並んで最下位。最も仕事量が多かったのが、支部長なのは言うまでもない。

 ぐうの音も出ない高橋大佐は、ただ悔しそうにするだけだ。

「松永は星崎にも手伝わせてたぜ」

「あら、そうですの?」

 飯島大佐より齎された、神崎は自身ですら知らなかった情報を聞き、目を丸くした。

「ああ。書類整理を手伝わせたら、色々と早々に終わったとか言っていたな」

「それだけで、早くに終わるものかしら」

「そいつは知らん。ただ、その時の星崎は左足を負傷していて、松葉杖を使っていたらしい」

「……本当に書類整理のお仕事だけを振っていたのかしら?」

「星崎に聞けば分かるんじゃねぇのか」

 当時の仕事量を思い出してげんなりとした飯島大佐は投げやりにそう言った。

 神崎は把握していない情報を心のメモに書き足した。

 全員が言葉の接ぎ穂を無くして黙った。室内に沈黙が下りると、支部長が手を叩いて己に注目を集めた。

「さて、話が大分脱線したな。本題に戻るとしようか」

 今更過ぎると、室内にいた全員が同じ事を思った。誰も口にしなかったが。

 神崎は星崎からの事情聴取内容を報告し、複製を譲り受けた動画を支部長に提出した。

 室内にいる全員で神崎が提出した動画を見た。高橋大佐のみ、表情が凍った。

「随分と面白い動画だな」

「人間が転ぶところを正面から見る機会は、先ず無いからな」

 飯島大佐、支部長の順に動画を視聴した感想が漏れる。

「星崎がシャワーを浴びに行ったのは、もしかして……」

「そう言えば、松永大佐が言っていたよな?」

 中佐組がひそひそ話をする。

 神崎が二人に内容を尋ねると、飯島大佐が回答した。

「成程。念の為、シャワールームに引き籠るついでにシャワーを浴びたって事か」

「恐らくそれで合っているでしょう。意図的か無意識かは不明ですが」

「この動画を見る限りですと、無意識だと思いますわ」

 室内にいた全員の視線が神崎の集中した。

「あたくしの勘ですけど、この子は『何となく』の無意識で正解を選んでいる気がしますの」

 神崎は『無意識』と評価したが、星崎と対面した時の、彼女の様子を思い出して内心では違うと否定した。神崎と対面しても、これまで見て来たどの反応も見せなかった。代わりに、星崎は相手の観察を怠らなかった。観察結果から正解を当てているとしても、年齢を考えるとその正答率の高さには驚くしかない。

「勘で正解を引き当てるか。質がわりぃな」

「でも、事前に打ち合わせをしなくても、こちらの思惑から外れずに動いてくれるのは、ありがたい事でしょう?」

「確かにありがてぇが、それでも『星崎の疑いが完全に晴れた』訳じゃねぇだろ」

「それで飯島大佐に食って掛かっていたのねぇ」

 神崎は高橋大佐の言葉を聞き、先程の喧嘩の原因を何となく察した。

「星崎ちゃんがスパイだとしても、行動がまったくと言っていい程に、噛み合わないわ」

「本当にな」

 神崎が嘆息すると、支部長が同意した。



 神崎は見ていないので分からないが、八月七日の定例会議中に起きた一件で、『星崎佳永依が敵機の一つを操縦した』と言う冗談じみた話を聞いた。

 現場の監視カメラは全て機能を停止しており、通信機も保管区を出なければ起動しない状況だった。その為、居合わせた支部長と幹部達の証言以外の証拠が無い。せめて誰か映像を録ってくれれば良かったのに。使えない男連中だと、神崎は毒づいた。しかし、あとになって、通信機そのものが起動しなくなった事を知り、しょうがないと諦めた。

 加えて、大破に近い状態で保管区に運び込まれた敵機が、謎の復活を遂げて暴れたと言う状況では、流石に厳しいのかもしれない。

 この一件で『星崎佳永依はスパイではないか』と意見が出た。しかし、訓練生にスパイをさせて利点が無い事や、本人の行動がスパイと言うには的外れなものが多い。その為、現在日本支部幹部の一部では、『スパイか否か』で意見が真っ二つに分かれている。

 正規兵でも無く、開発部の人間でも無く、訓練生にスパイ容疑が掛かり、日本支部上層部の一部にちょっとした混乱が齎されたが、発覚した別の不正の余りの酷さに、皆それどころではなくなり、一時、忘れ去られた。それは仕事に忙殺されたとも言う。

 時間が少し経過し、疑惑が再浮上している。

 星崎佳永依へのスパイ疑惑は、諜報部が総力を挙げても何一つ怪しいところが見つからなかった事から、『事実無根』と判断された。神崎も彼女の情報を見直したが、怪しいところが何一つとして見つからず『白』と判断している。

 これは、当時の状況を聞いて――敵機が『星崎だけを狙っていた』事を踏まえて――の判断だ。



「神崎少佐、情報の洗い出しは?」

「全部終わりましたけど、白でしたわ。これ以上は本人から聞き出さないと難しいです」

 神崎が支部長に報告すると、高橋大佐は舌打ちを零した。

「舌打ちを返事代わりにしないで欲しいわ」

「何一つとして判明していないも同然だってのに、良く落ち着いていられるな」

「そうかしら? 初対面で不快な感じは無かったですし」

「まぁ、キワモノのお前を見て逃げなかったのは、確かに褒めても良いかもしれねぇな」

 再び会話が益体の無いものに移り変わろうとしたところで、来訪を告げる電子音が響いた。佐久間は誰がやって来たのか確認せずにドアのロックを解除する。

「高橋大佐。褒めるところが違う気がするぞ」

「支部長。そんな事よりも、誰が来たのか確認してからロックを解除してくださいな」

「――確かにそうですね」

 神崎が思わず窘めると、冷え切った声が響いた。室内にいた全員が動きを止めて、声の主を確認する。

 ドアを開けてやって来たのは、松永大佐だった。僅かに怒気を滲ませた松永大佐は、支部長の前にまでやって来た。

「午前中の保管区の作業進捗報告に参りました。何一つ関係の無い事で盛り上がっているようですが、高橋大佐の沙汰は決まりましたか?」

「決まっていない。後回しでも良い気がする」

「左様ですか」

 双方共にどうでも良いのか、高橋大佐の処罰について全く気にしていない。一方、扱いの余りの軽さに苛立った高橋大佐は思わず口を開きかけたが、松永大佐から冷えた一瞥を貰い黙り込む。

 睨まれただけで反論出来ないこの力関係で、良く松永大佐の部下に手を出そうとしたものだ。神崎は素直に感心した。その間に松永大佐は報告し始めた。

「午前中でどこまで進んだ?」

「動かすだけで良いのなら、今日中に修理だけは終わるそうです」

「……ウチの開発部って、そんなに無能揃いだったっけ?」

「私は知りません。それと、比較の為に戦闘用の機体の修理も行うように指示を出しました」

「二機も使えるようになるのか。他に報告は?」

「搭載されている筈の通信機が無い、と言う報告を受けました。実戦に投入するのなら、こちらで通信機を用意する必要が有ります」

「技術差を考えると、機体と通信機を繋ぐのは難しいな。よし、携帯用の小型通信機を手配する。何個あれば良い?」

「最終的に何機使えるようにするかにもよりますが、今は数える程度に、二つ・三つ用意すれば十分でしょう」

「ふむ。だったら、予備を含めて五つ・六つあれば良いな。午後は予定通りに作業を進めるのか?」

「それで良いと考えております。明日には動かせる状態になるそうです」

「分かった。作業を進めるように言っておいてくれ。現時点で他に必要そうなものが有ると言っていたか?」

「今のところは何も言っていません。何か必要なものが有れば、自分から申告して来るでしょう」

「それもそうか。稼働データ収集は前回と同じようにやってくれ。通信機は明日の朝までに届くように手配する」

「分かりました。お願いします」

 神崎には、内容が全く分からない報告だった。大事な部分が完全に抜けている。にも拘らず、支部長と松永大佐の会話は成立している。訳知り顔で頷いているのは、飯島大佐だけだ。ずっと貝になっている中佐組と高橋大佐は何の事だか分からない模様。三人揃って首を傾げている。

 飯島大佐は内容を知っているのか会話に混ざり始めた。

「松永。アレに通信機が搭載されていなかったのか?」

「ええ。先程、在る筈の通信機が無かったと、報告を受けました」

「代わりに何が在ったか聞いたか?」

「聞いておりません。夕刻に聞きます」

「いや、聞かなくても良い。恐らくだが、報告する程の事じゃないのか、『報告しない方が良い事』なのかもしれん」

「その可能性が高そうですね」「確かに」

 支部長の考えに、松永大佐と飯島大佐が『あり得そう』と頷いている。全く内容の見えない会話に混ざれず、痺れを切らした高橋大佐が割って入った。

「おい、松永。何についての話だ?」

「支部長からの指示で動いているだけです」

「他の連中に話す必要性は?」

「今のところは有りませんね。飯島大佐は居合わせたから知っているだけです」

「……支部長」

 松永大佐は遠回しに、内容を教える事を拒んだ。それを理解した高橋大佐は支部長を見た。その目は『教えろ』と訴えている。

「他に教えるのは修理が完全に終わってからだ。その方が良いだろう」

「完全にって事は、明日には教えて貰えるって事ですか?」

「いいや。次の定例会議で一括説明しようかと思っている」

「……二週間もお預けですか」

 次の定例会議までの日数を数えた高橋大佐は、支部長にしつこく食い下がる。神崎は高橋大佐の子供のような態度を見て、嘆息を零す代わりに、『困ったものだ』と頬に手を当てた。

「高橋大佐。知ってどうする気だ? 途中で人手が必要になったら、適宜、松永大佐が声を掛けているぞ」

「そこは支部長じゃないんですかい」

「試験運用隊で行う事だ。判断を下すのは、隊長の松永大佐だろう」

「確かにそうですけど……。んじゃ、ガーベラで何かやっている件も、教えて貰えねぇんですか?」

「それか。三十年前に生産・搭載された重力制御機を、ナスタチウムの新式と入れ替えて、『星崎以外が操縦した』稼働データ収集は行ったな」

 あっさりと齎された情報に神崎は軽く目を見開いた。昨今の技術開発は日々劇的に進んでいる。故に、三十年前のものとなるれば、過去の遺物扱いとなる。

「開発部はマジで、何やってたんだ!? つか、星崎も星崎で、良く無事だったな」

 高橋大佐も支部長が告げた情報に心底驚いている。その驚きようは少々大袈裟に思えるかもしれないが、現代の人間としては普通の反応である。良く圧死しなかったものだと、神崎は素直に感心した。それでも『パイロット殺し』と呼ばれた機体の予想外の真相には、驚きを禁じ得ない。

 室内で驚いているのは、神崎と高橋大佐だけなので、他の面々はこの情報を知っていたのだろう。

「本当にな。ガーベラに関しては、星崎を乗せて初めて分かった事が多い。判明した事は次の定例会議で説明する」

「って事は、まだ色々と調べている途中なのか」

 高橋大佐は、ガーベラの情報が開示されなかった理由にやっと思い当たったらしく、腑に落ちたような顔になった。

「いかにもその通りだ。判明した事実も精査する必要が有る。色々と判明したその過程で、ナスタチウムとキンレンカの強化案も出て来た。今後も増えるだろうな」

「強化案?」

「ああ。飯島大佐からの提案だ。二・三機程度の余力しか無いがな」

 支部長の目の前だと言う事を忘れて、高橋大佐は行儀の悪く口笛を吹いた。それだけ素直に感心しているのだろう。

「ま、今確定している事は、次の定例会議が色んな意味で荒れる事だな」

 紛糾する会議以上に、面倒なものは存在しない。神崎は胃薬の準備をする事にした。

「そいつは、星崎絡みの事を含めて、言っているんですか?」

「そうだな。どの道、星崎は白だろうが」

「……まだ言うんですか」

 高橋大佐の顔がうんざりとしたものになった。

 頑なに『星崎佳永依のスパイ疑惑』を否定する支部長の姿に、違和感を覚えた神崎は一つ訊ねる事にした。

「支部長。一つお尋ねしてもいいでしょうか?」

「何だ?」

「支部長はあたくしの報告を聞く前から、星崎ちゃんの白を主張していますわ。一体何を根拠に、星崎ちゃんの白を主張していますの?」

「……一応根拠は在る」

「在るんですの!?」

 支部長から齎された予想外の回答に、神崎は思わず素っ頓狂な声を上げた。

 高橋大佐や、ずっと貝になっていた中佐組も、回答を聞いてギョッとしている。事前に内容を聞かされていたのか、飯島大佐と松永大佐は無反応だった。

「ただ、根拠を開示するのは難しい。個人的にも、信じ難くてな」

「信じ難い根拠って、何ですの……?」

 言葉の意味が理解出来ない。疑惑を完全に消せる程の決定的な根拠なのに、何故『信じ難い』が付くのだろうか。そもそも『提示』では無く、何故『開示』なのか。

「星崎には説明の約束を取り付けている。何時か向こうから話しに来るだろう。それまでは『都合の良い情報提供者』でいて貰った方が得な気がする」

「どう言う扱いですの。本人は納得していますの?」

「今のところ情報提供に躊躇いが無い。自らガーベラの改良案を考える程度には協力的だ」

「それは、……確かに黒とは思えませんわね」

 支部長より知らされた星崎の行動を聞き、神崎は苦笑を零して、同時に別の可能性に気づいた。

「そっか……。スパイはスパイでも、必ず『敵対者からやって来る』とは限りませんものね」

 スパイと聞くと、必ず敵対者から送られて来て、破壊工作や妨害、情報窃取などを行うイメージが有る。けれども、スパイの仕事には『情報収集』も含まれる。

 星崎佳永依の正体が、地球が襲撃を受けている『原因を調査する為に派遣された別勢力からのスパイ』だとしたら、……案外、納得出来るかも知れない。

「その通りだ。……星崎に関しては、逆にスパイだと『証明する事の方が難しい』のが現状だ。鈴村大尉からの報告は無いしな」

「それじゃ、白確定ですわね」

「うむ」

 諜報部から派遣されている人物が『白』と判断した。それは『疑っても意味が無い』と言う事になる。現時点での、直接の上官(松永大佐)に支部長は意見を求めた。

「松永大佐はどう思う?」

「星崎がスパイだと仮定します。私だったら、床に正座させて『訓練を受け直して来い』と説教しますね」

 松永大佐が下した、想像以上の酷評に室内にいた全員が驚く。

「……そんなに駄目なのか?」

 飯島大佐からの問い掛けを松永大佐は首肯した。

「一見すると、愛想が無く無表情に見えますが、良く見ると顔にハッキリと出ています。それに計画性が無さ過ぎる。その場凌ぎと思い付きの行動が『良い方向に転がり続けている』から、計画的に見えるだけでしょう」

 松永大佐の言葉を聞き、神崎は先程あった星崎の様子を思い返す。確かに驚くなどの反応は見せたが、それは『驚いているように取れる言葉を発していた』からだ。彼女を思い出すと、確かに表情『は』余り動いていなかった。

「松永大佐。その計画性が無いと言う、根拠は何だ?」

「星崎が月面基地で引き起こした、痴漢騒動が良い例です。いかなる理由が在っても、緊急放送を使えば『必ず始末書もの』になる。時間に余裕が有る時に、個人的に聞きましたが、始末書は存在そのものを忘れていたのか『提出を求められなかった』と証言しました。複数の要因が重なって、支部長を含めた全員が忘れていたとしか思えません。今になって提出させる事は難しいでしょう」

「「「う゛」」」

 当時月面基地にいた支部長と中佐組が胸を押さえて呻き、高橋大佐は滝のような脂汗を掻く。この四人の反応を見るに、松永大佐から指摘を受けた今まで、すっかり忘れていたらしい。一ヶ月以上も経過した今になって、始末書を提出しろとは流石に言えない。それに当時の状況を考えると『緊急放送が正しい』としか言えないのが、非常に痛い。

「それに、人気が無いところで独り言を呟く癖が有ります」

「……スパイとしては致命的ね」

「これらを考えるに、その手の訓練を受けているようには見えません」

 神崎の突っ込みを無視して、松永大佐はそう締め括った。

 締め括りの言葉を聞き、神崎と松永大佐以外の全員が無言になって考え込んだ。その言葉を最後に退出するつもりなのか、松永大佐は無言の支部長に一声掛けた。

「私はこれで失礼します」

「夕方に進捗報告をしてくれ」

「分かりました。では支部長、失礼します」

 松永大佐は足早に退出した。全員でその背中を見送ると、何とも言えない沈黙が下りた。

 暫しの沈黙を挟んで、飯島大佐が高橋大佐に問い掛ける。

「高橋。お前はどう思う?」

「松永が嘘を吐いているようには見えねぇ。こいつは白確定か。おう、飯島。星崎の性格の把握は終わっているのか?」

「普段は大人しくマイペースで、変なところで抜けている。たまに松永並みの毒を吐くが、こっちから手を出さない限りは完全に無害だな」

 神崎は以前に読んだ、高城教官が提出した報告書の内容を思い出して、飯島大佐の発言と内容を照らし合わせた。確かに大体は合っている。

「普段は、って事は……。佐々木、戦闘時はどうなんだ?」

 少し考えこんだ高橋大佐は、以前に星崎と模擬戦を行い、共に出撃した経験の有る佐々木中佐に声を掛けた。

「沈着冷静で観察力に優れます。ただ、躊躇いも有りません」

「普段とは真逆か」

 佐々木中佐の発言を聞き、高橋大佐は『真逆』と称した。だが神崎は、そこで否を唱える。

「そうでも無いですわ。普段から周囲の観察だけは怠っていないようですし」

「根拠は?」

「ここに来る前に、星崎ちゃんから動画を見せて貰っていた時の事ですわ。その時、あたくしの事を確りと観察していましたの」

「それは、お前がどこの所属か分からなくて混乱していたんじゃねぇのか?」

「説得力が有りますけど、ちょっと違う気がしますわ」

「くそっ、掴みどころがねぇな」

 悪態を吐く高橋大佐の言う通り、星崎の性格が微妙に把握出来ない。

 全員で首を捻っているところに、黙っていた佐久間が口を開いた。

「手段なら在るぞ」

「在るんですの!?」

 全員で驚き、支部長に視線を向ける。注目が集まった支部長は鷹揚に頷いた。

「ああ。高橋大佐に頑張って貰うがな」

「……何で俺を名指しするんですか?」

「高橋大佐に下す処罰が、まだ決まっていないからだ」

 支部長からの言葉に、高橋大佐以外の全員が『そう言えば』と言った顔になった。有耶無耶になってしまったが、高橋大佐の沙汰は確かに決まっていない。

「それも次の定例会議で行う。星崎は場を混乱させるのが得意そうだから、会議を始める前に全員に胃薬を配っても良いかもしれないな」

「支部長。自ら会議を荒らすのは、組織の長としてアリなんですか?」

「他の幹部からも、『星崎を直接見たい』と言う要望が来ている。その要望にもついでに応えようかと思っている」

「会議が荒れた理由を、他の幹部の責任にする気満々ですわね……」

 支部長の思惑を見抜いた神崎は額に手を当てた。同時に、神崎は支部長の態度に不吉なものを感じた。

「支部長。ドサクサに紛れて何を押し通すつもりですか? もしかして、星崎にやらせているアレに関係するものですか?」

「ふっ。その辺は当日になってからの、お愉しみと言う奴だ」

 神崎と同じ事を思った飯島大佐からの問いに、支部長は非常に良い笑顔を浮かべた。

 議長が進んで荒らす次の会議には、暗雲どころか超弩級の大嵐並みの混沌が待ち構えている模様。混沌が待ち構える未来を想像し、神崎は今すぐにでも役職を放り出して、出席を拒否したくなった。支部長からそんな許可は下りないから不可能だけど。

「やだわ。支部長ってば、あたくし達相手にマウントを取って遊ぶつもりよ」

「マウントっつーか、ドSな部分が出ているだけだろ」

「支部長。日本支部の鬼畜は、松永だけにして下さいよ」

 神崎、高橋大佐、飯島大佐の順にぼやいた。

 中佐組は荒れ果てる次の会議を思ってか、気の早い事にもう胃痛を感じているのか、鳩尾の辺りに手を当てていた。

 このやり取りを最後に、五人は支部長に部屋から追い出された。

 神崎が時計で時刻を確認すると、十三時前だった。ツクヨミでは所属部隊の食堂では無く、最寄りの食堂を利用しても問題無い。最寄りの食堂は試験運用隊になるが、時間的に松永大佐も居そうだ。神崎には仕事が残っている為、隊舎に戻る事を選択した。

 憂鬱そうな顔の高橋大佐は怪しい足取りで一人去った。次の定例会議を思うと、最もダメージを受けるのは彼だろう。

 中佐組は隊舎に戻る模様。飯島大佐に何やら頼んでから共に去った。

 飯島大佐は、歩き出した方向から推測するに、試験運用隊に向かうようだ。

 残された神崎は独りで所属部隊の隊舎に向かう。実を言うと、星崎佳永依に接触した時に仕事が一つ発生しているのだ。

 到着した隊舎の食堂で昼食を取り、隊長室に向かい、ポケットから一本の長い黒髪を取り出した。

 黒髪を所定のケースに封入し、必要な手続きを行う。

「検査結果が出るのは一週間後。これで星崎ちゃんの何かが分かると良いわね」

 黒髪の持ち主は、神崎が独り言ちた通りに星崎だ。頭を撫でて整えた時に一本頂いていたのだ。

「それにしても……。あの松永大佐が、女の子の顔を確りと見る日がもう一度来るなんてね」

 松永大佐は一時期、女性を全く近づけなくなった。

 それは十六年前の事件のせいだ。

 当時松永大佐がこっそりと付き合っていた入籍直前の恋人の女性――藍沢紅葉(あいざわもみじ)を、彼に横恋慕していた女准将に事故に見せかけて殺されたからだ。その時の怒りようは凄まじく、横恋慕していた女准将ですら腰を抜かす程だった。

 当然のように問題になったが、当時の上層部は大変腐敗しきっていたので、大した処罰は下されなかった。代わりに十年前の作戦で激戦区に送り込まれて戦死している。訃報を知っても誰も悲しまず、逆に『やっと逝ったか』と言った反応が多かった。

「紅葉ちゃんが、今の大佐を見たらどう思うのかしらね……あら?」

 亡き松永の恋人だった女性の顔を思い浮かべて、神崎は意外な事実に気づいた。手元のパソコンを操作して、二枚の写真を表示させる。

「良く見ると似ているわ。どうしてなのかしら?」

 藍沢紅葉と星崎佳永依。全く縁の無い、二人の女性。事実、星崎佳永依が産まれたのは、藍沢紅葉が亡くなってから十ヶ月後の事。母親の日生との血縁も無い。

 星崎は一見すると、母親の面差しが良く出ているように見える。だが、細かく見るとそこまで出ていない。

 女の子は父親に似て、男の子は母親に似ると言うので、星崎は父親似なのだろう。

「もしかして……。やだわ、松永大佐。そう言う事なの?」 

 連想の果てに辿り着いた可能性は、あり得そうだ。

 神崎は引き続きパソコンを操作して、調べものに没頭した。


 その後、神崎は自力で得た調査結果に、訳の分からない運命を感じて、世間の狭さを改めて知った。


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