試し乗り、同僚の所業に戦慄、新たな情報を得る~飯島視点~
翌日の十時。
少量の雑務を片付けてから、飯島は佐藤を連れて試験運用保有の演習場を訪れた。演習場の一角には青紫色の敵機――アゲラタムが鎮座していた。
実は十数年前、飯島はこのアゲラタムの同種別機と交戦した。その際に数名の部下を討ち取られている。そんな因縁の有る同種別機に乗る日が来た。
飯島は言葉に出来ない感傷を抱き、佐藤から教わった(教え下手の為、飯島は何度も確認を取った)通りに起動と操縦を行い――アゲラタムを頭から床に突撃させた。こんな事でアゲラタムは損傷しなかったが、佐藤がアゲラタムの操縦を代わっても、起こす事は出来なかった。
「星崎を呼ぶか」「そうするか」
顔を見合わせた二人は素直に救援を呼ぶ事にした。情けない事に、起動してから二十分と経っていない。
アゲラタムを停止状態にしてから演習場を離れて、試験運用隊の隊舎へ向かう。松永に話を先に通すか否か、二人で話し合いながら移動していたら、佐藤が鼻を動かした。やや遅れて、飯島も甘い匂いに気づいた。
揃って何故こんな匂いが漂って来るのかと首を傾げ、匂いを辿って大本に向かう。辿り着いた先は、ある意味当然と言うべきか食堂だった。
食堂では複数の換気扇が稼働しており、空気の入れ替えが行われていが、食堂内は無人。……かと思いきや、食堂の奥の厨房から音が聞こえる。誰がいるのか。
試験運用隊に限っては、人数が余りにも少ない事から、別のところで纏めて作ったものを運び込むと言う形を取っている。運ぶのは人力では無く、ロボットだが。
食堂を横切り厨房に向かう。足音で気づいたのか、奥にいた人物が顔を出した。飯島と佐藤の顔を見て驚いている。
「星崎。お前は何をやっているんだ?」
飯島の疑問通り、奥から姿を見せたのは白いエプロンを身に着けた星崎佳永依だった。
「久し振りにお菓子を作っていただけですが、どうしました?」
「……何で菓子なんだ?」
「購買部で材料が丁度良く手に入ったので、作ってました」
ツクヨミの購買部に、菓子の材料などが売られていただろうかと、飯島は首を捻った。
「匂いが凄いが、何を作っているんだ?」
「パウンドケーキとビスコッティです。それから、松永大佐から支部長への差し入れ用の甘さ控えめクッキーをリクエストされました」
甘いもの好きの佐藤の質問に、星崎は首を傾げる事無く回答した。飯島は彼女の回答を聞き、松永の所業に戦慄した。
余談となるが、佐藤程では無いにしろ、支部長もそこそこに甘いものを好む。
普段の飲み物に緑茶などを好むので、知る人間は数少ない。コーヒーにミルクを入れない派なので気づき難い、と言うのも有るのだろう。隣の佐藤は、コーヒーに砂糖とミルクが入っていないと自分で入れに行く重度の甘党男なので、大変分かりやすい。
そんな甘いもの好きの人物に『甘さ控えめの菓子を差し入れとして』送る。
……松永よ。このクソ忙しい時に部下を使い、遠回しに上司を虐めてどうする気だ? 過労で倒れるなと釘を刺す気か!? それとも『差し入れしたから、早急に終わらせろ』と追い込む気か?
飯島の恐怖を知らない星崎は、小さく声を上げて、手を合わせた。
「あ、そうだ。佐藤大佐と飯島大佐は支部長の好みとか、アレルギーとか、ご存じですか?」
星崎からの問いに、飯島は熱くなった目頭を押さえたくなり、額に手を当てて思い出す振りをして目頭を揉んだ。
……松永の、あのドS魔王の部下なのに、どうしてこいつは気が回るんだろう。
「支部長の好みか。最近、過労気味だから甘いものを入れて置けば問題無いぞ」
「甘いもの? ……あと、クルミなどのナッツ類は使っても大丈夫でしょうか?」
「その辺は問題無いな」
支部長と好みが被る佐藤が答え、逆に問い返す。
「パウンドケーキは普通の奴を作っているのか?」
「チョコとブルーベリーとレモンと塩と、メープルシロップで香り付けしたものの五種類です」
「随分と作ったな」
「……ホットケーキミックス粉が、キロ単位でしか販売されていなかったんです」
目を泳がせて星崎はそう言った。大容量品しか販売されていなかったらしい。そして今日中に使い切るつもりらしい。
「一人で食べるつもりか?」
「いえ。レモンはクッキーと一緒に、支部長への差し入れにしようかと思っていました。塩パウンドはケークサレに近いので、明日のお昼ご飯にしようかと」
……是非ともレモンは入れてやれ。塩以外なら何でも構わん。
甘いものに狂喜乱舞する支部長の様子が、飯島の目に浮かんだ。
「パウンドケーキだぞ? 昼飯になるのか?」
「ほんのり塩気を感じる程度なので、一応パン替わりになりますよ」
実際にパンの代わりにした経験が有るのか。星崎がそんな事を言った直後、アラーム音が鳴った。
「あ、焼けた」
星崎は一言言ってから厨房に戻る。佐藤の目がキラリと光る。飯島は釘を刺す事にした。
「佐藤。味見と称して強請るな」
「何故だ!?」
「支部長への差し入れだからだ!」
佐藤に私情を我慢させる。だがしかし、支部長の為だと言っても、納得しないのが佐藤だったりする。
諦めの悪い事に、佐藤は厨房へ入った。本来の目的を忘れつつある佐藤を引き留めるべく、飯島もあとを追った。
さして広くない厨房で、星崎は二つの茶色の塊をザクザクと切っている。
何かと聞けば、ビスコッティだと、返答を貰う。
「ビスコッティは一度塊で焼き、食べやすい大きさにカットしてから、二度焼きするイタリアのお菓子です。二度焼きして水分を飛ばすので、密閉袋に入れれば何日か日持ちするお菓子です」
二つの塊を切り終えた星崎は、天板にカットした分を、断面を上にして並べて、空いているオーブンへと持って行く。よく見れば、別のオーブンが動いている。パウンドケーキはこちらで焼いているのだろう。
当てが外れて小さく唸る佐藤に、飯島は本来の目的を思い出させようと口を開いた。
――その時、背後から二人の肩に、そっと優しく添えるように、手が置かれた。
飯島は悲鳴を上げなかった自分を褒めたくなった。飯島と佐藤は滝のような汗を流す。
どうやら、馬鹿なやり取りをしていた間に、魔王は音も無く背後に迫っていた模様。
「業務時間中にこんなところで、何をしているのですか?」
声音に怒りは滲んでいない。呆れが多分に含まれている。
佐藤共々飯島は無言だった。この魔王に下手な事を言う訳には行かない。前兆無き火急の事態に飯島は必死に思考を巡らせ、言い訳を考える。だが、無言無反応でいたのがいけなかったのか。二人の肩に置かれていた手が、二人の肩を掴んだ。
「あれ? 松永大佐?」
作業終えてこちらの異変に気づいた星崎が声を上げる。そして彼女の言う通り、飯島と佐藤の肩を掴んでいるのは……松永だ。
「星崎。こちらは気にしなくていい」
「? そうですか……」
星崎は頭に疑問符を浮かべたが、再度アラーム音が鳴った為、調理用のナイフを持ってオーブンに駆け寄った。
「さて、御二方。向こうで、お・は・な・し、しましょうか」
星崎の気が逸れた事を確認し、松永は二人の肩を掴む手の力を更に強めた。ミシリと、骨が軋む幻聴を、飯島は確かに聞いた。松永の細指の、一体どこにこんな力が有るのだろうか。
「か、寛大に頼むぞ」
「言い訳次第ですね」
松永の無慈悲な回答に、飯島と佐藤は万策尽きた顔で項垂れた。
そのまま食堂へ連行され、二人は床に正座して、仁王立ちする魔王に言い訳をする。慈悲を求めても、魔王はうっそりとした笑みを浮かべて全て却下した。
「通信機で私に一言連絡を入れれば済む事でしょう」
「いや、昨日の戦闘で一番重症だったのはお前だろう。支部長にまで休めと言われた奴に頼むのは……」
「御二方は他の部隊員を、その隊の隊長を通さずに借りた経験が有るのですか?」
「「それは無い」」
痺れて来た足の痛みを我慢し、飯島は佐藤と声を揃えて回答しする。同時に松永の言い分を理解した。要は『預かっている自分に一言言え』と言う事だ。単純な礼儀の問題だった。星崎は試験運用隊の所属となるのだから。
その場で謝罪すると、二人は解放された。立ち上がった際に痺れて来た足を、松永に踵で踏まれて悶絶した。精神疲労は少ないが、痺れからやって来る痛みに、男二人は疲れ切った顔で長椅子に座った。
そこへ、軽い足音が近づく。音源を見やれば、両手で平皿を持った星崎がいた。状況が分からず困惑している。
松永が声を掛ければ『支部長差し入れの、クッキーの味見のお願い』と口にした。
大事な事を忘れている甘党の佐藤が一瞬で復活した。そして味見用のクッキーを口にして『甘くない』と感想を漏らす。松永依頼『甘さ控えめクッキー』だと言う事をすっかり忘れている。残念過ぎる甘党の大人だった。
飯島も試食した。砕いたナッツ入りの、甘いものを苦手とする飯島でも食べられる甘さだった。しかし、思っていた以上に硬く、甘くない事から煎餅を連想した。
「砂糖を減らした事で、少し硬くなってしまいましたが」
「これくらいで問題無い」
松永は笑顔で、問題無しと言い切った。
甘みを感じず、硬いクッキーを差し入れられる支部長の心境を察して、飯島は無性に泣きたくなった。
「星崎。随分と硬いな」
「クッキーを作る時に砂糖を減らすと固くなります。ソフトクッキーなどに使用される砂糖は、バターの倍近い量を使用するので軟らかいです」
「初めて聞いたな」
初めて聞いたクッキーの差異に佐藤は驚く。星崎から見えない角度で、松永が悪魔の笑みを浮かべていたが、飯島は見て見ぬ振りをした。話題を強引に変える。
「あー、星崎。引っくり返ったアゲラタムを起こすにはどうすればいい?」
「引っくり……え?」
言葉が少々足りなかったのか。星崎は目を瞬かせてから首を傾げた。
間髪入れずに、松永が『昨日の夕食時に作戦の幅を広げる為に試乗を勧めた』と説明を加える。その会話をした時に星崎もいたが忘れている。彼女は口元に手を当てて数秒考え込むと小さく声を上げた。どうやら思い出してくれたようだ。
「昨日も申し上げましたが、操作の大半が思考の読み取りで行われます。仰向けになったのなら、起き上がってからバーニアを使えば行けると思います」
昨日の会話を忘れていたのは飯島も同じだったようだ。回答に交じっていたさり気ない意趣返しに、飯島は内心で苦笑を零し質問内容を訂正する。
「済まん。うつ伏せだ」
「それなら普通に、両手を着いて起き上がればいいだけでは?」
回答は星崎からではなく、松永からやって来た。彼女も異論が無いのか頷いている。
「そうなんだが、上手く行かなかった」
飯島は当時の操縦を思い返す。両手を使って身を起こす動作を試したが、上手く動かなかった。何が駄目で動かないのかと思った。
「佐藤大佐が操縦してもですか?」
「そうだ。上手く起こせなくてな。松永が最初に操縦した時みたいになった」
「……つまり頭からどこかに激突したと、言う事ですか?」
「激突したのは床だからな!? 床であって壁では無い!」
僅かに目を眇めた松永に佐藤が慌てて弁明する。
「……操縦としては、自分の体を起こすように考えればいいと思います」
「自分の体を?」
「はい。『機体を動かす』事に意識を集中させるのでは無く、『大きくなった自分の体を動かす』ようにしてみてはどうでしょうか」
「『大きくなった自分の体を動かす』?」
星崎の指摘通り、アゲラタム操縦時の飯島は、機体を動かす事のみに集中していた。しかし、操縦の肝要は別のところに在ったらしい。飯島が鸚鵡返しで疑問点を口にすると、佐藤と松永が納得の声を上げた。
「確かに、己の体を動かすイメージをした時に、操縦は上手く行きましたね」
「言われてみると、『動きたいイメージをはっきりとさせた』方が上手く動いたな」
「アゲラタムの場合は『操縦する』では無く、『動かす』って感じですね」
三者三様の操縦感想だが、共通している操縦の要点は『己の体の延長として扱う』と言う事だろう。
「操縦席が違うから、操縦方法の違いもある程度は想像していたが、予想以上だな」
「そうですね。オプションパーツが手に入れば、座席型に変更は可能ですけど、操縦難易度が変わります」
難しいと飯島が唸ったところで、星崎がポロリと聞き捨てならない事を言った。
「はぁ!? 操縦席が変えられるのか!?」
思わずギョッとした飯島が尋ねれば、星崎は首肯した。
「出来ますよ。ただし、専用の換装パーツが必要ですけど」
「「「……」」」
操縦に苦労した三名は予想外の回答に思わず絶句した。一方、操縦に慣れている星崎は補足事項を口にした。
「アゲラタムは色んな機体を作る際に、雛型として扱われる事が多かったので、互換品が見つかれば出来るかも知れませんね」
飯島は補足された内容を吟味する。
互換品が見つかれば、色々と弄れる可能性有。
支部長に報告と提案事項が出来た。
「星崎。保管区の残骸からどれが互換品か分かるか?」
「実物を見れば、ある程度の判別は出来ると思いますが……。開発部の仕事はどうなるのですか?」
三人は星崎の肯定を聞き明日の予定を素早く立てつつ、彼女の疑問を聞き流した。
「保管区は保管区でも、お前も一度入った『第五保管区』だ。あそこは手付かずの残骸が纏めてある。互換品とやらが見つかるかもしれん」
「探す価値は有るな」
「開発部には第五以外の保管区に運ばれた残骸の調査を不眠不休でやらせればいい」
松永がしれっと問題発言をしたが……星崎の疑問への回答となったので、松永以外の全員で無視した。
ついでに飯島は、星崎が松永への対応を確り学んでいる事を喜んだ。
必要な機材について議論を始め、暫く経つとアラーム音が鳴った。パウンドケーキが焼けたと知り佐藤の瞳が輝く。けれども、粗熱を取らないと食べられないと聞き、佐藤は小さく舌打ちを零す。星崎が厨房へと去ると同時に松永から咎める視線を貰い、佐藤は巨体を縮こまらせた。
いい加減学習しろと、飯島は苦言を呈したくなった。
「一緒に行くのはこの三人で確定か? 確定だな」
佐藤が急にウキウキし始めた。佐藤がこの態度を取るのは『書類仕事から逃げる』事のみを考える時だ。
「星崎と保管区に向かうのは私と、他は支部長が決めればいいでしょう。他は不要だと思いますが」
「佐藤は溜まっている書類を片付けろ。不眠不休で片付けに専念しろ。いい加減にしないとお前の部下が過労で倒れかねん」
飯島は松永と共に佐藤の思いを却下する。
佐藤は書類仕事を苦手としている。書類仕事が苦手でやりたくない一心から、長年昇進を辞退していた秘話が存在する程だ。知っているのは、幹部になる前から佐藤と付き合いの有る飯島と、昇進辞退の本音を本人から直接聞かされた佐久間のみだ。昇進は人材不足を理由に強制的に行われた。佐藤は泣いたが、誰一人として同情しなかった。
「俺の部下はそこまで柔では無い」
「お前の決裁が必要な書類を片付けろって話だ! 面倒な仕事を自分でやって少しは部下を休ませてやれよ!」
キリっとした顔の佐藤に、飯島は意味が違うと突っ込んだ。
「一昨日、鈴村大尉が佐藤大佐の部下から苦情を受けました。そろそろ仕事をして下さい」
「仕事はやっているだろう!?」
「苦手仕事を部下に押し付けるなって話だ!」
松永から日常的に仕事をサボタージュしているかのように言われて、佐藤は憤慨したが、意味を理解しろと飯島に丸刈り頭を叩かれて、憮然とした表情に変わった。なお、物理的にも突っ込みを入れられても変わらないのが佐藤なので、飯島は頭を抱える。
飯島は一見すると大変近寄り難い外見を持つが、訓練生時代から付き合いの長い佐藤の手綱を握りフォローする苦労人枠に収まっている。それを知るものは非常に多いので、佐藤関係――と言うよりも、幹部関係で困り事が発生したら皆、飯島を頼る。外見に惑わされない確かな信頼がそこに存在した。
「……凄い音がしましたけど、どうしました?」
混沌とした空気を断つように星崎が厨房から顔を出した。佐藤の頭を叩いた音が食堂に思っていた以上に響いた事も有り、様子を見に来たのだろう。
「気にするな。佐藤の仕事が溜まっているって話だ」
「……そうですか」
飯島からの回答に、星崎は心当たりが有るのか、何か言いたげな顔をしてから再び厨房に引っ込んだ。
その様子に何か遭ったと勘付いた飯島は何となく松永を見た。
飯島から睨むように見られた松永は、慌てず騒がず淡々と『鈴村大尉が仕事体験で少しだけ仕事の手伝いをさせた。その時に佐藤大佐がやって来た』と答えた。回答を聞いて飯島は呆れ、そう言えばと、とある事を思い出した。
「松永。そう言えばお前、他の奴が悲鳴上げながら書類捌いていた時に開発部に乗り込んでたよな」
「その日の午前中に仕事の殆どが終わり、手が空きましたので」
「手が空きましたのでじゃねぇよ。佐藤とか、佐々木とか、佐藤とか、高橋とか、書類仕事が苦手な奴の仕事を手伝ってやれよ」
呆れた飯島は二度も佐藤の名を出した。地獄の書類仕事期間中、最も殺気立っていたのが佐藤だったからだ。
「手伝いに行くと何故か遠慮されるんですよね」
「お前はどんな顔して行ったんだよ……」
飯島は額に手を当てて息を吐いた。幹部はおろか『支部長』からも怖れられる松永が不機嫌全開でやって来たら……大抵の奴は戦々恐々として、松永にお暇願うだろう。松永を苦手とするものが非常に多いから起きるのだが、本人はまったく気にしていない。
「今思い出したが、お前だって星崎に手伝わせていただろう!」
「乱雑になった書類整理以外させていません」
「本当にそれだけか!? 何故それだけでお前の仕事が一番に終わるのだ!?」
「整理整頓は基本です。大体、松葉杖を使っていた星崎にどんな仕事を割り振れと仰るのですか?」
「それは……くぅ」
佐藤は松永に言い負けて歯ぎしりする。
……書類整理でも席を立つ機会は有るって事に気づかないから、お前は脳筋呼ばわりされるんだよ。
諦めの悪い佐藤と笑顔で言い負かす松永の攻防は、コーヒーを淹れて戻って来た星崎から『何しに来たんですか?』と質問されるまで続いた。
二人の攻防は非常にくだらないが、飯島にとっては平和を感じる一時でもあった。
佐藤が現役でいられる、残り時間は少ない。
飯島は穏やかな日々が続いて欲しいと、内心で願った。
ちなみに、松永が支部長へ持って行く予定だった、星崎手製の差し入れは……バスケットを持参した飯島が預かった。松永に任せると止めの一言を言いかねない。
飯島が急遽、星崎に追加で作って貰った甘いクッキーとパウンドケーキだけを残し、松永依頼の甘さ控えめクッキーを回収したところ、支部長は目尻に雫を浮かべながら甘いクッキーを貪った。
飯島も星崎から差し入れとして、ショートブレッドとビスコッティを貰った。
あの魔王の部下がどうしてこんな良い子なんだろうと、飯島は差し入れのショートブレッドを食べながら思った。