疑惑残る訓練生~飯島視点~
食堂から一人去った少女を見送り、飯島はスープを一口飲んでから、松永に記憶違いか否かの確認を取った。
「松永。非番の枠に星崎は含まれていなかった筈だが?」
「ガーベラはオーバーホールするので使用不可。アゲラタムはパーツの確認作業が有り、使用は不可能。確認作業は開発部に回すか、人を回して貰う事になります。この状況では待機にしても星崎に回す業務は有りません。いっその事、非番にしてしまった方が良い」
何時の間に考えていたのか。立て板に水を流すような回答が返って来た。飯島は今後の予定について思考を巡らせた。確かに松永が言う通り彼女は暇になる。
松永は飯島の反応を見ずに食事を進める。飯島が佐藤を見れば、彼はフォークを咥えたまま呆気に取られていた。
食堂に沈黙が下りる。響く音は、松永の持つフォークが皿にぶつかる事で立つ小さな音のみ。
「……付け加えるのなら、今の星崎には一人で考える時間が必要でしょう」
沈黙を鬱陶しく思ったのか、松永は食事にそんな事を付け加えた。
「それを言われると、確かにそうだな」
付け加えられた言葉に、先程の支部長とのやり取りを思い出す。
「確か……心の整理だったか」
飯島の呟きに、松永は食事の手を一旦止めて、顔を上げて頷いた。
「心の整理が付かないまま、『味方と戦わされている』と言った感じは無い。では、心の整理と荒唐無稽な事とは何を指すのか」
「内容の推測は難しいな。情報の提供に躊躇いが有るようには見えん。提供どころか、ガーベラの改良を考えている始末。星崎の行動の意味がますます解らなくなって来たな」
「それは、手抜き癖の事を言うのか?」
長い事フォークを咥えたままだった佐藤が咀嚼してから口を開いた。
「それもあるが、無難にやり過ごそうとする理由が見えん」
「訓練学校の現状以外に、何か理由が在るとでも思っているのか?」
佐藤の質問に頷いてから、飯島は己の考えを口にする。
「考えてもみろ。訓練生時代に手を抜いたまま過ごすのは良いが、卒業して正規兵となれば実戦に出るんだぞ。どんな実戦に出ても命令を無難にやり過ごし、確実に帰還する。そんな兵が目立たないままでいられると思うか?」
「そいつは無理だな! 佐々木と井上が良い証拠だ。どんな戦場に出ても、必ず帰還するパイロットはどこの支部でも貴重だからな」
佐藤が否定ついでに例として出した二名は、先程まで共に食事を取っていた二人だ。
あの二人は戦果の良し悪しに関わらず、必ず帰還する兵士として幹部になる前から有名なコンビだった。現在は其々部隊を任されているが、この二つの部隊は組んで作戦に当たる回数が多い。自然と交流の回数も増えているので部隊を超えて仲が良い事でも有名だ。
「まして、必ず無難と評価される結果を出しているのなら、何時か必ず、誰かの目に留まる。そう考えるのなら、確かに群衆に紛れ続けるのは無理でしょう」
小鉢の料理を完食した松永が綺麗に締め括ると、飯島は頷いた。
「今は良いが、何時かは破綻する。それが分からん頭をしているようにも見えん」
「頭の回転は良さそうですが、変なところで抜けているのは何故でしょうね」
何を思い出したのか。松永は声音に呆れを混ぜて、そんな事を口にした。
「……誰も知らない本人だけが知っている情報を大量に持っているからか?」
「苦しい言い訳ですね。地図を持っていて、何をどうしたら迷子になるんでしょうか」
「確かにそうだったな」
飯島は忘れていた事を思い出し、思わず遠い目をした。松永は呆れを吐息に乗せて、食事を再開した。
一刀両断された飯島は何も言えずに黙ってスープを飲む。
信じがたい事に、十日前の事件は星崎の迷子が発端だった。
飯島も支部長経由で知ったが、本人も『道に迷った』と証言している。飯島は一時、星崎はスパイだと思っていたが、こんな間抜けなスパイはいない。
大皿の肉料理を平らげた佐藤が『一ついいか』と、前置きした。この三人で集まると話について行けず度々貝になる佐藤だが、前置きしてから喋る時は我々が見落としている『何か』に気づいた時だ。松永もそれを知るので、持っていたスープ入りのカップをテーブルに置き、佐藤の続きの言葉を待った。
「十日前の一件で今気づいたんだが、星崎はどうやって保管区の残骸の中からアゲラタムを見つけ出したんだ?」
「見つけ出したって、目に付きやすいところに置いて在ったんじゃないのか?」
佐藤の言葉の意味が分からず、現場にいなかった飯島は松永に当時の状況説明を求めた。佐藤の言いたい事を何となく理解した松永は、軽く相槌を打ってから、当時の星崎の行動を飯島へ簡単に説明する。
「敵機頭部にロケットランチャーが直撃し、動きが鈍った直後に星崎は奥へと走り出しました。支部長が即座にあとを追ったので単身行動とはなりませんでしたが」
松永より当時の状況を聞いた飯島は、そこで待ったを掛けた。
「待て。その説明だと、どこに置いて在るのか『事前に知っていなければ出来ない行動』だぞ」
「だからこそおかしい。星崎は残骸の向こう側に置いて在った機体を、短時間でどうやって、残骸の中から見つけ出したのか」
残骸の中から使える機体を選び出す。字面にすれば簡単なように思えるが、佐藤の言う通り、当時の状況を考えると探し出す時間が無い筈。
「改めて星崎の行動を見返すと、説明不可能な異常な点が多いな」
星崎の戦闘時の映像を見直そうと、唸りながら飯島が決めた直後。
「何が異常なんですか?」
突然響いた幼い声に、ギョッとした飯島と佐藤は慌てて音源を探す。
二人よりも先に音源を見つけた松永が、落ち着くように二人に声を掛け、やって来た人物に視線を向ける。
「星崎。部屋に戻ったのではなかったのか?」
胡乱気に疑問を口にした松永の言う通り、食堂の開いたドアの傍に星崎が立っていた。彼女は片手にノートのようなものを持っている。
「修理すると仰っていたので、設計図に近いものが在った方が良いかと思ったのですが……」
そう言いながら松永に近づいて来た星崎は、ノートから一枚の紙を取り出した。だが、その視線は宙を彷徨い、怪訝な顔をしている。食事の邪魔かと退散される前に松永が紙を受け取った。敵機の設計図を得る機会はそう無い事から、松永の行動は迅速だった。
「どこに何が配置されているか不明だが、これだけ内部の事が分かれば十分だろう。そのノートは?」
紙から顔を上げた松永は、星崎が持っているノートに視線を向ける。
星崎は胸の前にノートを掲げた。飯島がよく見るとノートでは無く、ルーズリーフ用のバインダーだった。
「これは支部長に提出したレポートの写しです」
飯島は一瞬、己の聞き間違いを疑った。
星崎は『レポートの写し』と言った。何故そんなものが存在するのか?
飯島と同じ疑問を持ったのか、佐藤が持っている理由を星崎に尋ねた。
「支部長にどこまで教えたか忘れそうだったので、念の為に作っただけです」
「忘れると問題が有るのか?」
「問題? ……無いですね。一応、自分の記憶違いの有無の確認に使いました」
一瞬、やはりスパイかと疑ったが続いた言葉に、こんなスパイはいないと判断する。
スパイならば、話の噛み合いを気にする筈。それを気にせずに、問題無いと言ったのだ。やっぱり違うのだろう。そもそも設計図なんて持って来ない。
飯島の意識が星崎から逸れていた間に、松永は彼女からレポートの写しを受け取り、目を通していた。
「支部長が持っているものと内容は同じか」
「何を確認している。写しと言っていただろう……」
佐藤が呆れている。
松永からレポートの写しを返して貰った星崎は『そう言えば』と疑問を口にした。
「アゲラタムを修理したら、誰が搭乗するのですか?」
三人揃ってすっかり忘れていた、修理後に発生する疑問を受けた。誰も答えを知らない為、回答出来ない。
「それを決めるのは支部長だな」
「すっかり忘れていたな」
佐藤は上官の一人として言ってはいけない事を口走った。即座に松永から咎めるような一瞥を貰い、佐藤は巨体を縮こまらせた。
「確かに失念していた事では有るが、飯島大佐の言葉通りに支部長が決める事だ」
松永の回答に星崎は、やっぱりか、と言った顔で納得した。
「星崎、何故そんな事を気にする? 状況を考えると、お前が最有力候補だろう」
飯島に問われて、星崎は心底不思議そうな顔をした。
「え? 私がアゲラタムに乗るとしたら、誰がガーベラに乗るんですか? テストパイロットを経験した方々から選出するのですか?」
星崎から疑問付きの、至極当然の回答に三人は唖然とした。
「……そうか。星崎をアゲラタムのパイロットに選ぶと今度は、ガーベラのパイロットが不在になるのか」
珍しい松永の呆然とした声に、星崎は目を丸くする。
考えれば当然の帰結だ。
仮定の話をしよう。
星崎をアゲラタムのパイロットに選出するならば、彼女の搭乗機だったガーベラのパイロットが不在となり、新たにパイロットを選抜する必要が出て来る。
ガーベラとアゲラタムを逆にしても、満足に双方の操縦出来る人間が星崎しかいないから、同じ事が起きる。
「アゲラタムの試験操縦に参加した方々の中から決めると思っていたのですが、違うのですか?」
「厳密には『そこまで決まっていない』が正しい」
飯島が問題解決策を考えていたところへ、星崎が口にした追加情報『試験操縦に参加した方々』の、参加者が誰なのか気になり彼女に尋ねた。
回答は星崎からではなく、喋るなと彼女を手で制した松永からやって来た。
「私と佐藤大佐に、佐々木中佐と井上中佐、星崎の五名です」
「どこまでやったんだ?」
「全員何度か搭乗してある程度の操縦を習得、最終的にはキンレンカと模擬戦まで行いましたね」
「お前ら乗ったのか!?」
予想外の情報を知り、飯島は驚きの余り調子のずれた声を上げた。佐藤は逆に呆れた。
「乗ったには乗ったが……飯島、そこまで驚くものなのか?」
「驚くぞ。無人機だと思っていたんだ。しかも、模擬戦まで行ったのか」
飯島は――と言うより、どこの支部も『敵機は全て無人機』と言う認識がされていた。それは技術調査名目で回収された敵機のコックピットが無人だった事が最大の理由である。コックピットが存在するにも関わらず、パイロット不在の理由はAIなどを利用した無人操縦に切り替わっていたからと推測されている。
「ああ。模擬戦時にアゲラタムを操縦したのは松永と星崎だ。操縦成績は、星崎、松永、佐々木、俺、井上と言った順番か」
「良く模擬戦が出来たな松永」
佐藤の言葉を聞き、飯島は素直に感心し、松永を称賛した。しかし、称賛された松永は肩を竦める。
「操縦の難易度が思っていた以上に低かったから出来た事です。操縦方法がナスタチウムと違うので慣れるまで苦戦するでしょう」
「確かに慣れるまでが難しいな。慣れれば楽だが」
「……そんなに簡単なのか?」
松永と佐藤の操縦した感想を聞き、飯島は訝しんで星崎を見た。
「確かに、操作の大半が思考の読み取りで行われますので、既存の機体に比べると簡単かもしれません」
慣れるまでが大変でしょう、と星崎は付け加えた。
星崎の言葉を聞き、飯島は少し考えた。
三人の言う通り、アゲラタムの操縦が簡単ならばどの程度のものなのか体験してみたくはある。だが、予定が詰まっている現状で我儘を通す訳には行かない。
「今後の作戦の幅を広げるのなら、飯島大佐も一度乗ってみた方が良いでしょうね」
松永は飯島の願望を的確に言い当てて、そんな提案をして来た。
「俺と松永以外に、佐々木と井上も操縦出来るから、教えるのは問題無いな」
何かあれば星崎を呼べば良いしと、佐藤は上官有るまじき事をほざいている。それを聞いた星崎は何とも言えない顔でスルーした。出来た部下だ。
「修理開始までの時間を考えるに、長時間は乗れんからそこまで時間は取られないか」
佐藤の言を聞き、飯島は頭の中で今後の予定を思い出し、組み直す。
時間の捻出は確かに不可能では無い。一~二時間程度の時間が得られれば十分。
「うむ。支部長に聞いて見るか」
「それが良いかと」
松永は飯島の独り言を肯定してから、会話中も手にしたままだった設計図が描かれた紙に視線を落とす。
「星崎。アゲラタムの重力制御機の位置はどの辺りだ?」
「コックピットの背面側です」
「それなら、この辺か」
「コックピットの背面側から取り出せる位置でしたので、その辺ですね」
飯島は食事を取りながら二人を観察した。のんびりと行われているが、内容と声音の軽さが全く合っていない。
松永は星崎に追加で幾つかの質問し、懐から出したボールペンで紙に書き足して行く。元々渡す予定だったからか、松永が何も言わずに書き足して行くのに、星崎は何も言わない。レポートの写しを用意していたから、予備が有るのかもしれない。
松永がそのまま紙を引き取ると、星崎は全員に頭を下げてから去った。
「その設計図にも写しが有りそうだな」
「そうでは無く、写しが有るから持って来たのでしょう」
飯島が可能性を呟けば、紙を横に置いた松永は別意見を述べる。一人夕食を平らげた佐藤が紙に視線を送る。
「その設計図はどうする気だ?」
「支部長に提出します。様々な意味で貴重な情報ですので」
「そうか」
松永の回答に満足したのか、佐藤はコーヒーを取りに席を立った。
佐藤が戻って来るまでに、残った二人も少し冷めた食事を完食し、皿を回収口に片付ける。
「松永。砂糖抜きだと思うか?」
「それはどうでしょうね」
席に戻った飯島はふと沸いた疑問を松永にぶつけた。松永の回答は素っ気無かった。
佐藤は近寄り難いあの見た目で、中身は大の甘党なのだ。広く知られていないが、直属の部下は知っている。先程ここから去った華奢な星崎が甘党と言われたら納得出来るが、身長二メートルを超す巨漢の佐藤が甘党と言われても納得し難い。辛党とよく勘違いされる。
飯島は甘いものを苦手とするが、辛党と言う訳でも無い。
今年で四十二歳になったにも拘らず、未だに性別年齢不詳の中性的な外見を維持する松永は甘党と言う訳でも無いが、苦手でも無い。
戻って来た佐藤の手には、三つのマグカップが存在した。
マグカップの中身は全てコーヒーだが、一つだけミルクが投入されているものが有った。直感でそれが、佐藤用のマグカップだと判断した飯島は、ブラックコーヒーが注がれたマグカップに手を伸ばした。松永と共に佐藤へ一言礼を言ってから口を付ける。コーヒーは無糖だった。
「このあと私は支部長へ報告に向かいますが、お二方はどうしますか?」
コーヒーを飲んで一息ついた松永がそう切り出した。
「試験操縦の許可を取りに同席する」
「同じく。俺も支部長から許可を一つ取りたい」
飯島は先程言っていた通り、アゲラタムの操縦経験積みの為の許可申請だ。
だが、佐藤の許可申請話は一度も出ていない。その事に気づいた松永は眉間に皺を寄せる。
「何の許可を申請するつもりですか?」
「模擬戦だ。十月の作戦を考えて一度、ガーベラに乗った星崎と模擬戦したい」
「正気か?」
「本気だ」
佐藤の回答にアゲラタムの名が出て来なかった。飯島は聞き間違いを疑った。
「十月の作戦に、アゲラタムを投入するか、否かは支部長の考え次第だ。実際に投入するか判らん機体よりも、確実に投入される機体に乗せた状態でやり合ってみたい」
「一理有りますが、データ収集が優先されるでしょうね」
松永は許可は下りないと予測した。ガーベラの重力制御機の入れ替えを実行する以上、誰かが試験操縦をせねばならない。それを今になって思い出したのか、佐藤は松永から目を逸らした。
「お前は普段アレなのに、何でこう言う時に限って頭が動くんだ?」
「アレとは何だ。アレとは」
飯島の言い分に、佐藤は憤慨する。
「一単語で言い表すと『脳筋』か『馬鹿』でしょう」
「……もう少しオブラートに包んで言ってくれ」
容赦の無い松永の言葉の刃に、ザックリと切られた佐藤は肩を落とした。
飯島もフォローのしようが無いので無言でコーヒーを飲む。
そして、揃ってコーヒーを飲み終え片付けたら、支部長へ報告に向かった。
再び面会した支部長は頭を抱えていたが、飯島達の報告を聞き『丁度良い』と喜んだ。
何が遭ったか聞けば、新式重力制御機の在庫が無かったと言うもの。そこへ星崎が考えた、重力制御機の移植計画は渡りに船だったと言う訳だ。ナスタチウムにも使われている新式重力制御機の追加生産は十日後で、個数も少ない。
飯島の申請は通ったが、佐藤の申請は松永の予測通りに下りなかった。佐藤はしょげたが、ガーベラで模擬戦を何度か行う予定が有ると聞き復活した。独断で何かやらかしそうだと、飯島は呆れた視線を佐藤に送るが、送られた相手は気づかない。
「ガーベラの設計図と突き合わせる必要が在るな。アゲラタムの重力制御機の大きさはどの程度だ?」
「星崎が言うには二十センチ程度の立方体だそうです」
「随分と小さいな」
松永の回答に支部長は素直に感心した。
飯島の記憶が確かなら、ナスタチウムの重力制御機の大きさは一メートルも在った筈。これが技術力の差なのかと思ってしまう。
追い付かない技術の差について飯島が思いを馳せている間に、松永は星崎から受け取ったアゲラタムの設計図を支部長に提出し、細かい打ち合わせを始める。
松永のように打ち合わせに混ざらず、彼の背中を眺めて飯島は今後を考える。
――今後の日本支部はどうなるのだろうか。
飯島の胸中に沸いた疑問に答えは無い。
ここ二ヶ月で日本支部は大きく変わった。
その始まりと言える少女は、偶然巻き込まれただけの訓練生だった。他の訓練生だったら、こんな現状は訪れなかっただろう。本当に偶然が齎した結果なのか。飯島は訝しみ、尋問を受けた村上大尉の証言を見直そうと、予定を組む。
熟練のパイロットと変わらぬ技量や判断力と度胸を持っているが、普段見せる姿は年相応だ。たまに大人のような対応を取られるが。
普通の訓練生だと思っていたが、十日前の一件でスパイ疑惑が浮上した。疑惑は解消されたが、別の疑問が沸く始末。
実際に言葉を交わしても、星崎佳永依と言う少女の人物像が全く把握出来ない。
平凡と異常が『絶妙なバランスで同居している』と言えばいいのか。異常を隠す為に平凡を装っているのか。それとも、これが素面なのか。
出会った事の無い性格の少女は、我々に何を齎すのだろうか。
破滅か希望か。今のところは朗報ばかりだが、今後もそうなのだろうか。
「――飯島大佐?」
「っ、はい、支部長」
突然支部長に名を呼ばれて、飯島は思考に耽っていた意識を戻す。
「珍しいですね。どうしました?」
「いや、大した事では無い。二ヶ月前の事を考えていただけだ」
打ち合わせをしていた松永と、参加していなかった佐藤も不思議そうな顔で飯島を見る。
飯島は咄嗟の言い訳で三人の興味を引いてしまい、失敗したと判断し『村上大尉の考えが気になった』とだけ答える。すると、支部長には思い当たる節が有ったのか、椅子の背凭れに寄り掛かり、天井を見上げて口を開いた。
「そう言えば言っていたな。『落ち零れを捨て駒にして何が悪い』と」
思いもよらぬ言葉に飯島は絶句した。松永や佐藤も驚愕の余り二の句が継げない。
その言葉が真実なら、村上大尉は意図的に訓練生を実戦に放り出したとも取れる。
「星崎のチームは『一人を除いて』、確かに落ち零れ扱いを受けていた。それは事実だな」
支部長は『一人を除いて』の部分を強調した。その一人が誰なのか、現状を鑑みるに、尋ねるまでもない。
「村上大尉は知らなかったが、元々星崎は高等部に進級したらチームを離脱し、選抜クラスへの編入が決まっていた。編入前に飛び級卒業となったがな」
訓練学校では、中等部で基礎を学び、高等部で応用を学ぶ。選抜クラスは高等部にしか存在しないが、このクラスに編入する生徒は一学年に一人いれば良いと言われている狭き門だ。ここ十年間で選抜クラス入りを果たした生徒がいると聞いた事は無い。二ヶ月前の一件が無ければ星崎で、十年振りの編入となっただろう。
それが進級前に決まっていたと知り、飯島は驚きを隠せなかった。
「仮に星崎が林間学校免除を拒むようなら、夏休み中はツクヨミで選抜クラスの訓練を受けさせる予定だった。本人が免除を選んだから無くなった予定だがな」
「最初からそうしなかった理由は何ですか?」
「忘れているようだから言うが、星崎はまだ『中等部』の生徒だぞ? 仮に、二ヶ月前の時点で高等部の生徒だったら、即飛び級を決めていた」
支部長の言葉に、飯島は納得せざるを得なかった。
現在正規兵の制服を着ていた為にすっかり忘れていたが、星崎はまだ十五歳の子供なのだ。しかも、誕生日は先月。実戦に出たのは十四歳の時だった計算になる。
飯島は自身の中等部時代を思い返す。
星崎のような異常体験をした事が無い。馬の合う同級生やチームメイト(佐藤)と馬鹿をやって遊んでいた覚えが有る。座学の点は思うように取れず、毎回赤点すれすれだった。実技は高等部を卒業し、実戦を経験してから伸びたようなもので、訓練生時代は良くなかった。そもそも、初めて演習に出たのは高等部になってからだった。星崎のように中等部時代に演習を経験した事は無い。
余計な事まで思い出して、飯島は仏頂面になった。
そんな彼に気づかず、思い出したかのように佐藤が呟けば、支部長は肯定した。
「そう言えば、落ち零れ四人のフォローを一人でやっていたな」
「ああ。一年の六月頃からな」
本来、チームを組む対象の訓練生は中等部二年生以上。その筈なのに、一年早くからチームに参加していた。入学してから僅か二ヶ月で、チームを組む事になったと言う事は、シミュレーターの成績が相当良くなければ無理だ。
星崎は良くやってのけたなと、飯島は感心する。そして、見ている教官は確りと見ているのかと訓練学校が正常に機能しているようで安堵する。
だが、松永が次に発した言葉で、その安堵は砕かれた。
「飯島大佐。今の訓練学校は、我々がいた『かつて』と、大きく様変わりしているようですよ」
「……どう言う意味だ?」
「佐久間支部長。良いタイミングなので、経過報告をお尋ねしてもいいですか?」
「そうだな。飯島大佐も知っておいた方が良いな」
何を聞かされるのかと身構えて、飯島は何度目か分からない驚きに言葉を失った。かつての母校が変わってしまった原因の一つに、十年前の作戦の大敗が挙げられ、飯島は苦虫を噛み潰したような気分を味わった。
「南雲少佐と言う、解りやすい比較対象がいたにも拘わらず気づけなかったのはこちらの落ち度だ。諜報部の人員を、総動員してでも、夏休み中に終わらせる」
そんな事に諜報部の総力を掛けなくても……。
飯島を含む三人はそう思ったが、訓練学校の現状を考えると否は唱えられない。
敵と共に本日逝ってしまった元幹部の一人を思うと、訓練学校の改善は急務だろう。
そこまで考えて飯島は気づいた。支部長の仕事が、山のように増えている事に。飯島は目を凝らして支部長を観察した。何時もの態度で判らなかったが、げっそりしている。髪と肌の艶も無い。間違っても、年齢が原因では無いだろう。
「支部長。過労で倒れる事だけは避けて下さい」
「…………分かっている」
支部長は『分かっている』と言ったが、やや長い沈黙を挟んでの発言だったので、飯島は『本当に?』と胡乱気に支部長を見てしまった。
「睡眠は毎日五時間取っているから、問題は無いぞ」
ちなみに、毎日の睡眠時間が五~六時間だと、脳が数日徹夜した状態になる。
そんなうろ覚えの知識を思い出し、どこに突っ込むか悩み――考えるのを止めた。
「そうですか」
代わりに、飯島はため息を吐くように言った。