会議中に異変発生~佐久間視点~
星崎佳永依が幽霊のあとを追って足を速めた同時刻の日本支部会議室。
壁面モニターに映し出された監視カメラの映像を見て、定例会議で集まった幹部一同は皆困惑した。
「まったく、何が起きているんだか」
佐久間の呟きは室内にいた全員の心情を正しく言い表していたが、答えを知るものはいなかった。
その答えを得る為に、佐久間は十一人の幹部を連れて会議室から出た。
少しばかり時を遡る。
本日は月に一度の定例会で日本支部の幹部全員が集まり、情報共有と報告などが行われていた真っ最中に佐久間の秘書官の一人の男性が会議室に慌ててやって来た。
「支部長! 禁踏区画に異常発生、セキュリティの一部が何者かに乗っ取られました!」
秘書官の言葉に幹部一同に緊張が走り、皆腰を浮かせて騒めいた。
「監視カメラは無事か?」
「はい。乗っ取られたのはシェルターとドアのみです」
「シェルターとドア? ……犯人の狙いが分からんな。監視カメラの映像を出せ」
「分かりました」
秘書官が備え付けのパソコンと機器を素早く操作して、壁面モニターを起動させて監視カメラの映像を表示させる。
分割表示で複数の監視カメラの映像が映し出されて、十数秒経過しても何も映らねば異常無しと見做されて、別のカメラに切り替えられる。そんな中、とある監視カメラの映像に人物が現れた。手元の何かを見ながら歩いている。
秘書官が映像を単一表示に切り替える操作を行うと、監視カメラに映った人物の顔が良く見えた。
長い黒髪と幼さが残る容貌を持ち、女性用の制服に身を包んだ、最近何かと話題に上がる少女がそこにいた。
「……あれは星崎か? 音声も拾え」
秘書官は佐久間の指示に従い、マイクを起動させる。
『……あれ?』
数秒後、顔を上げた星崎の声をマイクが拾った。
『ここ、どこ? ……え?』
道に迷った人間の決まり文句が会議室に響く。映像の中の星崎は左右を見回し背後を見て、声に落胆を滲ませた。
『えぇー、何で……』
星崎の呟きに『何ではこっちの台詞だ』と、佐久間は内心で呟いた。ポケットに手に持っていたものを仕舞い『スイッチどこ?』と背後の隔壁や通路の壁を触り開閉スイッチを探し見つからずに頭を抱える様子は、完全に『道に迷って閉じ込められた』人間そのもの。
セキュリティが乗っ取られたと聞き、皆に緊張が走ったが、監視カメラに映ったのは道に迷った星崎が一人。緊張から一転して皆安堵から脱力し『何をどうしたら、訓練生がシェルターで封鎖されている禁踏区画に迷い込んだのか?』と言う疑問すら抱かなかった。
しかし、映像の中の星崎が弾かれたように、背後に振り返った。呆然とした彼女の視線の先には何もない。にも拘らず、星崎は通路の途中まで歩いて止まった。
「あいつは一体、何をやっているんだ?」
幹部の一人が疑問を口にしたが、答えるものはいない。答えを知る人間がいないからだ。
何かに近づいたかのように歩いて止まった星崎は、下から何かを覗き込むような動作を取り、手を伸ばした。
『あ、って、ちょ、どこに行くの!?』
星崎が伸ばした手は当然のように空を掻いたが、誰もいない筈の空間に『どこに行く』と問い掛けを口にした。
監視カメラが映す範囲には誰もいないし、何もない。その筈なのに、星崎には『カメラに映らない何か』が見えたらしい。
「おいおい。ツクヨミで幽霊が出たとか、聞いた事が無いぞ」
「幽霊騒動と言えば、四年前に呻き声が聞こえるって騒ぎになったな。何事かと調査したら、盲腸でのた打ち回っていた奴が見つかったんだよなぁ」
幹部のぼやきと懐古に佐久間も同意した。『医務室に放り込んでおけ』としか言わなかった事も思い出す。
佐久間自身も娯楽映像(百年以上前のもので、しかも、でっち上げの作り物だった)でしか見た事が無いから信じていない。だが、オカルト的な出来事が今まさに起きていた。
異常発生から続けて起きた出来事にしては、余りにも脈絡が無さ過ぎて、幹部は皆困惑の表情を浮かべている。
映像の中の星崎はポケットに仕舞っていたものを取り出して操作をするが、『圏外?』と驚きの声を上げている。
「松永大佐。星崎と連絡は取れるか?」
圏外と関連の有るもの。それを聞き『通信機の類』を連想した佐久間は、松永大佐に問い掛ける。一方、同じ事を連想した松永大佐は、佐久間に尋ねられるよりも早くに通信機を操作していた。
「……繋がりません。原因は不明ですが、向こうと同じく圏外扱いになっています」
松永大佐は険しい目付きで、繋がらない手元の通信機を見る。松永大佐の通信機からは、圏外で相手に繋がらない事を告げる自動アナウンスが流れている。
「禁踏区画とは言え、あそこも軌道衛星基地内だぞ? 圏外で繋がらないなんて、それこそあり得ないだろう!?」
「そのあり得ないが、たった今、起きているようですね」
他の幹部からの疑問にそっけなく答えてから、松永大佐は映像に視線を移す。
星崎は『帰りの目印……無いか』と周囲を見回し呟いてから、肩を落として諦めたように奥へと歩き出した。
「監視カメラで星崎を追え。乗っ取られたシェルターとドアはどこか調べろ」
佐久間が指示を飛ばしている間も、状況は進む。ある程度歩いた星崎は十字路の左を覗き込んでから曲がった。そして、何を見つけたのか、手に持っていた何かを素早く操作する。
『うん。撮れた』
星崎が持っているものはどうやら、通信機として支給されているスマートフォンだったようだ。撮れたと呟いていたからカメラ機能で写真を撮ったのだろう。
あとで提出させねばと、佐久間が内心で独り言ちたところで秘書官から報告が上がった。
「支部長。乗っ取られた場所は全て第五保管区とそこへ続く通路になります」
「保管区? しかも、第五だと?」
歩調を速めて再び移動を始めた星崎から視線を外した佐久間は瞑目して少し考えを纏める。
第五保管区は回収した敵機の残骸の中でも、未だに解体調査が出来ていない部位を纏めて保管している区画だ。
今回の説明不可能な異常事態と何の関係が有るのか。
判明している事は、星崎が何かを追って第五保管区へ移動している事のみだ。
席から立ち上がった佐久間は幹部達へ指示を飛ばす。
「定例会議は一時中断。先回りをして第五保管区へ向かう。松永大佐と何人かついて来い」
佐久間の指示を受けて、松永大佐と十人の男性幹部が席を立つ。その中には星崎と面識の有る、佐藤大佐と井上中佐、佐々木中佐の三名が混じっていた。
「支部長自ら出向かれるのですか!?」
「何が起きているのか全く分からん状況だ。場合によっては私の生体認証が必要になるかも知れん。他はここに残って他に異常が起きていないか調べろ。橘はナビゲーター役をやれ」
納得出来ない女性幹部の一人、南雲梨央少佐が悲鳴のような声を上げるが、佐久間は現場を知る事を優先し、追加で指示を飛ばした。
「お待ちください! 今すぐ――」
「動かせる部隊とは一体どの部隊だ? 呼べば五分以内に来るのか? 行き先は、幹部であっても立ち入りの許可が必要となる禁踏区画だぞ。事が済んだあとの『情報の統制』はどうする気だ? 何より、時間が惜しい」
「そ、それは……」
台詞を遮られ、言葉を先に取られ、追加で佐久間にバッサリと切り捨てられても、言い募ろうとした南雲少佐は何も言い返せず、悔しそうに拳を強く握った。
「適材適所と言う奴だ。――行くぞ」
幹部達の声が揃った応答を聞き、秘書官と他の幹部に見送られ、彼らを連れて佐久間は会議室から出た。
「まったく、何が起きているんだか」
会議室から出る際に呟いた佐久間は、その場にいるもの達の心情を正しく言い表していた。
会議室から禁踏区画までの距離は、それ程離れていない。その禁踏区画は試験運用隊に割り振っている区画の一部だ。普段はシェルターを壁代わりに利用して、先に空間が有ると認識させていない、と言うのが正しいか。試験運用隊の区画が立体的な迷路のようになっているのはこの弊害だ。隔離場所に困り、隊の運用を考えて人数の少ない、試験運用隊の区画を選んだのは佐久間だが後悔はしていない。
今回はその弊害で、訓練生が迷い込み、どこかに誘われた。
だが佐久間は、星崎が迷い込んだ事に誰かの意図を感じた。迷い込むにはシェルターの開閉操作を行わなければならない。そしてそれを行うには、佐久間の生体認証が必要となる。その筈なのに、現在生体認証無しでシェルターへの干渉が行われている。犯人は分からないし、その意図も読めない。
これらの真実を知るには、一刻も早く、星崎と合流しなくてはならない。会議室でナビゲーターをやっている橘から逐一星崎の位置を聞くが、移動速度は一定のままで落ちていない。幸いな事に走っておらず、徒歩のままだった。
佐久間の生体認証を利用して、シェルターの連絡ドアを開けて通り、強引なショートカットコースを使い駆け足で進む。星崎が徒歩で移動しているのならば、合流は可能だろう。
その甲斐有ってか、立ち止まっていた星崎を前方に捉えた。そして彼女の正面の先、第五保管区のドアは既に開いている。星崎が再び歩き始めた。それを見た佐久間は、合流を急ぐ必要が有ると考えた。
「入室、される、前に、合流す、る必要、が有る、な」
「俺が行きます」
軽く息の上がった佐久間(五十歳)の台詞に佐々木中佐(三十五歳)がいち早く反応した。佐久間を追い越し、風のように駆け抜けて星崎との距離を詰める。
近づく足音に気づいた星崎が、歩みを止めてこちらに振り返る。
「あれ? 佐々木中佐? ……えっ!? 支部長達まで!?」
振り返った星崎は目を丸くして驚いていた。
……無理も無いか。幹部達が走ってやって来ればどこの支部の兵だって驚く。そこに支部長も混じっていれば尚更だ。
星崎と合流し簡単に事情を話して、彼女からも何故ここに迷い込んだのか、そして何を見たのか尋ねる。
「格納庫に向かったら、道がいつもと変わっていて、気づけば迷子になった?」「いや、格納庫までの道が変っていたって、そんな事が起きる訳無いだろう?」「青い髪の、半透明の人間?」「しかも、女性で裸足?」
混乱を招く回答が返って来た。星崎も信じて貰えないと思っていたのか、何も反論しないし、そのように取れる前置きもした。
佐久間は星崎からの事情聴取結果を聞きながら息を整え、監視カメラの映像で撮影しているところを見た、提出を求める予定の写真も見せて貰う。星崎がスマートフォンを操作して保存した画像を表示してから、佐久間に見えるように、端に圏外と表示されたままの画面を向けた。
「何と面妖な」
青い髪で正面を隠した人間。しかも、裸足で半透明だ。こんな不審者を見たら、確かに追い掛けて調べる。
ホラー系が苦手なのか、井上中佐は青い顔をしている。
佐久間は会議室にいる橘に通信機経由で試験運用隊の格納庫までの通路がどうなっているか調べさせた。
『現在通路に異常は有りませんが、外部から操作した痕跡が残っています』
現実は無情で、星崎が言っていた通りだった。未だに通信が繋がる事に安堵すべきか悩み、寒気すら感じる報告に、皆でドアが開いたままの第五保管区を見る。
こちらを誘うかのように空いたままのドアには、何とも言えない不気味さが有った。
「件の幽霊が、あの先に入って行ったのか」
「はい。ドアの向こうに消えたら、自動でドアが開きました」
「……何が起きているんだ?」
佐久間が支部長になり、乱雑に纏められていた敵機の残骸を分類して保管するようになってから十年が経過するが、一度もこんな異常事態は起きた事が無い。
「あの、質問をしても良いですか?」
恐る恐る、星崎が質問の許可を求めて来た。
「何が保管されている場所なのですか?」
佐久間が許可を出せば、星崎はそんな事を尋ねて来た。その問い掛けに、ここが立ち入り禁止の禁踏区画だとしか説明していなかった事を思い出す。だが、教える内容は幹部か近いものでなければ教えられない事。
佐久間が解答を躊躇った直後、
『アァ――、アアアアアアアアアア!』
奇妙な揺れと女の声と思しき甲高い悲鳴が、頭痛を感じさせる勢いで響いた。一人を除いた全員がギョッとして音源を探す。
「ひ、ひぃ、ゆ、ゆゆゆゆ、ゆれ、ゆう、ううう、ゆゆ、幽霊っ!?」
「……新手のラップですか?」
「違うからなっ!? ラップじゃないからなっ!? つか、何でお前は冷静なんだよ!?」
緊張感が高まる中、ただ一人落ち着き払っている星崎のボケに、半泣きになりながらも井上中佐は突っ込みを入れた。井上中佐は星崎の肩を掴んで前後にガクガクと揺さぶっているが、揺さぶられている本人はどこ吹く風と言った様子だ。
佐久間は気の抜けるやり取りに苦言を呈したくなった。しかし、緊張感が緩んだ事で少しの落ち着きを取り戻し、音源がこの先だと気づいた。それは他の幹部達も同様だったらしく、落ち着きを取り戻す要因となった二人を生温かい目で見ている。
佐久間は星崎の肩から手を放し、突っ込みで息の上がったが顔色が幾分マシになった井上中佐を宥めるに掛かる。
「井上中佐、少し落ち着け。橘、今の声はそちらでも聞こえたか?」
星崎のお蔭で井上中佐が落ち着いた事を確認し、佐久間は通信機で橘に呼び掛ける。
『はい。確かに、聞こえました。……正直、己の耳を疑いました』
「本格的に異常が発生しているな」
通信機経由で会議室にまで響いたと言う事は、ただのオカルト現象と扱う訳にはいかなくなって来た。原因を解明するまで会議室には戻れない。
星崎に『これから見た事は一級守秘義務ものだ』と言い聞かせてから、全員で第五保管区に足を踏み入れた。
保管区内は暗かったが、足を踏み入れた瞬間、自動で明かりが灯った。佐久間と共に来た幹部達が動揺する。星崎は幹部達の反応が理解出来ていないのか、不思議そうな顔をしている
全ての保管区の灯りは出入口傍のパネルを『手動』で操作しなければ点く事は無い。その手動でなければ点灯しない筈の灯りが『自動』で灯った。説明の付かない現象に、全員で用心深く保管区内を進む。
第五保管区は回収した敵機の残骸で大部分が埋まっているが、足の踏み場も無い程に埋まっている訳では無い。行き来する為の通路となる空間は確保している。十年前に一度だけだが、大掃除を行ったので通路程度は確保出来たのだ。ただし、この残骸の積み上がり具合を見るに、もう一度大掃除をしなくてはならない気もしなくは無い。特に埃が雪のように積もっている箇所が多いのが気になる。何年ここに出入りしていなければ、埃があんなに積もるのだろうか。
出入り口から二十メートルと進まない内に次の異常が発生した。
発生源は佐久間達が持っている通信機だ。ノイズ音が数秒漏れると、通信機そのものの電源が落ちた。再起動の操作を行っても復帰しない。星崎のスマートフォンは圏外のまま。
佐久間が一度退室しようと声を掛けたところで、狼の遠吠えに似た音が響いた。
幹部達と顔を見合わせると、何かを見つけた星崎が小さく声を上げた。皆その声に釣られて彼女の視線の先に目を向けると、井上中佐が青い顔で悲鳴を上げた。
「ひぃっ」
星崎の視線の先には、先程画像で見た幽霊が通路のど真ん中にいた。監視カメラに映らなかった『本物』が目の前にいる。
目を凝らして観察すれば、半透明の人間の足先は星崎が言った通りに裸足だった。いや、裸足どころか……先程見せて貰った画像では気づかなかったが、本来ならば衣類で隠すべきところまでもが正面を隠す長い髪の隙間から見える。
青く長い髪で正面だけを隠す全裸の幽霊。
文言にすると斬新な幽霊と思えるが、異常事態なこの状況でそんな暢気な事を考えている暇は無い。
幽霊が奥へ移動を始めた。正面を向いたまま滑るように下がって行く。
佐久間は幽霊を追い駆けようとした星崎の肩を掴んで引き留め、連れて来た幹部達に指示を飛ばす。
「五人保管区から出て、緊急装備を取って来い。内一人は会議室と連絡を取り、調査結果を聞いて来い。残りは周囲で異変が起きていないか見て来い」
十一人の男性幹部が声を揃えて了解の応答を返し、素早く動いた。保管区から出た五人の一人に井上中佐が混じっていたが、誰も気にしなかった。
佐久間は星崎に聞いていなかった、事の発端を訊ねる。
「星崎。今更だが、何故格納庫に向かった? 今日は非番と聞いたぞ」
「格納庫の周囲の道を覚えようとしただけです」
「道を覚える?」
「はい。初日以降、試験運用隊の区画内の決まった道以外をほぼ知らない事を、今日になって思い出しまして。格納庫の周辺の道だけでも覚えようと、格納庫に向かいました」
歩き慣れない基地内で迷う事はよく聞く話だ。いかに訓練生でも、道案内して貰える事は無い。暇な時に歩き回って道を覚えるしかない。授業でもそう教える。
理解は出来るが、何故異常を引き寄せてしまったのか、さっぱり分からない。せめてもの救いは、幹部が集まる定例会議中に起きた事か。勿論、『情報の統制が簡単に取れる』と言う意味で。
「運が無いとはこの事を言うのか……」
道を覚える事自体は良い事だ。異常事態を引き寄せなければ問題は無かっただろう。佐久間は注意したくなったが、道を覚える為に歩き回るなと注意するのは……違う気がする。訓練学校の授業でも、『自分で歩いて覚えるように教えている』と聞いているからだ。
佐久間がため息を零し掛けた直後、一際大きな揺れが襲い掛かった。立っていられない程に大きな揺れで、佐久間は星崎と共に床に片膝を着いて転倒を防ぐ。揺れは規則正しく続き、目に見える範囲で残骸が音を立てて崩れて通路に散乱し、積もった埃を舞い上げる。異変調査で別行動を取っていた幹部達の互いの無事を確認し合う声が聞こえる。
「ここは軌道衛星基地だから、地震は起きない筈。何この振動? 規則正しく近づいて来るから……ん? 近づく……足音か?」
星崎は冷静に床に手を当てて、揺れの原因を考えていた。
近づいているかは分からない佐久間だが、『規則正しい揺れだけど、流石に足音は無い』と、否定の言葉を口に仕掛けた瞬間、残骸の向こうから振動と共に『何か』がやって来て、顔を見せた。
やって来た少し暗い黄緑色のそれを見た瞬間、佐久間の思考が完全に停止した。隣の星崎も呆然とそれを見上げている。
『アアァ……』
それは少し前に聞こえた、悲鳴と同じ声音を発していた。その声音で停止していた佐久間の思考が再び動き出す。
「……馬鹿な。十年前に破壊された筈だぞ」
再起動した佐久間は、十年前を思い出した。
やって来たそれは、十年前の大規模作戦の時に破壊され、技術調査の名目で回収されてここに保管されていた、敵機の残骸だった筈のもの。第五保管区に収容した時の状態は大破に近く、佐久間も直接見たので覚えているが、腹部に大穴が開き、両肩と左足が付け根から落ちていた。その状態でもコックピットに当たる部分も見つからなかったが、起動する事は無かった。
だが、目の前の敵機は大穴が塞がり、両足両肩も共に揃い、動いている。一体誰がこの敵機を修理し、動かしているのか。皆目見当も付かない。
身に迫る危険を感じて避難しようと星崎の腕を掴んだが、
「マルス・ドメスティカ……。噓でしょ? クフェア達と全部破壊したのに、何で違法機体が残っているの!?」
呆然とした星崎が発した言葉を聞き、佐久間は動きを止めた。
……今、何と言った?
星崎の言葉を佐久間は反芻する。
『マルス・ドメスティカ』
『クフェア達と全部破壊した』
『何で違法機体が残っている』
言葉の意味は理解出来なかったが、佐久間は別の答えを得た。
理由は不明だが、星崎は敵機に関わる情報を持っている。今すぐ問い質したいが、それが許される状況ではない。
「支部長!」
己の名を呼ぶ叫び声に、佐久間は我に返った。星崎の腕を掴み、強引に立たせて走る。
今はこの状況から離脱する事が先決だと、己に言い聞かせて出入り口に向かって佐久間は走ろうとしたが、背後から残骸が礫のように飛んで来ては進路妨害する為早歩き程度の速度しか出せない。
腕を掴んでいる手を振り解こうとしている星崎から情報を得る時、日本支部――いや、地球の運命が変わる。
佐久間にとって近づく敵機の足音が、己の未来を変える音に思えた。