稼働データ収集初日が終わって~松永・佐々木視点~
佐藤大佐の始末書提出を見届け、ついでに佐久間支部長にお小言を言い、気分が少し晴れた松永は、届いた荷物を手に佐藤大佐と共に食堂へ向かった。
食堂の利用者は三名。井上中佐、佐々木中佐、星崎だ。この三名以外に利用者はおらず、他の試験運用隊員の姿が見えない。見えなくて当然だが。
と言うのも試験運用隊は、公表されていないが『他の部隊で問題を起こした問題児の更生の場』としても扱われている。故に、所属する隊員は極めて少ない。隊員に『この隊が更生の場』だと悟られぬように、不文律を使って隊員同士の交流を制限している。その為、正式な所属が『現在松永一人だけ』と言う事実を知るものは隊長の松永と副隊長代理の鈴村大尉だけだ。
昼前に医務室に運ばれた後藤も、所属していた部隊でトラブルを引き起こした為、表向きは一時的な転属として、現在試験運用隊預かりとなっている。後藤は回復次第カウンセリングを行う予定だ。
星崎のように『特殊な事情を抱えて他の部隊に所属させられない』と言うのは前代未聞のケースだ。
松永は荷物を抱えて食堂から去る星崎を見送った。ドアが閉まった事を確認し、残された井上中佐と佐々木中佐に視線を移した。
「さて、何をどうしたら、十年前の話が話題に出たんだい?」
「「うっ」」
松永としては簡単な質問をしただけだったが、質問を受けた二人は言葉を詰まらせた。視線でどちらが話すか擦り付け合いをしていたが、松永が井上中佐を指名すると、彼は項垂れてから話題に上った経緯を話し始めた。
「訓練学校がそんな事になっていたのか」
井上中佐から話しを聞いた佐藤大佐は眉根を寄せた。
「恐らく、当時中等部の生徒達が何かを感じ取り、その空気をそのまま残してしまったのでしょう」
松永は訓練生だった当時を思い出す。
皆で『地球を守るのだ』と高みを目指して切磋琢磨していた日々。ギスギスした空気は無く、虐めも無かった。背中を預け合う仲間だと、励まし合っていた。
懐かしい思い出のある訓練学校が今どうなっていると、星崎は言ったか。
嫉妬から嫌がらせ? 足を引っ張り合い? 陰湿な虐め? 成績優秀だと叩かれる? 今の訓練学校は、懐かしい母校はどうなっている?
「一度、視察か聞き取りをした方が良いかも知れないな」
当然、視察をするのは佐久間支部長で、聞き取りをするのは他の幹部になる。
たった十年で変わり果てた母校を思い、松永は憂鬱に息を吐いた。
昼食を取っても三十分以上余裕が有るが、モニター室に向かうと正規兵用のパイロットスーツとヘルメットを抱えた着替えた星崎と橋本技術士官がいた。何やら話し込んでいたが、ドアの開閉音で二人ともこちらに気づいた。
「制服が変ったので、どうしたのか聞かれました」
話し込んでいた理由を尋ねれば、星崎からそんな回答を得た。
確かに、訓練生が正規兵用の軍服を着ていたら何か遭ったと思うか。
「さて、予定していた模擬戦残りの二回をこれから行う」
これから行う事には関係ない。そう考えて、松永は午後の予定を消化する事に注力する事にした。
模擬戦二回、複数の稼働データ収集、休憩を挟みつつそれらを行い、時刻を確認すれば、そろそろ十八時になろうかと言う時間になっていた。
頃合いと判断した松永は『本日はここまで』と切り上げ、データを手に嬉々としてモニター室から去る橋本技術士官を全員で見送った。明日も十時頃にモニター室に来るように星崎に指示を飛ばし、全員に解散を言い渡した。モニター室から出て行った足元がふらついている井上中佐を、佐々木中佐と星崎が支えている。
稼働データ収集の為に文字通り振り回された井上中佐だが、簡易検査を受けさせた結果、負傷と言った類は見られない。ふらついている原因は筋肉痛と眩暈だ。
速度を加減すれば、星崎以外でもガーベラが操縦出来る可能性が出て来た事は大変喜ばしい。しかし、操縦後に毎回検査を受けるのは億劫だが。
「ままならないものですね」
「だが、ガーベラの操縦に関して情報が得られたのは僥倖だ。明日にでも、一度操縦してみたいものだ」
「ガーベラに乗るのなら、ご自分で、支部長から許可を取って下さい」
佐藤大佐に釘を刺した松永だが、彼自身も『もう一度、ガーベラを操縦してみたい』と言う欲求だけは消えなかった。
けれども、許可がそう簡単に下りる筈も無く。
本日の報告ついでに具申したが、データ収集が最優先の言葉と共に、佐久間支部長から却下された。
却下理由は昼の意趣返しでは無く、開発部で一ヶ月前に収集したデータを元に作られた幾つかの試作兵器が完成した為だった。その試験運用を優先して欲しいと言う事だ。二ヶ月後に作戦決行を控えている。これ以上、佐藤大佐共々個人的な理由で我が儘を言う訳にも行かない。
そもそも、松永は試験運用隊に所属している。隊の存在意義を否定するような事を、隊長自ら行う訳にはいかない。
「そう言う事だ。当面は諦めろ」
「分かりました。今回は仕方が無いので諦めます」
「今回はじゃないんだが」
佐久間支部長の突っ込みを聞き流し、言葉通りに松永は諦める事にした。
※※※※※※
モニター室を出た佐々木は、筋肉痛でまともに歩けない井上を背負って通路を進む。その少し後ろには、二人分のパイロットスーツとヘルメットを抱えた星崎がいる。体格差による歩幅が違う為、佐々木は星崎に合わせて少し遅く歩いている。
「……済まん佐々木」
「これくらいなら、構わん」
筋肉痛対策として全身に湿布を貼っている井上からは、湿布特有の薄荷の匂いが微かにする。丸一日安静にするようにと言われているから明後日までには回復するだろう。多分。
「星崎も悪いな。荷物を持たせて」
「いえ。……それよりも眩暈は落ち着きましたか?」
「もう殆ど治まったから、大丈夫だ」
星崎が言う眩暈とは、ガーベラに特設ケージを装備させ、ケージに井上が乗るナスタチウムを収容して高速移動すると言う……何とも変わった実験を行った結果だ。ガーベラを用いた高速運搬を試す必要性が在るかは不明だが、これにより意外なデータが取れたので良しとする。
星崎が徐々にスピードを上げて行ったお蔭で、井上は負傷しなかった。大変喜ばしいが、代わりに井上は眩暈と筋肉痛を起こした。
「しかし、ガーベラは速度を半分に抑えても、ナスタチウムよりも速いんだな」
映像の流れ具合が違い過ぎると、井上はぼやいた。
「ほう。そんなに違うのなら、次は俺が体験してみたいな」
「……佐々木。ガーベラはジェットコースターじゃないんだぞ」
井上は疲れ切った声で佐々木に突っ込みを入れた。
「はっはっは、そう堅苦しい事を言うな」
井上の突っ込みを笑い飛ばしている間に、人気の無い試験運用隊に割り当てられている区画を抜けて、共通区画にまでやって来た。ここまで来ると、目に見えて人口密度が上がる。
試験運用隊は所属人数が少ないので人気が無くて当然だが、共通区画は時間帯によって見かける人の数が変る。時刻は既に十八時を過ぎている。日勤と夜勤の兵の交代時間では無いが、やや人数が多いように見える。
見かける人々の視線は井上を背負っている佐々木に集中し、何が遭ったと頭に疑問符を浮かべて、しかし足を止めずに立ち去る。
視線を無視して通路を歩き続けると、前方から見知った顔の男性兵がやって来た。
「城嶋か。丁度良かった」
「佐々木中佐。何が丁度良いのですか? ……って、井上中佐はどうされたのですか?」
井上の部下の一人、城嶋中尉は佐々木と背負われた井上を交互に見てから、少し後ろにいる星崎を見た。見覚えが無いからか、僅かに目を眇めた。星崎に臨時で支給された制服には少尉の階級章が付いている。なので、誤魔化す事自体は可能である。
「こいつは試験運用隊所属だ。荷物運びに付き合って貰っている」
「……ああ。そうでしたか」
星崎が所属する部隊名を聞き、城嶋は『あの隊なのか』と呟いて納得した。基本的に試験運用隊の情報は出回っておらず、仮に所属しているとしても自ら名乗る事は殆どない。故に、この説明で納得せざるを得ないのだ。
「星崎。こいつは井上の部下の一人だ」
「あ、そうでしたか。……佐々木中佐の部下じゃないのね」
佐々木からの紹介を受けて、成り行きを見ていた星崎は何か腑に落ちたのかそれだけ言った。後半部分は非常に小さな声だったが、佐々木の耳は確りと拾った。呟きから察するに、どうやら黙って成り行きを見ていたのは、佐々木と井上のどちらの顔見知りか知る為だったようだ。
城嶋は星崎と簡単な挨拶を交わしてから、彼女が持つ荷物を引き取った。これは城嶋がフェミニストと言う訳では無く、松永大佐の部下に上官の荷物を持たせていたくないと言う思いからの行動である。松永大佐は部下を大事にする御仁なので、部下に何かされると……心をへし折られる恐怖の個人面談を、部下に何かをしたものと一対一で、それはもう良い笑顔で行うのだ。その恐怖を知るものは皆、松永大佐の部下に気を遣うのだ。
星崎は不思議そうな顔をしたが、素直に城嶋へ荷物を渡した。
……これは松永大佐の本性を知らない顔だな。
「そうか。星崎は松永大佐との接触の時間が短いから『アレ』を知らないのか」
「確かに試験運用隊に配属となってからの時間は短いな」
星崎が試験運用隊に来たのは昨日の事で、昨日まで松永大佐の名前すら知らされていなかった筈。
それを考えると、星崎が松永大佐の性格を把握していないのは仕方が無い事なのかもしれない。接触時間が余りにも少な過ぎる。
だが次の瞬間、星崎が零した言葉を聞き、佐々木は思わず硬直し掛けた。
「? 待合室で松永大佐とお会いした時に、何人か血相を変えて逃げ出したところを見かけましたが……」
あれ? と星崎は不思議そうに首を傾げた。
星崎の様子に佐々木は顔が引き攣りそうになった。
……そうか。松永大佐を見て、血相を変えて逃げ出した人間を見たのか。
運が無いと、井上ですら同情している。井上の同情相手は逃げ出した人間に向かってであって、断じて星崎に対してではない。
「星崎少尉。その光景を見て何も思わなかったのですか?」
「松永大佐と待合室で合流するまで不躾な視線を浴びましたが、大佐が見えた事で視線が全て消えました。視線が消えたのでありがたかったです。それよりも、何故隊長自らやって来たのか、と言う疑問の方が強かったです」
城嶋の質問に、星崎は正直過ぎる回答をした。
視線が追い払われた事の感謝と、隊長自らやって来た疑問の方が強いと回答を貰い、城嶋は何とも言えない顔になった。城嶋の様子に星崎は疑問符を頭から飛ばす。馬鹿正直に『松永大佐はヤバい人なのか?』と質問して来ないのは、感謝しているからなのか。それとも……いや、考えるのは止めよう。
キチンと感謝するのは良い事だと、佐々木は己に言い聞かせて、星崎に隊舎に戻るように言う。星崎は敬礼してから元来た道へ、佐々木達に背を向けて去った。
「珍しい子ですね」
「松永大佐に染まらないと良いな」
「全くだ」
星崎の背を見送り、松永大佐には絶対に聞かせられない事を、城嶋、井上、佐々木の順に呟いた。
それから三人で井上が率いる部隊の隊舎に向かった。
隊舎に顔を出せば、隊長の井上が佐々木に背負われている事に隊員達は皆驚いた。筋肉痛で動けないだけだと、井上自身が説明しても納得はしないだろう。
簡易検査を受けていると佐々木が言えば、幾人かは胸を撫で下ろした。それでも納得しないものは幾人かいる。
「どうしても何が起きたのか知りたいなら、松永大佐か佐藤大佐に聞きに行け」
井上が『松永大佐か佐藤大佐に聞きに行け』と殺し文句を言えば、不満を抱えたものは黙った。
あの二人に直接尋ねる度胸の有る奴はいない。同じ階級の幹部ですら聞きに行く事を躊躇うだろう。
松永大佐に聞けば、支部長ですら裸足で逃げ出す『恐怖の個人面談』を受ける可能性が高い。
佐藤大佐は気軽に話し掛けられるような雰囲気の方では無い。変な事を聞けば、不機嫌そうに殺気の籠った一瞥を貰いかねない。
城嶋に星崎の事を口止めしなくてはと思うのが通常だろうが、松永大佐は部下を大事にしている事は広く知れ渡っている。下手な事をすれば報復される事も。
星崎が虎の威を借りる狐には見えないが、『隊長の松永大佐に聞いてみます』と言って逃げそうではある。ある意味正しい選択だが。
そこまで考えると、彼女は試験運用隊に配属のままが良いのかもしれない。松永大佐の本性の一部を見ても落ち着き払い確りと感謝しているし。
井上の個室までの道を歩きながら、佐々木はそんな事を思った。