珍妙な訓練生~佐藤視点~
三人分のトレーを回収口に入れた小柄な少女が、そのまま食堂から去った。佐藤陸斗はドアの向こうに消えた小さな背中を見て思う。
気を利かせたつもりなのか、席から立たせない事で逃走手段を確保する腹積もりだったのか。あるいはその両方か。
月面基地にて少女こと、星崎佳永依を何度か見た。彼女はこちらの事を全く覚えていないようだが。
「ナイフ投げを外したのは、久し振りだな」
「始末書を忘れずに支部長に提出して下さるのなら、今の戯言は聞き流しますよ」
二人分の食後のコーヒーを淹れて来た松永が、背後から黒いものが滲む目が笑っていない笑顔で言った。
「始末書の件は、模擬戦を始めるまでに支部長に『報告は』するぞ」
「支部長へ始末書を『提出する』では無いのですね」
呆れが混じった息を吐き、松永はコーヒーが注がれたマグカップに口を付けた。
「先のナイフ投げも、星崎が回避に失敗したらどうするつもりでいましたか? その場合、支部長への言い訳は、佐藤大佐がして下さい」
「……一応避けると確信はしていたぞ」
「そこまで考えていなかった、と言う事ですか」
僅かな逡巡で松永に考えを見抜かれた佐藤は目を泳がせた。
再度呆れ混じりの息を吐いた松永は無言でコーヒーを飲む。言葉の接ぎ穂を無くした佐藤もコーヒーに口を付け、松永に苦情を入れた。
「砂糖が入っていないようだが?」
「朝から血気盛んなご様子でしたので、糖分は不要そうに見えましたが?」
「……自分で入れるか」
松永は他の日本支部幹部達から『死神の微笑』と呼ばれ怖れられる微笑をうっそりと浮かべた。
幹部になってからだが、それなりに付き合いの長い佐藤は松永が怒っている事を正確に察した。同時に、これ以上松永を怒らせてはならない事も理解した。
佐藤はため息が零れかけた口を慌てて手で塞ぎ、砂糖を入れにブラックコーヒーが注がれたマグカップを持って席を立った。
二時間後の十時。
星崎が予定よりも早くに来ていた事も在り、予定よりも少々早くに威力調査が始まった。佐藤と松永の姿は格納庫近くのモニター室に在った。室内には彼らを含めて三名いる。
松永は通常通りの軍服姿で机に書類とマイクを並べて椅子に腰を下ろしているが、佐藤はパイロットスーツに身を包んで仁王立ちをしている。その視線はガーベラが映し出されているモニターに釘付けだ。
「本日、佐藤大佐の模擬戦は予定に無いので禁止です」
「解っている。これは気分の問題だ」
「何一つ関係無いですね。模擬戦は一時間後に来る井上中佐に頼んでいますので、参加の許可は出しません」
松永は昨日佐久間支部長より送られた『開発部・収集データリクエスト一覧』を見ながら、何やら気合いの入っている佐藤に釘を刺し、確認を取る。
「そんな事よりも、支部長に今朝の始末書の提出は行ないましたか?」
「……報告『は』した、した、ぞ?」
しどろもどろになりながらも、佐藤は回答する。
「お小言の内容はどのようなものでしたか?」
「……十三時までに始末書を提出しろと」
「当然ですね。同じ報告を受けたら、私も同じ事を言います。私だったらその場で書かせますが」
佐藤に一瞥すらせずに、松永はやれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
『こちらガーベラ。次弾の威力を二十パーセントから三十パーセントにまで上げます』
「了解。ダミー、射出」
スピーカーから幼さが残る星崎の声が漏れる。その声に対応するのは室内にいる最後の一人、開発部から派遣されて来た橋本と言う技術士官の男性だ。
『ガーベラが実際に動いているところを是非とも見たい』と、開発部がしつこく佐久間支部長に派遣希望を出した結果、一名のみオペレーターの代わりをこなすのならばと許可が下りた。たった一つの席の争奪戦は凄まじく、徹夜で殴り合いと言う名の話し合いをした結果、彼が派遣されて来た。
彼は顔に青痣を作った状態でやって来た。格納庫で彼を見たものは、思わず二度見どころか三度見し、救護兵を呼べと騒ぎ出す整備兵が相次いだ。
「しかし、ガーベラは三十年以上も前に作られた機体と聞いていたが……。陽粒子砲の威力は、二十パーセントでキンレンカやナスタチウムの陽粒子狙撃砲を上回るのか」
威力調査として宇宙空間に射出された、的代わりのダミー人形数機をガーベラは撃ち落として行く。チャージ時間が長くなっても正確に腹部を撃ち抜いている。
このダミー人形は廃棄予定の機体である。部品や装甲を別のものに流用しようにも劣化の進み具合から廃棄が決まった機体だ。使い道が無く、捨てるのなら的にしようと今回利用している。
佐藤の感想に同意しつつ、松永は十年前を思い出す。
「ええ。こんな機体が三十年以上もお蔵入りとなっていたとは。……十年前に試し乗りましたが、正直に言って信じられませんね」
「そうだな。十年前に我々の誰かが乗りこなせていたら、星崎のようなものがいたらと思うと、少し複雑だな」
佐藤は十年前に行われた大規模作戦を思い出し、苦虫を嚙み潰したような顔をした。
十年前、佐藤がガーベラのテストパイロットを引き受けたのは、乗りこなして『当時の大規模作戦』の成功の礎になりたかったが為。現実は違い、乗りこなすどころか、加速時に掛かる荷重で負傷する始末だった。
負傷から回復した佐藤はガーベラではなく、当時の一線級の指揮官機サンスベリアに搭乗して作戦に参加した。
賭けに近い作戦ではあったが、博打に近い作戦と言う訳では無かった。大規模だったが、綿密に立案された作戦だった。
だが実際に行った結果、作戦は失敗となった。日本支部だけでなく、作戦に参加した数多の支部で甚大な被害が出た。当時作戦を主導したロシアと中国は多くのところで爪弾きを受け、現在勢力を弱めている。
パイロットと機体だけでなく、戦艦と搭乗員、作戦の為に開発された兵器、各支部の上層部の人員、訓練兵と、数多のものを失った。日本支部も例に漏れず当て嵌まり、あの作戦に部下を率いて参加するも一人生き残ってしまった佐藤は人員不足解消の為に、長年辞退していた昇格を強引に進められてしまい、幹部の一人にされてしまった。松永だけでなくこれから来る井上を始めとした多くのパイロットがあの一件で昇格した。
作戦失敗により、作戦に参加した全ての支部で支部長が引責辞任させられた。一介の艦長として前線で指揮を取っていた当時の佐久間中将は、この一件で日本支部長の地位に座る事になった。当の本人は非常に嫌がっていた。
目の前にいる松永は当時、訓練兵と正規兵の混成部隊を任されていた。帰還者は重傷の松永と意識不明で重体の二人の訓練兵のみ。治療を施したが、二人の訓練兵はそのまま帰らぬ人となった。
総力戦と呼ぶに相応しい作戦だったが、失敗に終わり防衛軍の扱いは悪くなった。それでも戦えるのは防衛軍のみ。表立っての悪口は言われなかっただけマシだろうと、見えない圧力が掛けられた。
だからこそ、一ヶ月前のあの勝利を、誰もが喜んだ。
二度に渡る、連続した防衛戦成功の報告は、佐藤が覚えている限り、数える程度しかない。
けれども、その成功を齎したのは巻き込まれた訓練生。正規兵なら功労者として、昇格させるなどの褒賞が与えられるが、星崎佳永依は訓練生(それも中等部の生徒)だ。飛び級卒業させて正規兵にしたいところだが、彼女のチームメンバーのようにパイロットの道から降りざるを得ない状況になられても困る。
何とも扱いづらい話だ。
変えられない過去を思い出し、佐藤は口の中に鉄の味を感じ始めた。モニターを眺めて気分を紛らわせる。
「私も乗りましたが、加速時の荷重に耐え切れなければ、満足に戦闘は出来ないでしょう」
モニターは滑らかに動くガーベラを映し出している。かつて己に出来なかった事を一訓練生がやってのけている事が複雑なのか、松永はモニターを頑なに見ようとしない。それに気づかない佐藤では無かったが、何か思う事が有るのか何も言わない。
「あの決定を聞いた時、支部長の気が狂ったのかと思ったが、これだけ操縦が出来るのなら正解だったと言えるな」
佐藤が約一ヶ月半前の事を述懐している間も、威力調査が淡々と行われて行く。
予定よりも早めに始まった威力調査は、予定よりも早くに終わった。
休憩を兼ねた打ち合わせと言う名目で星崎をモニター室に呼び出す。ヘルメットを抱えてやって来た星崎は佐藤のパイロットスーツ姿を見て小首を傾げた。
「模擬戦は行うが相手は佐藤大佐ではなく、井上中佐だ。佐藤大佐は気分で着ているだけだから気にしなくていい」
「……左様ですか」
松永の言葉に、星崎はどこか諦めた顔になった。星崎の諦め顔が理解出来ず、佐藤は直球で威力調査が行われる運びとなった原因を彼女に訊ねた。
「星崎。実戦と模擬戦で陽粒子砲を使わなかった理由は何だ?」
「え? えと……実戦で使用しなかった理由は二つ有ります。一つ目は乱戦状態でしたので味方へ誤射を防ぐ為に。二つ目は初実戦時の戦闘で銃器の命中率が低く、格闘戦の方が確実に撃墜出来た経験から使用を控えました」
「あー、流石にアリウムで命中させるのは難しいか」
「はい。目眩まし程度にしか、役に立たなかったです」
佐藤は訓練機で実戦に放り出されたと言う、彼女の経歴を思い出して同情した。射撃に自信の有る佐藤でも、性能が上がっているとは言え、二線級の訓練機で敵機に命中させるのは難しい。
「牽制ではなく、目眩ましと言うのはどう言う事だ?」
「?? 敵機の中で、銀色の機体が銃弾を剣で弾いて防いでいました。頭部近くで銃弾を剣で弾いて防がせて、死角を作らせると言う方法を取りました」
星崎は頭から疑問符を飛ばすも、佐藤から視線を逸らさずに確りと答えた。
敵を良く見ていると、佐藤が感心していると、質問無しと判断した星崎がもう一つの質問の回答を口にした。
「それから模擬戦では、佐々木中佐から『格闘戦オンリー』と始める直前に指示を受けました」
「おや? 佐々木中佐からの指示が有ったのか?」
佐藤ではなく、松永が反応した。
「はい。五回模擬戦を行いましたが、全て格闘戦のみと指示を受けました」
「へぇ……」
意外な人物の名前が出て来た事に、松永は驚きから目を眇めた。佐藤は佐々木に向かって密かに同情の念を送った。
※※※※※※
「ぶぇっくしょぃっ! ――ばっくしょぁいっ!」
「……凄いクシャミだな。どうした佐々木?」
「い、いや、急に悪寒が、ばっくしょいっ!」
「おいおい。大丈夫か。風邪なんか持っていたら、松永大佐のカウンセリングを受ける事になるぞ」
「井上!? ば、馬鹿を言うなっ。松永大佐のカウンセリングを受けたら、俺は……最低でも一ヶ月は仕事に手を付けられなくなる。べっくしょぃっ!」
「……大袈裟だなって笑い飛ばせないのが痛いな」
「全くだ。……へっくしょいっ!」
※※※※※※
「あー、佐々木の指示ならば仕方無いか」
「?」
独りで何やら納得して頷く佐藤。目を瞬かせて星崎は頭に疑問符を浮かべた。
「気にするな。気にしたところで、佐々木の末路は変わらん」
「え゛、末路?」
佐藤の言葉は足りず、星崎は言葉をそのまま受け取って驚きのあまり目を丸くする。
「井上悠斗中佐、お呼びと聞き、参上しまし、た……」
「同じく佐々木勇介中佐、付き添いとして、参上しま、した?」
その時、モニター室に誰かがやって来た。
佐藤、松永、星崎の三名が視線を声の方向に向けると、そこには共にパイロットスーツとヘルメットを持った井上と、たった今話題に上がった佐々木がいた。
「運の無い男だ。佐々木。骨だけは拾ってやる」
同情心から佐藤は手向けの言葉を送った。
「ちょっ! 何ですか、その不安を煽る物言いは!?」
「それよりも、何故、佐藤大佐がここにいらっしゃるのですか!?」
血相を変えて驚く佐々木と、佐藤がいる事に慄く井上。
「そこまでだ。井上中佐、十分後に模擬戦を始める。星崎と共に準備をしろ。それと佐々木中佐、ちょっと話しが有る」
「うぇぇぇっ!?」
収拾がつかなくなる前に松永は指示を飛ばし、佐々木を手招きした。佐々木はこの世の終わりを見たと言わんばかりの顔で絶叫した。
「これが末路?」
「いや、佐々木が死ぬ訳じゃないからな!? せ、せせ、精神的に、死ぬ……じゃない。折れる……でもないな。その……へ、へこたれる……だけだ」
「? ? ?」
佐々木と松永を見比べて、頭から疑問符を飛ばす星崎に突っ込みを入れてから、井上は逃走するように彼女を連れてモニター室から去った。それは佐々木を見捨てたとも言う。
「って、井上!」
「佐々木中佐」
「はいぃぃぃっ!?」
井上に見捨てられた事に気づいた佐々木だが、椅子から立ち上がった松永に呼ばれて震え上がり直立不動となった。その際、手にしていたパイロットスーツとヘルメットが床に音を立てて落ちるが、誰も気にしない。
「さて、何の話からするか」
「は、はい」
佐々木の身長は百八十六センチと長身の分類に入るが、松永の身長は更に六センチ高い。自然と松永が佐々木を見下ろす形になる。
口から何かが漏れかけている佐々木だが、地獄はまだ始まってすらいない。
橋本技術士官は……両手で耳を塞ぎ、ひたすらにモニターを凝視していた。ある意味正しい判断だ。目を閉じるだけで火の粉が払えるのならば、佐藤も喜んで目を閉じるだろう。
うすら笑いを浮かべる松永を見た佐々木は自主的に正座した。カタカタと小刻みに震えている。
「話、と言うよりも確認だな」
「はい」
「月面基地でガーベラに乗った星崎と模擬戦を行った際に、格闘戦オンリーと指示を出したな? 何故そんな指示を出した」
何を言われるのかと戦々恐々していた佐々木は、松永の質問に頭に疑問符を浮かべつつも、模擬戦申請時のやり取りを話した。
「? それは、模擬戦の申請を出した際に支部長から『ガーベラの格闘戦のデータが欲しいと開発部から要望を受けた。模擬戦は格闘戦のみで行え』と、指示を受けたからです、が……」
『あれ? 変だな』と言わんばかりに怪訝そうな佐々木からの回答を聞き、佐藤は遠回りをして威力調査が行われる原因に辿り着いた気がした。それは松永も同じだったらしい。
「巡り巡って、まさかの事実だったとは、ね」
ふっと、黒く一笑する松永を見て、佐藤は支部長に同情した。
※※※※※※
「……っ!?」
強烈な寒気を感じた佐久間は椅子の上で器用に跳ねた。演習場使用許可申請書と演習場の使用日程表を見比べていた佐久間の、前触れの無い異変に気づいた彼の秘書官でたまたま居合わせたもの達は一度顔を見合わせて、秘書官長が代表して尋ねる。
「支部長、どうしましたか?」
「いや、奇妙な寒気がしただけだ。誰か、ホットの緑茶を淹れてくれ」
「分かりました」
佐久間からの返答に疑問符を飛ばす事無く、秘書官達は何事もなかったかのように動く。
「この寒気は、一体何なのだ?」
身震いしながら、佐久間は小さく呟いた。
※※※※※※
モニター室に何とも言えない微妙な空気が広がったが、払拭するようにスピーカーから井上の声が響いた。
『こちら井上。準備完了です』
「了解した。模擬戦を始めるが、その前に説明を行う」
松永はマイクを引き寄せ起動させて応答した。橋本技術士官が操作し、宇宙空間で十数メートルの間合いで対峙する二機がモニターに映像に映し出された。
「模擬戦は一戦十五分、計三回行い、一戦ごとにこちらから指示を出す。第一戦はガーベラは可能な限りの高速移動をしつつ一撃離脱戦法を取れ。ナスタチウムは盾を使い防御に徹しろ」
『了解』『了解、です』
星崎は素直に返答したが、防御に徹する井上は気の重そうな返事を返した。
「では、始めっ」
ガーベラとナスタチウムは同時に動いた。その動きは対照的である。ガーベラは右手に剣を持ってバーニアを展開して突撃。ナスタチウムはカイト型の盾を構えた。
一拍の間を持って両機は激突した。
すれ違い様に剣を叩き付けてガーベラは離脱した。ナスタチウムは威力を受け流し切れなかったのか吹き飛ばされた。背中のバーニアを小刻みに吹かして体勢を直し、第二撃に備える。
弧を描くようにカーブしたガーベラの二撃目は横回転による遠心力を乗せて、剣が盾に叩き付けられた。
ナスタチウムは咄嗟に後ろに下がり、威力を逃がそうと試みたが、効果は無く先程よりも派手に吹き飛ばされた。
ガーベラは中心に楕円を描くような動きで、楕円の中心にいるナスタチウムに攻撃を加える。中心のナスタチウムは細かくバーニアを吹かして体勢を素早く直し、盾を斜めに構えてガーベラの攻撃を受ける。
「あれだけの速度を出し続けられるのか」
佐藤は旋回時に受ける荷重を思い出して感心した。
「盾だけを狙っているようだが、あの威力では十五分経つ前に、盾が先に駄目になりそうだ」
松永は盾の損傷具合を見て、あと十五分持つか否かを気にした。
「以前と動きが変らないようで何よりだ」
正座したままの佐々木は、星崎の腕が鈍っていない事を喜んだ。しかし、足が痺れて来たのか、もじもじと身動ぎしている。
橋本技術士官は、直接鑑賞出来た感動から涙を流していた。
そして十二分後。
松永が危惧した通りに、耐久限界を迎えたナスタチウムの盾が壊れた。
「模擬戦はここまでとする。二人とも戻れ」
松永の指示に即座に動きを止めて、模擬戦を中止した二機から揃った応答が返って来る。模擬戦を行っていた二機は速やかに移動を開始した。
「失礼します、隊長! どうして、ガーベラが動いているのですか!」
モニターをブラックアウトさせた直後、一人の大柄な隊員が怒鳴り込んで来た。
「後藤か。許可無くモニター室に来るなと何度言えば解るんだか。……支部長の判断だ。お前が異議を唱えたところでパイロットは変わらん」
対応する松永は隊員の顔すら見ず、にべも無くそう返し、一つ訊ねた。
「後藤。お前は要求するよりも、先にやる事が在るだろう?」
「え? ……えっ!?」
松永の問い掛けに、後藤と呼ばれた隊員は改めて室内を見て、顔を真っ青にした。
仁王立ちする佐藤。床に正座したままの佐々木と、同じく床に散乱したパイロットスーツとヘルメット。人によっては三者面談をしているようにも見えるだろう。
「分からないのか?」
松永は顔を後藤に向けて、うっそりと笑顔を浮かべた。流石に状況を理解したようで、後藤は顔色を青から白に変えた。
「佐々木中佐。すまないが端に移動してくれ。私は後藤と少し話し合わねばならない」
「わ、分かりました」
これから起きる事を想像した佐々木は床の散乱物を回収し、正座で痺れた足でぎこちなく隅っこへ移動をした。
「後藤」
「はぃ」
松永が名を呼べば、消え入りそうな声で後藤は返事をした。先程まで佐々木が正座していた場所に、今度は戦々恐々とした後藤が正座をする。
これから起きる地獄を幻視した佐藤は、佐々木と橋本技術士官を連れてモニター室から出た。
ドアが閉まった瞬間、奇妙な悲鳴と揺れを感じた佐藤だったが、気のせいだと心の中で繰り返して無視を決め込んだ。二人を連れて、格納庫方面に向かう。
「あれ? 佐藤大佐。……何故こちらに?」
対面から井上と星崎がやって来た。嫌な予感を感じ取ったのか、井上は顔が引き攣っている。
「あー、松永は後藤と言ったか? 試験運用隊の隊員とモニター室で暫し話し合いを行う事になった。終わるまで我らは休憩を取っていた方が良いだろう」
佐藤の説明を聞き、井上は顔に恐怖を浮かべ、星崎は首を傾げて疑問符を飛ばした。
独り状況を理解していない星崎と、達観した表情を浮かべる井上を連れて五人は休憩室に向かった。
「成程。そう言う可能性が有ったのか」
「はい。何かの本で見かけただけですけど」
「ガタイの良くて重い奴程、荷重の負荷が大きくなるか。言われて見れば、星崎以外にガーベラを操縦した奴は皆、体格が確りとしたデカい奴ばかりだったな」
「星崎みたいな小柄な奴を乗せるって発想自体が、そもそも無かったな。小柄なパイロットもいなかったし」
「盲点ですね。確かに計算式に当て嵌めると、星崎訓練生の方が負荷が少ない。う~ん。過重負荷がどれ程違うのか、一度調査をしたいです」
現在休憩室で、各々が自動販売機で購入した紙コップ入りの飲み物片手に『ガーベラ操縦時の過重負荷』について意見を交わしている。
星崎が平気で、何故他のパイロットは駄目だったのか。
意見を出し合えば、星崎から『パイロットの体重の違いでは?』と意見が出た。何かの本に『荷重力の重さは其々の体重の何倍と決まっていて、体重の重い人の方が加速時に掛かる荷重が強くなる』と書かれていたと星崎が言えば、これまでのパイロットの体格を思い出して全員が納得した。
佐藤は己と星崎の体格を比べて『確かにそうかもしれない』と納得した。
これまでにガーベラに乗ったパイロットと星崎佳永依の違いに、佐藤は『世代の違い』だと考えていたが、違いはもっと単純な事だったようだ。
「丁度良く、ガーベラに乗せても良い奴がモニター室にいる。松永に言ってじっけ……ゲフン、調査するのも良いな」
「大佐、誤魔化し切れていませんよ」
佐藤の口から漏れた物騒な言葉に、間髪入れずに井上が突っ込みを入れる。
休憩室内の時計を見て、戻っても良い頃合いだと判断した佐藤は全員を連れてモニター室に戻った。
戻ったモニター室は、異様に重い沈黙で満たされていた。
椅子に腰掛け足を組んで部下を見下ろす松永と、床に正座して小刻みに震えている後藤。
「随分と、遅い、戻りですね」
「そんなに遅かったかと言いたいが、休憩室で少しばかり面白い仮説が出て来た」
休憩室で突如として挙がった仮説『ガタイの良い奴がガーベラを操縦すると加速時の負荷が大きい』を佐藤が簡単に話した。
仮説を聞き、自身も仮説に該当するからか、面白くなさそうに松永は愁眉を僅かに動かし、視線を後藤に向ける。
「ほほう。……実験するには、丁度良いか」
「松永……。少しは言葉を濁せ。後藤を見ろ。こいつに死相が浮かび始めたぞ」
松永の口から『実験』と言う、明らかにヤバそうな単語が飛び出した。後藤に緊張が走り、顔に死相らしきものが出る。部下の死の危機の前兆を完全に無視した松永は橋本技術士官に尋ねる。
「橋本技術士官。君はこの仮説についてどう思う?」
「個人的に非常に興味が在ります。それにテストパイロットを引き受ける方々には、彼女のような小柄な方がいらっしゃいません。この機会に体に掛かる負荷の違いについて一度調べて置いても損は無いかと思います」
橋本技術士官の言葉に後藤へ同情に満ちた視線が集まる。
個人的な思いも有るが、休憩室での仮説を調査したいと申し出た橋本技術士官の言葉を聞き、松永は少し考えてから許可を出した。
「バーニアを吹かす程度なら問題は無いだろう。外部停止システムが何時でも起動出来るようにしろ。それが操縦の最低条件だ」
「分かりました。俺には必要ないと思いますが」
ガーベラに乗れると分かった後藤は、先程までとは打って変わり嬉々として松永に口答えをする。
「そう言って十九人も負傷したんだがねぇ」
後藤の口答えを聞いた松永のぼやきは宙に空しく響く。普段ならば、口答えをされた時点で一睨みするにも拘わらず、しなかったのは後藤の今後を予知しているからだろう。何しろ、後藤の死相は消えず、逆に濃くなった。その様子を見た佐藤は内心で合掌した。
松永は何時でも回収出来るように、井上に準備の指示を出す。指示を受けた井上はヘルメットを抱えてモニター室を出た。
一方、松永の許可を得た後藤は橋本技術士官が用意した、調査機器が着いたパイロットスーツに着替えて意気揚々とガーベラのコックピットに乗り込んだ。
そして、井上の準備が終わった報告を受けた直後に、後藤が乗るガーベラは宇宙空間に出てバーニアを吹かし――直後、潰れたカエルのような声がスピーカーを経由して、モニター室に響いた。
「やっぱりか。外部停止システム起動。大至急救護班を呼べ。井上中佐。悪いが回収を頼む」
『分かりました』
松永は嘆息してから淡々と指示を出した。モニターにバーニアを一時停止したガーベラが映し出され、少しして、井上が操縦するナスタチウムが手際良く回収に出向いた。バーニアが止まっていても慣性はそのままだ。ナスタチウムは正面からガーベラを確保するが、それは正面から体当たりを受けに行くようなもので。
「うわぁ……」
橋本技術士官の口から引き攣った声が漏れた。ナスタチウムがガーベラの体当たりを受け、威力を逃がすようにバーニアを吹かした。慣性を相殺すると言うよりも、受け流して力の行き先を変えるようにしなければならない。非常に難しいのだが、井上はやってのけた。けれども、井上が乗っているナスタチウムは先程まで模擬戦を行い酷使していた機体なので。
モニターに映る、ナスタチウムの左肩が変な方向に歪んでいる。威力を逃がし切れなかったようだ。
「他にガーベラを乗りこなせそうな人間はいないのか。これはこれで、由々しき事態だな」
佐藤は隣にいる少女にチラリと視線を向けた。
現在ガーベラを唯一乗りこなせている星崎は、口を半開きにして唖然とし、モニターを見つめ絶句していた。
「ウソデショー……」
漏れる言葉も現実を受け止め切れていないのか、片言になっている。
誰もが一度は抱く感想に、その通りだなと佐藤は頷いた。