不思議な訓練生との出会い~松永視点~
松永は目の前の小柄な少女を見た。頭二個分近い身長差が有る為、自然と星崎佳永依を見下ろすような形になる。
合流直後に驚いた表情をしていたのは、松永の顔を見るなり血相を変えて逃げ出した人物を目撃したからだろう。あとで見つけ出して締めねばならない。星崎の顔を見て一瞬だけ、誰かの顔が脳裏をよぎったが、松永は無視して口を開く。
「私が今回君を呼び出した、日本支部試験運用隊隊長の松永晶だ」
本来ならば、階級の低いものから名乗るのがマナーだ。しかし、今回に限っては適用されない。何故なら、呼び出された側に面識が無いからだ。
試験運用隊の情報はほぼ出回っていない故の処置で、これは各支部共通だ。目の前にいる彼女も『試験運用隊の隊長が誰か知らされていない』状態で呼び出されている。その為『試験運用隊に限り』が付くが、今回のようなマナー違反は初回のみ見逃される。
「私立柊学園中等部三年、訓練生星崎佳永依です」
名乗れば、敬礼付きですぐに名乗りが返って来た。近過ぎず遠過ぎずの距離を保ったままなのは、警戒心の表れか。
これまでに松永の性格を知らずに会った女性は、大抵は見惚れるか、それに似た反応をしていた。警戒されたのは、松永の顔を見て逃走した愚か者が原因だろう。監視カメラの映像を貰い、必ず見つけ出して締め上げよう。
心の中で物騒な誓いを立てている間に副隊長の鈴村大尉が名乗っていた。星崎から命令書を受け取っている。
三人で待合室を出て、移動途中に今回呼び出した理由を『ガーベラのパイロットに興味を持った隊員が面会を希望したから』と手短に話す。星崎は『そうでしたか』とだけ返した。納得していないのが丸分かりだ。
松永は愉快な気分になり、口元を笑みで歪めた。
愉しそうな松永を見た鈴村は震え上がり、運悪く居合わせた数名が血相を変えて逃げ出した。
突然震え上がった鈴村と、血相を変えて逃げ出した数名を見て星崎は首を傾げた。
無言のまま基地内を移動し、試験運用隊が保有する区画に到着した。
星崎は興味深そうに周囲を見回す――などの行動は取らなかった。目を離した隙に何かされると思っているのか、松永を視界から外さない。非常に判り易い警戒心の表れだ。それは、松永の本意を図りかねているとも取れる。
「ここが、試験運用隊保有の区画だ」
「他の部隊用の区画よりも広いのですね」
彼女の言う通り、試験運用隊に割り当てられている区画は通常の部隊の数倍に相当する。
機密性の高いものから、他支部から持ち込まれたものまで、この区画には多種多様なものが大量に存在する。
松永は鈴村大尉に星崎が当面の間使用する部屋に案内するように指示を飛ばし、独り隊長室に戻った。佐久間支部長に合流の連絡を入れる為でもあるが、上級士官向け待合室の監視カメラの映像を入手する為でもある。
隊長室に戻るなり、執務机のパソコンを操作して佐久間支部長に『星崎確保』の連絡メールを入れ、監視カメラの映像を入手。締める人間の身元を調べる。
「ふ、ふふふ……」
締める人間の身元は判明した。どうやって締めるか考え始めた松永の口から、小さく笑い声が漏れた。
幸運な事に、隊長室には松永以外に誰もいなかった。その為『死神の笑い声』と呼ばれ恐れられる、松永の笑い声を耳にしたものはいない。
日本支部では試験運用隊のみになるが、副隊長室と呼ばれる部屋が存在する。故に、隊長の松永に提出する書類は『必ず』副隊長室に行く。それは松永に直接提出する度胸と勇気を持つ隊員がいない証拠だ。
ちなみに、松永はその事実を一度も気にした事は無い。寧ろ書類が一括で来るので仕事の調整がしやすいと喜んでいる。
上機嫌な松永だったが、映像通信を知らせる電子音が響くと表情を引き締めた。映像通信に出ると、相手は佐久間支部長だった。
「おはようございます佐久間支部長。い・か・が、なさいましたか?」
『いかがも何も有るか。朝はもう過ぎて今は昼過ぎだ。上級士官向けの待合室にいた訓練生を見ていたら松永大佐に睨まれたと、複数名が泣き付いて来た。心当たりが無いとは言わないよね?』
松永は爽やかな笑顔を浮かべて挨拶口上を述べたが、対する佐久間支部長は眉間に皺が寄っており、絵に描いたような渋面になっていた。
日本支部が保有する軌道衛星基地ツクヨミの時間は日本の標準時間が採用されている。現在十四時過ぎなので、挨拶としてはこんにちはが正しい。松永が日中時間帯の挨拶に使うのは『おはよう』だけ。夜は『こんばんは』を使用する。『こんにちは』を使用しないのは、ツクヨミ内では時間感覚が分からないから。
余談だが、基地内にいる他の兵士はこの三つを確りと使い分けている。使い分けないのは松永だけだ。
「おやおや。私が睨むなどと言った行為はしませんよ。待合室で星崎を睨んでいたものは何人か見かけましたが、私を見るなり逃げ出しましたね」
『……ああ。そう言う事だったのか』
嘆息しながら、佐久間支部長は泣き付かれた理由の全貌を把握した。映像の中の佐久間支部長は皴が寄った眉間を揉み解しているが、どう見ても額に手を当てているようにしか見えない。正にその姿は『部下に振り回されて、疲れ切った上司』のようだった。
「佐久間支部長。意味無き苦情以外の御用件は有りますか?」
『ガーベラの陽粒子砲の威力調査を近日中に行え。それと、開発部から追加でガーベラの指定の稼働データが欲しいと要望が来たな』
「おや? 月面基地で佐々木中佐と模擬戦を行った筈です。何故、データが無いのでしょうか?」
星崎の林間学校免除が出たのは、佐々木中佐が星崎と模擬戦を行った事が発端だ。模擬戦の映像を見ていないが実施された事は知っている松永は思った疑問を口にした。模擬戦の映像を視聴した佐久間支部長から回答がやって来た。
『それは実戦・模擬戦共に、星崎が一度も使わなかったからだ。慎重な性格だからかも知れんな』
「慎重な性格をしているのなら、痴漢騒動時に後先を考えなかったのは何故なんでしょうね」
『それに関して日本支部は不利益を被っていないので不問とする。イタリア支部は針の筵状態で、憲兵長官の罷免も決まったしな』
「そう言えばそうでしたね」
松永は数日前の発表を思い出した。
七月下旬に入った頃、国連防衛軍の各支部にとある通達がされた。
イタリアから派遣されていた国連防衛軍の憲兵部長官の罷免。後釜はイギリスから選出された。
各国から派遣された人物が罷免されるような情報は、本来ならば重大事件のように扱われるのが普通だ。各国に激震すら走らず粛々と罷免処理が行われたのは、やはり未成年者に対する計画的な痴漢騒動の影響が大きかった模様。
これには佐久間支部長が痴漢騒動直後に行われた、イタリア支部との通信記録を他支部に流し、追加で要らん事を言った影響も有る。
「被害者に『規律が確りとしている国はどこか』と尋ねたら、『身嗜みまでキッチリしていそうなイギリス』と回答を貰った。フランスはイタリア程ではないが奔放そうなイメージが有るとも言っていたな」
このどうでもいい話を聞き、汚名を雪いでイメージアップを図りたいとフランスが駄々を捏ねたらしいが、多数決でイギリスに決まった。
イギリスから派遣された新たな憲兵部長官は勝ち誇った顔をしていたそうだが、松永からすれば道化にしか見えず、通達を聞き憫笑を零した。イギリス支部で馬鹿がやらかしたら、イタリアの二の舞になると言うのに何故勝ち誇れるのかさっぱり分からない。
他支部に規律の見本として締め付けられて、当面の間、イギリス支部はギスギスとするだろう。
年々質が落ちて行く政治家に末端への理解を求めてはいけないなと、松永は改めて思った。
「イタリア支部は外から針の筵。イギリス支部とフランス支部は内部が針の筵。ふふふ。面白くなって来ましたね」
『何が面白いのか理解する気は無いが、あの三つの支部は暫くの間大人しいだろう。大人しい間に色々と片付けねばならん』
佐久間支部長の言いたい事を理解した松永は即座に決定事項を述べる。
「明日の十時よりデータ収集を行います。開発部からのリクエスト一覧表は有りますか?」
『一覧表は二十時までに送る。それと、模擬戦と威力調査に佐藤大佐が混ざりたいそうだ』
「佐藤大佐が? 意外ですね。そろそろ教官に降りると言っていた筈ですが」
『降りる前にガーベラと一戦交えたいそうだ。許可は出さないがな』
佐藤大佐は日本支部屈指の射撃の名手だが、今年でパイロット退役年齢基準の五十歳を迎える。覚悟が異様に決まっており、どうせ死ぬなら戦場でと言ってしまう性格から『鎌倉武士』や、『島津武士』などの異名を持っている。
松永も――幹部の一人になってからの付き合いだが――佐藤大佐の性格は熟知している。下手に拒むよりは、受け入れてしまった方が楽だ。駄々をこねられては鬱陶しい事この上ない。
「そうでしたか。分かりました」
爽やかな笑顔を浮かべて、松永は了承した。