新入りさんの初日①
朝の六時半。目が覚めてスマホで日付を確認すると、本日は十二月一日だった。
起き上がり、抱き枕にしていた井上中佐から貰ったぬいぐるみの形を整える。
身支度を済ませて食堂へ向かう。その道中で思う。
……今年も今月で終わりかぁ。
六月半ば以降、いや、八月以降か? バタバタしていたからか、今年が終わるって言う、実感が無い。
実感が無くとも、年末だから仕事は増える。十月末の作戦の戦後処理も、まだ終わってない処理が幾つも在る。
ルピナス帝国とディフェンバキア王国にいた頃の戦後処理は、ここまで時間が掛からなかった。十月末の作戦とほぼ同じ規模の作戦を行っても、戦後処理は大体二十日ぐらいで終わっていた。人員の数の違いとかの理由が有っても、やっぱりこれぐらいの時間が掛かるんだね。
ルピナス帝国の連中みたいに、『俺達は勝利の美酒で酔い潰れる為に、勝って生きて帰るのだ!!』と天に向かって拳を突き上げる、あの馬鹿共と一緒にしてはいけないな。
そこまで思い出して、もう一つの大事な事を思い出した。
ドイツ副支部長から貰ったお菓子を食べないと!
クリスマスシーズンに食べるお菓子を残していた。シュトレンとあとは、レープ何とかだっけ?
隊長室に行けば判るけど、その前に松永大佐が残しているか確認しないとだな。先月の定例会議にお裾分けとして、結構な量のお菓子を持って行っていたし。
そんな事を考えていた間に食堂に着いた。松永大佐はまだ来ていないので無人だ。七時は過ぎているよ。
先に独りで朝食をのんびりと食べる。
朝食を食べながら思う事は、これからやる事だ。紙に書き出してリスト化しないと、忘れそうだ。そう言えば、松永大佐は支部長に確認を取ったのかな?
食後に甘いコーヒーを飲んでいると、食堂のドアが開いた。
松永大佐がやって来たのかと思ってドアを見たが、全く違う人物が現れて驚いた。トレードマークの煙管が無くて、一瞬誰かと思ったよ。
「? マオ少佐?」
そう、イタリア支部に所属しているマオ少佐だ。目に見える違いは、首に黒いチョーカーを巻いたマオ少佐が『日本支部の制服』を着ている事か。食堂に入って来たマオ少佐が口を開いた。
「おう、久し振りだな」
「久し振りですけど、日本語が出来るんですか?」
マオ少佐が日本語を巧みに使いこなしている様子に目を丸くする。マオ少佐が自分の近くにまでやって来た。反射的に腰を浮かせたが、マオ少佐の手振りを見てから腰を下ろした。
「まぁな。一応、俺もガーベラに乗った身だ。その時に日本語を少し学んだ。もう一度ガーベラに乗る事を想定して、この十年間日本語の勉強をしていたんだよ。イタリア語も出来るが、月面基地では公用語の英語を使わねぇとだったから、英語で話していた」
「……そうでしたか」
立ったままのマオ少佐の口から意外な情報を聞かされて困惑する。
内心では『マジで!?』しか言葉が出て来ない。
それ以前の疑問として、何故マオ少佐は日本支部の制服を着ているのか?
「あ? マツナガから聞いていないのか? 今日から日本支部の所属になったんだよ」
「初めて聞きまし、た?」
マオ少佐の説明を聞きながら、以前、松永大佐が何かを言ってた気がする。
そう確か、『会わせる人物がいる』だったっけ? あれはマオ少佐の事だったのか。
他支部にいた人間がツクヨミにいる理由は理解したけど、ここに来る理由は何だろう?
「移籍の件は分かりましたが、所属は試験運用隊ですか?」
「そうだ。階級はそのまんまで、マツナガの副官をやる。前任が今月の五日辺りで異動するそうだ」
「初耳です」
「今朝教える予定だったからな。星崎が知らないのは当然だ」
マオ少佐の回答に驚いた直後、音も気配も無く、松永大佐がマオ少佐の背後に立った。松永大佐の登場の仕方が、若干、ホラーチックだったからか。引き攣り顔のマオ少佐の額に脂汗が浮かぶ。
自分の位置と角度からでは松永大佐の顔は見えないが、背後に立たれたマオ少佐が掻いている滝のような脂汗を見るに、威圧は凄そうだ。
「おう、朝っぱらから、スゲェ登場の仕方だな」
「事前に知らされた予定と違う行動を取られると、説明に困るのは私だ。佐久間支部長はどうした?」
「あ、あー、済まねぇ。朝一番に会って来た。首のこいつはその時に貰った」
「……そうか」
マオ少佐との会話は短かった。けれども納得はしたのか、松永大佐は引き下がり、朝食を取りにカウンターへ向かった。マオ少佐も朝食はまだ食べていないのか、松永大佐のあとを追った。
そして大人二人は、自分には聞こえない声量で、朝食を選択しながら何やら話し合っている。たまに横顔が見える時に、表情が変わったり、口が動いていなければ、大人二人で話し合っているとは気づかなかったな。
朝食を手に二人は戻って来た。二人は自分の正面に並んで座り、朝食を取り始めた。
大人二人の話題は、やはりと言うべきか、襲撃が一ヶ月間一度も起きなかった事についてだ。
マオ少佐の見解は『作戦が成功したから』だ。その口振りから、半年ほど経過したら『再び襲撃が発生する』とは、夢にも思っていないんだなと、嫌でも気づいてしまう。
「しっかし、一ヶ月も襲撃がねぇと、勘が鈍りそうだな」
「そんな事が言えるとは、遂に平和ボケしたか」
「たかが一ヶ月で、ボケねぇわ。ま、防衛軍全体の縮小の兆しが無いから、まだ警戒状態は続くんじゃねぇの」
大人二人の会話を聞いていて、ふと気づいた。
……マオ少佐が試験運用隊所属になったって事は、向こうの宇宙絡みの情報の開示はどこまでやるんだろう?
向こうの宇宙絡みのやり取りは、基本的にここで行われている。移籍して来たマオ少佐から、向こうの宇宙の情報を隠すのは難しい。この辺はどうなるのか。
そもそも、マオ少佐に情報を開示しても大丈夫なのか?
二人の食事が終わった頃合いを見計らい、松永大佐に尋ねる。
「あの、松永大佐」
「待て。言いたい事は解る。情報の開示範囲は、日本支部の定例会議出席者と同じだ。情報の流出に関しても、対策は行っている。仮に、他支部のものが、マオ少佐に知り得た情報の開示を求めても拒否出来るようにしている」
「拒否? ……松永大佐、また他所の支部長を泣かせたんですか?」
松永大佐の口から『拒否』と言う単語を聞き、先月中に起きた一件を思い出した。先月、松永大佐は他所の支部長を泣かせた。松永大佐はただ泣かせたのではなく、件の支部長は『号泣しながら』帰って行った。
現場は知らないが、松永大佐は二度も似たような事をやった。もう一度同じ事をやったのかと思ってしまうのはある意味しょうがないと思う。二度ある事は三度あるって言うし。
故に確認を取ったのだが、松永大佐の顔は何故か引き攣った。
「その手の事はしていない」
「それ以前に『また』って何だよ? お前、ガキの前で何やったんだ?」
「私は懇切丁寧にお引き取りを願っただけだ」
松永大佐の言葉を疑っているのか、困惑したマオ少佐の顔は引き攣り気味だ。そんなマオ少佐の表情を引き締めるように、松永大佐はマオ少佐の首のチョーカーを指先で突いた。
「星崎。マオ少佐の首のこれは、アクセサリーの類ではない。機密保持用の為のものだ」
「機密保持?」
「このチョーカーは特定の言葉と脳波に反応して起爆する」
「それって……」
松永大佐の言葉が事実なら、マオ少佐が首に巻いているのは『超小型の爆弾』の一種になる。
「ああ。こいつは防衛軍全体で起用されている一品だ。命を盾に首輪を付けられたような状態だが、だからこそ、拒否が出来るし、その覚悟が有るって意味にもなる」
「裏切らない、機密は絶対に漏らさないと言う、意思表示にもなるって事ですか」
大人組からチョーカーの説明を聞き、とある邦画を思い出した。
とある学校の中学三年生の一クラスを適当な事を言って無人島へ連れて行き、そこで最後の一人になるまで殺し合わせる、十五歳未満に視聴の制限が掛かっていた過激な内容の邦画だ。この映画にも首に巻く爆弾が出ていた気がする。
「早い話がそう言うこった。作戦が終了して、まだ一ヶ月しか経過していないからな。日本支部内で俺を警戒する奴に対しても効果が有る」
非常に危険な物品だが、内外に対して己の意思表示になるのか。本人合意の上で装着しているのなら何も言えん。
「本当は十年前に移籍予定だったんだ。中国支部はやらかすし、日本支部ではリベンジの作戦に出られるか、『それは微妙』って回答を、今の日本支部長に言われてたから、イタリア支部に移ったんだ」
意外な事まで聞かされて、十年前って本当に碌な事が起きていないなぁと、思ってしまった。先代上層部は負債しか残していないな。
十年前の事は報告書を読んで知った内容しか知らないけど、呆れてしまう。
自分が呆れていたら話が途切れた。話の途切れ目を狙い、松永大佐がマオ少佐を引き連れてコーヒーを取りに席を立った。
大人二人が食後のコーヒーを飲み終えたら、松永大佐から今日の予定について教えて貰う。
午前中の内に三人で支部長のところへ行って、今後についての説明と、マオ少佐に幾つかの情報を開示する。
午後は午前中の状況を鑑みて、松永大佐が決める。
支部長のところに行くんだったら、如月学長と武藤教官に開示した情報の範囲を、直接聞く事が出来るな。
マオ少佐はもう一度支部長に会う事になるけど、そこはしょうがないな。マジで何で先に来たんだろうね。朝食を取りに来たのかな?
自分の疑問はさて置き、移動の前にマオ少佐の希望で、演習場へ向かった。
マオ少佐が先に支部長のところへ向かったのは、演習場の機体を見る許可を得る為だった。ご飯かなと思った自分は腹ペコキャラかな?
何はともあれ、演習場に移動した。
演習場につくなり、マオ少佐が最初に近づいたのは、オニキスだった。
やっぱり転移門を破壊した機体だからか、興味を引くのかな?
「こうして近くで見ると、俺らが普段乗っている機体よりも小さいな」
「全高は十二メートル程度だ。演習場に在る、他の機体もほぼ同じだ」
マオ少佐の疑問に回答するのは松永大佐だ。自分が回答しても良いが、現時点では止めておこう。自分が回答するよりも先に、松永大佐が対応を始めちゃったしね。大人同士の会話だから、口を挟むのは止めて貝になろう。
「へぇ、他のもそうだが、コックピット内はどうなってんだ?」
「操縦席が二種類存在するが、共通点は、内壁全てが『全周囲モニター』と呼ぶ状態になっている」
「先ず、操縦席が二種類も在るって点に突っ込みたいが、コックピットの内壁が、全部モニター画面になっている? コックピットの内部を見てぇんだが……」
「そこまで許可を取っているのか? 時間的にも却下だ」
「許可は取ってねぇな。しゃあねぇ、次に行く時に許可を捥ぎ取るか」
打てば響くように、松永大佐はマオ少佐の疑問に次々と答えて行く。何と言うか、付き合いの長さが窺える気安いやり取りだ。
「こっちの、オニキスだっけ? こいつがいきなり現れて、あっと言う間に敵機を蹴散らして、破壊対象物をぶっ壊しただろ。どこの支部も蜂の巣を突いたように大騒動だったんだぜ」
「日本支部も似たような状態だったと聞いたな」
「あ? 聞いたなって、マツナガも作戦には参加していたよな?」
「参加していたぞ。バタバタしていた時に医務室で手当てを受けていた」
「医務室!? じゃあ、このオニキスが暴れていたところとかも見てねぇのか?」
「それは特等席で見ていたから知っているぞ」
「突っ込みどころしかねぇんだが……、順番に聞くぞ。負傷って、何が起きたんだ?」
「コックピット内にまで届く攻撃を受けた。私自身は直撃を受けていないが、破片が体に突き刺さった」
「軽傷だったみてぇな顔で言う事じゃねぇだろ!? どこをどう聞いても、重傷どころか、手術もんだろ!!」
「体内に残った破片の摘出で、何針か縫ったが……」
「だから重傷だって言ってんだろ!」
「完治して、一ヶ月近くは経つからな」
「……もう言わん」
涼しい顔を崩さない松永大佐を見て、ギョッとしたり、突っ込んだりと、忙しかったマオ少佐は驚き疲れたのか、呆れてしまった。
マオ少佐の口から他支部の事を聞き、自分はとある疑問を抱いた。日本支部ですら作戦後の処理が終わっていないのに、作戦に参加したマオ少佐はその辺の処理とかどうしたんだろう? 丸投げしたのか、それとも終わらせたのか? 一ヶ月で終わるものなのか?
自分が疑問を抱いた間も、大人二人の会話は続く。
「んじゃ、次、特等席ってのはどこだ?」
「オニキスの後部座席だ」
「一番良い特等席だな。つか、乗ったのか」
「流れで乗る事になった」
「どんな流れだよ。いや待て。後部座席が存在したって事は、二人乗りなのか?」
「いや、緊急時用の座席だ。それでもコックピット内は、パイロット以外に成人男性が三人も入れるぐらいには広い」
「随分と広いな。俺らが普段乗っている戦闘機よりも小さいのに」
「それだけ高度な技術が使用されていると言う事だ。……そろそろ、佐久間支部長の許へ行くぞ」
「もうちょい聞きたかったが、先に済ませた方が良いか。乗る許可も取らねえとだし」
「それに関しては忘れて貰っていても良いんだがな。まぁいい。星崎も行くぞ」
「分かりました」
長いようで短かったマオ少佐の見学は終わり、三人で支部長の許へ移動した。
さて、一昨日振りに支部長と面会した。一条大将と大林少佐もいたよ。
挨拶もそこそこに、松永大佐が『予定変更の連絡が遅い』と支部長に苦情を申し立てた。
脂汗をダラダラと搔き始めた支部長を見て、マオ少佐がフォローに入るが、火に油を注いだだけだった。
大林少佐に耳を塞がれた状態で、後ろを向いて少しの間、松永大佐の『お話』が終わるまで待つ事になった。
十分後。
再び正面を向いた時、支部長は、何故か床の上で正座していた。何でしょうねー、この状況は。
ふらつきながらも支部長が席に戻った事で、場が仕切り直された。
改めて、支部長の口からマオ少佐の異動に関わる事の説明を受ける。マオ少佐はどさくさに紛れて、ちゃっかりと欲しい許可を取っていた。
支部長からの説明が終わったら、今度は情報の開示範囲を確認する。
マオ少佐に対する情報の開示範囲は『日本支部幹部(分かりやすく言うと、定例会議の出席資格保持者)』と同等だ。
支部長の説明によると、日本支部に属するもので、会議の出席者でも無いのに同じ情報開示範囲のものは、月面基地四年の駐在となった高橋大佐以外だと、如月学長と武藤教官だけだった。
支部長からの説明を聞き、幹部でも無いのに知っている人が、三人だけだった事に安堵した。
高橋大佐に会う予定は無い。月面基地に出向かない限り、会う事も無い。
これは、如月学長と武藤教官にも言える事だ。こちらの二人はツクヨミに来るかもしれないが、仮に来るとしても用事が有って来るのだ。自分に構う時間が有るか怪しい。
大丈夫だなと判断した直後、支部長の口から予想外の言葉が飛び出した。
「定例会議の出席者だけど、三人ほど顔触れが変わる」
出席者が三人も変わる。驚きの余り、口から声が漏れそうになった。だが、支部長の言葉には続きが存在した。
「だが、新入りとの情報の共有は、一ヶ月程度、様子を見てからにする。現時点で様子見対象者は一人だけだ。残りの二人は口が堅いから大丈夫だ」
「佐久間支部長。口が軽いのは誰ですか? 私が直々に話し合いに出向きますよ」
「松永大佐。時間の無駄になるから止めなさい。ちなみにその人物は瑞貴華中佐だ」
「……成程、確かに時間の無駄ですね」
「だろう?」
支部長と松永大佐の会話に登場した中佐が誰か、自分は知らない。マオ少佐も知らないみたいだ。ただし、一条大将と大林少佐が深く頷いたので、問題児なのかもしれない。
自分と同じく、件の中佐が誰だか知らないマオ少佐が松永大佐に『どんな人物なのか』と尋ねた。
「クライン少佐の同類だ」
松永大佐の回答はこれだけだった。たったこれだけで、マオ少佐は『件の中佐』がどんな人物か、理解したらしい。『そうか』とだけ言って、あっさりと引き下がった。
しかし、あのクライン少佐の同類か。
イマイチ、想像出来ん。詳細を尋ねたいところだが、松永大佐の心底嫌そうな顔を見ると、回答は得られそうにないな。ここは、潔く、諦めよう。
なお、残りの二名は知っている人物で、姫川中佐(今日付で昇進した)と、更科少佐だった。
その他諸々の確認事項を支部長と共に行い、定例会議までの数日間の、試験運用隊全体の予定が決まった。




