般若先輩と新学長
十一月二十七日の十五時頃に訓練学校に到着した。
出発ギリギリまで仕事をしていた大人三人は、チャーター機の中で爆睡していた。
それでも、三人揃ってお昼ご飯の機内食は確りと食べていた。
それぞれ荷物を手にチャーター機から降りて、訓練学校が存在する孤島に上陸する。十一月下旬なので、上着を一枚羽織らないと非常に寒い。
氷室中将は点々と雲が浮かぶ青い空を見上げて目を細めた。
「良い空ね」
釣られて自分も空を見上げる。
ツクヨミ内で季節を感じる事は無い。
季節を感じる景色や青い空が見たければ映像を見ろって、言う人もいる。
自分は利用した事は無いが、ツクヨミ内の娯楽室の一つに、立体映像を駆使して、指定の景色の中に居る気分を味わう事が出来る部屋も存在する。
松永大佐に急かされて、四人で移動を再開するが、歩きながら一つだけ確認した。
「今回は事前に連絡を入れたんですか?」
「流石に宿泊するから、支部長が事前に連絡を入れた」
「……そんなやり取りをするって事は、前回は連絡を入れなかったの?」
「佐久間支部長が不要と言い出したので入れませんでした」
「支部長も大概イイ性格をしているわね」
松永大佐の回答を聞き、氷室中将は笑い声を上げた。
そこは笑うところなのかと疑問に思い、飯島大佐を見た。飯島大佐は深く頷いて同意していた。
支部長がどう思われているのか、考えそうになったが止めた。
そこで、前方から低いの声が響いた。
「随分と楽しそうだな」
はち切れそうな小豆色のジャージ姿の人物が肥満体型でも無いのに、のっしのっしと、擬音を付けてやって来た。
その人物は、佐藤大佐と言うよりも、神崎少佐に近い体格をしていた。首の後ろで一つに纏めた黒髪を左肩から前に垂らしているので、何となく神崎少佐を連想した。
自分が傍に立ったら、仰け反らなくては顔が見えない程の長身で、多分松永大佐よりも高身長だ。
その風貌は……『不動明王』以外の単語が思い付かない程に厳つかった。
貶したい訳では無いんだが、この人、生まれて来る世界を間違えていないか?
全体的に世紀末系格闘漫画とか、作画の線が濃い漫画作品から出て来たような外見で、ラスボス系の風格を持っている。マジでマフィアのボスみたいな外見だ。
誰だか分からず、松永大佐を見上げた。しかし、松永大佐も知らない人物だったようで困惑していた。
そんな中、氷室中将と飯島大佐は慣れた様子で、やって来た人物に声を掛けていた。
「武藤、久し振り」
「久し振りです。般若先輩」
「うむ。久し振りである」
氷室中将と飯島大佐から挨拶を受けて、それぞれから『武藤』、『般若先輩』と呼ばれた人物は鷹揚に頷いた。ただ頷いているだけなのに、妙な威圧感が放たれている。
この人物、セントレア以上に低い声を持ち、かつ、上回る程の長身で、体形に男女の差を感じる丸みすら感じられない程に筋肉が付いている。
この人が、佐藤大佐が裸足で逃げ出す般若先輩なのか。
想像の斜め上を行っていた。いや、佐藤大佐相手にはこれくらいの人物でないと、『裸足で逃げ出す』の表現が付かないのか。
軽く氷室中将と飯島大佐と会話を終えた人物の視線が、自分と松永大佐に向いた。
「そちらが、松永大佐と星崎中尉か」
「そうですが、初対面なので、名前を窺っても良いでしょうか?」
「構わん。私が武藤鈴だ。現在、高等部の教官を務めている」
松永大佐の確認に一度頷いてから、武藤教官から簡単な自己紹介を受けた。
階級を付けて名を呼ばれるのは、何となくこれが初めてな気もするけど、一点疑問を抱いた。
「あの、私の記憶が確かなら、女子寮に伝わる武藤流護身術の開祖の方と同じ名字なのですが、ご本人ですか?」
「いかにも、その護身術は私が残した」
「……そうでしたか」
その場にいるだけで周囲を威圧する人物が残した護身術。こんな人物が残した護身術なら、確かに有効そうだな。自分は習っていないけどね。
「武藤教官。星崎の扱いについてですが」
「士官学校に来た支部長に、如月学長と共に直接問い質したので細かい事情は知っている。その制服を着ている間は訓練生として扱おう」
「ならば良いです」
松永大佐からの確認に、武藤教官は知っていると返した。しかし、『制服を着ている間は』か。時間を見て、支部長がどこまで喋ったのか確認した方が良いかな?
「星崎。支部長には気が済むまで色々と言い、先月の作戦の事まで『開示可能な範囲』で詳細は聞いた。色々と状況と事情が重なったとは言え、よく無事だったな」
「あ、はい……?」
武藤教官の口から労いの言葉が出て来たが、『開示可能な範囲』の部分に気を取られて反応が遅れた。武藤教官は気にせず、自分の頭を掴んで回すように撫でた。そのまま三回ほど頭を回して解放されたが、武藤教官は『ふむ』と声を漏らし、自分の両脇に手を差し込んで幼子のように持ち上げた。武藤教官は一分ほど自分を見上げてから、地面に下ろした。
「しかし、やっぱり小柄だな。佐藤に狙撃の技術を仕込んだ相良も小柄だったが」
「どうせなら書類仕事も一緒に仕込んで欲しかったですが、その相良と言うのは誰ですか?」
松永大佐の要望である『書類仕事』の行には、自分も同意した。
飯島大佐も同意見なのか何度も頷いている。
「相良――相良智広は私の同期で、佐藤の上官だった男だ。十年前の作戦で散ったが、色々と出来る惜しい奴だった」
「俺もあの人から書類仕事を教えて貰ったんだよな。あの先輩はものを教えるのがやたらと上手かった」
「しかも見た目は『ショートヘアーの美少女』って感じだったのよね。普通に男性の格好をしていたのに。身長は百六十ぐらいしかなかったし、四十歳を過ぎても二十代前半の外見を保っていたから、一部の女性陣からは『永遠の美少女』って呼ばれていたのよ」
「年齢不詳具合では松永といい勝負だったなぁ、あの先輩」
「飯島大佐。そこで私の名前を出さないで下さい」
引き合いに名前を出されて、松永大佐の顔が引き攣った。
……四十歳を過ぎても二十代前半の外見を保つって、何が起きているんだろう? いやいや、そんな人が佐藤大佐に狙撃の技術を仕込んだのか。
これから会う『松永大佐の類似品』と飯島大佐に言わせた新学長も気になるが、武藤教官の同期ってどんな人がいたんだろう?
大人三人で思い出話に花が咲きそうになったが冷たい風が吹いて来た。冷たい風が顔や首筋に当たり、くしゃみは出なかったが、思わず身震いしてしまった。
自分の反応気づいていてか、武藤教官が思いで話を切り上げた。
「む。風が冷たくなって来たのでは、これ以上の長話は出来んな。午後最後の授業が終わる前に移動するぞ。学長も待っている」
武藤教官は有無を言わせぬ迫力でそう言うなり、こちらに背を向けて歩き出した。氷室中将と飯島大佐は大人しく続く。自分も歩き出そうとしたが、その前に松永大佐に掴まった。
「星崎。ツクヨミに戻り次第、佐久間支部長に開示可能な範囲がどこまでなのか確認を取る。それまでは、こっちに集中しろ」
「分かりました。松永大佐、顔に出ていましたか?」
「いや、私も同じ事を気にした」
「そうですか」
松永大佐と小声で短くそうやり取りをしてから一緒に、先にいる三人を追い掛けた。
離着陸場から武藤教官の先導で校舎に移動し、事務室をスルーして学長室に入った。事前に連絡を入れているし、武藤教官の案内で移動しているので、今回だけ事務室を飛ばす。
「学長。連れて来た」
「おや、もう少し思い出話に花を咲かせると思っていたんだが、早かったね」
「寒風吹き荒ぶ寒空の下で話し込む趣味は持っておらん」
「随分と大袈裟な表現だね。吹き荒んでもいないのに」
「風邪を引かせる訳にはいかんだろう」
「それもそうか」
最後に入ったので大人四人の背中で見えないが、落ち着いた男性の声が響いた。この声の持ち主が新学長か?
大人四人の背中の横から顔を出そうとしたが、松永大佐に頭を掴まれて押し戻された。
「松永。君の後ろにいるのが最後の一人かな?」
「それで合っているが、少し待て」
「ここに来て一体何の確認をする気だ? そんなものは必要無いだろう」
「いいや、如月に関して変な情報を与えた気がする。その内容の確認だ」
……松永大佐。変な情報と言うのは、飯島大佐が言っていた『松永大佐の類似品』の部分の事か?
「誰がその情報を与えたか知らないが、聞いてから判断しないか?」
「聞いて如月がダメージを受けても、誰も責任は取らないぞ」
「……時間が勿体無い。とりあえず、顔を見せてくれ」
「写真を見ていないのか?」
「見たけど、写真を見た印象と、実際に会った印象が違う時が在る。松永だって、先入観を抱かない為に写真を見ないだろう? それと同じだ」
「お前と同列に扱われたくないが、時間が勿体無いのは確かだな」
自分の頭を掴んでいた松永大佐の手が離れた。漸く許しが下りたと判断し、松永大佐の背後から顔を出して、新学長の顔を見た。
机の向こうで椅子に座る、見る人に『人の良さそうな印象を与える』、松永大佐に如月と呼ばれた新学長は、狐のような微笑みを湛えていた。
見るものを落ち着かせるような笑みだが、……何だろう? 何故か飯島大佐の言葉通りの感想を得た。
「……松永大佐の、類似品?」
「「誰だ! そんな事を言ったのは!?」」
額に青筋を浮かべた松永大佐と新学長は声を揃えて怒鳴った。何故怒鳴るのかと疑問に思いつつ、回答する。
「飯島大佐です」
「「……」」
額の青筋を一瞬で消して、迫力の有る笑顔を浮かべた松永大佐と新学長が、二人同時に飯島大佐を見た。今度は視線を浴びて狼狽えた飯島大佐が怒鳴った。
「何でお前はそんなところだけ覚えているんだよ!?」
「え? 顔を見ただけで血相を変えて逃げ出す人が出たり、会議中に支部長を床に正座させたり、前回訓練学校を訪れた時に学長を絶望顔にしたり、登場しただけで野次馬が血相を変えて逃げ出したり、アポ無しでツクヨミにやって来た他所の支部長を泣かせていた松永大佐の『類似品』と言われたら、そこだけ印象に残りませんか?」
目を瞬かせて八月と九月の一件や、前回訓練学校に来た時の一件や、月面基地で起きた事や、最近の出来事を口にしたら、聞いていた武藤教官が呆れた声を漏らした。
「何時聞いたか知らんが、……松永。お前は子供の前で何をやっている?」
「半分以上、私は何もしていませんが? 大体、私の顔を見て逃げ出すものは疚しい事を考えている事が殆どです」
「星崎。逃げ出した奴はどこで見た?」
松永大佐の言い分を聞き流した武藤教官は、自分に目撃現場がどこか尋ねて来た。
「八月の頭にツクヨミで松永大佐と初めて会った日と、作戦開始前に立ち寄った月面基地です」
「不可抗力でしょう?」
「まぁ、そうと言えるな」
笑顔で迫る松永大佐に、武藤教官は投げやりに回答した。そして、今になってどうでも良い事に気づいたが、武藤教官の方が松永大佐よりも背が高い。
「だが、解せぬ点が二つも存在する。先ず、支部長は何故正座をした?」
「アレは説明を求めたら、佐久間支部長が自主的に正座をしただけです」
「そうだったんですか?」
「確かに松永の言う通りだな」
思わず、飯島大佐に確認を取った。氷室中将も頷いている。確認していた間に武藤教官がもう一つの質問を松永大佐に投げ掛けた。
「では、他支部の支部長を泣かせた経緯は何だ?」
「こちらが忙しい中、事前連絡も無く、日本支部に押し掛けて来た挙句の果てに、私を巻き込んだ結果です」
確かに松永大佐は巻き込まれた側だ。自分はその現場を見ていないが、大林少佐がそう言っていた。
「あちらの自業自得気味だが、泣かせる必要は有ったか?」
「支部長階級の人間が、二・度・と、事前連絡もせずに勝手な行動を取るなとケチを付けただけです」
「……お前は一体、どんな顔をして言ったんだ」
武藤教官は呆れて、天ならぬ天井を仰いで嘆息した。顔を正面に戻した武藤教官が再度口を開こうとした時、タイミング良く終業の鐘が鳴った。
自分の不用意な発言が原因だが、新学長に自己紹介すらしていない。
新学長が咳払いをしてから、自分に『如月恵介』と名乗った。如月学長の名乗りに併せて、自分も自己紹介をする。
「星崎。君が飛び級をする事になった理由は、支部長からある程度は聞かされている。今晩、松永大佐に詳細を聞くから、ここで星崎には尋ねない。けれど、松永大佐から聞いて理解出来ない事の詳細な説明を求めるかもしれないから、それだけは覚えておいてくれ」
如月学長に了承の応答を返したら、男女に別れて別行動を、となったら飯島大佐が抵抗した。理由はお察し出来るかもしれないが、イイ笑顔を浮かべた松永大佐と如月学長が飯島大佐の両肩を掴んでいるからである。
どうしたものかと思ったが、武藤教官の『口を滑らせた飯島の自業自得だ』の言葉と共に、学長室から連れ出された。氷室中将も一緒に出て来た。
飯島大佐の悲鳴らしい幻聴が聞こえたけど、武藤教官と氷室中将は揃って無視した。