怠惰な日々と期末試験
訓練学校に戻ってから三日が経過した。
平時の学校の授業日程は、午前に一般教養含む座学、午後に実技となっている。しかし、自分は一ヶ月近くも授業を受けていなかった為、特別に授業日程を変更して丸一日座学を受けている。緊急事態で本来の日程から大幅に逸脱したが故の特別処遇だった。一日中座りっぱなしで授業を受ける日々は、遠い昔の授業風景を思い出すのでなんだか懐かしい。その懐かしさのお蔭で、詰め込み授業だったが苦痛を感じなかった。
座学の内、一般教養は机の埋め込み式のパソコンを使ったほぼ自習状態で、教師が黒板に板書をする事は無い。そもそも黒板も無いんだけどね。授業で教師がいるのは軍事関係授業のみだし。
自分の表向きの扱いは『一ヶ月間もトラブルに巻き込まれた』と言う事になっている。実戦に出たとか、周囲に話しても自慢話にしか聞こえないだろうから、聞かれても『トラブルで雑用ばっかりやらされた』と回答している。そのお陰で、一度も怪しまれた事は無い。
普段からやる気の無い生徒の振りをしていた事が功を奏した。絡んで来る先輩方も、労わるだけで余り接触して来なかった。一部、再追試になったから英語を教えてくれと泣き付いて来た上級生がいたけど、何時もの光景だ。
戻るなり半月以上も過ぎている誕生日のプレゼント(お菓子とか髪留め用品)を貰った。半分以上が男子生徒で、残りは後輩の女子生徒だ。
後輩の女子生徒は教官のセクハラから助けたり、定期試験前に勉強を教えたりしていたから『お礼』なのは解る。
男子生徒の方は少し分からない。先輩と同学年と後輩で、作り過ぎたお菓子を欲しがったから分けたり、シミュレーターで対戦を申し込んで来たり、勉強(特に英語)が解らんと泣き付いて来たり、こんな具合の付き合いしかない。
他の女子生徒から睨まれるから、接触は可能な限り避けているんだけどね。
現在夜。机に向かい自主学習をしている。試験対策の参考書類を解き終えて、固まった背中の筋肉を伸ばすように、手を組み上に伸ばす。
「んん~、そろそろ寝る、か」
時間が流れる速度を変える結界の外のベッド脇の時計を見れば、消灯時間の二十三時、十五分前を示していた。
結界を解き、机の上の期末試験対策で解き終えたドリル類を全て片付け、明日の登校の準備をする。
ここは訓練学校の女子寮。全て個室だが、洗面所と風呂、トイレは共用。食事は食堂で取る。寮部屋共通の据え置き家具類は、机とベッド、クローゼット、小型冷蔵庫のみ。ちなみに収納はクローゼットしかない。その為、六畳間だと言うのに少々手狭に感じる。
冬場になれば、電気ポットの貸し出しが行われる。天井に埋め込むタイプのエアコンが設置されているので、夏と冬の暑さ寒さで困る事は無い。これは、人工的な空調に今の内から慣れて置けと言う奴なのだろう。月面基地や軌道衛星基地内部の温度は二十度に保たれていたし。
明日の準備を終えて、トイレで用足しを終え、慌てて部屋に戻る。
ドアの施錠をすると同時に、消灯時間を迎えたのか、部屋の電灯の灯りが自動で落ちた。月面基地の兵舎では自分で消していた。一ヶ月程度しか離れていなかったと言うのに、懐かしさを感じる。
早々にベッドに潜り込むべきなのだが、そんな気は起きず、窓に近づいてカーテンと一緒に開ける。生暖かい空気が流れ込んで来た。虫が入って来ないように結界を張り、窓から夜空を眺める。
訓練学校こと、私立柊学園は、日本列島本州から離れた孤島に存在する。周囲の灯りが少ないお蔭か、月の無い夜になると天の川が見える。今夜は満月なので天の川どころか、星一つ見えない。数日前までいた空に浮かぶ一個の月を眺める。
――やっぱり銀月が落ち着くなぁ。
過去の世界では、月に衛星が有ったり、色が違っていたりしていて、夜空を見上げる度に『やっぱり地球じゃないんだな』と感傷に浸る事も在った。太陽ですら、衛星を従えて個数が違ったりする事も在った。
それでも動きだけは同じなので――時刻計測に限り――ありがたみを感じる瞬間でもあった。
「……!」
微かに枝葉を踏む音が聞こえ、結界を解除して、慌てて窓とカーテンを閉める。
室内の光は既に落ちているので、外に漏れる心配はない。窓とカーテンを閉めて置けば、就寝していると判断される筈。その為、足音が去ったか確認はしない。
「はぁ、寝よ」
軽く息を吐いてからベッドに潜り込む。
明日はとっても大事な日だ。
何しろ、明日受ける期末試験の平均点が、九十五点以上だったら林間学校免除と高城教官経由で支部長から言われたのだ。
地獄の林間学校免除。絶妙に怪しい気配がする。もしかして、座学でも手を抜いているのがバレたのかな? 実技の操縦訓練も抜いていたし。フォローやっていたけど、平均よりもちょっと上程度に納まっている筈。
佐々木中佐との模擬戦は、うっかり急所を狙わないように気を使っていたけど、一応手抜きはしたな。
「……ふぁ」
欠伸が漏れた。魔法を使って時間を伸長させ、根を詰めて勉強していたので、目を閉じれば眠れるだろう。
気づけば、真っ暗な空間にいた。
左右には何もなく、振り返って見上げると、目の前に懐かしいもの――いや、ロボットがいた。
真っ白な人型のロボット。記憶で覚えている限り、初めて操縦したロボット。
「無銘」
銘が無い事を意味する単語だが、これがロボットの名称だった。
自動で微調整や自己進化を行う機動殻。パイロットに合わせて変わって行く存在だからと、白く塗られた量産機体。
両手で己の頭頂部分を探る。補助器と呼ばれるカチューシャが有った。
魔法を使って宙を舞い、懐かしき愛機のコックピットに乗り込む。コックピット内部も記憶通りだった。
現在乗っている訓練機アリウムや、二度乗ったガーベラと比べるとコックピット内は非常にすっきりとしている。
それはそうだろう。何せ、コックピット内に存在するのは、操縦席が一つだけ。その操縦席の周囲にはボタン一つ存在せず、肘掛けの先端に謎の球体が着いているだけだった。
操縦席に腰を下ろし、球体に触れる。すると、コックピット内の内壁が変った。この機動殻のモニターは全周囲タイプで、コックピットの内壁そのものがモニターだった。乗り込む前から暗闇にいたと言う事も在り、外部を映し出すモニターも真っ暗だ。
天井――機動殻の頭上を見上げる。真っ暗だった。
前後左右上下、どこを見ても真っ暗で、何も無い。
何故真っ暗なのか。何故何も存在しないのか。
何故、無銘だけが存在するのか。
目を閉じて考え――聞き慣れたアラーム音が響き、目を開いた。
ぼんやりと、ここ二年数ヶ月程、見慣れた天井を眺める。
ベッド脇の時計に手を伸ばして、けたたましくなるスマホのアラームを止める。
「夢、か。何であんな夢を見たんだろう」
夢の内容は覚えている。覚えているからこそ、何故今になって、過去を夢で見るのかと疑問に思う。
軽く頭を振って疑問を追い払い、タオル片手に洗面所に向かった。
本日は月面基地にいた為、訓練学校で受けられなかった期末試験(座学のみ)を受ける日だ。操縦実技の成績は普段の授業と演習に加えて、抜き打ちで試験が行われる。それでも、抜き打ち試験は年に数度しか行なわれないが、その数度で成績が決まる。微妙に気が抜けない。全部手を抜いたけど。
五月の中間試験の時は『八十点前後の点数を維持していれば良いか』と手を抜いた。
点数を調整して受けた結果、基礎五科目(国語数学英語理科社会)の合計点数四百十八点、平均は八十三・六点。軍事座学(操縦を始めとした、軍事関係の様々な基礎知識を学ぶ)は八十三点だった。基礎五科目と操縦座学の学年平均は揃って六十八点だった――低いように見えるが、学年平均が大体七十点前後なのだ――事も在り、やや高得点だった。
期末試験も何時も通りに手を抜く気でいたが、『期末試験の平均が九十五点以上だったら林間学校免除』と支部長からお言葉を貰ったのだ。
思うところは在る。ぶっちゃけると怪しい。でもね。林間学校と言う名の地獄の訓練は避けたい。フリーになれたのに、誰かの尻拭いをやるのはもう嫌だし。
手抜きと林間学校免除を天秤に掛けた結果、林間学校免除に天秤が傾いた。他の全生徒が悲鳴を上げながら訓練を受けている間、のんびりと過ごす。最高だな。
と言う訳で、今回は満点を取るつもりで試験に臨んだ。
実戦に二回も出て、佐々木中佐と模擬戦まで行っている。実技系での手抜きは多分バレているだろう。それが座学でも行っていたとバレるだけ。
双方バレても、不真面目な生徒の振りをしていたから『もう少し真面目に取り組め』と叱責を受ける程度だろう。
高を括っているとも取れるが、これから先の未来で何が起きるのか分からないのは確かで、叱責を受けるか否かも定かではない。
判明している未来は強制参加の林間学校。これが免除になるのなら全力を出そう。
そして全力を尽した結果、基礎五科目合計四百八十五点、操縦座学九十六点。平均は基礎五科目で九十七点、操縦座学込みでも平均点数は九十五点を超す。
マークシートでは無く筆記形式だったが、受験者が一人だけだからか、その日の内に結果が出た。返って来た答案用紙を見て、思わずガッツポーズを取ったよ。採点した別の教官は顎を外す勢いで大口を開けて驚いていたけど。
支部長への連絡は高城教官経由で行き、目出度く林間学校が免除となった。
いよっしゃぁっ!
夜。食堂で夕食を取ったあとに、祝杯と半月以上過ぎた己の誕生日(七月一日)祝いを兼ねて、デザートに特盛チョコパフェを食べ、ガトーショコラをワンホールを持ち帰り、現在寮部屋で食べている。購買部で買った牛乳パック入りのカフェオレ(一リットル)とホイップ済み生クリーム(業務用一リットル)もある。
勝利の余韻に浸りながら、生クリームをたっぷりと塗ったガトーショコラを食べた。
ただし食べ過ぎなので、夏休み期間中はちょっと運動しよう。月面基地にいた時も余り運動が出来なかったしね。
ガトーショコラの最後の一切れに生クリームをたっぷりと塗ってから頬張る。残りのカフェオレも飲み干す。
余った生クリームは冷蔵庫に仕舞う。明日以降に飲むコーヒーに使えば良いかな。
ガトーショコラを食べる為に使用した紙皿と硬化紙製の使い捨てフォークと、飲み終えたカフェオレのパックを小さく折り畳んでゴミ袋に入れて行く。余った生クリームの他の使い道を考えながらの作業だ。ゴミは各階に設置されているダストボックスに持って行けば回収される。高温の炎で焼却処分するのでゴミの分別も不要。ついでに発電も行われるそうだ。詳しい事は知らんが。
ゴミ袋と歯磨きセットとタオルを手にダストボックスへ向かった。