溜まった仕事を終わらせよう
翌日。
やる事が溜まり始めたので、仕事のペースを上げる事にした。松永大佐に至っては、食事を取る時間すら惜しいのか、朝食を五分で完食していた。早食いは太る元と言われる理由の一つに『満腹中枢を刺激しないから』と聞いた。確かに早食いをすると食べた感が無い。
朝食のおかずを使い、松永大佐に差し入れるサンドイッチを何個か作ってから隊長室へ向かった。
移動中に昨日片づけた仕事量から、今日の量を推測する。
幸いにも、現在溜まっている仕事の量はルピナス帝国で書類仕事をしていた時の一日分だ。今日一日集中してやれば、全部終わる。食事の時間は三十分も取れば良いな。向こうにいた頃は、下手をすると、サンドイッチを食べながら仕事をしていた。忙しいと一日の仕事時間が十八時間だったんだよね。
朝食を取りながら今日の予定を確認する。セタリアに連絡を入れる時間は二十時だ。十二時間も先だから、まだ気にしなくても良い。
良し、今日中に終わらせよう!
時間は流れて十一時。
集中して仕事をした結果、予想を超えた量の仕事が終わった。
一口に書類仕事と言っても、ルピナス帝国で行っていた書類仕事と、松永大佐の下で行う書類仕事の中身と難易度は違う。
松永大佐の下で行う仕事は下っ端にやらせる仕事なのよ。
組織の長として行う仕事と違い、言ってはいけないんだけど、簡単なのだ。悩んだ末に下す『決断』を必要としない仕事なので、楽に感じる。
松永大佐が仕事の手を止めて、目頭を揉んでいる事に気づいた。コーヒーか何か持って来るか、松永大佐に尋ねたが、『あと一時間で昼だから不要』と返事が来た。
「星崎。……もう少しゆっくりとやっても大丈夫だぞ」
「そんな事は無いですよ。予想より早くに終わっただけです」
松永大佐の声には疲れが滲み出ている。七時半から仕事を始めているからだろう。早食いの影響も出ているのか、九時半頃に松永大佐は差し入れのサンドイッチを食べていた。
対して、自分は八時から仕事を始めた。この三十分の差が大きかったのか。それとも、自分の場合は単純に慣れていたからか。あるいは、仕事の内容か。
少し考えたら全部な気がするぞ。
「謙遜するな。……今は忙しいが、開発部のツクヨミ部署の人事入れ替えが終わったんだ。様々な意味で少しの間はマシになる」
「そう言えば、作戦中に人事の異動をしていたんでしたっけ?」
松永大佐から回される仕事には開発部関係のものは一切含まれていなかった。その為、昨日になって知る事になったが、開発部内で大規模な人事異動が行われていた。
「ああ。昨日から新体制で業務に集中させる為に、支部長が強行した」
「開発部で色々と作らせるとか、形にさせるとか。かなり前に支部長がそんな仰っていましたけど、音沙汰は一切無かったですね」
「異動で止まっていた業務が正常になる事を祈るばかりだ。再び何か起きたら、日本支部全体に影響が及びかねない。再び他支部から笑われるぞ」
松永大佐の発言には乾いた笑いしか出ない。
日本支部は政治家の手で二度も凋落している。三度目が起きたら、正直に言って笑えん。
何とも言えない沈黙が下りた。強引に話題を変えよう。
「業務が正常に戻ったらどうなるんですか? 核系の新しい動力炉の開発が行われるのでしょうか?」
某ガンダム作品を思い出し、『バッテリー系の次は核系の登場かな?』と松永大佐に話を振った。
「新しい動力炉は無理だな。原子力発電で使用されていた核燃料の九割は、百年前に戦略兵器の材料として使用され、十年前の作戦で残っていた全て使い切った。残りの発電用の核燃料を動力炉にしたら、確実に国家単位で電力不足が発生する。新しい核燃料を作るとしても、六百年前の条約で制限されている。どこの国も核燃料を作る余裕は残っていないだろうな。太陽光発電を始めとした自然エネルギー発電を進めているが、これ以上は進まないだろうな。この分だと、発電機を搭載した新型機が登場するかもしれん」
松永大佐からの返答で、面倒臭い事を知った。
六百年前の条約? 何か在ったっけと記憶を探ったが、松永大佐から仕事に戻れと言われてしまい、ここまでとなった。
十五時。溜まっていた仕事を何とか終わらせた。
残りの仕事は次の定例会議用の資料と支部長からの質問リストだ。どちらも次の定例会議の資料だが、五時間後に支部長と会うので、回答の作成から始める。
チラッと松永大佐を見たら、眉間を揉みながら仕事をしていた。開発部がやらかしていない事を祈るしか出来ない。
互いに無言のまま仕事を続けていると、来訪者を告げる電子音が鳴り響いた。時計を見れば現在時刻は十五時半と、中途半端な時間だ。
「待て。今日の来訪予定者はいない。そのまま仕事をしていろ」
「は、はい……?」
対応の為に腰を浮かせたが、松永大佐から待てと言われてしまった。浮かせていた腰を椅子に下ろし、誰がやって来たのか気にしながらも仕事を再開させた。
松永大佐は仕事を一時中断させて、廊下にいる先触れの無い来訪者と対応する為にドアを開けた。
「済まん! 松永、仕事を手伝ってくれぇええええっ!!」
ドアが開くなり、非常に情けない野太い絶叫が隊長室内に響いた。
再度腰を浮かせてやって来た人物の確認を取ると、高橋大佐が土下座をしていた。こちらに背を向けている松永大佐の背中から、怒りの炎が立ち昇っているように見えるのは気のせいか?
松永大佐はドア横のパネルを操作して、無言でドアを閉めようとした、だが、素早く立ち上がった高橋大佐が体をドアの隙間に捻じ込んで阻止した。
松永大佐の舌打ちが、数メートルも離れている自分のところにまで聞こえた。松永大佐の怒りに気づいているのか、あるいはいないのか、全く不明だが、高橋大佐は松永大佐を拝むように両手を合わせた。
「待て! 三十分で良いから手伝ってくれ! あっ!? 無理なら星崎でも――」
「星崎。一昨日神崎少佐から貰っていたスタンスティックを貸せ。不良品か否かを今ここで確認する。無いなら何時ぞやかの痴漢用のスプレーでも構わん」
「俺で人体実験をするな! つぅか、何で星崎に痴漢用のスプレーを出せとか言うんだよ!!」
高橋大佐の言葉を食うように発言した、松永大佐の言葉を受けて身の危険を感じたのか。高橋大佐は血相を変えた。人体実験が嫌なら帰ればいいのに、何で帰らないんだ?
松永大佐が言う痴漢用のスプレーとは、九月に使ったアレの事か? 確か、『一撃コロリ! 痴漢撃退用スプレーDX!』と言う名の、殺虫剤みたいな名前のスプレーの事だろう。アレは最後の一個だったんだよね。買い直した方が良いのかな?
「なら帰って下さい。私も星崎も仕事が溜まっています」
「何ぃっ!?」
「支部長から追加で来た仕事を、星崎に割り振っているので、手伝いはさせられません」
「そ、そこをなんとか、ならない?」
高橋大佐はしつこく食い下がった。諦めが悪い。
「なりません。迎えが来たようですし、帰って下さい」
「む、迎え?」
高橋大佐が恐る恐ると言った感じで、背後を振り返った。
「たぁ~かぁ~はぁ~しぃ~たぁ~い~さぁ~……」
そこには何時ぞやかの、高橋大佐の副官の男性少佐が立っていた。男性は笑顔を浮かべているんだが、キレている時の松永大佐に似ている笑顔だった。男性の背後で火山が大噴火している光景が見える。
「ひぃ、姫川!?」
高橋大佐が幽霊を見た井上中佐のように震え上がった。高橋大佐はそのまま悲鳴を上げるのかと思いきや、男性少佐の名前を呼んだ。そうか、男性少佐は姫川って苗字だったのか。
「はい、何でしょうか? 高橋大佐は仕事をサボって、こんなところで何をやっているんですか?」
姫川と呼ばれた少佐は瞳孔が収縮した目を高橋大佐に向けていた。
「そ、それは、その……」
高橋大佐は言い淀んだ。さっきの絶叫を聞かれていたらアウトだな。
姫川少佐は高橋大佐の肩をガシッと掴んだ。松永大佐は高橋大佐を廊下に追い出して、素早くドアを閉めて施錠した。
直後、ドア越しに人体から鳴ってはいけない音を聞いた気がした。いや、聞こえて来た音は『ガコォンッ』って感じの音だった。何で『人体から~』と連想したんだ?
体感として、一分が経過した頃。何かを引き摺る不気味な音がドア越しに聞こえて来た。
「休憩しますか?」
「そうする」
音が聞こえなくなってから提案すると、松永大佐は疲れ切った顔で同意した。
なし崩しで始まった休憩時間に、昨日貰ったお菓子を食べる事にした。
昨日食べたのはバウムクーヘンとマルチパンに、シュペクラティウスとシュネーバルの四種類だった。重かったけど、どれも美味しかった。
松永大佐は一口ずつ食べて、あとはバウムクーヘンだけを食べていた。気持ちは解る。バウムクーヘン以外は超濃厚な味付けのお菓子だった。マルチパンはドイツ風のマジパンって書いて欲しかったよ。
シュトレンとレープクーヘンはクリスマスの時期に食べるお菓子なので、もう少し経過してから食べる事になった。
「その二つはクリスマスシーズンに食べる菓子だったか。気が早いな」
「そうですか? シュトレンはクリスマスが始まる半月以上も前に作り、真ん中を切って、そこから少しずつ切って毎日食べるんですよ。こっちのレープクーヘンは説明書を読む限りですと、クリスマスの四週前の日曜日から食べるお菓子みたいですね。ただ、蜂蜜とスパイスを大量に使いチョコレートでコーティングしているからか、一枚当たりのカロリーが高いみたいです」
「スパイスを使ったクッキーなのか?」
「多分、ジンジャークッキーみたいなお菓子だと思います」
「……美味いのか?」
「市販のものを食べた事は在りますが、ジンジャークッキーって辛かった覚えが在ります」
自分がかなりの甘党なだけかもしれないが、興味本位で買って食べた輸入品(東南アジアからの輸入品だった)のジンジャークッキーは辛かった。量の少ないものだったから完食出来たけど、少なくとも自分の好みには合わない。現地の人はこの味が好きなんだろう。
昨日食べたシュペクラティウスもジンジャークッキーの一種だったけど、味よりも香りの方が強かったから食べれた。こっちもクリスマスシーズンのお菓子らしいけど、説明書に『一年中楽しむ事が出来るが、ドイツでは~』と書かれていたから食べたんだよね。
「昨日食べた、シュペクラティウスと似たクッキーみたいなので、試食してから次の定例会議で配るのも手ですね」
「それが良いな。定例会議で配るか」
頂いたお菓子の量もそうだが、どれもこれも味が濃いので、一個で十分と言う気分になる。ダイエット中の女性に渡したら、確実に恨みを買うカロリーの塊だ。
特にレープクーヘンは一口サイズ程度の大きさの一個で、茶碗一杯分の白米に近いカロリーを保有する。どんだけの量の蜂蜜を使用しているのか。スノーボールクッキーのように粉砂糖が塗された揚げ菓子のシュネーバル(地方によってはオーブンで焼くらしい)もだが、気軽に食べれないお菓子だった。
今のところ気軽に食べれるお菓子はバウムクーヘンだけだった。
日本で市販されているものに比べて、硬くほんのりとスパイスを感じる程度の違いがあったけど、素朴な味で美味しい。乾燥防止でチョコレートコーティングされていたけど、ビターチョコが使われていたので最後まで美味しく食べれた。
そんなこんなで頂いたお菓子の今後が決まった。
現在、松永大佐と食べているのはアプフェルシュトゥルーデルと言う、リンゴを使ったケーキだ。パイ生地を使っているけど、ケーキだ。オーストリアの伝統菓子らしいけど、ドイツ圏でも食べられているケーキだ。
ラム酒を使ったものも存在するみたいだけど、今回届いた品には使われていなかった。
温めてから食べるのが良いらしいけど、どの程度の違いが出るのかを体験する為に今回はそのまま食べる。口に運んだ際に、シナモンの香りがほんのりとした。
食べると、リンゴ以外にレーズンとナッツが入っていた。リンゴが使われていると説明書の記載を読み、アップルパイを連想したけど、実際に食べて見るとクレープに近いな。出来立てだと生地がサクサクしているらしい。アイスを添えてもいいそうだが、味の濃さを考えるとこのままで良いな。
アプフェルシュトゥルーデルは一切れ食べて終わりだ。仕事に戻った。
そして二十時になった。
仕事は頑張って全部終わらせた。松永大佐はお疲れ気味だけど、結構な量を終わらせたらしい。
ちょっと遅くに取った夕食後。
支部長からの質問リストの回答を手に、現在松永大佐と一緒に支部長が待つ執務室へ移動した。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
誤字脱字報告ありがとうございます。
ドイツのお菓子を調べるに当たって、色々と知りました。イタリアのパスタ法に続く、食べ物系の法律の存在を知りました。
バウムクーヘンは日本とドイツでは色々と違い、バウムクーヘンの法律まで存在します。
日本で市販されているバウムクーヘンはカステラみたいにフワッとしています。カットされているものも見ます。
一方、ドイツのバウムクーヘンは硬く、焼き立ての筒状の状態を斜めに切って皿に盛り付けるそうです。しかも、パサついているので乾燥防止でチョココーティングとかもするそうです。しかも、気軽に食べるものでは無く、贈答品や結婚式とかの記念日に食べるので、ドイツでは食べた事の無い人までいると知り吃驚しました。




