ゴタゴタの気配はまだ残る
暫くの間、人気の少ない道を歩き、工藤中将達が仕事をしている部屋に戻った。
四人で入室するなり、佐藤大佐が不在である事に即座に気づいた幾人かから、質問が飛んで来た。それらの質問に松永大佐が答えて行く。佐藤大佐が見回りに行くと言ってここを出てから、それなりに時間が経っている。佐藤大佐がハルマン大佐とマオ少佐に捉まった結果、もう暫く戻って来ない事を知り、幾人かが不満の声を上げた。
松永大佐はその不満の声を無視し、工藤中将に『アメリカ支部とドイツ支部より、何か通達が来ていないか』と質問を投げ掛ける。
「通達? あー、あれか。来てるぞ。メールで貰ったから、転送する」
工藤中将は一瞬だけ『何の事か』と首を傾げるも、手元に来ていたメールの内容を思い出して対応した。何のメールだろうね。
松永大佐はそのまま、あれこれと対応を始めた。仕事を請け負う気配は無い。
やる事の無い自分は邪魔にならないように持って来たバスケットの傍へ移動する。空きテーブルの上に置かれていた三つのバスケットの中身を確認すると、三つ揃って空っぽだった。沢山作ったのに、もう無くなったのか。どれだけ甘味に飢えているんだよ。バスケットの中身を見て呆れていたら、自分と同じように仕事が割り振られていないのか、中佐コンビが自分の許へやって来た。
「星崎。今後の予定は知っているか?」
「? 一条大将が参加した会議以外にも何か予定が存在するのですか?」
井上中佐からの質問に首を傾げる。ドタバタしていたから、出発時間以外覚えていない。
「月面基地の時間で十月二十二日の十二時ぐらいに、激励会を兼ねた立食パーティーが予定されていて、ちょっと豪勢な飯が作戦参加者を対象に振舞われるんだ。あ、立食パーティーの参加は個人の自由だぞ」
意外な予定を知り、『へぇー』と感心の声を漏らし思い出す。月面基地での予定の殆どを、すっかり忘れていた。
激励って、支部長みたいな演説をスピーカーから流すだけじゃなかったのか。何か意外だな。
でも、さっきみたいに疑われるのは嫌だから、参加は止めよう。不参加が良さそうだな。一々疑われたら面倒だし。
「私は不参加にします」
「……さっきみたいに疑われるのは嫌か」
「嫌ですね。松永大佐にも迷惑が掛かりそうですし」
松永大佐に迷惑を掛けたくないと言うよりも、正しくは『被害者を出したくない』と言いたい。面倒事になったら、間違い無く松永大佐にも話が行く。出発前のゴタゴタは少ないに限る。そもそも、ゴタゴタを起こさない事が良いんだけどね。
これ以上のゴタゴタを起こさない為にも、自分は艦内に引き籠っていた方が良いだろう。
幸いにも、幾つかのやる事が在る。それらをやってしまった方が日本支部の為になる。
「井上。料理と一緒に持ち帰れないか相談してみようぜ」
「あー、そういや、酒も出るんだよな。星崎はノンアルコール以外飲めない、いや、飲ませたら不味いもんな」
「お酒が出るんですか?」
食堂で飲酒をしている人間を見た事は無い。他支部と共用するところでの飲酒は禁止されているし、ほろ酔い気分でも、共用区画のところに行くなと言われる。アメリカ支部の女性士官のブラックなんとかも、確かライトが禁酒命令を受けていると言っていた。
「作戦参加者には、一人に一本、小さい酒瓶が出るんだ。大体の奴は立食パーティーで飲むんだけど、中には持ち帰る奴もいる。作戦開始十二時間前までなら、戦艦内でも飲める」
「出て来る酒は、赤ワインとビールなんだが、酒が飲めない人向けのノンアルコールのシャンパンも出て来るんだ」
ノンアルコールのシャンパンって、クリスマスとかに出て来る『シャンメリー(確かこんな名前)』って言う、アルコール度数が一パーセント以下のジュースの事か?
「酒が飲めない人――所謂、下戸の人は少ないから、十年前の時もシャンパンだけ大量に残ったんだよな」
「そうそう。でも、余っても希望者に配るから、廃棄分は出ない。下戸の人に多めに渡すんだ」
「料理の持ち帰り交渉のついでに多めに貰って来るか」
「お、良いな。移動までの時間に飲めば良いし」
廃棄分が出ないように対処されているのかと感心していたら、中佐コンビの間で話が決まっていた。
料理とジュースには興味が有るから良いんだけどね。でも、確認する事が出来た。
「あの、その立食パーティーと言うのは、階級で場所は分かれていないのですか?」
食堂ですら、階級で利用出来るところが分かれている。軍事基地だから仕方が無いとは思うけどね。立食パーティーも、同じように分かれていそうだ。
「階級じゃなくて、支部ごとに分かれている。支部内で作戦参加者を一ヶ所に集めて行うから、星崎も参加しても大丈夫だとは思うんだけどな」
「九月の事を気にして、って訳じゃなさそうだな。まぁ、松永大佐の部下って事だけで、女性から絡まれるだろうな」
先程も、松永大佐の部下だと言う一点だけで色々と疑われ(それだけで真実を言い当てられた)た。否定しなかったので、しつこい追及も受けた。
「松永大佐はモテるからな。たまに会って話をするって事を知られただけで『写真を持っていないか』って、何度も聞かれた」
「俺もその手の事をよく聞かれた。持っていないって言ってもしつこいし、中には『松永大佐の写真を撮って欲しい』って言う奴もいた」
「マジでしつこかった。断っても金を積もうとする奴が多くてな……」
中佐コンビはそこで顔を見合わせて、思い出して辟易したのか、重いため息を吐いた。苦労したのが一発で解る、草臥れた姿だ。反射的に『お疲れ様です』と声を掛けてしまいそうになった。
そこへ、色々と終わったらしい松永大佐がやって来た。松永大佐は腰のベルトに差すように、スタンスティックを持っている。何時になったら手元に戻って来るんだ?
「星崎、そろそろ艦内に戻るぞ」
「分かりました」
「佐々木中佐と井上中佐はどうするんだ? 一条大将が戻って来るのはあと一時間先だ」
「立食パーティーが始まる前に会えれば良いので、一度艦内に戻ります」
「俺も佐々木と同じなので、今は戻ります」
「そうか」
中佐コンビの返答を聞き、松永大佐は短く返した。
バスケットを持って行こうとしたら、ここに置いたままで良いと中佐コンビに言われた。
立食パーティーに参加しない事を表明したからか、『料理をこのバスケットに入れて貰う』と井上中佐が言えば、名案だと松永大佐も頷き『私の分も頼む』と言った。
「松永大佐は立食パーティーに参加しないのですか?」
上の人間なのに参加しなくても良いのかと思い松永大佐に質問をした。勝利祈願の集まりなら、上の人間の参加は『義務』になりそうなんだが。
「面倒だから参加しない。元々私は作戦に参加しない予定だったんだ。参加しなくても問題は無い。仮に参加しても、取り囲まれて食事は取れそうにないしな」
「……取り囲まれるのは決定事項なんですか」
「そうだ。十年前の作戦の時も、ほぼ飲み食い出来なかった」
それは嫌だな。食事会に呼ばれたのに、何も食べられない。何の為に参加したのか、解らなくなる。松永大佐は『誰に取り囲まれるか』明言していないが、げんなりとした表情から察するに、多分、女性だろう。中佐コンビを見た。同性として羨ましがるのかと思えば、松永大佐を見る中佐コンビの眼差しは同情に満ちていた。
同性からも同情されるって、松永大佐の見た目で群がる女がどれだけいるんだ?
「分かりました。あ、配布の酒はどうしますか?」
「参加しないから余りのノンアルコールで良い。酒は参加する奴に回してやれ」
「ノンアルコールですね。どうせ余るから、多めに貰って来ます」
「悪いが頼む」
松永大佐は短く依頼する言葉を告げてから中佐コンビに三つのバスケットを託し、何故か自分の手を引いて部屋から出た。そのままどこかへ移動する。来た時と道が違うから『どこかへ』で合っている。船に戻らないのか質問するも、松永大佐はこちらに振り返らない。
「松永大佐、艦に戻らないのですか?」
「その前に急用が出来た。ドイツ支部から、私に暴言を吐いた際にその場にいた星崎にも直接謝罪がしたいと言う申し出が来た」
「会っても大丈夫なんですか?」
「会うのはドイツ支部の中でも比較的常識的な女性だから問題は無い。それに、話がどうなったか不明だが、ハルマン大佐とマオ少佐も同席する」
先程別れたばかりの人物の名を聞き、首を傾げてから、一人名前が抜けている事に気づいた。
「佐藤大佐はどうしたんですか?」
三人で見回りに向かったのに、何故か佐藤大佐の名前だけが抜けていた。何か起きたのか?
「二人からしつこく絞られただろうな。佐藤大佐が口を割らなかったから、ハルマン大佐とマオ少佐はこちらに同席するんだろう。先程と同じように、事前の打ち合わせ通りにすれば問題は無い」
「分かりましたが、ドイツ支部のどなたと面会するのですか?」
「フィルギニア・クライン少佐だ」
全く知らない人物の名前が出て来た。数秒程度の時間、誰だろうと考えて、ハルマン大佐か佐藤大佐のどちらかが『ドイツ支部のエースパイロットはクライン少佐』的な事を言っていた事を思い出した。
ドイツ支部のエースパイロットは女性だったのか。意外と思ったが、無意識に『エースパイロットは男性』と思っていた事を示す。身近にいる親しいパイロットは全員男性だから、そう思ったのかもしれない。
でも、フィルギニアって……。英語圏だと『乙女』だよね? 乙女な思考の持ち主じゃないよね? 今年で何歳なの?
一気に幾つもの疑問を抱いた。だが、疑問を消化する前に、松永大佐に手を引かれて面会部屋に到着した。




