追及よりも、クッキーの印象が強く残った
お菓子を袋に詰めた三人が休憩室から去った。三人の姿が見えなくなってから、マオ少佐が松永大佐を睨むように見る。
『んで? 本当のところはどうなんだ?』
『こんなところで、正直に言える筈もないでしょう』
『その物言いだと、そうだと言っているようにも取れんぞ』
『正解が知りたいのなら、私と膝を詰めて話し合いますか?』
『止めとくわ』
マオ少佐は笑顔を浮かべた松永大佐を見て、一瞬たりとも悩まずに引いた。何と言うか、二人の付き合いの長さを感じる対応の仕方だ。そのまま二人一緒に飲み物を買いに自販機へ向かった。貸し出したスタンスティックは返って来ず、未だに松永大佐が持っている。戻って来るのは正式に解散になってからかな。
「星崎。菓子は何が残っている?」
「マドレーヌが残っています。食べますか?」
「うむ」
鞄から残っているマドレーヌを一つ取り出して佐藤大佐に渡すと、元の席に戻った。その隙に、残りのお菓子を幾つか紙皿に並べると、中佐コンビが目を丸くした。
「随分と大量に作ったな」
「アイスボックスクッキーは作る過程で生地を冷やすんです。私は切り易くする為に、生地を冷凍しますが。包丁で生地を切って焼くので、手で成形しなくても良いので、割と大量に作れるんです。ソフトクッキーも成形不要なので、予想よりも大量に作れました」
「へぇー、そうなのか」
中佐コンビに解説しながら、作ったは良いが一部の人でなければ食べられないソフトクッキーの存在を思い出した。飯島大佐からの依頼で生地を作り、試し焼き以外の『生地を冷凍した状態』で渡した、微妙に扱いの困るソフトクッキー(厳密にはチョコチャンククッキー)だ。
甘党の自分では、たっぷりと甘いクリームを付けないと食べ難い。原因は練り込んだチョコに在る。
丁度良く、甘いロイヤルミルクティーが手元に在る。今食べよう。そう思いジップロック袋を取り出したら、カップを手に戻って来たハルマン大佐が近づいて来た。
『嬢ちゃん。一枚貰うぜって、そのクッキーは何だ?』
『甘くないクッキーです』
『チョコが入っているのに、甘く無い?』
透明なジップロック袋を掲げて中身を見せた。ジップロック袋には、小さく焼いたチョコのソフトクッキーが六枚入っている。
ハルマン大佐への回答としては、矛盾しているようだが、これで正しい。
何故なら、カカオ九十二パーセントのビターチョコ(そのまま食べる個装タイプのチョコ)を砕いてたっぷりと練り込んでいる一品なのだ。たっぷりと練り込んだ事が原因か、ソフトクッキーが持つ、本来の甘さが完全に打ち消されている。完全に食べる人間を選ぶソフトクッキーだ。
飯島大佐からの依頼内容は『支部長への差し入れとして、ビターチョコの苦味が楽しめて気軽に食べられるもの』だった。安直に、焼く直前だったソフトクッキーにビターチョコ(飯島大佐が買って来た)を練り込み焼いて、味見をしたら、一発でOKを貰った。
「苦みが良い眠気覚ましになる」
飯島大佐の感想はこれだった。なお、作った生地は全て焼かずに、冷凍してから大林少佐に渡した。必要になったら、大林少佐がその都度焼いて支部長に出すそうだ。
良いのかと思ったけど、今更かと思って何も言わなかった。
『はい。ビターチョコを練り込んでいるので甘くないです』
『ビターチョコを使っているのか。何で作ったんだ?』
『飯島大佐からの依頼で作りました』
ハルマン大佐は興味を持ったのか、興味津々と言った顔でソフトクッキーを見た。だが、飯島大佐からの依頼で作った事を教えると、怪訝そうな顔に変わる。
『甘いものを苦手とするイージィマが作って欲しいと言った? サトゥでは無くて?』
ハルマン大佐の口から出た疑問を聞き、佐藤大佐と飯島大佐の好みを知っている程度には、付き合いの長い人物だったと知る。
『はい。飯島大佐からの依頼です。支部長の差し入れ品にするそうです』
『差し入れぐらい自分で購入すりゃ済むだろうに。そっちのクッキーもくれ』
飯島大佐からの依頼の品と教えると、ハルマン大佐の興味をより一層引いてしまったのか、一枚欲しいと要求を受けた。
濃い目のコーヒー並みに苦いクッキーなので、確認を取る。
『ハルマン大佐の予想を上回る苦さですが、大丈夫ですか?』
『嬢ちゃん、イージィマも味見はしたんだろう? アイツの感想は何だったんだ?』
『苦みが良い眠気覚ましになる、でした』
『眠気覚ましになる、か。あのイージィマがそんな感想を口にしたのか。益々気になるな』
飯島大佐の感想を教えると、ハルマン大佐の興味は強くなった。何を言っても引かなそうな空気だ。ここまで言うんだから、もう自己責任で良いかも。ジップロック袋から、苦いソフトクッキーを一枚取り出してハルマン大佐に渡した。五百円玉より少し大きい程度のソフトクッキーなので、一口で食べる事は出来る大きさだ。
ハルマン大佐はソフトクッキーを受け取ると、口に放り込んだ。
直後。ハルマン大佐の背後で幻聴が轟いた。
『おい、何が起きたんだ? 今、ハゲが一瞬、白目を剥いたぞ』
カップ片手に戻って来たマオ少佐の言う通り、ハルマン大佐はソフトクッキーを口に含むなり、一瞬だけ白目を剥いた。だが、ハルマン大佐は口に入れたものを吐き出すような真似はせず、カップの中身を一気に飲み干した。どうやら、胃にソフトクッキーを流し込んだ模様。ハルマン大佐の異様な光景を見て中佐コンビが慄く。
自分は呆れて、ハルマン大佐に口直しのマドレーヌを差し出し、声を掛ける。
『ハルマン大佐。大丈夫ですか?』
『……嬢ちゃん。こいつは人間が食って良いもんじゃないぞ』
復活したハルマン大佐の第一声はこれだった。苦情は飯島大佐に言って欲しいわ。自分は依頼されて作っただけだぞ。
青い顔をしてマドレーヌを食べるハルマン大佐を見て慄いていたマオ少佐だったが、自分と大佐のやり取りを見て原因が『自分が作った何かを食べた事』だと理解したようだ。その証拠に、自分の肩を叩いてから疑問を口にした。
『おい、ハゲに何を食わせたんだ?』
『ソフトクッキーです』
『クッキーだぁ?』
説明が面倒臭くなって来たので、マオ少佐にソフトクッキーが入ったジップロック袋を渡した。自分とマオ少佐のやり取りが行われていた間に、松永大佐が自分の隣の席に座った。そのままマオ少佐を無視して、残っていたアイスボックスクッキーを摘まんでいる。自由だな。
『食べる場合は自己責任でお願いします』
『ハゲもそうだが、その物言いは何なんだ? ……あん? 焦げてねぇ。どうなってんだ?』
マオ少佐は受け取ったジップロック袋のソフトクッキーを目を細めて観察している。
どうやらマオ少佐は、『人間が食べて良いものじゃない=焦げていて食べられない』と、思っていたらしい。ソフトクッキーの見た目は、荒く砕いたチョコを練り込んでいるだけのチョコの塊入りクッキーそのものだ。
一応、自分も味見はした。超苦かった。でも、ソフトクッキーが焦げていないのは確かだ。
マオ少佐は近くのローテーブルに持っていたカップを置き、ジップロック袋を開けて、ソフトクッキーを一枚取り出した。
『見た目は普通のクッキーそのもの。甘い匂いもする。奇妙だな』
マオ少佐は疑り深く、ソフトクッキーの見た目と匂いを確認した。普通に焼く事を前提としたクッキーの生地に『ビターチョコを練り込んだ』だけだからね。
『おい。食べるのなら、ここで吐くなよ』
『どんだけ不味いんだ?』
『味蕾が死ぬ』
『嘘を吐くなって言いてぇが、その顔だと事実っぽいな』
ただのクッキーを前に、強面の男性二人が慄いている。
その光景を見て思う。飯島大佐はどうしてこのクッキーを支部長の差し入れにすると決めたんだろう?
やっぱり、ガーベラ弐式が原因なのか? 事前情報を渡さなかった事を恨んでいるのか?
「星崎。過ぎた事を考えても現実は変わらない。佐久間支部長の場合は、大体が自業自得だ」
「そうですか」
松永大佐に返す言葉が思い付かなかった。
残りのクッキーを食べようと、ハルマン大佐とマオ少佐に背を向け、紙皿に手を伸ばす。佐々木中佐と井上中佐だけでなく、知らない間に移動して来た佐藤大佐の三人でがっついていたので、残りは少ない。
一枚のクッキーを摘まんで口の中に入れた直後、くぐもった悲鳴が聞こえて来た。
『何だコレは!? クッソ苦ぇぞ!』
クッキーを咀嚼しながら思う。苦いのは『カカオ九十二パーセントのビターチョコ』が原因だろうね。
背後に振り返ろうとするも、笑顔を浮かべた松永大佐に肩を掴まれ止められた。
「星崎。無視して良いぞ」
『おいっ、笑顔で何言ってんだ!』
声での判断になるが、日本語が解らないマオ少佐なので、発言内容に矛盾は無い。日本語で自分を止める言葉を言った事ぐらいは、マオ少佐でも想像出来たんだろう。
『食べる場合は自己責任だと、予め言われただろう』
『覚えてはいるが、予想を超える苦さだ、うぇっ』
背後から喉を鳴らして何かを飲む音が聞こえて来た。先程のハルマン大佐と同じく、一気飲みしているんだろう。走る音も響いたから、お代わりを買いに行ったのか。
惨状を無視してカップを傾ける佐藤大佐と震えている中佐コンビに、ソフトクッキーが苦い理由を教えた。すると、三人揃って呆れて『苦くて当然だ』と納得した。
「飯島大佐、支部長に苦情を直接言ったのに、まだ恨んでいたのか」
「ソフトクッキーの生地に練り込んだビターチョコは、飯島大佐が購入したものなので、佐久間支部長を恨んでいる可能性は高いですね」
「あの飯島がチョコを買ったのか」
「恨みが深い」
使用したチョコの出所を教えると、三人は揃って別の方向で慄いた。
飯島大佐が差し入れ品に使うとは言え、購買部でチョコレートを購入している。
シュールを通り越して、何とも言えない。お酒をチョコでコーティングしたような種類なら、まだ似合うんだが。飯島大佐が購入しているシーンで一番似合うのは、酒瓶だな。
他に、飯島大佐が購入しそうな物品を想像していると、頭上から影が差した。誰かと思えば、ジップロック袋を持ったハルマン大佐だった。
『嬢ちゃん。この食えたもんじゃないクッキーはどうするんだ?』
『私が甘いコーヒーに浸してから食べようかと思っていました』
『あっ、その手が、……いや、それで苦みの打ち消しは難しいだろう』
『飯島大佐が購入したチョコを使用しているので、捨てるのは勿体無いです』
『何であいつは、こんなにも苦いチョコを購入したんだか』
ハルマン大佐が呆れている。これは飯島大佐がチョコを購入しない事を知っていそうだな。
ジップロック袋を受け取ろうとしたら、松永大佐に阻まれた。
「浮かれている一条大将と工藤中将に食べさせるから、私が預かる」
「仕事に障りが出そうなんですが……」
「叩き起こすから大丈夫だ」
松永大佐。ニッコリと笑顔を浮かべて、そんな事を言って良いのか? しかも、『叩き起こす』って、失神する事が前提なのか。
慄いていると、購入したお代わりを飲んで口直しをしたマオ少佐が戻って来た。テーブルの紙皿に残っていた最後のクッキーを、佐藤大佐の手を掻い潜り、摘まんで口に放り込んだ。クッキーを口に入れたマオ少佐の顔が、今度は怪訝そうなものに変わる。
『ん? こっちは普通に美味いな。さっきのは大外れだったが』
『さっきのは、特段苦いビターチョコを使用したから苦かったらしい』
『何で、んなもんを作ってんだよ……』
クッキーが苦かった真実をハルマン大佐から知らされて、マオ少佐は呆れて肩を落とした。揃って好奇心から口にしたので、ある意味自業自得とも言える。
「正に、『好奇心は猫を殺す』の言葉の通りだな」
「松永大佐。そんな事を言っても良いのですか?」
「自業自得である点には変わりない。星崎も『苦い』と何度も念を押していたからな」
実際、松永大佐の言う通りだから何とも言えん。
返答に困っていると、徐に松永大佐が立ち上がった。
「そろそろ戻るぞ」
「はい」
何か言おうかと悩んだが、深夜の良い時間なのでそろそろ戻った方が良いのは確かだ。自分も立ち上がり、空になった紙皿を回収してゴミ箱へ捨てた。中佐コンビは手分けしてカップを集めて回収場に戻す。忘れていたけど、リユースカップだから『捨てる』じゃないんだよね。
松永大佐と中佐コンビと一緒に移動しようとした佐藤大佐だったが、何故かハルマン大佐に捉まった。
『サトゥ。一緒に見回りと洒落込もうか』
『ハゲ。俺も混ぜろ』
『……お前ら。俺は何も喋らないからな』
ハルマン大佐とマオ少佐に捕まり、佐藤大佐は肩を落とした。佐藤大佐は両肩を掴まれた状態で、二人に引き摺られて行った。どう見ても見回りに行くような空気では無かった。佐藤大佐が尋問を受けそうな感じだったが、松永大佐から救出に行く気配を感じない。ここで佐藤大佐を見棄てるのか。
松永大佐は三人を見送ってから歩き出した。自分と中佐コンビは慌てて追い掛ける。どうやら、本気で佐藤大佐を見棄てる模様。
「星崎。佐藤大佐に追加で渡す必要性は無い」
「え?」
先頭を歩く松永大佐が、何故かそんな事を言った。自分の思考を先読みしたような事を言われてしまい、間の抜けた声が漏れてしまった。
「何も渡すな。喋った気配が見えたら、即座にこのクッキーを口に押し込んで正直に喋らせる」
「松永大佐。クッキーは拷問道具ではありませんよ」
井上中佐の言葉に、自分は佐々木中佐と一緒に頷いた。
「それは解っている。佐久間支部長が情報の通達を怠ったのがそもそもの発端だが、出来上がったものに罪は無い」
何だろう? 良い事を言っているようで、支部長が悪いと言っているように聞こえた。
松永大佐はそれ以上何も言わず、歩きながら通信機を取り出し何かを確認した。余りのドライっぷりに、中佐コンビと三人で慄いた。




