一人修羅場に取り残されて~佐藤視点~
荷物を担ぎ、全力疾走して逃亡した佐々木と井上を見送った佐藤は、馬鹿な事を言った三人にキレ散らかしている松永を視界に収めた。
本音を言うのならば、佐藤もここから逃げ出したい。
佐藤が逃げ出せなかったのは、隣に立つスベンに腕を掴まれて、説明を要求されたからだ。
『サトゥ。何故あの二人は、あの四人を連れて逃げ出したんだ?』
『松永は部下として来て三ヶ月経過していない奴に対して、顔に出して『キレるな』と支部長から言われている』
『…………そうだったのか』
やや長い沈黙を挟み、スベンは呆れて松永に視線を戻した。
佐藤も、聞かされた当初はスベンのように呆れた。だが、あの頃の松永は再び荒れ始めていた。荒れていた松永の状況を考えると、部下の定着化を考えるのなら支部長の判断は正しい。支部長が原因だけど。
ちなみに荒れていた原因は、繰り返すが支部長に在る。支部長が松永に広報部と日本支部運営資金調達の手伝いをさせたのだ。
お偉いさんが集まるパーティーに『支部長の護衛』と言う名目で連れて行かれた。そのパーティーから帰って来た松永は疲れ切っていた。年頃の女性と婚活中の女性と未亡人などの女性の、『御機嫌取りのダンスの耐久レース』が大変だったとの事だ。断りたくても、支部長より『資金調達の為に、御機嫌取りで必要だからお願い』と言われたらしい。支部長は松永の体力が続く限り対応させた。その結果は二人の『普段の力関係』にハッキリと出ている。
この手伝いが原因で、松永は荒れた。非常に荒れた。困った事に、松永を止めてくれる人物は既に故人となっていた。
支部長が一年以上も松永に手伝わせていたら、どうなっていた事か。
けれど、松永がキレ散らかしているところを、星崎に見せる予定は、今のところ無い。松永との付き合いが、最も長くなる可能性が高い星崎に見せるのは『愚策』と意見が出ているからの判断だ。
決して、松永がキレた際の『抑え』にする為ではない。そんな事をしたら、松永から更なる怒りを買うだけだ。
星崎は見た目の割に肝っ玉なので、キレ散らかしている松永を見せても大丈夫と、佐藤は個人的にそう思っていた。実際に見せてどうなるかだけは分からない。
仮の話、キレ散らかしている松永を見せて、星崎が松永から距離を取るようになったら……その場合の責任は取れないし、取りたくも無い。もしそんな事になったら、いや、これ以上先の事を想像してはいけない。精神衛生的に。
自己完結を終えた佐藤は深く頷いた。隣にいるスベンはそんな佐藤を不審者を見るような目で見る。
そこへ、足音を立てて誰かがやって来た。
『誰だぁっ!! 何時まで、も……』
現れたのは特徴的な髪形を持った、イタリア支部所属の少佐のマオ・リンバオだった。現れたマオは室内を見てギョッとしたが、即座に状況を正しく理解した。その代償として、ギョッとした際に掛けていた小さい丸レンズのサングラスがズレ、口の端で咥えていた煙草代わりの煙管が音を立てて床に落ちた。
そんなマオの声を聞いてかは不明だが、松永は恐怖を誘うようなゆっくりとした動きで動いた。とてもではないが、今の松永の顔は見れない。
佐藤は隣に立つスベンと一緒に、松永から顔を逸らして見ない事にした。
『おや? 誰かと思えば、マオ少佐ではありませんか』
『あ、いや、そ、その、お、おめぇ、何でここにいるの?』
しどろもどろになりながらも、マオが口にしたのは疑問だった。松永を取り巻く『現在の状況』を知らない人間からすると、ある意味当然の疑問だ。
何しろ松永の肩書は『試験運用隊』の隊長だ。用も無く軌道衛星基地から移動して良いような人間では無い。マオはその事を知っているから、『何故ここにいる?』と言ったのだ。
『ここにいる理由はこちらの都合です。それで? まさか、そんな事を言いにわざわざやって来たのですか?』
『ち、ちげぇよ。ここで騒ぎが起きてるって聞いて、様子見で来ただけだ。……んで、何が起きたんだ? そこのハゲと坊主は顔逸らしたままだし』
マオ少佐が言う『ハゲと坊主』とは、スベンと佐藤の事を指す。二人は自らの意思で、禿頭と坊主頭を維持している為、そのように言われても怒りはしない。代わりに『口が悪い』と思うだけだ。
マオは松永からここで起きた事の説明を受けた。そして、マオが松永に対して暴言を吐いた三人を睨んだのか、小さな悲鳴が聞こえた。佐藤は無性に何が起きているのか知りたくなった。
『サトゥ。そろそろ、見ても大丈夫だと思わないか?』
『奇遇だな。俺もそろそろ見たくなって来たところだ』
佐藤はスベンと一緒に逸らしていた顔を正面に向けた。
そこには、青い顔をして床の上で正座をしている三人と、佐藤に背を向けて立つ松永に、離れたところの出入り口に立ったままのマオ(流石にサングラスの位置は直っていた)がおり、その足元には彼の愛用の煙管が落ちたままだった。
状況は好転するどころか、悪化していた。
松永とそれなりに付き合いの長い佐藤でも、ここから状況を好転させる方法は思い付かなかった。無い知恵を絞っても何も思い付かない。
このまま時間が無為に過ぎるのかと佐藤が思った時、電子音が鳴り響いた。立っている四人で音源を捜して顔を見合わせた。数秒経過してから振動音が追加されて、音源は佐藤のポケットだった。驚きの余り、佐藤ですら気づかなかった。
『お前、遂に歳で耳が遠くなったのか?』
『違うわ! この状況で鳴って驚いただけだ!』
佐藤はマオの嫌味に怒鳴り返してから通信に出た。通信の相手は工藤だった。『ドイツ支部とアメリカ支部に苦情を入れた。謝罪は十時間後に共用会議室で、それぞれの支部の支部長が松永に直接言う事になった』と言う報告だった。
この報告を聞いた佐藤は、松永に直接謝罪する二人の支部長に同情した。
政治『屋』が軍人に頭を下げる。しかも、馬鹿のせいで正面から相対したくない人物と会い、他支部からは『躾がなっていない』と嗤われる。苦痛だな。
松永は相手が誰だろうが、言いたい事をはっきりと言う性格だ。謝罪ついでに色々と言われるのは、決定事項だと思って良い。
佐藤は工藤からの報告をその場にいた全員に教えた。
床に正座していた三人は絶望を顔に浮かべた。スベンは三人の様子を見て、『反省していない』と嘆息した。マオは三人を庇う事もせず、『自業自得だ』と突き放し、床に落とした煙管を拾った。マオに拾われた煙管は丁寧にハンカチで拭かれてから、口の端に咥えられた。
そして、松永は何も言わなかった。背後にいる佐藤へ振り返りもしない。ただし、松永の正面にいる三人が震えている。こちらへ振り返った時、星崎に見せられないような顔をしていなければ、佐藤的にそれで良い。
このあと。
松永は馬鹿をやった三人を、支部の区画へ帰れと、休憩所から追い出した。この三人の扱いがどうなるかは知らない。支部長に頭を下げさせなければならない状況にした以上、肩身の狭い日々を送る事になるだろう。
佐藤は松永を連れて、佐々木と井上が逃亡した方向へ向かおうとしたら、スベンとマオもついて来た。松永が『来るな』と拒むも、二人が行くと強硬に言い張った為、騒ぎを起こさない事を条件に連れて行く事になった。
黙々と通路を歩き、前方から何やら盛り上がっている声が聞こえて来た。
到着した休憩所に足を踏み入れると、室内には逃亡した佐々木と井上を含む六人が一つのローテーブルを囲みスツールに座って、飲み食いしながら談笑していた。何とも羨ましい光景だ。
「ここにいたか」
佐藤が声を掛けつつ歩み寄れば、スベンも『何だか盛り上がっているな』と声を上げた。
声を聞き、慌てて腰を浮かせた六人をスベンが制止した。六人が腰を下ろしたところで、佐藤はやや前屈みになっているマオに気づいた。マオの鋭い視線の先にいるのは、スツールに足を揃えてちょこんと座り、鞄を足元に置いた星崎だ。
マオが何かをやらかしても無視すると、嫌な予感がした佐藤は内心で決めた。




