移動の合間のちょっとした出来事
十月二十一日の深夜。いよいよ月面基地に向かう。
艦移動開始と共に、艦内放送で支部長の激励が響く。自分はその放送を松永大佐の部屋で聞いていた。月面基地で会う約束をした二人――ライトとイングラムとの会話で、恐らく聞かれるであろうガーベラに関する情報でどこまで喋って良いのか確認する為だ。
特に、イングラムはガーベラのパイロットとして、日本支部に派遣されるかも知れなかった人物なのだ。絶対、何かしらの質問が来るだろう。
再会するイングラムからの質問を見越して、『ガーベラは作戦に参加するに当たって、搭載装備を見直した結果、専属パイロット以外に乗りこなせなくなった』事実だけは伝えても良い事になった。
この一点だけを確認し合い、自室に戻る。
松永大佐は月面基地で、一条大将と一緒に会議に出席する事が決まり、これから通信室で打ち合わせをするそうだ。ロシア支部から一時移籍する人『達』についての説明も、その会議で行うらしい。
上の人は大変だね。昇進すると、仕事が山のように増えるだけだから本当に嫌だね。昇進する利点は何か? 偉くなると給料が増える以外で、何か有るの? 大体、給料が上がっても軍人じゃね、『そのお金は何時になったら使えるの? 使う場所に行けないんだから、使えないじゃん』って話になる。
それを考えると、昇進しても良い事は無い。良い事は他人を顎で使える事かしら?
他人事のように思いながら、自分は自室に戻るなり、遮音結界を張った。
端末を起動し、時差を考えてティスの方にメールを送る。僅か数分後、通信が来た。
『やぁ、おはよう。クレームの続きかな?』
通信の相手は手櫛で髪を整えているティスだ。時間的に早朝と言う時間帯ではないが、起きて朝食を取っている筈の時間帯だ。けれど、ティスが着ている服はどう見ても寝衣で、髪には寝癖が付いている。寝坊したのか、休みの日だからと少し寝過ごしていたのか。
「それも有るけど、二つ聞いていない事を思い出したの」
『クレーム以外で何を思い出したんだい?』
そこそこ長い髪を手櫛で整え終えたティスが僅かに目を細めた。
「クォーツと一戦交えるでしょう? 勝敗のラインを聞いていないなぁって思い出したの。――撃墜で合ってる?」
『撃墜は駄目。勝敗のラインはクォーツの片腕切り落としかな? 大至急、パイロット本人と話し合って決めるよ』
「片腕って随分と曖昧ね。肘から落とせば良いのか、肩から落とせば良いのかで、損傷具合も大分違うのに」
即答した割に、随分と曖昧な回答がティスから返って来た。
あのクォーツとの戦闘が始まったら、ガーベラが強化されたとは言え『たまたま急所から外れて思い出したら手を止める』ぐらいに『余裕の無い戦闘』になると思う。簡単に言うと、『パイロットの生死は二の次』になる可能性が非常に高い。
もし撃墜してしまったクォーツのパイロットが、ディフェンバキア王国で必要な人間だったらと考えると、撃墜は避けるべきだ。
『満足したら降参のポーズを取らせても良いけど、微妙に戦闘狂の気が出て来てるから厳しいな。腕か足を落とさないと止まらないだろうね』
戦闘狂とは、随分と嫌な単語を聞いた。思わず眉間に皺が寄りそうになった。
『しかし、そんな事を聞いて来るって事は、実行に移すのかい?』
「うん。今日の日付は二十一日。二十六日が作戦実行日になっている」
『へぇ、そうだったのか。……あ、そうそう。さっき撃墜は駄目って言ったよね。あれはオニキスの許へ案内させる仕事も割り振っているんだ』
聞いていないもう片方はこっちだよねと、ティスはにこやかに言った。これは『撃墜だけは何が何でもやるな』って言う念押しだな。首肯してからふと沸いた疑問を口にする。
「その通りだけど、どこに隠しているのよ?」
『加工した小惑星の内部だよ。臨時の前線基地にしている』
「小惑星? 通り過ぎない?」
『移動可能だからそれは無いかな。今から移動させれば、間に合うし』
「通り過ぎるところにいたのか」
『いやぁ、何時始まるか分からなくて、ちょっと地球寄りにしていたんだ』
「戦艦で移動していないの?」
『しているけど、移動しても迷彩が解けないかの試験運用と、移動時間の短縮を兼ねて、移動させていたんだ』
「……ああ、そう」
迷彩が必要なのか気になったけど、ディフェンバキア王国はセタリアの意向で動いていた。何を聞いても『セタリアからの指示』ではぐらかされそうだ。
他に聞く事は無いかと考えていたら、来訪者の存在を伝える電子音が鳴り響いた。誰が来たのか警戒したけど、ドア越しに松永大佐の声が響いたのでドアを開けた。
現れた松永大佐は、ティスが映し出されている空中ディスプレイを見て僅かに目元を痙攣させた。でも、反応を隠すように額に手を当てた。
「星崎。……月面基地で人に会うんだろう? 何時までも起きていないで眠ったらどうだ」
松永大佐の口からため息と一緒に出て来たのはお小言だった。しかし、『早く寝ろ』とは……自分の親でも無いのにどうしてそんな言葉が出て来るんだ?
「確認をしていただけですし、もう終わりましたよ」
でも、怒られるのは嫌なので、『もうすぐ寝るよ』アピールだけをする。信じて貰えるとは思っていないが、『言った・言っていない』では、後々、結構変わる。
自分と松永大佐のやり取りを面白そうに眺めていたティスも肯定したが、奇妙な質問がくっ付いていた。
『確かに、確認は終わったけど、クゥ、その月面基地ってところで男に会うのかな?』
「? 何で分かったの?」
たまに発揮されるティスの勘の良さに驚く。ディフェンバキア王国にいた頃――ルピナス帝国時代かな? サイも似たような事を言う事が何度か在った。――ちょっと人に会って来ると言い残して出掛ける時に浮かべる、貼り付けたような微妙な笑顔のままティスは動きを止めた。
『……その無自覚な能力は転生しても直らないのか』
「星崎。お前は向こうの宇宙にいた頃からそうだったのか」
ティスと松永大佐は揃って微妙に口元を引き攣らせた。自分は訳が分からず、疑問符を浮かべるだけだ。
「え? え?」
「分からないのか。……いや、作戦開始までに三日も時間的な余裕が在る。この際だから、時間ギリギリまで、確りと教えるべきか」
『あはははは。この際だから一度教えて貰った方が良いよ。じっくりとね』
「じっくり? 何について?」
松永大佐とティスを交互に見てから疑問を口にするも、求めた答えは来ない。
『それは教えて貰うまでの『お愉しみ』にすると良いよ』
「ねぇ、ティス。今お楽しみの当て字を別の文字にしていなかった?」
『気のせいだね。それじゃ、お休み』
その言葉を最後に、ティスとの通信は切れた。だが、通信が切れる直前、松永大佐とティスはアイコンタクトを取っていた。
松永大佐、何時の間にアイコンタクトで、ティスと意思疎通が出来るようになったんですか?
「星崎。今日はもう寝ろ」
そう言い残して松永大佐は去った。
「どう言う事?」
松永大佐の姿がドアの向こうに消えてから、自分はポツリと呟き腕を組んだ。
こう言う時の相談役は何人かいた。
『義母上。女性に言う台詞ではありませんが、その朴念仁と言うか、唐変木と言うか、男性関係においてのその辺を直さないと、何時か刺されますよ』
相談役の顔を思い出していたら、諸事情により引き取った義理息子――ユーストマの言葉を思い出した。
未だに考えても意味が解らない。相談役に聞いても教えてくれなかった。
「ん? 今回も、聞いても教えてくれないパターンか?」
その時の相談役(先代皇帝)の何とも言えない微妙な表情を思い出し、『もしかして』の考えに辿り着いた。
「このパターンだと、フラガに聞いても教えてくれそうにないな」
サイの側近の一人で忌憚と忖度の無い意見を述べてくれる、ちょっと困った男のフラガリア――フラガを思い出す。困った一点を除き、非常に頼れる……だけど、どうしてああなってしまったのか。いや、自分が原因なんだけどね。
「う~ん。寝よう」
考えても答えは出ないし、そもそも寝ろと言われている。ここは寝て思考をすっきりとさせた方が良い。
それに、月面基地で会える二人に相談しても良いんだし。
そう結論付けて、もう寝よう。起きる頃には、月面基地に到着するだろうから、起きて待つ必要は無い。
ベッドに潜り込んで眠った。
数時間後。眠っていた間に月面基地に到着した。




