作戦前の大切な交渉~佐久間視点~
時を少し遡る事、十八時半頃。
佐久間は『本来予定されていた来客』がツクヨミに到着と知らせを聞いた。仕事の手を止めて軽く息を吐き、『ついに承諾したのか』と思いながら、湯吞に注がれた冷めた番茶を啜った。
午前中にやって来た二人の副支部長の来訪は予定に無かった。星崎からの報告を受けていた途中だったので、佐久間は焦った。あの時ぎっくり腰になっていなければ、色々とバレていただろう。
まさに『塞翁が馬』と言って良い状況だった。
その後、一条大将の機転で最も渋りそうなヴァンスを味方に引き込めた。ジェフリーのストライクゾーンに星崎が入っていたのは意外だったが、こちらも味方に引き込めた。
面倒臭い二人を味方に引き込めた事にも、星崎が関わっている。星崎はどこまで禍福を齎せば気が済むのか?
「む」
思考が別方向に流れそうな気配を感じ取る。気分転換として佐久間が残った番茶の一気飲みをしていると、来室を告げる電子音が鳴った。
入室した秘書官が案内して来たのは、ロシア支部の制服を着た初老の男性だ。佐久間は立ち上がり、英語で歓迎の言葉を口にした。
『久し振りだ、ゲルト大佐。よく来てくれたな』
『お久し振りですな、サクマ支部長』
メールでのやり取りは続いていたが、佐久間が彼と会うのは実に十年振りだ。
ロシア支部『現』幹部の一人で、現役のパイロットのレオニード・ゲルト大佐。初老の男性に見えるが、今年で五十二歳になっている。少し強面気味の顔立ちと、無造作に撫で付けられた茶色の髪と糸目の三点が原因で警戒されがちだが、本人は非常に物腰柔らかだ。松永大佐に見習って欲しいとか言ってはいけない。
十年前に謎の重傷を負った事で、一時期、幹部の地位から遠ざかった経歴を持つ。十年前の作戦失敗後、ロシア支部再建の為に再び幹部となった人物だ。
佐久間は今月上旬になって、彼が負傷した『本当の経緯』を知った。良心が痛むが、利用しない手は無い。
星崎が月面基地へ向かった日の夜に、佐久間はゲルト大佐にメールでは無く、自筆の手紙を送った。
『十年前に君の同僚が暗殺された真実が知りたいのなら、日本支部に一時移籍しないか』と、大変短い文章だ。
公になっていないが、十年前の作戦決行『半年前』にロシア支部上層部は一度代替わりをしていた。表向きは本国と折り合いが付かなくなった事による『一斉辞任』となっている。
だが、公表された時期は『作戦終了後』だった。作戦に参加していた佐久間が違和感を覚えてロシア支部に探りを入れたら、作戦実行前に一人を除いた全員が死亡していた事が発覚したのだ。
ゲルト大佐はその唯一の生き残りだ。
応接用のソファーに対面で腰掛ける。秘書官が出した紅茶を飲みながら、互いの近況を教え合い、軽く世間話をする。
『ガーベラでしたか? あの深紅の機体が登場してからと言うもの、日本支部は防衛軍どころか政治家からも注目の的ですな。注目どころか嫌われている我が支部からすると、羨ましい限りです』
ゲルト大佐から羨望に満ちた視線を受けて、佐久間は内心で冷や汗を掻いた。
六月十五日以降、公に出来ない事ばかりが連続して発生している。真実を詳細に説明しても『何をどうしたらそうなるんだ?』と、呆れられるしかない残念な裏事情満載なのだ。その殆どに星崎が関わっており、大人の立場が無い事から、真実を明かす事は出来ない。
士気を守る為に、真実を隠している佐久間からすると、素直に喜べなかった。
『それはどうだろうな。パイロットの選出が原因で、内部は揉めて、九月上旬には准将含む七人を軍事裁判送りにする羽目になった』
『七人も? 准将までも軍事裁判に掛けたのですか?』
『ああ。ガーベラのパイロット殺人未遂事件が起きてしまったんだ。被害者が無事だから未遂になっているだけだ』
『殺人未遂!? パイロットは無事なのですか?』
『無事だぞ。心配は不要だな』
佐久間は大仰に頷いた。内心では『証拠となる動画を撮影していたからな』と付け加えていた。
ギョッとしたゲルト大佐を宥めてから、佐久間は本題に入った。
『ゲルト大佐、手紙の返事を聞きたい。心は決まったのかな?』
『……お話は受ける方向で考えていますが、幾つか教えて頂きたい』
『ほう、何が聞きたい?』
ここが引き抜き作戦の最後の山場だと、佐久間は判断した。前のめりにならないように、逆に姿勢を正してから佐久間は静かに問い掛けた。
『次の作戦に、私の参加許可は頂けるだろうか?』
『参加自体は構わないが、搭乗する機体はどうするつもりなのかね? 今からナスタチウムの訓練を行う気か?』
『いいえ。ミドヴェーチに搭乗します。一機だけ使用許可を頂きました』
『良く許可が下りたな。最新機だろう?』
佐久間は素直に感心した。ゲルト大佐が許可を得て来た機体は、ロシア支部が保有する戦闘機の中でも最新機と呼ばれているものだった。
『本国からすると、参加した事実だけは欲しいからと、今回特別に許可を頂きました』
『そうだったのか。それで、他に何が聞きたいんだ?』
『その情報は、本物でしょうか?』
ゲルト大佐の纏う空気が、一瞬で剣吞なものに変わった。歴戦のパイロットだからこそ放てる、殺気に近い雰囲気だ。
十年前。中国支部経由で得た情報を偽物と断じたが故に、上層部を壊滅させられた側からすると、この疑問は当然のものだ。
佐久間は慌てずに、想定していた疑問に用意していた言葉を口にした。
『こちらが入手した情報は、複数ヶ所が互いに精査してから来たものだと聞いている。本物と判断して良いだろう』
『左様でしたか。疑ってしまい、申し訳ありません』
ゲルト大佐は軽く目を瞠り、わざわざ立ち上がってから、謝罪の言葉を口にして頭を下げた。十年経っても変わらない、誠実さが見える行動だ。
『座ってくれ。ゲルト大佐の疑問は当然のものだ。支部で裏取りが出来ない情報を怪しむのは当然の事だ。私は情報を齎してくれた人物と、直接会話をする事が出来たから、真実だと認識している』
『直接会話をしたのですか?』
佐久間は驚くゲルト大佐を座らせてから、佐久間は星崎経由で知り得た情報を彼に教えた。
十年前、ロシア支部の上層部が一度代替わりした。その真実は、暗殺が実行されたからだった。ただの暗殺ならば、表向きの理由が原因と思われる。実際に、日本支部でも本国と折り合いが付かない事が原因で、上層部の身内が何人も暗殺された。
だが、ロシア支部は違う。
情報を齎した側が『要求を通す』、ただそれだけの為に行ったのだ。暗殺されたのはロシア支部の上層部の人間だけではなく、本国の要人が何人も狙われた。狙われて生き残ったのは、目の前にいるゲルト大佐のみだ。この暗殺が原因で、ロシア支部と本国はガタガタになった。
佐久間的には、公にしなかった理由を問いたかった。公にすれば、十年前の大敗の影響を少しは減らせたかもしれないと思うと、何故と悔やんでしまう。
真実を知ったゲルト大佐は驚愕で顔を強張らせて、拳を強く握った。
恐ろしく身勝手な理由で同僚を殺害されただけでなく、防衛軍と本国にまで多大な被害が齎されたのだ。その怒りは推し量れない。
唯一の救いは、実行した国が解体処分を受けている事だろう。所属していた人間がどうなったかは知らないが、星崎に聞けば何か判るかもしれない。
『何と言う事だ。そんな理由で、我が祖国と支部は、滅茶苦茶にされたと言うのですかっ』
ゲルト大佐の声が怒りで震えている。二十年以上にも及ぶ付き合いで理解していたが、ゲルト大佐の愛国心は強い。強いが故に、怒りを抑え切れないのだろう。彼の愛国心を利用する形になるが、佐久間は良心を無視して言葉を重ねる。
『心中察する。ゲルト大佐、実行した組織は解体されているが、共犯者は残っている。一矢報いたいと思わないか?』
『可能ならば、是非ともしたい。ですが、どのようにして一矢報いろと言うのですか?』
ゲルト大佐の食い付き具合を確認してから、佐久間はロシア支部で『他にも参加したいものはいなかったか』と尋ねる。
『沢山おりますぞ。ここに来る前に、作戦に参加したいと愚痴を零していたものが何人もおりました』
『人手は居て困らない。どうせなら、一時移籍の形で可能な限り引き抜きたい。何しろ、今回参加する支部は、日本、アメリカ、イギリスの三つと志願者になっている』
『作戦に参加する戦力が、当初の半分以下にまで減ったのですか!?』
目下最大の悩みを佐久間が明かすと、ゲルト大佐は驚愕した。
……その驚きようは理解出来る。だって会議で明らかにしたら、紛糾したんだもん。
ゲルト大佐の驚きっぷりに佐久間は内心で理解を示し、首肯した。
『そうだ。イギリス以外の、ヨーロッパ方面の支部が参加を取り止めた結果だ。だが、志願者からの署名が集まった事で、志願者から成る混成部隊になった』
『勝算はっ、どうやって作戦を成功させるつもりなのですか?』
『困った事に、どうにかなりそうなんだ』
『……それは、どう言う意味ですか?』
ゲルト大佐が目を眇めた。彼からの信頼を損ねる行動は出来ない。佐久間は素直に言いたい事を言った。
『私の正直な気持ちを言おう。今月七日から日本支部の状況が変わった。その最初の変化が情報だ。我々が知りたかった、全ての情報が一気に齎されてしまい、未だにこちらでも情報の整理が追い付いていない。それでも、得た情報の中で、特定の個人にのみ教えても問題無さそうな事の取捨選択だけは、終わらせた』
佐久間はそこで言葉を一度切り正面に座るゲルト大佐を見つめた。
ゲルト大佐は目を眇めたまま何も言わずに、数秒間、瞑目してから目を開いた。何か思う事が有ろうが話を聞く気でいるようだ。
佐久間は星崎が翻訳した手紙を一通り読み終えた。だが、予想以上に情報量が多く、意味の解らない部分が多いのもまた事実だ。情報の整理が終わっていないと言うよりも、佐久間が情報を完全に理解していないと、言うのが正しい。
情報を『理解する』と、情報を『整理する』では、受け取る人によって意味合いが変わる。だが佐久間は、現時点で詳細を教える必要は無いと判断している。
『ロシア支部からすると、苦い記憶が有るから反対するのは目に見えている。悪いが、今の時点では、詳細を語る事は出来ない』
『それはっ、どこかと密約を交わしたのですか!?』
ロシア支部が反対するの文言だけで、ゲルト大佐は驚愕を表しにしつつも、日本支部で何が起きたのかを正確に把握した。
『交わしたには交わした。向こうの代表と直接話して思った事は、『表立って動けないから日本支部を利用したい』の、これだけだったな。どの道、次の作戦を成功させなければ、正式なものにもならないがね』
『正式なものでは無い?』
『そうだ。我々は試されている。その試金石が次の作戦だ』
ゲルト大佐が訝しげに口にした部分を佐久間は首肯した。
『密約を正式なものにするに足るか、接触して来たところでも意見が分かれているのですか?』
『そこまでは分からない。純粋に手を貸しても問題無いか見る気なのか、あるいは、戦力が揃っているのかを見るつもりなのかもしれない。分からない事は多いが、作戦の途中で戦力差が、どうにかなる可能性が見えたのは確かだ』
ゲルト大佐の疑問に『不明』と回答し、佐久間は別の可能性を口にする。正直に言うと、佐久間でも分からない。星崎だったら判るかもしれないが。
『……我々ロシア支部が接触したところとは、随分と違うのですね』
やや長めの沈黙を挟み、ゲルト大佐はそう呟いた。言葉を聞くだけだと、感心しているとも取れる。けれど、ゲルト大佐は顎に手を添えて考え込んでいる。感心していると言うよりも、相手の真意を図りかねているようだった。
ゲルト大佐の言葉を受けて佐久間は思った。『上から下まで、大分違うだろうね』と。星崎がポロっと零した言葉から想像するしかないが、佐久間が思っている以上の、伏魔殿を越えた『魔境』である事は間違いないだろう。
十年間、頑張って日本支部の再建に奔走したのに、まさかの『三・一点』の評価を受けた。五段階評価か、十段階評価かは星崎に聞かねば分からない。だが、五段階評価での評価だとすると、日本支部には『五十点程度の評価しか出来ない』と思われているも同然なのだ。
十年間の評価がまさかの『五十点』だった。佐久間のプライドは決して高い訳では無いが、心にひびが入るぐらいに傷付いた。ただし、本国に対しては『点を付ける価値も無い』と明言していた。この事から考えると、星崎が所属しているとか、そう言った事とは関係無く、『忖度の無い評価』なのだろう。星崎曰く、合格点だけは貰えたみたいだから、現時点ではこれで良しとするしかない。
『相手の意図をここで考えても分からん。ゲルト大佐。そろそろ答えを聞かせてくれないか?』
『一時移籍の話は受けさせて頂きます。ここまで教えて頂いたのです。情報に見合った働きをしましょう』
ゲルト大佐は立ち上がって敬礼をした。佐久間も立ち上がり、交渉成立として、固い握手を交わした。
続いて今決めるべき事は、ロシア支部で作戦に参加したそうな面々を、『どうやって一時的に引き抜く』か、それだけだ。具体的に言うと上層部の説得だ。
腰を下ろそうとしたところで、来室を知らせる電子音が鳴り響いた。誰が来たのかと、佐久間が考えるよりも先にドアが開いた。現れたのは、見える範囲だが飯島大佐と松永大佐だった。顔触れを考えると、星崎も居そうだ。
「な、何で、ロシア支部の……」
やって来た飯島大佐は、室内にいるゲルト大佐を見てギョッとしている。松永大佐は『何をやらかしたんだ?』と言わんばかりに表情を険しくした。そして、飯島大佐の言葉を聞き、飯島大佐の後ろにいた星崎がひょこっと顔を覗かせて驚く。
やはりいたのかと思いつつ、佐久間はこの状況をどうするか考える。素直に説明すれば良いだけだが、床に正座して聞く松永大佐のお説教が怖い。
背中に冷や汗を掻きながら、佐久間はどうすればこの状況を乗り越えられるのか必死に考えた。




