人生計画が狂った日
人型ロボットのパイロットになる。
メカ好きかメカオタクならば、一度は夢に見るだろう。
人型ロボットのパイロットになり、戦果を挙げてエースパイロットになる。夢に見たものならば垂涎ものの状況だろう。
でもね。それは時と状況で羨望か憐憫に分かれると思う。
具体例を挙げるならば、漫画やアニメなどの作品でたまに『誕生した時点で、パイロット以外の人生が許されない、人工的に生み出された子供の中の一人が主人公』ってものがあるじゃない。あんな感じ。
何が言いたいのかと言うと『戦う為に産まれた存在』って状況だ。
この状況に当てはまったら、正直どう思う? 喜ぶ? 悲観する?
前世の記憶とかが有って、メカ好きだったら喜ぶかもしれないね。
でもね。ロボットの操縦は実際にやって見ると、想像以上に難しいんだよ。
菊理?
自分がこの例えの状況に当てはまった人生は……在るか無いかで言えば、確かに在った。
まぁ、過去のファンタジーな世界でもたまに『戦う為に産ませた』と、真顔で大人に言われた経験も在ってか、余り動揺はしなかった。自分は記憶を持っていた状態で知ったので喜べなかった。
その時は悲観して、諦めた。本当に、超大変だった。結構な回数死に掛けたし。
それを思い出し、一度冷静に考えて、現役引退するまで生き延びようと目標を立て、手を抜きつつ人並みの努力したりの人生を送る事にした。こういう世界では雲隠れが難しいから、怪しまれずにいるのがベストなのよ。
何せ、今回の転生先は魔法の無い世界――それも、遠未来の地球(西暦三千百年半ばぐらい)の日本だったから、魔法なんて使えない。オカルトは科学の前に敗れた世界で、占いが『お遊び』扱いされ、宗教に至っては殆ど意味を失くしていた状態だった。
そんな状態の世界で『魔法が使えまーす』とか言って披露したら、大騒動だし、引退後の生活も監視を受けかねない。
だから、隠しての生活を送った。でも使わないとヤバい状況が非常に多かった。周囲にはバレないように『常人よりも勘が良い、身体能力が高い』程度になるように調整して使った。使っても結構ギリギリだったけど。
何せ、引退が目標なのだ。その途中で自分の不死性を試すような行動は取れないし、取りたくもない。
何故こうなると嘆きながら、引退を目指してモブキャラに埋もれての人生を送ろうと頑張った。……うん、本当に頑張ったよ。
運が無いと言うか、訓練学校で組まされた五人チームは全員年上。仲は険悪で、仲間意識は無く、協調性もチームワークも皆無で、大して能力がある訳でも無いのにエリート意識だけは無駄に強くて、本当に駄目な先輩の典型例だった。演習の度にチーム最年少の自分が全員のフォローに回り、フォローを受けると切れ散らかすわ、フォローしないと『何でフォローしないんだ』と逆上するわで、一人延々と貧乏くじを引き続けた。指導役の教官にチームメンバーの変更を何度も願い出たけど却下される始末。更にどう言う訳か、落ち零れチーム扱いを受けるから離脱したかったな。とほほ。
余談になるが、過去の世界でロボットの操縦経験は確かに在る。けれど、どちらかと言えばフォローを受ける側だった。周りは十五歳以上年上の大人、それもベテラン揃いだった。今思うに、表向きは『民間人の保護』って形だったけどよく受け入れてくれたなぁ。結構アレな状況だったって言うのも有ったんだけど。
頭痛薬と胃薬が手放せない状況が二年程続いたある日。中等部の三年生(訓練学校は中高一貫だった)に進級し、二ヶ月半ぐらいが経った頃。
演習の一環で戦艦に乗った。演習先は宇宙です。宇宙ゴミ塗れな環境、所謂『デブリベルト』での操縦訓練です。操縦するのは人型ロボットになります。
そして、仮想敵は『太陽系外から来た宇宙人が駆る人型ロボット』です。
話は逸れるが、大分今更だけどここで敵について語ろう。
百年ぐらい前、正確には西暦三千年に到達し、更に四十年ぐらい過ぎた頃に、前触れなくやって来た謎の軍勢。情報は殆ど公表されておらず、公式ではUnknown Army(略してUA)と呼称されている。
仮想敵が人型ロボットなのは向こうの都合だろうから良い。
でも、どうして地球側の国連防衛軍も人型ロボットを使うんだよ! そこは人工知能搭載の無人機で良いじゃないか! 何で有人機なんだよ! ガンダムシリーズの宇宙世紀と同じようにミノ何とか粒子でもばら撒かれているんか!? レーダー死んでんの!?
心の叫びには確りとした回答が待っていた。
最初期の対応として無人機が投入されたが、全て乗っ取られるか破壊されたそうです。乗っ取りを防ぐ為に有人機に変更されました。
無情な回答に、オカルトを潰す程度に科学が進歩したんじゃないんかいと、関西弁風に心の中で突っ込んでしまった。
その進歩した科学技術は別のところで発揮されていた。
問.どうして向こうに合わせて人型ロボットを使用しているのですか?
回.飛行戦闘機系では一機も撃墜出来なかった上に、相手の戦闘に全く対応出来なかった。人型ロボットの方が戦闘のバリエーション豊かで対応可と言う事で採用。
問.人型ロボットの方が操縦難しくない?
回.操縦難易度を下げる為に、パイロットの脳波を利用した補助システムを創りました。これに併せて、パイロットも強化します。
問.パイロットの強化とは? 具体的に何を強化したのか?
回.遺伝子操作による身体強化。肉体強度を始めとした様々な能力を向上させました。これらを『デザインパイロット計画(略してDP計画)』と今後呼称します。
問.既に在籍しているパイロットの遺伝子操作ですか?
回.いいえ。そちらも行いますが、有志による遺伝子や精子と卵子の提供者の子供を人工的に生み出し、受精卵の時点で遺伝子操作します。
問.人道や倫理はどうなっているの?
回.現在地球の危機と言う緊急事態なので無視です。国連非公式会議で決まりました。
問題しかねぇ。人権団体は何やってんだよ!? 叩いて金が得られないところは叩かないってか!?
頭を抱えたのはそう昔の事ではない。
ん? 何かのアニメ作品の世界じゃないかって?
確かにうろ覚えだがとあるロボットアニメと世界観が似ているなぁと思い、もしかしてその作品の世界か? とか考えたけど。
現実は違った。
うろ覚えな知識と照らし合わせたが、火星に移民は出ていないし、そもそもテラフォーミングすら出来ていない。
敵との戦闘が既に百年以上も続いた結果、月に軍事基地は有るけど、月面に民間人用の居住空間すら造れていない。
よって違うと判断した。
それに、公表された本来の計画通りなら、月面への移住、火星のテラフォーミングと移住、木星と木星衛星群からの資源回収計画初動、の三項目が完了している。
千年も経過していれば、月面移住と火星のテラフォーミングの二項目は完了しているんじゃないと思った方。
地球の寒冷化に伴う異常気象に、食糧資源争奪戦や経済冷戦、止めに局地的な戦争が群発し、完全に収まったのが今から二百五十年前の事。
やっと色々と終ったかと思えば、今度は宇宙の彼方から未知の敵がやって来た。
泣きっ面に蜂と言えば良いのか、一難去ってまた一難と言うべきか。敵の敵は味方かもしれない。
混乱が残る地球側は、共通の敵を前に一致団結した。それでも、利権がどうのとかで犬も食べない争いは無くならない。
更には、自分のようにパイロットとしての生を受けたもの達を『戦闘奴隷』や、『生体兵器』だの、『亜人』などと罵る不良軍人も出て来る始末。
百年近くが経過しても状況は良くならず、自分達『第五世代』まで生み出されている程に追い詰められているのに、よくもまあ、罵れるものだ。実際に言っても、厳重注意と謹慎程度の処罰しか受けないのが原因かもしれないが。
愚痴が混じって来たので話を戻そう。
この時の演習も、何時も通りにフォローに忙しく動き回った。途中成績は赤点以下。もう何もかも投げ出したい。
戦闘空域から数十キロ離れた場所での船外活動中、その応援要請はやって来た。
後方での支援活動と言う、安全地帯での活動だったから教官も要請を受けたんだろうね。演習は中断となり、急遽、現場に向かう事に。
訓練機に念の為の実戦装備を所持させての支援活動は、最初こそ安全でした。ええ、暇なぐらいに安全でしたとも。
支援活動の内容は、後方に下がった戦艦の補修作業の警備だった。ここまで敵が来るのかってぐらいに後ろと言うか、最後尾にいた。
自分以外のメンバーは『何でこんな担当なんだ』と延々と愚痴を零していた。教官から『煩い、黙れ』と一喝される程に。
愚痴りたい気持ちは分かる。何しろ、三十分近い時間警戒しても何も起きないのだ。暇で退屈だが、こう言う時は何も起きないのが良い。何か起きろとフラグは立てるもんじゃない。
補修作業を終えた戦艦を送り出した直後、極太の閃光が背後から駆けて来た。閃光は送り出したばかりの戦艦の背後、エンジン部分に着弾し、爆発。連鎖発生した爆発で、目の前で戦艦が一つ爆散し、宇宙の藻屑と化した。
背後から攻撃がやって来ると言う、想像の埒外な出来事に全員が声も無く唖然茫然としていると、警報が鳴り、教官から敵襲を知らされた。
機体を操作して閃光がやって来た方向を見ると、数キロ先に敵兵団の姿が在った。数は約五十機。
――挟み撃ちにする作戦だったのか?
頭の冷静な部分がそう判断する。その思考でパニックを起こす事も無く冷静になれたのは僥倖だった。
通信で教官に指示を仰ぎながら、装備を再確認。実弾銃と予備マガジンに、実剣タイプのロングソードとダガーが二本ずつ。両肩と両脚部にミサイルポッド。
戦艦が回頭しながら弾幕を張り、友軍機が敵兵団に向かって行く。しかし、友軍機が次々に閃光に包まれて爆散して行く。友軍機が目にも明らかに減って行くのに、敵兵は余り減っていない。
機体性能に差が有ると授業で聞いていたが、ここまで酷いものなのか。
戦力の数は地球側の方が圧倒的に多いと言われているが、機体性能の差が、その数の差を完全に覆している。
回収した敵機を解析し、量産機に日々改良が施され、常に新しい兵器が開発されている。にも拘らず、この状況。
過去の人生で実際の戦場に立った経験は有るし、有利な状況も不利な状況も経験した。だからこそ、理解してしまう。
これ負け戦じゃね、と。
防衛側は不利と誰かが言っていたが、正にその通りだと思う。技術的な面でも負けているのならば尚更。
どれ程不利でも、戦う以外の選択肢が与えられていない自分達は当然のように出撃が命じられた。
突然の事態にまごついているチームメンバーを放置して、自分は機体を操作した。
ここで何としても生き残らないと、引退後の生活が消える。
撤退戦になろうが、どうなろうが、ともかく生き残ろう。それだけを考えた。
訓練通りに機体を動かした。実戦で痛感するが、機体性能の差が冗談抜きで酷い。
滅多に使わないスキル魔法『先見』――少量の魔力消費で一秒から数秒先の仮定確定事項を見る――をガンガン使い、魔法で知覚も強化して攻撃と回避を繰り返す。その合間にメンバーのフォローもする。銃の命中率は低く、直接切り捨てた方が早かったので両手に実剣装備に切り替えて接近戦を繰り返す。
何機撃破したかなんて数える余裕もない。攻撃回避にフォローを、気が遠くなるような時間、繰り返し、遂に敵兵団がいなくなった。味方もだいぶ減ったけど、チームメンバーは全員無事だった。
生き残れたと、喜べたのは束の間。
追加で一機現れたのだ。しかも、今までに撃破した量産タイプとは明らかに見た目が違う。色も黒じゃなくて銀色だし。
両手にロングソードに似た実剣を持ち、左腕の肘には小型の円形の盾を装備。
古代の剣士を連想させるスタイルだ。
この銀色の機体は単機で突撃した来た訳だが、異様に強かった。スピードも機動性も先程までの量産機とは比べ物にならない。指揮官機だろうか。
気づいた友軍機が攻撃するも、銃弾は剣で弾かれ、ミサイル類は剣で斬り飛ばされて、あっさりと距離を詰められて、真っ二つ。
先の悪夢再来としか言いようがない。
チームメンバー達は完全に怖気づいていた。弾幕を張るように銃を乱射し、パニックを起こしながらも斬り掛かるが、これまたあっさりと弾き飛ばされていた。
救助を兼ねて戦闘に割って入り――マジで後悔した。
この銀色、実際に戦って見ると滅茶苦茶強かった。何と言えば良いのか。ボールで白い悪魔と言われたガンダムに挑んでいる気分(?)と言えば解るか?
機体性能の差で負けている以上、常に数手先と数秒先を視続けて攻撃と回避を行う、綱渡りのような操作を強いられた。先輩からこっそり教えて貰った方法でリミッター解除しても追い付けないってどうなってんの?
銃とミサイルは目眩ましに使用し、空きのマガジンや残骸となった友軍機や敵機を、投げ付け蹴り飛ばして無理矢理死角を作り、剣を交えた。
それでも、埋まらないものは埋まらない。
危険予知で数十回以上も己の死を見た。知覚を強化し、数手先と数秒先を視続けた結果、脳に過負荷を掛け続け、熱で何度も意識が飛び掛けた。
最もヤバかったのは、敵機の剣が二回もコックピットを掠めた事か。
最初の横薙ぎを回避する為に、片手操作による自動操縦で機体を後ろに数メートル下がらせ、同時進行でシートベルトを外して足元の狭い隙間に体を捻じ込んだ。あと一瞬遅かったら、シートの上部と一緒に体が真っ二つにされていた。そして、ビームサーベルじゃなくて助かった。間違い無く、機体が爆発を起こしていたし、ビームの熱で死んだだろう。思いたくは無いが、小柄で本当に助かった。
僅かな時間を休息として利用し、自身に治癒魔法を掛けて色々と回復させる事も忘れずに行い、剣が通り過ぎたあとにシートに座り直した。シートベルトは一部がシートと共に引き千切れていたので外して捨てて、腰回りだけ装着。パイロットスーツを着ているから、酸素の心配は不要。小型の酸素ボンベは二十四時間使用可能なもので良かった。
モニターは死んだが、操縦桿は無事だった。
そんな事を確認している間に、敵機は動かない事に疑問を持ったのか。それとも、ただの死亡確認か。
左の剣を右腰に接続し、こちらのコックピットのカバー兼シールドに当たる部分と出入り口の隔壁を手で引き剥がし始めた。慌ててヘルメットのサンバイザーを下した直後、敵機と視線がバッチリ合った。そんな気がした。
まさか生きているとは思わなかったのだろう。
驚きか動揺か。敵機の動きが停止した瞬間に機体を操作し、剣を持っていた右腕を斬り落とした。
人型だから関節の可動範囲も、脆さも同じだった。人間の右肘の関節を斬るように右の剣を突き立てて切り離した。予想外だったのは、この攻撃で最後の武器である剣の片方が折れてしまった事か。
敵機の反応も中々で、即座に腰の剣を抜いた。左の剣で防いだが、耐久限界を迎えていたのか、左手と一緒に砕かれてしまった。これでは盾以外に使えん。
武器は無い。反射的に斬り離した敵機の腕を掴んで追撃を防いだ。
そこからは、コックピットに横薙ぎを受けるまでの戦いの繰り返しだ。違いはモニターが死んだので視認による操縦である事か。途中、縦の斬撃がコックピットを掠めた。露天コックピットをリアルに体験中なので肝を冷やした。
戦いはどれ程続いたのか。
何度目か分からない鍔迫り合いに負けて吹き飛ばされた。吹き飛ばされた反動を利用し、仕切り直しに間合いを大きく取った直後、色違いを先頭に白い敵の量産機十数体が割って入って来た。
続いて通信機から、背後より援護が来た知らせが流れる。
通信経由で銀色は量産機よりも強い事を知らせようと、通信機を操作する為に手を伸ばした瞬間。
銀色の前に移動した白い敵機の一機が、銀色の手で縦に真っ二つにされた。
仲間割れが発生したのかと訝しむが、銀色を中心に撤退を始めた。もしかして、一騎打ちの邪魔をされてキレたのか?
思うところは色々と在るが、撤退してくれるのならありがたい。黙って見送った。通信機から敵兵団の撤退の知らせが入る。
……やっと戦闘が終了したのか。
気が抜けたところで、最後の危機がやって来た。
機体の燃料切れ。締まらないなぁと思ったが、戦闘途中でよく燃料が切れなかったものだ。リミッターを解除して滅茶苦茶な操縦していたのに。
通信で、燃料切れによる自力移動が不可能運んで下さいと、友軍機に頼んだ。それが最後の電力だったのか。友軍機からの応答の声が聞こえるよりも前に、通信機の電源も落ちた。生き残ったと言うのに締まらない。思わず『締まらねぇ』とため息を零してしまった。
体に加速の慣性が掛かる。運搬が始まったか。
運ばれながら先の戦闘を回想する。実に酷い戦闘だった。
生身での戦闘経験はそれなりに有ると自負しているが、計器とボタンの多いロボットを操縦して行う戦闘経験ははっきり言って少ない。ゴーレムの遠隔操作と比べる事が烏滸がましい程に、ロボットの操縦は難しい。電話帳並の厚みを誇る操縦マニュアルと教本を読破し、内容のほぼ九割以上を覚えなければならない。更に操縦感覚も覚えないと操縦は難しい。
ぶっちゃけると、ボタンと計器が多過ぎる。操縦感覚は――比べちゃいけないんだろうし当然だが、マニュアル運転の自動車よりも難しい。
だからこそ、脳波による操縦補助システムなんてものが開発されたんだろう。恩恵が感じられないので、どこまで役に立っているかは不明だ。
ガコンと、一際大きく揺れた。サンバイザーを上げて確認すると、ぼんやりとしていた内に着艦したようだ。機体がレールで格納庫に運ばれる。その途中でチームメンバーの訓練機が見えた。先に帰艦していたのか。格納庫の定位置で機体が固定されると、整備兵達がやって来た。
シートベルトを外してコックピットの外に出る。整備兵達に『荒く操縦したんで念入りにお願いします』とだけ言って、格納庫から去った。
更衣室に続く通路に出ると、体に重力が掛かった。思わず体がふら付いてしまい、壁に手を着いて倒れ込む事だけは防ぐ。
船内の特定箇所以外では重力制御器により、地球と変わらない重力が体に掛かる。これにより地球と同じ重力環境が再現され、筋肉量維持の為の筋トレ類をしなくても済んでいる。何時間も筋トレするのは流石に嫌だ。
けれども、こうして歩いて移動しなくてはならないのは、宇宙にいるのに無重力体験が出来ないので風情が無い。訓練で来ているから感じる暇も無いんだけど。
壁に手を着いて歩くが、完全に気が抜けた影響か、数歩進んだところで床に座り込んでしまった。ヘルメットのバイザーを上げると二十度に保たれている艦内温度が涼しく感じられた。
先の戦闘で脳を酷使した影響による発熱だな。制服に着替える前に医務室で解熱剤を貰った方が良いな。
そう判断して立ち上がるが、足がガクガクと震える。思っていた以上に重症だな。
壁に手を着きながら、ふらふらと歩を進めて何とか医務室に辿り着く。ドアを開けると男性軍医を驚かせてしまったが、症状を話して解熱剤を所望するとすぐに用意してくれた。
しかし。
解熱剤を受け取ろうとした瞬間、体が限界を迎えていたのか、そこで意識が途切れた。
※※※※※※
目の前で訓練生の体が前触れなく傾いだ。軍医の男性は慌てて駆け寄り、訓練生の体が床に叩き付けられる前に受け止めた。
訓練生のヘルメットを外し、赤い顔の額に触れると異様に熱い。取り合えず空きのベッドに運んで寝かせ、女性スタッフにパイロットスーツを脱がすように指示を飛ばし、彼女の教官に倒れたと連絡を入れる。
十数分後。スーツを脱がせ終わり、検温と解熱剤の投薬までが完了した頃に、連絡を受けた男性教官は大急ぎでやって来た。走って来たのか、肩で息をしている。
「ほ、星崎の、容体は?」
「解熱剤を投薬したので、少し経てば落ち着きますよ」
「そう、ですか」
明らかにほっとした顔で男性教官は胸を撫で下ろした。息を整えてから、星崎と呼ばれた訓練生が眠っているベッドに近づく。
顔は高熱により、赤みが差している。額には汗が滲み、苦しそうに息をしている。
「自力でここまでやって来たのか」
「ええ。ヘルメットを被ったままで来たので、少々驚きました」
医務室にやって来た状態を告げると、男性教官は口に元に手を当てて何かを考え始めた。
「……月面基地に着くまで、可能な範囲で良いので、彼女の精密検査を行って貰えますか?」
「精密検査? ただの高熱じゃないのかい?」
思わず軍医がそう尋ねると、数十分前まで行われていた訓練生の戦闘の話を聞かされて、納得した。
「事情は解った。そう言う事なら、精密検査を行おう」
「お願いします」
その言葉を残して、男性教官は医務室から去った。
残された軍医はスタッフに指示を飛ばして、精密検査の準備を始めた。
数時間後。彼らを乗せた戦艦は月面基地に着艦した。
実戦に参加した四人の訓練生は軌道衛星基地に向かう星間運航船に乗り換えた。四人が所属しているチーム専属の教官である男性も引率として共にいる。
四人が属するチームは、本来ならば五名が所属している。にも拘らず、一人足りなかった。ここにいない一名は先の戦闘で極度の疲労から昏睡状態に陥った為、月面基地の医務室に運ばれた。移動中に目を覚ますかと思われたが、一向に目を覚ます気配が無い。
チーム最年少でどんな時でもマイペースな一名がいないだけで、四人の顔は暗かった。誰が見ても『落ち込んでいる』と判断しそうな顔をしている。
引率の教官は無言のまま。彼自身、どんな言葉を掛けるべきか判らない……からではない。何を言っても、現時点で効果が見込めないのが分かっているからの判断だ。一刻も早くこの四人を軌道衛星基地に連れて行き、検査を受けさせる事が最優先事項であり、それが彼の仕事だ。
なお、ここにいない一名は『極度の疲労が原因の高熱で寝込んでいるだけでどこにも異常は無い』と軍医から診断されているので心配はしていない。彼自身、現代医療の世話になった身だ。進歩した現代医療がどんなものかは身をもって体験しているので、信頼もしている。
移動しながら今後の予定を立てていると、あっと言う間に軌道衛星基地に到着した。到着したここは『日本支部』と呼ばれている。軌道衛星基地は他にも複数存在し各国が保有・共有している。日本のように保有している国は少ないが。
教官は無言の四人に一声掛けてから船を降り、検査と称して医務室に向かう。
検査が有ると聞き、四人は不思議そうな顔をしたが、『訓練生の身で実戦に出た場合は検査を受ける事になっている』と言えば納得した。真実は検査と言う名のメンタルケアだ。
四人を検査員の振りをした精神科医に託す。彼の仕事はここまでとなり、教え子の四人と会う事は、もう無い。
精神科医に軽く頭を下げてから、来た道を戻る。月面基地に戻る次の便を確認しなくてはならない。インターネット環境が整備されていても、何が起きるか分からない為、こればかりは受付でしか確認出来ない。
受付の端末で最短で出航する便を確認しながら、四人を検査に向かわせたと報告も行う。
約十三時間後、彼は再び月面基地に向かった。
それから更に時は過ぎ、前回の戦闘から五日が経過した頃。倒れた訓練生が目を覚ましたと、彼は連絡を受けた。
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ここまでお読みいただきありがとうございます。
この作品は永続転生記の時系列的には、大分後の話になります。
時系列を考えて投稿は悩みましたが、過去に投稿した話がそれほど出て来ず、昔話は可能な限り作中で消化され、ほぼ単体で読める事から投稿に踏み切りました。
ジャンルはファンタジーか、SF系か大分悩みましたが、一章の時点で魔法がチラッとしか出て来ない為、SF系にしました。
過去最も長い作品になっているので、感想は一章が終わるまで受け付けない方向で行こうと思っています。
最後に、ギリギリだけど、主人公星崎佳永依の誕生日に投稿出来て良かった。