わんわん
私の部屋には幽霊がいる。部屋の隅っこ、テレビの横。いつもニコニコとこちらを見ている幽霊。
年齢はわからないけれどたぶん私とそれほど変わらない、大学生くらいでおかしくないだろう。性別は男。茶色く染められているように見える髪と、Tシャツにチノパンという可もなく不可もない格好。なんでなんだか正座をして、いつだって笑顔で、こちらを見ている。
下見に来たときには見えなかったので迂闊にも契約してしまったのだけれど、もし初めに気付けていたらこんなところ住もうなどと思わなかっただろう。べつにホラーが苦手なわけではない。が、霊体、しかも得体のしれない男の霊体と同居なんて、笑い話にもなりやしないじゃないか。
せめて事故物件として家賃が安かったならばと思うが、遊びに来た友人には彼の姿が見えていない様子だったので不動産会社を納得させることはできないかもしれない。幽霊がいると騒いで他の誰にも見えなかったら私はオカルトマニアの頭のおかしい女か値下げ交渉のためになりふり構わないドケチな頭のおかしい女になってしまう。というわけで、我慢に我慢を重ねて生活をしている。
コミュニケーションをとろうとしたことは、何度かある。
名前は? あなた死んでるの? 何か未練があるの? どうしてここにいるの? どうしたいの?
何を聞いたところで返事はなし。ニコニコニコニコ、普段通りに微笑んで正座しているだけ。しまいにはばからしくなってしまって、特に害になるでもなし、気にしないようにすることにした。
彼がこちらを見ていようともご飯は食べるし歯も磨く。着替えだって今更恥ずかしくもない。風呂上りに下着姿でテレビを見ていたときはさすがに困ったような顔をしていたようだったけれど、そんなこと私には関係ないと無視をした。
契約者は私。彼は居候でしかないのだから。
「手を挙げろ、金目のものを出せ」
強盗が私の部屋に押し入ったのは、彼との共同生活が始まって半年ほどが経った頃のことだ。
目だし帽に包丁。今時ギャグ漫画でしか見ないようないでたち。発言もテンプレまんまで笑えない。そもそもこんな学生用のアパートに乗り込む時点で間抜けだとしか言いようがない、六畳一間の部屋に住んでいる苦学生に何を期待しているのだか。
私が呆れているのに気付いているのかいないのか、まあ後者だろうけれど、強盗は満足そうに部屋の中を見渡した。女子大生に期待したところで見たままの汚部屋が広がっているだけだよと教えてあげるべきだろうか。
まあ殺されるのも嫌だしと通帳を引きずり出した私の数歩離れたところで強盗はタンスに手をかける。そのタンスは夏物の服しか入っていないんだけど。下着は風呂場の隣の棚。ちなみにこの家で一番の金目のものは布団の上で充電されているスマホ。まあ、教えてやる義理もない。
家探しを横目で見つつ、思い出す。
幽霊の彼、何やってるんだろう?
ふと思いつき、テレビの横を見る。イマイチ意思疎通できないっぽいしきっと今も変わらず微笑んだ彼がいるんだろう、と思ったら、意外なことに彼は険しい顔つきで強盗を睨み付けていた。おや。しかも立ち上がって、こちらへ向かってくる。腕を振り上げて助走をつけて。おや、おや。
「ねえあんた、あぶな」
強盗に向かって拳を振り下ろす男を止めようとした声が、ぶつりと途切れる。勢いよく強盗を目指す拳。すかっと音がしそうなくらい気持ちよく空ぶる拳。訝しげな強盗の目。あれれとでも言いたげに自分の手のひらを見下ろす男の表情。
役に立たないにもほどがある、この幽霊。
結局私の部屋の鍵を壊すあやしい男を見たと通報があったらしく、警察が強盗を引き取っていってくれた。急に声を上げた私に怯えていた様子から察するに、あの強盗はもともとビビりなんだろう。たいしたこともされていない。ただ、落ち着いたら署に来てくれと言われたのが億劫なくらいで。
それよりもである。
「あんた、人に触れないの忘れてたの」
「……」
「本当役立たず。こういうときは身を挺して私を助けるのがセオリーなんじゃないの」
「……」
「そんでもって動けるんなら、さっさと出て行ってください」
「……」
返事はなし。いつもと同じようにテレビの横で正座して、ニコニコとこちらを見上げている。
なんというか、飼われ慣れた犬のような雰囲気がしなくもない。となると、つまり私が飼い主ってこと? 冗談じゃない。
「番犬にもなりゃしない」
返事はない。せめてワンとでも言ってくれ。