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Episode1-1「演目開始」

※HPで公開しているSSの試験運転です

 突然な話、予定よりも早く微睡みから覚めた祥吾がことさら積極的に取り組む“脳内タイムスケジュール”の一つに、もう少ししたら自分を起こしにやって来る妹が現われるまで睡眠の余韻を楽しむという至極呆れたモノがある。

 それともう一つ。惰性を咀嚼するに伴い、さっそく現れる憎きライバルとの戦いだ。

 涎が口元をベタベタにする程にだらしなく緩みきった顔へ突き刺さる、目覚めの光。僅かに開いているカーテンの隙間より差し込んだ朝の陽射しは照射範囲こそ狭いものの威力は抜群で、やがて陽光の鋭さに屈した祥吾はうっすらと片目を開くなり、ベッドからすぐ手を伸ばした所にあるカーテンさえきちんと閉め切らずに眠ってしまった昨晩の自分にトントラ限界分くらいの怨嗟の念を飛ばした。んあ……、と寝起き特有の間抜けな顔から寝起き特有の間抜けな声もこぼれ落ち、利き手が亀みたいなのろい動きで双眸に覆い被さる。目蓋に乗った左手は本日もうざったいくらい生暖かい。でも絶対に退けない。これは幾らかの暗闇を得るために古来より親しまれてきたお手軽な手法で、応用編として手の代わりに雑誌や洋服などで代用するタイプが存在する。横着のバリエーションは実に豊か。三大欲求に対してトコトン向上心が高いのが宇宙船地球号乗組員だ。

 もちろん手で顔を覆い隠した程度で邪魔者を完全に追い払う事が出来るのなら、苦労はしない。何処の誰が言い出したかは知らないが、急がば回れとは実に言い得て妙な御言葉でありまして。束の間の平穏さえ許さぬ意固地の悪い御天道様は、今日も今日とて左手の指五本を器用に擦り抜けては横着者の眸へ猛攻撃を仕掛けてくる。その鬱陶しさときたら、試合に出たいがために監督の真隣で全力でアップする控え選手のよう。鬱陶しさのベクトルが微妙に違うように思えるが、まあどうでもいい。

 オラオラ朝だぞグッドモーニングだぞとっとと起きんかこのNEET予備軍が! なんて、群青色の空に浮かぶ太陽様が高圧且つ攻撃的に仰っている以上は、一気呵成の鎧袖一触、如何なる工夫を施しても決して終わらない金烏のターンに祥吾はさっそくうんざりし、眉を僅かなりに撓めて舌打ちをした。たまらなく粘付いた口でチッと。敷き布団にも力強い皺が作られる。

 うぜえうぜえうぜえうぜえうぜえうぜえうぜえうぜえうぜえ、以下気分が悪くなってくるので省略。

 両の頬を躊躇無く差し出す大聖を自負する身としても、コト朝に関してはどうしても清涼感に満ち溢れた人間性が損なわれてしまう。どんくらいかと言うとたぶん八割くらい。いやいや性格が悪いのは四六時中フルタイムだろうが大ボケ野郎、一体全体どの口がそんな年老いた政治家みたいな戯れ事を抜かすんだよ、などと祥吾を取り巻く人物総出で音速神速全速力で突っ込まれそうなナルシスト根性丸出しの自己分析だが、あくまで自称なので悪しからず。無責任な大人が作り出した64億通りのオンリーワン、行きすぎた愛情が祟り、かのシンデレラ嬢が二十人も登場してしまったように、誰だって自分が大好きで大好きで仕方がないもの。

「くあ……」

 ともかくも顔面に降り注ぐ眩い光、一端気になってしまうともう駄目だ。已むなく陽射しを遮断する手を二枚に増やして密やかに対抗してみたのだけど、でもやっぱり意味はなくて。それならばと三本目の手を動かそうと意識野をフルに広げてみるも、邪気眼に犯されていない者ならば当たり前の話、神様に生を賜りしその日から人間には腕は二本しか与えられていないわけで。

 そこで、黒魔術の呪文を唱えるが如くぶつぶつと前述と一字一句違わぬ汚い言葉を呟き続けている内に、寝惚けていて正常な回転ができていない祥吾の残念極まりない頭が、「そういえば……」とふとした事柄に思い当たった。往生際悪く、新たな工夫を思い付いたわけではない。彼は異常な横着者であるとともに諦めが異常に早い性格をしている。そんな切り替えが速い祥吾、よくよく考えてみたら、昨日も一昨日もこうやって古典的な方法に興じては即座に太陽とのステゴロに敗れ、ねちっこく毒突いていた覚えがあったのだ。ああ、そうだ。そうだった。心の中でシンバルもとい手をポンポン叩きまくる。この未来と邂逅したような奇妙極まりない感覚、決してデジャブなんかじゃない。瑞樹が恐らく学園史に残るであろうとんでもない騒動を起こした新入生歓迎会の朝も、新学期が始まった一ヶ月前の土砂降りの朝も、似たり寄ったりの攻防戦を繰り広げるなり、悪戯に黒星を増やし続けていたものだ。

「だーらっしゃ! 俺ってば、何故にこう毎朝毎朝同じポイントについてイライラしてんだっつーの! まさかウマシカなのか? もしかして沙羅にも匹敵するでっけえウマシカなのか?」

 苛立ちを感じ始めると自然と独り言が増えてしまう、人間の性。汗ばんだ手がそれ以上に汗ばんでいた後頭部を物凄いスピードで掻き毟る。しゃかしゃかと手が往復する度に爪の間に入り込む皮脂。加速する苛立ち。何処からともなく沸々と込み上がってくる苛立ちを押さえきれず、ガーッと吠えて天井にツバを飛ばしてみたりもする。吐き出したツバが向かう先は当然自分の顔である。

 1が来て、2が来て、3が来た。イコール、Jが行き、Fが続き、Kが締める。

 そうした電波時計のように正確に繰り返される毎日に改めて嫌気が刺した彼は、慨嘆混じりに己に己のマンネリ化した行動パターンの原因を問い掛けてみたりもするが、結局のところ自分がカーテンすら閉められない物臭且つ学習能力が無い駄目駄目な人間だからに他ならない。

 明日やれる事は今日するな。明後日やれそうなら明日も休んでよし。一生やらなくて済みそうな事は一生するな。

 絶対に無駄をしてたまるかという、北緯38度御自慢のミサイルでも掠り傷一つ付けられぬ祥吾の絶対的信念。出逢って凡そ三年にもなる級友達は、目一杯の侮蔑と呆れ、生暖かい視線、そして申し訳程度の親しみを込めて祥吾をミスター・タイダーと呼んでいたりもする。百年にひとり誕生するかしないかの面倒臭がり屋。馬で言えば白毛。リベリアで言えば怪人。存在価値は宇宙を駆るムラサキ色の人型兵器の足程に無いが、希少価値だけは無駄に高い。ちなみに、昨年の文化祭、直前の直前までクラスの出し物が決まらなかった2ーAは、苦肉の策として祥吾を主役に据えたミスター・タイダー・ショウなる特撮戦隊物の寸劇を発表するに至った。内容は登場人物全員がひたすらだらけているだけという、一切の見所がない五月病チックなテイスト。公演回数は二日間合わせて計八回、劇が終わる度にそれぞれ観客席から空き缶やらペットボトルやらメガホンやらが投げ込まれたとは言うまでもない。当時のクラスメイトがそのまま引き継がれた3−Aは今年体育館が使えない原則となっている。

「いんや、俺はあそこまで馬鹿じゃねえし、まあ今更過去を悔いたってどうにもなんねえや。しゃあんめえ、今日も今日とて頑張って寝よう。俺の持てる才を余す事なく発揮してどうにかして寝てみせよう。見てやがれサンシャイン、俺はできる子なんだぜ。ローラーなんて怖くないんだぜ」

 押して駄目なら引いてみろ。引いて駄目なら諦めろ。投げた賽は放っておけ。

 本日、五月十日も当たり前のように発令される近江家家訓第一条、後悔するよりも前進を。またの名を現実とアウェイ&アウェイ。

 情けなくも埒外とは言えぬ、とうの昔から恒久化された葛藤に頭を働かしていても一文の得にもなりはしないと祥吾は悟ったのだ。もちろんたった三文の得にしかならない行為など全力で願い下げだ。三度の飯よりも睡眠が大好きと豪語する少年は、次第に慣れた心持ちですっと眸を閉じ、無理矢理にも自然と耳に入ってくる音という音をすべて子守歌と思い込む。陽光は根性で我慢。

 一つ、一刻一刻と時を刻み続ける壁掛け時計の音。

 一つ、繰り返し訪れる朝を喜ぶ鳥のさえずり。

 一つ、家の前を通る数台の車がコンクリートを叩いた喧しい音。

 チクタク。チュンチュン。ゴウゴウ。文字にしてみると酷く間抜けな効果音が、たゆたう意識の中、F1マシンが通り過ぎ後のように急に現れては瞬く間に遠くへと過ぎ去っていく。ついでに半分も覚醒していない祥吾の意識も引き摺りながら。

「クッ、すまねえ七瀬、度重なる戦いの末にお兄ちゃんの身体はボロボロなんだ。磨耗しきっちまったんだ。ポセイドンはもう海を守れねえんだ。だから、悪い、あれやこれやの色々な後始末はすべて任せたぞ……。後、葬儀に関しては絶対に密葬で頼む……。じゃないと俺の人となりの小ささにお袋が号泣する事間違いない……」

 ワックスでも塗りたくったみたいに滑らかな舌、本当に寝惚けているのかとは時たま自分でも思う不思議。祥吾はわざとらしく天に突き出した手をふるふるとさせ、ついでに熱血ヒーロー番組の三下役っぽい負け台詞を残し、ガクリとだらしない顔を唾液で若干湿った枕に埋める。鼻っ面に生暖かくてヌメヌメとした気持ち悪い事この上ない感触を覚えたが、頑張って気にしない。いつもなら枕を裏返すくらいはするのだけど、昨晩ド派手にやらかした粗相のせいで襲い掛かる眠気が通常の比ではない今日この頃、文鎮でもはっ付けたように重くなってきた目蓋に抗えるわけもなく、ゆっくり且つ確実に視界に厚さ五ミリのシャッターが降りてくる。チュンタウゴウ、徐々に、徐々にあらゆる音が遠ざかっていったかと思えば、どこからともなく現れた真っ白い靄が暗闇を浸食していき、指一本さえ動かせないまでに身体の力も奪っていく。次に、天井で剥き出しとなった裸電球と対面するのは七瀬に控えめに身体を揺すられた時だろうか。間違いない。だっていつもの事だもの。

 九年にも及ぶ義務過程を修了した高校生。それも三学年生にもなって妹に目覚まし時計の役割を与えているなど、年頃の人間の道徳意識から大きくオフサイドしている感は否めないも、しかし彼自身、毎日決まった時間に行われる『三丁目町内プレゼンツ・ザ・会井戸端会議』のかっこうのネタにされるであろう最低最悪の行為を働いているとは充分自覚している。俺は駄目で駄目で駄目な特大の駄目人間だ、と春夏秋冬連日連夜千葉の中心で自分の駄目さを叫んでいる。

 だけど、しっかりハッキリくっきり自覚してなお依然改善の余地が見られないのはどういう複雑な理由があってか――否、骨の髄までぬるま湯に浸かっている駄目人間ともなれば、導き出される解答は至ってシンプルなものだ。難解なルービックじゃない。1ピースしかないジグソーパズルなんて簡単過ぎて、ひらがなを覚えたての子供でさえ一分で飽きてしまうだろう。

 

 性を近江。名を祥吾。性別は男。元インギンブレー。現ミスター・タイダー。

 ここ二年に渡るぐうたら生活を経て当時の面影こそ完璧完全に消え去ってしまったとはいえ、祥吾は鼻水垂らして蛙を追い掛けていた頃以来『沙羅のお兄さん』といった微笑ましい愛称が付けられているように、もともとは過剰と言っても差し支えがない程に面倒見が良い性情をしていた。ハッキリ言ってしまえば、大の親友であり、幼馴染みであり、渡世の義を交わした兄妹分でもある沙羅が片時も目を離せない危なっかしさを孕んでいた事が、彼を人一倍気配りの出来る人間たらしめていたのだろう。ちょっと目を離した隙に沙羅は自分の手に負えないレベルの問題を引き起こすから厄介なのだ。

 一体全体なんなんだあいつはコンチクショウめ、なんでこんなにも俺に迷惑を掛けてくるんだコノヤロウ。あいつの不注意癖が治らないのはしょうがねえ、だったら何か問題が起きる前に俺がその可能性を摘み取らないと……。

 そうした思いから野生本能バリバリの鷹みたく常に周囲に目を光らせ、一定間隔で左右に振られる首は高性能防犯カメラの如し。四六時中、あまりにも神経質な立居振舞をしているものだから、少しくらいはリラックスしなさいと周囲に諭された事もしばしばだった。当時、何とはなしに闊達とした語り口で祥吾にゆとりを促してきた大人達も、あの神経質な少年がここまで肩の力を抜いてしまうとは夢にも思わなかったろう。中には自分が軽率な事を言ったがために祥吾が堕落してしまったとすっかり思い込み、日々己を咎めている者もいるとかいないとか。流石にそれは冗談だが、ただ、祥吾の根が真面目だったのはホントのホント。

 けど、ある時、祥吾の隣には、自分よりもずっと賢く、ずっとずっと気が利く少女が現れた。現れたと言うよりも祥吾自ら連れてきたと言うべきか。自分の仲間以外の人間を寡少にも信じようとしない野良猫然としたその子は絵に描いたような非の打ち所がない完璧人間で、でも、同時にそれらの高性能をもフイにしてしまうくらいの欠陥を抱えていて、だからこそ彼は今後の自分の身の回りに関するすべてのイニシアティブを彼女に預けると決めた。

 再会の日、祥吾は真面目な顔で彼女に言った。弁当を作るのに一人前も二人前も変わらないだろう、と。少女は祥吾が何を言っているのかこれっぽちも理解できなかったものの、祥吾は祥吾で自分の言葉を態度で示してみせた。すなわち、そう、妹がやたらと手間が掛かる子から自立心の塊とも言うべく毅然とした少女に移り変わり、彼自身も甘えられる立場から甘える立場にスタンスを変えてみたのだ。一言で言うとだらけた。

 そしてこれが不味かった。致命的だった。これこそが祥吾を堕落させる決め手となったのだった。

 文武両道を地で征く才女とともに歩いた二年間はそれなりに長く、もちろん相応に充実していた。が、かつて甘えられていた者が甘える側になった反動も凄まじかった。居間で雑魚寝しながらTVを見ていても勝手に飯はできあがるし、階段に脱ぎっぱなしにしておいたズボンは勝手に洗濯機の中に入り、翌日は皺一つ無い状態で自室の箪笥に仕舞われている。年中付きまとってくる沙羅の相手も偶にだけどしてくれる。これまで沙羅を叱る時は、自分は男、沙羅が女の子である事を理由に手を挙げられなかったけど、しかし七瀬は平然と沙羅の頬を引っ張る。ゴムを引き伸ばすが如く引っ張りまくる。

 すげえ、マジやべえ、マジ七瀬すげえ、パーフェクト超人だよこの子。

 七瀬の一挙手一投足にただただ感心、そして祥吾の胸を圧倒的に征服した感心の行き着いた先が、駄目人間の世界へようこそ。

 詰まるところ、七瀬が祥吾の世話をするようになった弊害として、自然と身体の何処というわけではない部分に染みついてしまった悪習を糺す事がもはや不可能の域に達してしまっていた。いわば切っても切り離せない関係になってしまったのだ、祥吾と怠惰は。そう、絶対に切り離せない。この二つが等号関係から解放される日はきっと永遠に訪れないだろう。未来永劫、永遠時代。なにしろ当の本人に更生する腹積もりがスプーン小さじ一杯程度にもないのだ。

 そのような目も当てられないズブズブの怠け者ともなれば、彼が妹に任せている責務が目覚まし時計に留まらないとは説明不要。良識在る常人が理解するにはちと難しい。家庭を廻すために必要なあらゆる家政に於いて、近江家が全部が全部七瀬におんぶに抱っこな惨状を呈している現実は。

 

 此処は、千葉市の北に広がっていた大規模な埋め立て地を利用する事により誕生した、海浜町。

 先月、通称“ネズミーマネー”と呼ばれる税金を総動員し、無駄に豪勢な改装を施したJR海浜駅から海浜総合高校方面に向かって五分ばかし歩いていくと住居区と名付けられたエリアに入る。ちなみに海浜総合側に向かわず、住居区と反対側に進んでいくと、どれも二十階を超える高層ビルが群居を為す業績研究区へと入る。十数年前に新進気鋭の市長が大ナタを振るって以来、海浜町は四つのエリアに分断され、所謂適材適所な構成となっている。

 残りの二区は、住居区の手前にある、日本最大のマンモス校であろう海浜総合高校や祥吾が通う新宿海浜高校らの教養施設を設えた文教地区。そしてタウンセンター地区では、一時期ローラースケートでの接客で話題となった米国風スーパーマーケットや映画館やゲームセンターなどの娯楽施設が日々展開されている。タウンセンターに関してはメッセという愛称でお馴染みの多目的ホールが最も有名だろう。

 海浜町は今となっては近代的な作りをした人口都市と言えるようになったが、昔は今とは程遠い街並みだった。名前を捩って廃品町と言われていた事もあった。

 バスが二時間に一本しかなかったり、コンビニ……というか商売っ気がまるでない酒屋が八時で閉店してしまったり、そんな田舎暮らしに心底飽き飽きしていた地元住民の大声援を受け、企業庁が『考えるよりもまずは行動を』と見切り発車的な姿勢で大掛かりな工事に臨んだのが凡そ十年前だ。牛と鶏が大の友達と揶揄されていた田舎街の大改革に着手した当時の県庁職員曰く、真っ新な紙に線を引くにあたりサンプリングした都市は音楽の都ウィーンだったらしい。都市開発に携わった者の中にはウイーンではなくドイツだと強く言う声もあるが、まあ計画書を書いたとされる人間が亡くなってしまった昨今、真相を知る術はない。ただ、元ネタがどちらにせよ海浜の景色は確かに生まれ変わったのだ。それが事実で、それがすべてだろう。

 朝から夜遅くまで重機の音が盛んに鳴り響いていた当初は、それこそ見た目だけが立派な、張りぼてみたいな貧寒とした街並みだった。御上の気分一つで、順調に進んでいた都市計画が突然中止となってしまう事などざらだ。途中で放り投げ出された街並みのなんとも間抜けな事。うちは大丈夫だよなあ。大丈夫なのか。大丈夫であってくれ。カレンダーが捲られていくにつれて住民の不安心は着実に駆り立てられていったのだが、しかしこの日出づる国は戦後たった十数年あまりで、雑草程度の緑さえ見付ける事が難しかった荒れ地に、絶える事のない笑い声や筆舌に尽くしがたい様々な魅力的な景観を呼び戻したのだ。それは忘れてはならない。知識やお金、ついでに多くの仲間を失った時代にあれだけの成果を成し遂げられたのならば、色々な機材が取り揃っている平成の世で田舎町を近代的にする事などお茶の子さいさいの朝飯前に決まっている。

 そして、あっと言う間に整った生活環境、増えていく人口に比例して土地価は爆発的に跳ね上がり、かつて地元民が『一千万もあれば余裕で街そのものが買える』と自嘲した海浜町の土地価は現在都会の中心と肩を並べるまでに高騰してしまった。あの頃の計画者、住民ともども、まさかここまで成功するとは……と口をあんぐりとさせて驚くに違いない。それくらいこの町は目覚ましい進化を遂げている。しかも現在進行形でだ。


 さて、某関西牛にも匹敵するブランドイメージがすっかり定着している住居区。

 四人くらいが横一列になって歩けるゆったりとした歩道、約一メートル間隔で清涼感を感じさせる街路樹が立ち並び、嫌が応にも欧州を想起させられる近代的な街並みの中に、しかし一軒だけ周囲の景色に似付かわしくない時代錯誤も甚だしい木造の家があって――というかそれが近江家である。

 野球ボールを放り込むなり、怒り猛った雷親父が飛び出してきそうな古き良き時代の屋敷っぽい見た目とは裏腹に、大黒柱は五年くらい前から不在。祥吾が中学に上がる頃くらいに父親は突然居なくなってしまい、代わりの稼ぎ頭は夜十二時を回るか回らないかの時刻まで仕事に精を出さなければならなくなってしまった。とはいえ、急に増えた勤務時間にも祥吾の母親は何処吹く風と言った様子でケロッとしている。フリーライターなる身体を資本とする職が示すように祥吾の母親は極めて豪快な女性で、例えるなら母と言うよりも父であった。自由奔放で適当人間のアナーキー、後の事などこれっぽちも考えない無鉄砲さも持ち合わせたエゴイストの権化。蒸発した旦那の嫁が彼女だった事は、ある意味幸いだったのかもしれない。生活感がまるで無いという一点さえ除けばの話ではあるが。

 料理NG、掃除NG、裁縫NG、駄目グランドスラムを余裕軽々と達成してしまう母親オーラの無さときたら実に形容し難い。

 仮に仕事が一段落して久々に早い時間に我が家に帰ってきたとしても、包丁や掃除機を満足に触った試しがないそいつに家事など任せられるわけがない。入隊一日目の兵隊に誰がピンが取れ掛かった手榴弾を握らせるか。危なっかしいにも程がある。あくまで偶然ではあるが、折れた和包丁が祥吾の頭を通過して、たまたま壁を這っていたゴキブリを刺し殺した事もあった。

 故に、ふたりで暮らしていた頃は祥吾が必要を迫られたがために家事を一手に担い、日々メキメキと料理の腕を磨いていたわけだ。


 しかし昔は昔、今は今。変わり行く街並みに倣うように、近江家の風景も徐々に確実に変わっていく。現実、当時と見在とでは祥吾が置かれている状況が大きく変わってしまっている。たとえば、こうして彼が呑気に夢現でいる傍ら、彼の妹は台所で黙々寡黙に自らに課せられた役割をこなしているのだ。

 

「…………おお、朝メシはなんじゃろか」

 二度目の眠りに就く寸前、とろとろにふやけた頭が祥吾にそんな言葉を吐かせた。

 ふかふかベッドが醸す酷く魅力的な誘惑を断ち切り、下に降りて行けばすぐにわかる事なのに、例によって彼の選択肢に起床なる言葉が加わる瞬間は訪れない。矢庭に目の前に現れる三択、其処に連なるはどれも為すがままに妹にもたれ掛かようとする恥ずべきものばかりだ。

 しかも祥吾にとって都合が良い事に、祥吾を取り巻く人間の中、沙羅の姉である舞夜と並んで彼に自省を促す事ができる数少ない人物である七瀬も、自立心が喪失しきった兄を突き放す事はせず、また窘めるすらせず、むしろ兄の身の回りの面倒を見る事こそが自分の生き甲斐なのだとプラス方向に受け入れてしまっている感がある。つまり七瀬に寄り掛かる事が彼の楽しみであり、逆もまた然り。祥吾曰く、これぞ究極の阿吽の呼吸。

 そうしたふたりの歪な関係を快く思わない人々もいる。彼らは祥吾の怠けぶり、七瀬の過保護ぶりを目にする度眉間に皺を寄せている。効果はないと知りつつも時には口うるさく説教もする。特に七瀬の、自分に厳しく、他人にどえらく厳しく、祥吾に甘く……の贔屓がちな姿勢について苦言を呈す事が多い。とはいえ、七瀬が祥吾に生活面でどっぷり依存されている現状に対し、これっぽちも不平不満を唱えない事にも納得できないわけでもない。歳を食ってから子を為した母親の心境ではないが、人間、これだけ頼りにされたら悪い気はしないし、七瀬の感覚的には――祥吾が目論んだ通り――拵える弁当が一つから二つに増えたのと同じような、なるほど、日常性を孕んだ瑣末事なのかもしれない。

 おかげ様で、という優れた影響を受けた際に用いる言葉を適すればいいのか、正直に自業自得と罵ってやるべきなのか、どちらにせよ家名を重んじる親族に出来損ないと嘲られる日々がすっかり祥吾の日常と化してしまったのだった。

 祥吾の父方の実家は、もうだっせえチョンマゲ結わなくいいんだ、マンモス嬉しいぜ! と、すき焼きを食いながら連日連夜どんちゃん騒ぎをしていた時代より医業を営んできた。平成の世では、ようやく拓けた海浜町に拠点を移し、近江総合病院は全国的に有名な七大病院の一つに君臨している。そして祥吾は由緒正しき近江の長男坊であるからにして、余程の事が無い限り、行く行くは近江総合病院の跡を継ぐのだと誰もが知っていた。……現実問題、宝籤を当てるよりも難しいとされる余程の事が起きてしまったので、誰もが羨むミリオンダラーな将来はおじゃんになってしまったのだが。

 嗚呼、跡取り息子云々とタイセツに育てられていた幼年期は何処へ行ってしまったのやら。

 掌を返す。辞書で調べてみると、簡単に態度や考え方などが変わる事のたとえ、との意。

 そんな不届き千万な光景はTVドラマや漫画などでしかお目に掛かれない絵空事、実際に我が身に降り掛かるはずがないと心の何処かで安心しきっていた。だからこそ自分の甘さにはほとほと呆れてしまう。祥吾は高校に上がると同時気付いた。いや、正確には思い出した。自分の親戚は、常人ならばまず考えもしない曲行な言動を息を吐くように行うタイプなのだ、と。

 

 「――って、なーに、やってんだ俺ってば」

 何って、いやまあ暗幕が映す遠い昔の思い出を振り返っていたのだ。つい先程まで朝の献立について巡らせていた頭が勝手に。無意識、そう自分の意志とは無関係に。

 我知らず嫌な方向へ舵を切ろうとしていた思考回路にすかさずメッとして、肺の中に溜まっていた空気すべてを吐き出すような長大息を一つ。肺を綺麗にしようとしたはずが、息を吐き出すなり、後味の悪さだけが残った。

 おお、おお、何をしちょるのだ、近江二等兵。貴様が今すべきは忌むべく過去を振り返り、沈んだ気持ちになる事ではない。辛い過去よりも楽しい未来、身体が長らく求めていた欲望を生のままに受け入れるべきじゃないか。時間にリミットが設けられているぶん、朝の時間経過は昼夜と比べると驚く程に速いのだぞ。十分は一分。一分は十秒。故に貴重な時間を箸にも棒にもかからない昔話に費やしている余裕など貴様には一切与えられていないのだ。

 了解です、船長。ギアは三番から一番へ。システムオールグリーン。ジャイロコンパスも正常。こいつあ、グッドです。いい感じに意識が解れています。この調子なら再び深くに墜ちるまで十秒も掛からないでしょう。

 自らを落伍者と認める者は時折思惟する。いつだって二度寝は最高に心地良い。身体が雲の上の世界をゆらゆらと遊泳しているみたいで、自分だけがこの世の幸福を一身に受けているみたいで、いつしか彼はこれを特権と呼ぶようになった。いつもより早めに起きた自分へのささやかな褒美なのだ、と。

 そういえば、そろそろ春眠暁がどったらこったらなる諺が適用される時期にもなってきた。かなりの思い付きであったが、祥吾は丁度良い言い訳が出来た事ににやりとほくそ笑む。毛布を巻き込む手が穏やかに緩んだ。唾液まみれの顔が太陽に照らされて光輝いている。よく見ると髪の毛もパリパリだった。

「春眠暁を覚えず。うんうん、良い諺じゃないの。考え付いた人間が生きていりゃ、即刻ノーベル近江賞を贈ってやりたいくらいだよ」

 実聞、言い訳というよりも年端もない子供がする支離滅裂な屁理屈に近い。だとしても自分を甘やかすための免罪符を常に欲している彼は、たとえそれが一瞬で看破されようとも冷ややかな視線で睨まれようともさしたる興味がなかった。

 それに穏やかに晴れ渡った春の陽気が他の三季節よりも幾分か眠気を誘うのは確かだ。

 カーテンの向こう側に在る世界は白く目映い輝きを増していき、今日一日が素晴らしい天気になると約束している。暦も五月に入り、春がやってくる時期が他所よりも大幅に遅れる海浜町もようやく柔らかい陽気に包まれ始めた。すぷりんぐはずかむ、だ。街の人々が悴む手を擦り合わせるなどして待ち焦がれていた、目覚めの季節の到来だ。

「人間、古人の言葉には耳を貸すべきだ。つまり春はできるだけ眠らなければならない。俺は体育会系だからな、人一倍先輩に阿るタイプだぞ。うっし、決めた。今決めた。これからこれは近江家の法律だ」

 そう無茶苦茶言いつつも、現在時刻は六時か、六時半か、そもそも二度寝を許されるほど余裕があるのか。二度寝する気は満々だったものの、眠りに入って中途半端に起こされてはたまらない。

 盛大に足りない頭をフルに活用して意識集中、針が落ちる音さえ聞き逃さまいと耳を澄ませる。すると金具が……たぶんお玉と鍋が擦り合うそれが静やかに聞こえてきた。

 ともするとまだ七時前、一階へ降りるにはまだ時期尚早だ。



「三十分は確保できたな」

 余裕を持って設けられた睡眠時間に安心してか、彼の唇からは愉楽を含んだ声が漏れた。



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