-90- 健気(けなげ)な捜査
牧畑刑事は根が実直で健気な捜査を心がける男として獅子鼻署、刑事課では抜きん出て有名な中堅刑事である。彼は出世を目論むでもなく、ただひたすらに事件解決を目指している。とはいえ、正義感に燃えて悪を許さぬ! とかいうお題目を大上段に振り翳すのかといえば決してそうではなく、ただただ、被害者側に立った懇切丁寧な捜査・・要するに、健気な捜査に徹しているだけの刑事なのであった。
今朝も病院の一室で老女の熊取サケの苦情を嫌がることなく聞いてやっていた。本人の話によれば、熊取サケは駅ホームの階段で何者かに押し倒された。その結果、足を捻挫し、軽い打撲傷を負って病院へ緊急搬送されたのだった。
「私ゃね、こんなこたぁ言いたくないんですがねっ。転んだんじゃないんですよっ! ええええ・・誰かに押されたんですっ! ええええ、絶対にっ!」
「おばあさん、私ね、だから捜査してるんじゃないですか。ねっ、フツゥ~こんなこと、って言っちゃなんなんですがね、刑事はこれくらいのことで捜査はしないんですよ、分かりますっ?!!」
耳が遠い熊取サケの耳元で牧畑は叫ぶような大声で懇切丁寧に言った。
「えっ? ええええ、そりゃ助かります。ええええ、孫がね、迎えに来てくれるんですか?」
誰もそんなことは言ってない…と思ったが、牧畑は腹を立てることなく熊取サケに対応した。
「そうじゃなく。おばあさん、それでその押されたときの状況を、もう少し詳しく話してもらえます?」
「えっ? 思ったより安いんですね、有難うございました。態々(わざわざ)、立て替えていただいて…。孫が来たらお支払いしますので。有難うございます、おやさしい駅員さんだこと…」
牧畑は、さすがにこりゃ駄目だ…と思え、紙に書くことにした。売店で黒マジックとノートを買うと、ふたたび病室へ戻り書き始めた。
[おばあさん、私は刑事です。駅員ではありません。押されたとき、その人を見ましたか?]
大きめの字でノートに書き、牧畑はベッドに横たわる熊取サケの目の前へ広げて見せた。
「最近、目まで悪くなりましてね。なんて書いてあるんです? あいにくメガネを持ってきてませんのでね。孫が来たら、持ってきてもらいますので…。すみませんねぇ~」
そう言うと、熊取サケはスゥ~スゥ~…と、気持よさそうな寝息を立てて眠ってしまった。健気な捜査に徹する牧畑だったが、さすがにムカついて、孫などくるかっ! と、穏やかな顔で内心、怒りながら思った。
完