-73- 見も知らない人
世の中には見も知らない人が声をかける場合がある。勘違いされ声をかけられる場合、意図的に何らかの作為をもった者に声をかけられる場合、その他・・いろいろとある。それに対して無言で右から左へと受け流せば、それはそれだけのもので、何事も起こらない。逆に、右から脳内に入れその声に対応すれば、左へ出るときには因縁や一つの人間関係が生じる。それはいい場合もあり、悪い場合もある。
「あの…ちょっと、お尋ねしますが?」
腰打中央署の派出所である曲首交番に一人の田舎風の男が入ってきて、そう言った。
「はあ、どうされました?」
巡査の揉押は怪訝な顔つきでそう返した。
「さっき、妙な人に声をかけられたんですが、大丈夫でしょうか?」
「はっ? なにが、ですか?」
「財布です」
「財布? 財布をどうかされましたか?」
「財布を渡したんですが、そのあとその人がいなくなって…」
揉押は瞬間、こりゃ、事件だぞっ! と身を乗り出した。
「ひったくられたんですかっ!?」
「いえ、そうでもないんですが…」
「じゃあ、どういうのです?」
「お金を貸して欲しいといわれたんで、財布ごと渡したんですが、そのまま帰ってこられないんで…」
「あなたね! そりゃ、窃盗ですよっ、窃盗! あなたもあなただ。よく見も知らない人に財布を渡しましたね?」
揉押は半分、呆れたような声で言った。
「よさそうな人で困っておられたんで…」
「で、中にはいくら入ってたんです?」
「え~と、115円ばかり…」
「115円! …」
揉押は、また呆れて男の顔を見た。手続の方が高くつくわっ! という顔である。それでもまあ、盗難事件は盗難事件である。
「被害届を出されますか?」
「いえ、それはいいんです。いいんですが、あの方を探してもらえないでしょうか?」
揉押は厄介なのが来たな…という顔で、また男を見た。
聞くところによれば、今も一応、まだ探しているそうである。
完